第九話です。
『手合わせ』
外に出ると、雨脚はまだ弱まらない。
「ジェネ、読み聞かせありがとね」
読み終えた途端、ぐったりしていたので言いそびれた謝辞を思い出したかのように伝える。
「べ、べつにいいわよ!あのくらい……」
照れ隠しだろうか、ジェネが赤くなってそっぽを向く。そして恥ずかしくなったのか、ジェネが話をそらすように僕に質問してくる。
「次はどこ行きたいの?」
「うーん、コジロウの道場とかかなあ」
「ええ……行っても稽古なんかつけてもらえないわよ?」
「いいよ、外から眺めるだけでも!」
物好きねぇ、とジェネに呆れられながら、コジロウが稽古をしているであろう道場に足を運んだ。
「たしかここだったかしら?」
ジェネは立ち止まり、外周を塀で囲まれた古ぼけた木造の建物を指さす。開け放たれた外門から中の建物を覗いてみる。
外観こそ古臭いが、バスケットコート二面程度なら余裕で収まりそうな平屋だった。あと異世界の建物はみなそうなのだろうか、庭が無駄に広い。
「中に入ってもいいのかな?」
僕が興味津々で尋ねると、ジェネは無関心そうに答える。
「いいんじゃないかしら?見学くらいならさせてもらえるんじゃない?」
それを聞くと僕は門をくぐり、道場の入り口まで歩き出す。そして入り口の前まで来ると、僕は深呼吸をして扉に手をかける。
「たのもー!」
大きな挨拶と同時に勢いよく扉を開く。道場の中には男女合わせて50人くらいの門下生がいた。みなこちらを奇異の目で見ている。
「あ、あんたねえ……」
「…」
なぜかジェネがあきれているようだ。大勢の門下生の前に立っているコジロウは、師範のようなおじいさんの隣で一緒に指導しているようだった。そんなコジロウもなんとなく呆れているように見えた。
「え、僕なんかやっちゃった?」
道場というものに親しみがない僕は、アニメで得た知識をそっくりそのまま使ってしまった。当の本人である僕は、スポーツ会系は元気が大事だと誤認していたのでためらうことなく、そのような珍妙な行動をとってしまったのだ。
「ほっほっほ!元気がよいですなあ!」
そう言いながら、門下生の前で木刀をふるっていた師範のような人物がニコニコと歩み寄ってくる。
その歩いてきてくれたスキンヘッドの人の好さそうなおじいさんに、ジェネが僕の奇行を弁明してくれる。
「すみません、この子見学したいみたいで……」
ジェネが僕の頭をがしっとつかんで何度も下げさせる。
「ほほっ!よいですぞ!存分に見て行ってくだされ!」
人の好さそうなハゲじいさんは気前よくオーケーしてくれた。
「ほお、コジロウのお仲間でしたか」
「ええ、こいつ……この子が稽古しているのを見たいっていうもんですから」
ほっほっほ、とじいさんは笑っている。
道場の見学用だろうか、一段上がり床が畳になっている場所に腰をおろす。門下生の顔がよく見える。しかし肝心のコジロウは後ろ姿しか見えない。そして何事もなかったかのように門下生たちが木刀を振り出した。武道の見学というのは初めての経験であったが、その光景は圧巻であった。
「すげえ……」
一糸乱れぬその太刀筋に思わず感嘆の声を漏らす。
そしてしばらくすると休憩に入り、門下生たちはみな道場の奥にある別室の方へ退散してしまった。
「ほっほっ、昼メシの時間なのですぞ」
「…」
