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ラプンツェルの接吻  作者: 楓海
3/7

第2章   上

若干NL要素あり。

誤字、脱字にお気付きになられた場合、お教え戴けると嬉しいです。

    ー日常ー

隆一朗の病室に、長身の学生が一人(たたず)み、哀しげな表情を浮かべ、壁を見詰める隆一朗を見ていた。

『もう一年になる。

 脳に問題がある訳じゃないのに、隆一朗の状態、少しも良くならない。』

「隆一朗、解る?

 オレだよ、瑞基だよ。」

 瑞基はいつもの様に、隆一朗の視界に入るように隆一朗のベッドに腰掛けた。

 隆一朗の髪は黒く、先の方だけ銀髪が残っていた。

 気の利いた看護婦が勝手に病院内の床屋に連れて行き散髪させ、胸まであった髪はバッサリ切られ、こざっぱりした頭になってしまっていた。

 この一年で瑞基の身長は十五センチも伸び、制服を二度も新調しなければならなくて母の綾子は頭を悩ませたほどだった。

「今居る現状で一生懸命やらなきゃならない事を一生懸命やって欲しいだけだよ。」

 と言っていた隆一朗の言葉通り、瑞基はこの一年、真面目に学校に通い、バスケ部とオモチャ屋のバイトをこなす日々を送っていた。

 土日も午前から部活の練習があり、終わるとバイトに直行、夜9時まで働いた。

 バイトが休みの日は、部活が終わると隆一朗の処へ直行した。

 面会時間の終了は8時なので、1時間半の時間を週に二回、隆一朗と過ごしていた。

 隆一朗の病状は、この一年、悪くもならなかったが良くもならなかった。

 外界から遮断された隆一朗の意識は周囲の期待を他所に、一向に外にむけられることがなかった。

 瑞基はそれでも、ひたすら隆一朗に話し掛けた。

 いつか隆一朗が戻ってくれることを信じて。

 そして、自分を納得させる為に。

「隆一朗、オレ自分でも随分変わったなって思うよ。

 女顔のこと言われても殴らなくなったし。

 もう、どうでも良くなっちゃったんだよね、身長伸びたから女の子に間違われることもなくなったしさ。

 でね、真面目に学校行くようになったら結構楽しいんだなって解った。

 バスケも上手くなると面白くてさ、試合で選手に選ばれてからは、もっと上手くなりたいって思うようになったよ。

 身長伸びたからダンクとか決められるじゃん、気分いいんだよね。

 オモチャ屋のバイトはね、発注任されるぐらいには信頼されてる。

 隆一朗はオレぐらいの時、あちこち仕事転々としてたって魁威さんから聞いた。

 そうそう、夕べまた、彼女と喧嘩したって麗畏さんが夜中に来てさあ、すんごいお酒臭いのにオレにへばり付いて言うんだ。

 隆一朗が居ない今、瑞基だけが俺の気持ち解ってくれて嬉しいよ。

 とか言うの。

 で、オレ酒の匂いだけで眠くなるじゃん。

 眠っちゃうと、めちゃくちゃ怒るんだよ、俺が一生懸命話してるのに寝るとは何事だって。

 不可抗力だよね、オレ悪く無い。

 お蔭で今日、眠くてさあ。

 授業中居眠りしちゃったさ。

 でも、大丈夫。

 ほら、チケット買ってくれた森さん、最近よく話すんだ。

 バスケ部やってバイトやってって、大変だからって、困った時ノート貸してくれるんだ。

 彼女のノートすんごい解りやすくてめちゃくちゃ助かる。

 やばっ、チケット買ってくれた埋め合わせ、まだしてない。

 今度何か奢らないとね。」

 瑞基はじっと隆一朗の表情の無い顔を見詰めた。

「隆一朗、今何考えてるの?