師範がそういって僕らが座っている座敷に腰を下ろす。すると思いついたかのように、僕に提案する。
「ヨーイチくん、だったかな?君も冒険者なんだし、コジロウと手合わせでもしてみたらどうかな?」
「ええ!?」
考えてもみなかった。仲間と手合わせ。
正直面白そうだが、コジロウの『化けイノシシ』狩りでの動き、ほかにもモンスターを倒す時の動きも素人目でも尋常ではないことはわかっていた。ぼこぼこにされる結末が見えていた僕は潔く断ろうとする。
「いや、僕なんて足元にも……」
そう言いかけたところでコジロウがそれを遮る。
「…」
僕の目の前に、受け取れ、と言わんばかりに木刀を差し出す。
「え、でも……」
「ほっほっほ!コジロウもやりたいようだ、やってみたらどうかな?」
「そうねぇ、見てみたいわ」
ジェネにまで煽られる。僕はその場の空気に押し流され、なくなく首を縦に振るのだった。
ルールはハンデありの一本勝負。ジェネの魔道で僕はバフをもらえる代わりに、コジロウはバフなし、魔道も使わないということだった。
「殺す気でいきなさい」
師範のじいさんが僕に伝える。
「いや、殺す気って……」
冗談だと思って笑って僕は流そうとするが、師範の目とコジロウの目を見れば、冗談で言ってるわけではないことは明白だった。
その雰囲気に耐えかねた僕は助けてくれ、と言わんばかりにジェネを見やる。
「まっ、がんばりなさい?」
ジェネは他人事だと思ってニコニコしている。というかいつもより上機嫌だ。『大図書館』のことをまだ根に持っているようだ。
そして道場の真ん中で僕とコジロウが向かい合った。
相変わらず男とは思えぬほどの美貌だ。美しい真っ黒な長髪に、真を見つめるように吸い込まれそうな黒い瞳、クールな表情からは落ち着きが感じられる。
ひざをつき、一礼する。木刀を右手に持ち、切っ先を相手に向けた。
「はじめッ!」
師範のスタート合図で試合が開始される。
合図とともにすぐさま足に力をこめ、飛びかかる。バフがかかった僕の跳躍は一瞬でコジロウの間合いに入る。
「うりゃああ!!」
頭上に構えた木刀をコジロウの肩に振り下ろす。斬撃は目にも止まらぬほどの速さでコジロウに襲い掛かる。
あ、やばいかも!
殺し合いではないので直撃すると感じた僕は途端に力を緩めてしまう。瞬間、僕は宙に舞っていた。
「え……?」
コジロウが眼下に映っている。理解が追い付かなかった。たちまち僕は道場の堅い床に背中から叩きつけられる。
「ぐはぁっ!!!」
背中の激痛をこらえながら、素早く立ち上がり、もう一度切っ先をコジロウに向ける。
なにが起こったんだ……?
数瞬の間だけ思考を巡らせる。しかし、先ほど何をされたのかはさっぱりわからない。切りかかろうとしたら、こちらが天高く吹き飛んでいた。
「…」
そんなことを考えていると今度はコジロウが攻撃に移ろうと、ゆっくり間合いを詰めてくる。木刀を下ろしている。腰に構える形、居合、というやつだろうか。
くる……!
一瞬、斬撃が光のような速さで襲ってくる。バフのおかげで、ぎりぎり目で追える。
ガンッ!!
「ぐぅっ……!」
木刀でなんとかそれを受け止めると、僕は大きく後退していた。手はビリビリとしびれている。そんなことを感じさせる暇を与えないかのように、間髪を入れずにコジロウの次の斬撃が襲ってくる。
ガンッ!!ガンッ!!ガンッ!!