 隆一朗の声や笑った顔、忘れそうだよ。」

 瑞基は隆一朗の膝に、静かに横たえた。

「もっと隆一朗との時間あったらいいのにね。」

 瑞基は隆一朗の膝に横たえたまま、意思の無い隆一朗の手を(もてあそ)んでいた。

 面会時間の終了を知らせるアナウンスが流れた。

 瑞基は起き上がった。

「もう時間だって、また来るからね。」

 瑞基は隆一朗を見ながら後ろ向きに歩いて病室を出て行った。

 病院を出て徒歩で五分足らずの処にエリザベータがある。

 ドアを開けるとお客は(まば)らで、カウンターに麗畏と樹良が来ていた。

「瑞基、今日は何食べる?」

 魁威が腕に手を掛けて訊いた。

「うーんとね、パイナップルカレーかな。」

 魁威は真面目な顔で訊いた。

「それで、本当にいいのか?」

「冗談に決まってるでしょ。」 

「なんなら作るよ。」

「すみません、もう言いません。」

 瑞基は頭を下げた。

 麗畏と樹良が笑った。

 魁威は瑞基の晩ご飯を作りに奥へ引っ込んだ。

「隆一朗は相変わらず?」

 樹良が訊いた。

 瑞基は力無く(うなず)いた。

 隣に座ると、樹良が瑞基の肩を叩いた。

「ああ云う病気は時間がかかるって聞いたことある、気長に待とうよ。」

「そうだね、そうするしかないもんね。」

 瑞基は頬杖をついた。

 麗畏が言った。

「瑞基も頑張るよな、ちゃんと寝てるか?」

「うん、麗畏さんが乱入しなければね。」

 瑞基は悪戯っぽい笑みを麗畏に向けた。

「悪かったよ、酔っぱらうとついついあのアパートに足が向いちゃうんだよ。」

「オレ、嫌じゃ無いよ。」

 瑞基は笑顔で言った。

「お前、いい奴だな。」

「今頃気付いたの、オレ前からいい奴だよ。」

「自分で言うな。」

 麗畏の突っ込みに皆笑った。

 バートリーはこの一年開店休業で、練習さえしていなかった。

 二人ものメンバーを一度に失ったバートリーの痛手は大きく、彼らのモチベーションを多大に削いでいた。



    ー森詩織ー

 瑞基は突然の雨に、学校の玄関で立ち往生していた。

 今日はバイトが休みで隆一朗がいる病院へ行こうとしている処だった。

 雨は止む処か勢いを増して行くので、瑞基は濡れるのを覚悟で走り出そうとした時だった。

「瑞基君!」

 玄関の奥から呼ぶ声がした。

 瑞基が振り返ると、森詩織が慌てて上履きを外靴に履き替えているところだった。

「瑞基君待って、ワタシ傘持ってるの、一緒に帰ろ。」

「森さん………………。」

 森詩織は瑞基に駆け寄ると傘を広げて瑞基の頭上に傾けた。

「有り難う、でもオレ帰る訳じゃないから、悪いけど今回は遠慮するよ。」

「今日、バイトがある日なの?」

「そうじゃないけど、行く処があるんだ。」

「そうなの。」

 森詩織は残念そうに(うつむ)いた。

「でも………………。」

 森詩織は空を見上げた。

「こんな中、濡れたら風邪ひいちゃう。

 もし、迷惑じゃ無いのならワタシ付いて行きたいな。」

「え?」

 森詩織は慌てて手を振りながら言った。

「迷惑じゃ無いならなんだ、瑞基君が嫌ならワタシ……………。」

 瑞基は少し考えてから言った。

「迷惑じゃ無いけど、行くとこって病院なんだ。

 ここから結構距離あるし、森さんの家どっち方向?」

「病院て、瑞基君何処か悪いの?」

 森詩織は大きな瞳を震わせて心配そうに瑞基を見た。

「いやいや、オレめっちゃ元気。

 違うんだ、知り合いが入院してて。」

 瑞基は急に吹き出した。

 森詩織は首を(かし)げて瑞基を見た。

「ごめん、今の森さんみたいにどっか悪いのかって訊いたら、そいつ顔と頭と性格って答えたの思い出したから。」

 森詩織は笑った。

「おかしいね。

 その人に逢ってみたいかも。」

「え………………?」

「あ、ごめんなさい、図々しいよね。」

 森詩織ははにかんだ。

「そんなこと無いよ、隆一朗ならきっと喜ぶよ。」

 瑞基は少し迷いながら言った。

「一緒に行く?」

「うん。」

 森詩織は笑顔で大きく頷いた。

二人は雨の中、互いが濡れないように、それでも触れ合わない距離を保って歩いた。

 歩きながら瑞基は、隆一朗がバンドでギターを弾いていること、料理をすると破綻(はたん)していることなどを話した。

 森詩織は終始笑顔で瑞基の話に耳を傾けた。

 病室に入ると瑞基は、片隅に置かれた椅子を隆一朗の傍に置いて森詩織に勧めた。

「隆一朗、オレだよ、瑞基だよ。」

 隆一朗は相変わらず生気の無い眼で壁を見詰めたまま反応しなかった。

 瑞基はいつもの様に隆一朗の視界に入るように隆一朗のベッドに腰掛けた。

「今日はね、可愛いお客さんが来てくれたよ。

 ほら、チケット買ってくれていつもノート貸してくれるって話した森詩織さん。」

「はじめまして、森詩織です。」

 森詩織はぺこりと頭を下げた。

「隆一朗ね、去年お兄さんを急に亡くして、そのショックで、心を閉じ籠めてしまったんだ。

 それ以来、ずっとこんな状態で。」

 森詩織は哀しげ表情を浮かべ言った。

「お気の毒に………………。

 …………………きれいな人、呼吸してるのが不思議なくらい。」

「そう、この顔で毒々しいミートソース作ってオレに食わすから。

 しかも、中途半端に美味しくも無いけど不味くも無いって云う。」

 森詩織は遠慮がちに笑った。

「そう言えば森さん、門限何時?」

 森詩織は少し考えてから言った。

「9時………………半くらいかな。」

「じゃあさ、前にチケット買ってくれた埋め合わせするよ。」

「え、そんなのいいよ。

 そんなつもりで買った訳じゃ無いもの。

 ライヴ楽しかったし…………………。」

「だめだよ、あの時約束したんだから、守らないと後で隆一朗に知れたら何言われるか、解ったもんじゃない。

 ね、隆一朗。」

 瑞基は隆一朗に向かって言った。

 森詩織に向き直ると言った。

「ここの近くにエリザベータって喫茶店あるんだ、そこで何か奢るよ。」

 病院を出ると雨はいつの間にか止んでいた。

 森詩織が道すがら何気無く言った。

「瑞基君、この一年で凄く変わったね。

 時々、同じ歳なの忘れるくらい大人みたいに見える時がある。」

「そお、身長伸びたからじゃない。」

「ううん、なんて言うか雰囲気がワタシ達と全然違う感じがする。」

「ふーん、オレ、前はちゃらんぽらんやってたからね。

 確かに隆一朗と逢って、考え方凄く変わったからかも。」

「瑞基君の中心にはいつも隆一朗さんが居るんだね。」

「うん、隆一朗の為ならオレ、なんでもできる気がする。」

 瑞基の後ろを歩く森詩織の笑顔が消えた。

『ちょっと、妬けるかも。』 

 エリザベータに入ると、麗畏(れい)が居た。

「およっ、瑞基もすみにおけないなあ、彼女か?」

 瑞基は慌てて否定した。

「違うよ、そんなこと言ったら森さんに失礼だよ、麗畏さん。」

「そんなこと無いよ、失礼なんて全然無い。」

 森詩織は両手を胸の前で振った。

「だってさ!

 瑞基、チャンス在りそうだぞ。」

 麗畏は親指を立てた。

「ああもう、混ぜっ返さないでよ。

 今日はお客として来たの、彼女はクラスメイトの森詩織さんだよ。」

「今晩は、森詩織です。」

 森詩織は頭を下げた。

「瑞基には勿体無いな。」

 麗畏が森詩織をまじまじと見て言った。

 瑞基はここで反応すると、また面倒なことになりそうなので無視した。

魁威(かい)さん、今日のお勧め何?」

「苺入りミルク粥かな。」

 魁威は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「魁威さん、それ洒落になって無いよ。」

 魁威は笑いながら奥へ引っ込んだ。

 瑞基はカウンターに一番近い席の椅子を引いて森詩織を座らせながら言った

「この人達の言うこと、あんまりまともに受け取らないでね、いつもこんな調子なんだ。」

 森詩織はクスクス笑った。

「でも、とても楽しそう。」

「隆一朗のバンドの人達でね、カウンターに座ってるのがベースの麗畏さん。」

 麗畏は森詩織に軽く手を振った。

 森詩織は小さく頭を下げた。

「今、奥に入って行ったのがドラムの魁威さん。」

「よろしくねー。」

 と、奥から魁威の声がした。

 森詩織は向かいに座る瑞基に身体を伸ばして言った。

「もしかして、あのライヴに出てた人達?」

「そうそう、一番最後に演奏したんだ。」

「ああ、覚えてる。

 お客さん達が凄く興奮しててびっくりしたもの。

 なんだかワタシも凄く感動したゃった。

 人ってこんなに一体感共有できるんだなあって。」

「そうだね、オレも凄く興奮した。」

 そう言いながら瑞基は、バックステージで藤岡真聖を見た時の隆一朗の蒼ざめた顔を思い出していた。

「時々瑞基君、その顔するね。」

「え?」

「心ここにあらずって云うのかな、なんだかワタシ達が知らない遠くを見てるような、そんな顔する。」

「そうかな?

 意識したこと無いけど。」

「ワタシ気付いちゃった。」

 森詩織はにっこり微笑んだ。

 瑞基は眼を丸くした。

「え、何を?」

 森詩織は茶目っ気たっぷりの表情を浮かべ言った。

「瑞基君、他の人達はさん付けなのに隆一朗さんは呼び捨てだよ。」

「ああ、そう言えばそうだな、なんでかな?

 でも、隆一朗は隆一朗なんだよな、魁威さんは魁威さんだし。」

 考え込む瑞基を見て森詩織は急にかしこまった。

「ごめんなさい、なんかワタシ調子に乗っちゃってべらべらと。」

「え?

 そんなの気にしなくてもいいよ。

 そうそう、いつもノートサンキューね、すんごい助かってる。

 一応オレ、進学するからさ、勉強付いて行けないとアウトだから、いつもノート貸してくれる森さんには後光が差して見えるよ。」

「そんな。

 ワタシがいつも頑張ってる瑞基君にできることって、それくらいだから。」

「お待たせー、魁威特製スペシャルディッシュだよーん。」

 魁威は大きな二つの皿をテーブルに置いた。

「可愛いーっ!」

 森詩織のテンションが上がった。

 皿にはオムライスにソースがハート形にかけられ、ウサギの茹で玉子とポテトサラダがレタスの上に添えられていた。

「やっぱ、女の子はリアクションがいいよね、野郎はこの手の小技披露しても気付きやしないから。

 これは、俺からの奢りね。」

 と言ってホットチョコレートを二人の前に置いた。

「有り難う、魁威さん。

 いつもすみません。」

 森詩織も礼を言った。

「こんな可愛いの作って戴いたのに、有り難うございます。」

 魁威が瑞基を小突いた。

「いい娘だな、めっちゃ可愛いし。

 やるな、瑞基。」

「だから、違うってば!」

「あの、まだ違うんです。」

 と、森詩織も言った。

 魁威がカウンターに戻ると麗畏が声を潜めて言った。

「今、まだって言ったよね。」

 魁威も麗畏に寄って頷いた。

「言った言った。」

「ありゃ、完全に瑞基ロックオンされてるよね。」

「されてるよな。

 瑞基が全く気付いて無いのが問題だけど。」


 二人はエリザベータを出た。

「瑞基君、今日は有り難う。

 凄く楽しかった。」

 瑞基は当然のように言った。

「でも、凄く遅くなっちゃった。

 家まで送るよ。」

「だ、大丈夫だよ、ちゃんと一人で帰れるから。

 勝手に付いて来ちゃったのワタシだし。」

 森詩織は胸の前で手を振った。

「ダメだよ、こんな遅い時間に女の子一人なんて、絶対危ないし。」

 瑞基は眉をしかめて言った。

 森詩織は申し訳なさそうに言った。

「有り難う。」

 二人はどちらともなく歩き始めた。

「あの、瑞基君の家、この近くなの?」

「うん、結構近いよ。」

「なんか、ごめんなさい。

 勝手に付いて来て、ご飯ご馳走になっちゃって挙げ句に送らせちゃうなんて。」

 瑞基は森詩織の前を後ろ向きに歩いて言った。

「それ違うから。

 傘に入れて貰って、病院に付き合って貰って、チケットのお礼させて貰った上に門限過ぎちゃったんだよ。

 オレがどう見ても悪いよね。」

「そんなこと無いよ。」

「そんなことあるの。

 家族の人心配してない?

 電話掛ければって……………オレが一緒だとヤバいか。

 ごめん、ご両親に怒られちゃうよね。」

「うち、そんなに煩い家じゃないから心配しなくても大丈夫だよ。

 よく、美祐ちゃんとこ寄って遅く帰ることあるから。」

「そっか、それ聞いて少し安心。」

 瑞基は森詩織の横に並んだ。

「あのね、瑞基君の家何処か知りたいって言ったら迷惑?」

 瑞基は少し考えてから答えた。

「今日はもう遅いし、これ以上遅くなっら、きっと家族が心配するよ。」

 森詩織は思いきったように言った。

「今日じゃなきゃ駄目なの!

 もう、こんな機会無いかもしれないもの!

 瑞基君、いつも忙しそうだし、ワタシなんなの為に時間()いたりしたら迷惑になる………………。」

 瑞基は必死な森詩織の姿に、隆一朗の傍居たくて必死になっていた自分を思い出していた。

 瑞基は森詩織の肩を軽く叩いて言った。

「来週、必ず時間作るから今日は帰ろう。」

 森詩織は潤んだ大きな瞳で瑞基の顔を見上げた。

「ごめんなさい、こんなつもりじゃ無かったのに…………………。」

 森詩織は俯いた。

「気にしなくて大丈夫だよ。

 でも、参ったなあ、オレ掃除苦手でさあ。

 めっちゃ散らかってるから。」

 瑞基は頭をかいた。

「じゃ、ワタシが掃除頑張る。」

 森詩織は両手で拳を握った。

「ほんと?