「うっ……!」
僕は受け止めるので精いっぱいだ。このままではまずいと思った僕は、もう一度足に力をこめて大きく後退して立て直す。
「はあ……はあ……」
コジロウは僕の出方をうかがっているようで、また構え直し、その場から動かない。
これは本当に殺すつもりでやってちょうどいいのかも……
「がんばりなさーい、ヨーイチー」
「ほっほっほ、まだ立っているのがすごいなあ」
がやから声援だか何だかわからないヤジが飛んでいる。その間も僕はコジロウから目を離さない。
かわいい顔して実力は一流の剣客ってか、この……
そんな皮肉を脳内でぶつけていると僕は策を思いつく。
剣術は対人、上空からの攻撃には対処できないはず。間抜けているようだが、素人の僕は剣術なんてわからないのでバフを頼り切るしかないのだった。
そして僕は足に力をこめ、今度はコジロウではなく、天井の柱をめがけて思いきりジャンプする。
「とりゃっ!」
コジロウが僕の縦の動きについていけず、目線が遅れたように見えた。
しかし、柱に着地後もひざを曲げるインターバルがあるので大した意味は持たない。
コジロウの目に完全に捉えられた。僕はコジロウの頭上。もうそこから飛びかかるほかない。
「くらええええ!!」
僕が横なぎに斬撃をくらわそうとする瞬間、コジロウの一太刀が止まっているかのようにスローモーションになる。先ほどは見えなかった斬撃が明らかになる。それを僕はしっかりと目で追う。そして、まるで高い場所から落とされた猫のように体をひねらせ、斬撃を紙一重でよける。
シュタッ……
コジロウの目の前に静かに着地すると同時に渾身の一太刀をお見舞いする。
「うらあああっ!!!」
その斬撃はコジロウの肩をめがけて一閃する。
バギッ!!!
しかし、その斬撃がコジロウのからだに届くことはなく、斬撃を外してからいち早く体勢を戻したコジロウの木刀に防がれてしまった。
その衝撃で木刀は真ん中から折れてしまい、そのささくれがコジロウの頬をかすめる程度に終わったのだった。
「…」
どうやらその衝撃でコジロウも後退したようで、着地した時にあった距離とはだいぶ離れたようだった。
「くっ……ダメだったか」
そして僕がそう言ってひざまずき負けを認める。しかし観客席のじいさんは立ち上がり、賛辞を送ってくれた。
「ほぉ~!!すごい!!あのコジロウに傷をつけるとは!!」
「…」
大きな拍手とともにじいさんが歩み寄る。コジロウは頬に出来たかすり傷を手で確認している。どうやら木刀が折れた時の木片がかすめたのだろう。
「どれ、立てるかい?」
「え、ええ……」
じいさんの手を借り、僕は立ち上がる。安心したせいかアドレナリンが切れ、背中の痛みが復活してくる。
「……い、いってぇーーーー!!」
「あー、はいはい。今治したげるからねー」
ジェネが背中に手を当て呪文を唱えてくれた。痛みはするすると引いていき、全快になる。
そしてもう一度コジロウに向き直り、僕は頭を下げる。
「ありがとうございましたっ!」
「…」
それを見てコジロウも頭を下げてくれた。
「しっかし、ヨーイチくん。きみセンスあるよぉ?門下生にならない?」
「いや、今のはジェネの魔道のおかげですし、僕自身はここの子たちよりずっと弱いですよ」
僕はまんざらでもなかったので、笑って照れ隠しをする。
「そうねえ、でも最後の身のこなしは目を見張るものがあったわ」
「ジェネの魔道がなかったら一撃で瞬殺だったけどね」
ジェネにも褒められて、敗北したにもかかわらず有頂天だった僕に、コジロウが今度はいつも腰に差している真剣を片手に近づいてくる。
「…」
「えっ、真剣はさすがに……」
僕の目の前でコジロウは刀を抜くと、その美しい黒髪に刃を立てる。そして一つに結わえていた髪を切り落とした。
「えっ!?ちょっ!!」
慌てる僕を差し置いて、コジロウは切り落とした美しい髪を僕の目の前に差し出す。
「…」
木刀の時のように受け取れということだろうか。僕が困惑しているとジェネが補足してくれる。
「コジロウの故郷の習わしなのよ。仲間と認めたものに大切なものをお守りとして一つ持たせるの」
「仲間……」
「…」
僕はその言葉に急に目頭が熱くなる。そして僕はコジロウのそのお守りをありがたく受け取ったのだった。
「また、いつでも遊びに来なさい」
「…」
師範とコジロウに見送られながら、僕とジェネは道場を後にしたのだった。
つづきます。