 それ、凄く助かるかも。」

 瑞基は森詩織を家まで送ると、家族に謝罪して帰った。



    ー告白ー

 瑞基はいつもの様に、隆一朗のベッドに腰掛け話した。

「この次の休みは来られないんだ。

 森さんと約束したから、どうしても時間空けなくちゃなんなくて。

 ごめんね。

 でも、隆一朗はきっとボクの事はいいからなーんて言うんだろうな。」

 隆一朗は相変わらず壁を見詰めたままだった。


 その日は朝から快晴で、瑞基は学校で森詩織と眼が合う度に、心の何処かがくすぐったくなるのを感じていた。

 放課後、校門の前で待っていると森詩織は手を振りながら笑顔で駆け寄って来た。

 鈍い瑞基もさすがに、このシチュエーションに森詩織を意識せずには居られなかった。

 校舎の二階の窓から、森詩織の友人、美祐と愛依が森詩織に向かって声援を送っていた。

 森詩織は校舎を振り返って二階に手を振った。

 瑞基の前に来ると、息を切らせて、今日が掃除当番で待たせたことを謝った。

 二人は歩き出した。

 女顔から美青年になった長身の瑞基は街を歩いていると、よく目立った。

 その隣に森詩織のような美少女が寄り添っていれば更に目立つ。

 行き交う人が、振り返って二人に眼を奪われたとしても当然だろう。

 アパートに着くと瑞基はドアを開けて森詩織を招き入れた。

「凄い!

 瑞基君ピアノ弾けちゃうんだ。」

「違う違う。

 それ、隆一朗のお兄さんのを形見分けで貰ったんだ。」

 瑞基は冷蔵庫から缶ジュースを取り出すと森詩織に渡した。

「有り難う。」

 森詩織は笑顔を瑞基に向けた。

「今更だけど、ほんとに良かったのかなあ。

 一応オレ、男の一人暮らしだけど。」

 森詩織はその問いは無視して、制服のブラウスの袖を捲りながら言った。

「わーっ!

 やりごたえありそー。」

 森詩織はバッグから、いかにも女の子が好きそうな、クリーム色の可愛いらしいキャラクターの付いたエプロンを取り出した。

 確かに部屋は酷い状態だった。

 空いているスペースに教科書やら着替えやらが散乱し、特にベッドの周りはお菓子の袋やペットボトルが散らばって、半ばゴミ屋敷のようになっていた。

「ジュース、後で貰うね。」

 そう言って冷蔵庫を開けた森詩織は絶句して冷蔵庫の戸を閉めた。

「み、瑞基君?」

「ん、どうかした?」

 瑞基は森詩織の居るキッチンへ行った。

「これ、冷蔵庫だよね。」

「多分、間違い無いと思うけど。」

「あの、怖いけど確認しよう。

 この中の食材っていつの?」

「隆一朗が入院してからだから一年前。」

「一年前!?」

 森詩織は目眩を起こしそうになった。

 慌ててバッグがある処へ飛んで行った。

「森さん?」

 バッグの中からビニール手袋とゴミ袋を取り出すと瑞基にゴミ袋の一枚を開いて持たせた。

 瑞基は何事が始まるのか解らず渡されたゴミ袋を持っていた。

「瑞基君、いくよ!」

「は?」

 森詩織は依を決して冷蔵庫を再び開けた。

「わー、有り得ない物体になってるーぅ。」

 森詩織は手袋を着けているのにも関わらず、つまむようにして冷蔵庫の中にあった、かつて食材であったであろう物体を取り出して瑞基に持たせたゴミ袋に入れ始めた。

「わわっ、なんかゲロいね。」

「うん、全部液状化した後にカビて乾燥したみたい。」

「へーえ、食べ物って一年置くとこんななっちゃうんだあ。」

 瑞基はゴミ袋の中を覗き込んで感心した。

 森詩織はその台詞に頭を抱え込んだ。

「瑞基君、冷蔵庫開けた時、変な匂いしなかった?」

「んー、あまり気になんなかったけど。」

 瑞基があまりに無関心なので、森詩織は深い溜め息をついた。

 野菜室を開けると森詩織は、この世の絶望の総てを見た気がした。

「腐海になってるう!」

「おおっ、すげえ!

 カビの密集地帯!!」

 瑞基はある種、感動さえ覚えた。

「瑞基君、冷蔵庫こんな状態で、よく身体なんでもなかったね。」

「うん、オレ妙に丈夫だから。」

 とにかく冷蔵庫の中をきれいにした後、部屋の掃除に取りかかった。

 森詩織は心が折れそうになると呪文のように心の中で繰り返していた。

『恋する乙女は強い、恋する乙女は強い。』

 瑞基は、カビだらけの野菜室を、悲鳴をあげながら洗ったり、文句一つ言う事無く一生懸命自分の部屋を掃除してくれる森詩織の存在が愛おしいと思い始めるようになっていた。

 森詩織が掃除機をかけている間、瑞基は邪魔にならないようにベッドの上で高みの見物をしていた。

「終わったあ!」

 森詩織は腰に手を当て、見違えるようにきれいになった部屋を満足気に見渡した。

 瑞基はベッドから飛び降りるとキッチンに行ってきれいになった冷蔵庫から缶ジュースを取り出した。

「お疲れ様、もう暗いけど少しゆっくりしていける?」

「大丈夫。」

 森詩織は微笑んだ。

 二人は缶ジュースで乾杯して、暫く食卓で雑談した。

 時計を見ると8時を回っていたので。

「今日は本当に有り難う。

 そろそろ、帰らないとね、送って行くよ。」

 瑞基が立ち上がって言うと、森詩織も立ち上がって真剣な顔をした。

「瑞基君!」

「どうしたの?」

 瑞基は森詩織に向き直った。

 森詩織は

何かを言おうとするが踏ん切りがつかず口をパクパクさせていた。

「あの…………瑞基君………が……す………き……………です。」

 森詩織はやっとの思いで、想いを言葉にした。

「え?」

 瑞基は思いも依らない告白に戸惑った。

「ずっと前から好きでした。」

 逆に言ってしまうと勢いがついた森詩織は後の言葉が言い易くなったが、俯いて硬く眼を閉じ、全く余裕は無かった。

 瑞基は内心混乱を極めていたが、必死に想いを伝えようとしている森詩織がいじらしく心から可愛いとも感じていた。

 かつて隆一朗がそうしてくれたように、瑞基はそっと森詩織を抱き寄せた。

 森詩織は瑞基の予想外の行動に驚いたが、緊張と混乱でどうして良いか解らず、手を胸に硬く結んで瑞基の胸にしがみついていた。

 瑞基は自分の腕の中で身を硬くしている森詩織の頭を撫でた。

 撫でられる度に森詩織の身体は解けて行った。

 森詩織は顔を上げて、その大きな瞳で瑞基を見上げた。

 瑞基は優しく森詩織を見詰めていた。

 瑞基は森詩織の大きな瞳に吸い込まれそうな気がして身体を離した。

「これ以上遅くなったら家族が心配するよ。

 送るよ。」

 そう言って瑞基は、椅子に掛けてあった上着に手を伸ばした。

 森詩織は瑞基が自分のことをどう思っているのか言葉が欲しかったが、瑞基のこの様子では、その答えは期待できそうも無いことを悟った。

 帰り道、瑞基はどう言えば森詩織に対して誠実でいられるか考えあぐねていた。

 実際、自分が森詩織に対してどう思っているのか冷静に考える事ができなくて苛ついてもいた。

 黙々と歩く瑞基に森詩織は不安で呼吸が止まりそうになっていた。

 そんな状態に堪えきれなくなって森詩織は思わず叫んだ。

「瑞基君!

 言葉下さい。

 このままじゃワタシ家に帰れない…………。」

 瑞基はその言葉で我に返った。

 やっと宙ぶらりんの森詩織の状態に気付いたのだ。

「ごめんね、自分でいっぱいになってた。」

 瑞基は歩調を森詩織に合わせた。

「本当にごめん。

 森さんの気持ちすんげえ嬉しいんだけど、自分の気持ちがよく解んなくて苛ついてた。」

 瑞基は正直に言った。

「少し時間貰えないかな。

 ちゃんと真剣に考えるから。」

 森詩織はやっと深呼吸した。

「うん、待ってる。

 凄く不安だから、早くお願いします。

 でないとワタシ、押し掛けちゃうかも。」

 瑞基は笑った。

「森さんて、時々言動が大胆だよね。」

「あのね、美祐ちゃん達に言われてるの。

 あんまり呑気に構えてると瑞基君、他の誰かに取られちゃうよって。

 それは嫌だから、自分に鞭打って積極的になろうって頑張ってるんです、これでも。」

 森詩織は笑った。

「そうなんだ。

 本当にごめん、直ぐに返事できなくて。」

「そう云う瑞基君も大好きです!」

 森詩織はにっこり微笑んだ。



    ーキスー

 瑞基は病室で、隆一朗の膝に横たわり意思の無い隆一朗の手を弄んでいた。

「ねえ、何故だと思う?

 直ぐに返事ができなかったんだ。

 森さん、きっと凄く勇気を出して告白してくれたんだと思うんだ。

 だから凄く嬉しかったのに、オレも好きって言えなかったんだよ。

 隆一朗なら、なんて言ったかな。」

 瑞基は隆一朗の手を弄びながら鼻歌を歌い始めた。

 隆一朗が歌っていた、ドイツの恋人を残し戦場へ行った青年の歌だった。

 一番はハミングで、二番は歌詞をぼんやりと歌った。

  ♪遠く離れても忘れはしない

   君のもとへいつか戻って来たら

   真昼だろうと真夜中だろうと

   熱い口付けで君を狂わすよ

   熱い口付けで君を狂わす

「……………………………ねえ、あの時隆一朗はどうしてオレにキスしたの?」

 瑞基は起き上がって隆一朗の顔を見た。

 隆一朗は相変わらず無表情だった。

 瑞基は隆一朗の口唇を指でなぞった。 

「あんな濃厚なキス、オレを誰だと思ってしたの?」

 瑞基は隆一朗の口唇に触れていた手を頬に移して、そっと隆一朗の口唇に自分の口唇を押し当てた。

『あの時と同じ隆一朗の口唇………………。』

 瑞基は眼を閉じた。


『なんだろう?』

 突然、意識がはっきりして長い無の中から暗闇へと隆一朗は放り出された。

『誰かが口唇に触れてる。

 知ってる、この口唇の感触。

 とても愛しくて、失ってはいけないんだ。

 失ったらボクは正常ではいられないほど、愛しい存在。

 誰だったろう?

 み……………ず……………………き……………………………? 

 みずき。

 瑞基…………………。

 ボクの光。

 ボクの救い。

 ボクの安らぎ。』

 隆一朗は触れる口唇に口付け、抱き締めた。

 確かに瑞基はそこに居た。

 口唇が離れると隆一朗は不安になって眼を開けた。

 そこには驚きに眼を見開いた瑞基が居た。

「瑞基……………………。」

「解るの?

 オレが解るの?」

 廊下から何かが床に落ちる音がして、隆一朗と瑞基はそちらを反射的に見た。

 そこには混乱した表情の森詩織が立っていた。

 床には花束が落ちている。

 森詩織は二、三歩後退りして駆けて行った。

「追って!」

 瑞基は何が起きたのか解らなかった。

 隆一朗が戻って来たことだけで、頭がいっぱいになっていた。

「瑞基、追って!」

「だって隆一朗が!」

「ボクは大丈夫だから、行って!」

 瑞基は隆一朗を見ながら後ろ向きに歩いて、病室から出ると、後ろ髪を引かれる思いで森詩織を追いかけた。

 森詩織は階段を駆け下りて、一階の廊下を夜間出入口目指して走っていた。

「森さん、待って!」

 瑞基の声が聞こえた。

 森詩織は振り返って速度を落とした。

 後ろ向きに歩きながら哀しげな顔を精一杯笑顔にして言った。

「良かったね。

 隆一朗さん戻って来たんだね。」

 瑞基は立ち止まったが言葉が出なかった。

「隆一朗さん眠り姫みたい、瑞基君のキスで眼が覚めて。」

 森詩織の眼から一筋、涙が零れた。

「ワタシ、なんだか解ってたような気がしてたんだ。

 だってワタシずっと瑞基君をみてたんだもん。

 瑞基君が隆一朗さんのこと話す時、とても幸せそうだった。

 でも、安心しないで、ワタシこれでも諦めがめちゃくちゃ悪い女なんだ。」

 森詩織はつまずいてしりもちをついた。

 瑞基が駆け寄ろうとすると叫んだ。

「だめーっ!」

 瑞基はそこに壁でもあるかの様に立ち止まって動けなくなった。

「ワタシ、見かけに依らず強いんだから。」

 森詩織は立ち上がった。

「ほらね、大丈夫、ちゃんと一人で立てた。

 また明日、学校でね。」

 森詩織は(きびす)を返すと駆けて行った。

 瑞基は足に重りでもあるかの様に立ち止まったまま動けなかった。

 森詩織が駆けて行く後ろ姿が見えなくなっても尚、動けずにいた。



    ー喜びー

 瑞基が病室に戻ると森詩織が落として行った花束が物悲しげに花びらを散らせて落ちていた。

 瑞基はそれを拾い上げると胸が締め付けられ、何を思えばいいのかさえ解らなかった。

 ベッドの方を見ると隆一朗が床に座り込んでいた。

「隆一朗!」

 瑞基は慌てて隆一朗に駆け寄った。

「花を拾おうと思ったんだけど上手く脚に力が入らなくて。」

「当たり前だよ、この一年近く殆ど歩いて無かったんだから。」

「彼女は?」

 隆一朗が訊くと瑞基は直ぐに答えることができなかった。

「なんて言葉を掛けていいのか解らなくて、何も言えなかったんた。」

「そう……………………。」

「立てる?」

 瑞基は隆一朗の二の腕を掴んで持ち上げた。

「瑞基、随分身長が伸びたんだね。

 力も強くなったみたいだ。」

「そうだよ。

 もう少しで隆一朗を追い越せるよ。」

 瑞基はゆっくり隆一朗をベッドに座らせた。

 自分を見詰める隆一朗を見て瑞基は(こら)えきれなくて抱き締めた。

「ずっ

と不安だったんだ。

 このまま、帰って来なかったらどうしようって。」

 隆一朗は自分の胸に顔をうずめる瑞基の背中を、まるで小さな子供をあやすように撫でた。

 無情にも面会終了のアナウンスが流れた。

「このまま帰ったら隆一朗がまた、何処かへ行ってしまいそうで怖いよ。」

「それは無いんじゃないかな、多分。」

 瑞基は急に顔を上げた。

「オレ、このままここに朝まで居ちゃだめかな?

 付き添いですって言って。」

 瑞基は本気だった。

「それは病院が迷惑だよ。」

「やっぱ駄目?」

「ダメ。」

「あ、エリザベータに行って魁威さんに知らせなきゃ。」

「みんなは元気?」

「元気だよ、バンド活動はしてないけど。

 みんな、隆一朗が戻るのを心待ちにしてたんだ、凄く喜ぶよ。」

「さあ、もう行って。」

「行きたくないよ。」

「駄々こねないの、もういつでも逢えるよ。」

 瑞基は仕方なく立ち上がった。

 いつもよりもずっと遅い速度で後ろ向きに歩いて許される限り隆一朗を見詰めた。

「おやすみ、隆一朗。」

「おやすみ。」

 瑞基が出て行った後、隆一朗は窓の外を眺めた。

 暗闇の向こう側で小さな明かりが車の往来を示していた。

 隆一朗は俯いて毛布を握り締めた。

「聖流……………………………。」


 瑞基は病室を出た後、全速力で病院の中を走って年配の看護婦に怒られた。

「ごめんなさい!」

 振り向きざまに謝ったが、走るのを止めることができなかった。

 その勢いのままエリザベータまで走ったが、いつもよりもエリザベータが遠く感じた。

 エリザベータに入ると開口一番お客がいるのも構わず叫んだ。

「隆一朗が帰って来た!!」

 魁威は瑞基の大声にカウンターの客に出すコーヒーをこぼし、瑞基を怒ろうと睨んだが、言葉の意味を理解して一変した。

「瑞基、それは本当か!!」

 魁威も大声になった。

 カウンターで雑誌を見ていた客が何事かとキョロキョロした。

 魁威は慌ててカウンターから飛び出して来た。

 瑞基は勢いに乗って、魁威に向かって思い切りダイヴした。

 勢いで二人は抱き合ったまま床にひっくり返った。

「良かった、良かったな、瑞基!」

 魁威は瑞基の背中をぱんぱん、力強く叩いた。

「痛い、痛いよ、魁威さん。」

 瑞基は立ち上がって、魁威の手を引っ張り上げて立たせた。

「そうかあ、麗畏と樹良にも召集かけて明日はみんなで見舞いに行かないと。」

 魁威は空いているテーブルの椅子に腰掛けると拳を握って叫んだ。

「よっしゃー!!」

 瑞基が手を出すと魁威は思い切りその手にタッチした。

 余りに強くタッチしたので二人して痛そうに手を振った。

「いってーぇ。」

 お客達は何事かと、二人に注目いていた。



     ー許されない感情ー

 隆一朗はその日を境にみるみる元気になって行った。  

 筋力を戻す為にリハビリに精を出す日々を送り、時々病院の周りを走ったりすることもできるようになった。

 (かね)ての念願であった外出許可が下りた。

 その日瑞基は、部活とバイトを休んで隆一朗と行動を共にできるようにした。

 アパートへ帰る途中、エリザベータに寄って魁威から車を借りた。

 車庫に行く途中、瑞基が以外そうに言った。

「隆一朗免許持ってるんだ!」

「持ってちゃ悪い?

 バンド始める前は、お金の使い道が無かったし、とりあえず仕事雇って貰える条件満たす為に、十八になった時取ったんだ。

 バンド始めたら、そっちにお金が飛んで行って車買う処までいかなかったけど。

 お蔭でゴールド免許だけどね。」

「へーえ。

 大丈夫なの、病み上がりだよ。」

「関係無いよ。」

 アパートに着いて中に入ると、聖流のピアノを見た隆一朗は動揺を隠せなかった。

 ピアノに触れ俯いたまま、暫く動くことができなかった。

「形見分けの時に隆一朗の代わりに貰い受けたんだ。

 樹良さんの顔でクレーン車借りて貰って、裏の窓外して入れたんだよ。」

 隆一朗は少しだけ顔を傾け言った。

「有り難う、瑞基。」

 しかし、部屋の奥を見た隆一朗は唖然とした。

「瑞基、この状態は何。」

 森詩織に片付けて貰ったがキレイな状態は3日と持たなかった。

「オレ掃除ってどうやっていいか解んなくてさ、この状態。」

 瑞基は苦笑いした。

 お菓子の袋やペットボトル、コンビニ弁当の入れ物などが散乱した部屋に隆一朗は首を振った。

「どうしたら、こんな状態になるの。」

「それよか、急がないと時間迄に帰れなくなるよ。

 ほら、途中買い物もあるって言ってたじゃん。」

 隆一朗はもう一文句言いたかったが、確かに時間に余裕が無かったので保留にした。

 隆一朗はゴミを避けながら奥へと進んだ。

 途中、隆一朗は面白い物を見つけた。

 それを拾い上げると、冷蔵庫の前でペットボトルの水をがぶ飲みしている瑞基に言った。

「瑞基、この点数じゃ進学は難しいんじゃない。」

 瑞基が振り返ると、にっこり微笑む隆一朗が赤点のテスト用紙をひらつかせていた。

「わっ、何持ってるの!!」

 瑞基はペットボトルを食卓に置くと隆一朗に飛び付いた。

 隆一朗はひらりとかわしてベッドの上に飛び乗った。

 瑞基がベッドに飛び乗ると、隆一朗はベッドから降りて瑞基から距離をとった。

 瑞基は思い切りベッドを蹴って飛び降り隆一朗との距離を縮めた。

「隆一朗、いい加減返してってば。」

「ダメだよ、返して欲しいなら奪いとってごらん。」

 二人はぐるぐるとピアノの周りを廻って追い駆け合った。

「その授業の時、前の日に麗畏さんが乱入して来たんだってば、森さんにノート借りるの忘れて、テストの時に気付いたんだよ。」

「そんな言い訳は入試の時には、何の効力も持たないよ。」

 瑞基はいい加減ジリジリしてきた。

「オレ、一応バスケ部の選手に選ばれてるんだからね、いつまでも逃げられると思ったら大間違いだから。」

「ボクが喧嘩から逃げ回る達人だってこと忘れてない。」

 散々手こずらされて、やっと瑞基は本棚と壁の角に隆一朗を追い詰めた。

 後一歩と云う処で転がっていたジュースの缶を踏んづけて瑞基は体勢を崩した。

 隆一朗は思わず瑞基に手を伸ばした。

 瑞基は隆一朗の腕を掴んで巻き込み、仰向けに倒れた。

 隆一朗の身体が瑞基の上に降った。

 瑞基はチャンスとばかりに隆一朗の腰に腕を回して捕まえた。

 瑞基は急に真顔になって言った。

「本当に良かった。

 隆一朗がこんなに元気になって。」

「瑞基…………………。」

「オレ、ずっとこの部屋守って待ってた。

 隆一朗の言うこと守って、学校もバスケ部もバイトもサボらないで頑張ったよ。

 少しは褒めてよね。」

 隆一朗は瑞基への愛おしさを抑えることがてきず、瑞基の口唇に口付けた。

 瑞基は眼を閉じて隆一朗の背中に手を伸ばした。

 隆一朗は求めるように瑞基の舌に舌を絡ませ、二人は互いの身体を両腕で抱き締め、背中に手を這わせた。

 次第に呼吸が乱れ、お互いの身体に口唇を這わせていった。

 何度も口唇を求め合い、抱擁しあい、愛撫しあった。

 瑞基は隆一朗の存在がこんなにも近くにあることに、この上無い幸福を感じていた。

 隆一朗も瑞基もお互いの温もりに埋もれ満たされていた。

 隆一朗は突然、はっとして我に返った。

 隆一朗は瑞基から身体を離すと立ち上がり、額に手を当て言った。

「ごめん。」

「ごめんて、どうしたの?」

 瑞基は起き上がって隆一朗を見詰めた。

『こんなことが許されちゃいけない。

 許されない感情が芽生え始めてる。』

 隆一朗は戦慄した。



    ー墓参りー

 隆一朗と瑞基は霊園に急いだ。

 途中、瑞基がバイトするオモチャ屋に寄って幼児用のオモチャを買い、フラワーショップに寄って花束を買った。

 藤岡家の墓がある霊園は街から何キロも離れた山中にあった。

 山道に車の通りは殆ど無く、隆一朗はスピードを上げた。

 瑞基はびびった。

「隆一朗、そんなにスピード出さなくても間に合うよ。」

「あれ、魁威から聞いたこと無い?

 ボクは車に乗ると性格が豹変するタイプなんだ。」

「そんなの変わんなくていいよお!

 恐いってば!

 めっちゃ振り切ってるじゃん!」

 瑞基は慌ててシートベルトを着けた。

「大丈夫、これで死んだこと無いから。」

 隆一朗は上機嫌で飛ばした。


 霊園に着くと人の姿は無く、立ち並ぶ墓石が夕暮れに、淡い朱色で染められていた。

 喪服の隆一朗は花束とオモチャを持って歩き始めた。

 瑞基も制服で隆一朗の後ろを歩いた。

 隆一朗がぼそりと言った。

「ここに本物の隆一朗が眠ってるんだ。」

「本物の隆一朗?」

「彼女は、もし子供ができて男の子が生まれたら隆一朗と云う名前を付けたいって言ってたんだ。

 生まれる事ができなかったボクの子供の分まで生きようと決めた時、ボクは隆一朗になった。

 そう思えるようになるまで随分時間が、かかったけどね。」

 隆一朗と瑞基は藤岡家の墓石の前に(たたず)んだ。

 隆一朗は花束とオモチャを墓石の前に供えた。

「聖流………………………。」

 隆一朗はひざまずき墓石の前に手をついて項垂れ、兄の死を哀しんだ。

 それは二人きりの葬儀だった。

 瑞基は胸が痛んだ。



    ー退院ー

 その日、瑞基は朝早く起きて、とりあえず部屋に散らばったゴミをゴミ袋に集め、絨毯が見えるくらいには片付けた。

 学校に居ても妙に落ち着かず授業中も気が(そぞ)ろだった。

「瑞基君、今日は何かいいことあった?」

 森詩織が訊いて来た。

 あの日からも森詩織は、なるべく普段と変わらない姿勢を保って瑞基に接して来た。

 瑞基は申し訳ない思いはあったが姿勢をかえないでいてくれることは正直救われた。

「今日、退院するんだ。」

 瑞基は隆一朗と云うワードが入れられなかった。

「良かったね、瑞基君心待ちにしてたものね。」

 森詩織は心からの笑みを瑞基に贈った。

 授業が終わると瑞基は真っ直ぐ病院に急いだ。

 予定では瑞基が来る迄に隆一朗は荷物を纏めて待っている筈である。

 瑞基は心を躍らせ病室に飛び込んだ。

 だが、そこに隆一朗の姿は無かった。

 病室はすっかり片付けられ、荷物さえ無かった。

 「あら、藤岡さんなら今朝早くに退院されましたよ。」

 振り返ると、通りかかった看護婦が言った。

「詰所で荷物を預かっているので引き取って行って下さいね。」

 看護婦は一礼して去った。

 『どうして居ないんだろう?

 待ち切れなくて先に帰ったのかな。』

 瑞基は詰所で荷物を受け取ると急いでアパートに帰った。

 だが、隆一朗の姿は無かった。

 エリザベータにも行ってみた。

「あれ、隆一朗は?」

 と、逆に訊かれた。

 瑞基は訳が解らなかった。

 願望と現実が入り組んだ迷路となって瑞基を混乱させた。

 仕方なく瑞基はアパートに帰り、隆一朗が帰るのを待った。

 だが、隆一朗は夜が明けても帰っては来なかった。

 いま、この状態の中で導き出された答えは、隆一朗にはもう触れられと云う事だった。

 瑞基は床に崩れ座り込んだ。

「どうして?!!」

 隆一朗を失ったと云う現実から、瑞基は改めて隆一朗への感情に名前があることに気付いた。

 それは、隆一朗を愛している。

 恋愛などと云う生易しいもので、おおよそ説明できるような代物ではない。

 生命の存在そのものが求めて止まない、渇望だった。



    ー綾子ー

 瑞基の母、綾子は小さなメモ用紙を見ながら、やっと息子が暮らすアパートを見つけた。

 昨日の夕方、瑞基が通う高校の担任から電話があった。

 この三日間、瑞基が連絡も無く休んでいると云うことだった。

 電話をしても出ないので、さすがに心配になって行くことにした。

 瑞基の強い要望で、綾子はこのアパートに訪れることが今までできずにいた。

 呼び鈴を何度鳴らしても返事すら無い。

 綾子はノブを回した。

 鍵はかかっていなかった。

「瑞基、居ないの?」

 綾子はそーっと覗き込むように室内に入って行った。

 カーテンが閉められ辺りは暗くて良くみえない。

「瑞基?」

「母さん?」

 ベッドから声が聞こえた。

 綾子は声の方に視線をやった。

 瑞基が上半身を起こしてこちらを見ていた。

「どうしたの、こんなに部屋を暗くして。

 病気になるでしょ。」

 母親のいつもの物言いに瑞基はベッドから降りると綾子に抱きついた。

「どうしたの?

 学校、三日も来ないって先生から電話がきたよ。」

「母さん、オレ…………………。」

「泣いてるの?

 いったい何があったの?」

 綾子は瑞基を抱き締めると背中を、赤ん坊にするように指で優しく叩いた。

「隆一朗が……………………。」

「隆一朗さんがどうしたの?」

 瑞基は暫く綾子にしがみついて声を殺して泣いた。

「とにかく座りなさい。」

 そう言って瑞基をベッドに座らせた。

「カーテン開けるよ、こんな暗い処に居たら気分まで暗くなっちゃう。」

 綾子はカーテンをひいた。

 久し振りに見た息子は憔悴した顔で、がっくり肩を落とし、やつれて見えた。

部屋が散らかっているのが気になったが、まずは瑞基が心配だった。

 瑞基は小さい頃から親に涙を見せるような子ではなかったからだ。

 その瑞基が自分を見て泣き出すなど、ただ事ではない。

「どうしたの?」

 綾子は瑞基の隣に座って瑞基の顔を覗きこんだ。

 瑞基は重い口を開いた。

「隆一朗が出て行ったんだ。」

「出て行ったって病気は良くなったの?」

 瑞基は頷いた。

「退院の日、迎えに行ったら荷物だけ置いて、どっかへ行ったまま帰って来ないんだ。」

「どうして?」

「解らない。」

「解らないって、何か怒らせるような事でもしたの?」

「解らない。」

「全く、こんな大きな図体して、親に捨てられた子供みたいに、この子は………………。

 とにかくお風呂にでも入りなさい。

 気分が少しはすっきりするから。」

「解った。」

 瑞基は項垂れたまま風呂場に行った。

 綾子は買い物に出掛けた。

 来る途中で見つけたスーパーへ急いで行き、豚肉や玉ねぎなどを買って帰った。

 瑞基はまだシャワーを浴びているようだ。

 綾子は腕捲りをして、キッチンに立ち豚どんを作り始めた。

 瑞基が風呂場から出て来ると綾子は部屋を片付けていた。

 確かに身体がきれいになると、少し気分が落ち着いた。

 部屋に久し振りに料理の匂いがした。

「まだ、ご飯が炊けないの。

 私片付けするから瑞基はスマホでも弄ってなさい。」

 瑞基は言われた通り、邪魔にならない様にベッドの上に胡座をかき、スマホのアプリゲームをはじめた。

「ねえ、もしかしてお米、ここにあったのを使った?」

 瑞基は不安になって訊いた。

「使ったよ。」

「それ、ヤバくない、一年前のお米だよ。」

「別に虫は湧いて無かったみたいだけど。」

「母さん、つえー。」

 いつも通りの瑞基の物言いに綾子は少し安心した。

「隆一朗さんて、几帳面な人なんだね。

 キッチン見たら、きれいに収納してあったから。

 瑞基、こんなに部屋汚なくして、それで怒ったんじゃないの?」

「そうなのかなあ。」

 炊飯器のアラームが鳴った。

 丼がないので大きな皿にご飯を盛って具を載せた。

「食べるものしっかり食べれば元気になるよ。

 隆一朗さんも機嫌が直れば、その内ひょっこり帰って来るんじゃない。」

「………………だといいけど。」

 瑞基はそうは思わなかった。

 食欲も湧かなかったが、これ以上綾子に心配はかけたくなかった。

 瑞基は久し振りに綾子の作った豚丼を口の中にかきこんだ。



    ー偽物ー

 隆一朗が姿を消して一ヶ月が過ぎた。

 瑞基は忙しくしている事で隆一朗が居ないことを忘れていられた。

 バスケ部とバイトをこなす日々があることに感謝した。

 それでも、バイトが休みになると自然と病院に足が向いた。

 隆一朗はここに居ないのだと気付いて、引き返し、隆一朗の片鱗を求めてエリザベータに寄った。

 エリザベータに入ると、麗畏と樹良がカウンターでてぐすねを引いて待っていた。

 瑞基は麗畏から着替えを渡された。

「隆一朗が置いてた着替えだよ。

 サイズ、今のお前なら着られるだろ。」

「着られるけど、どうして?」

「いいから早く着替えな。」

 仕方なく瑞基はついたての陰で着替えた。

「よし、瑞基いくぞ。」

 麗畏と樹良とで瑞基を挟んで腕を組んだ。

「行くって、何処へ?」

 急に店内の照明が消えた。

 奥から片付けを終わらせた魁威が出て来ると瑞基の背中を押した。

「今日は徹底的に飲むぞ。」

「飲むって、オレお酒飲めないよ。」

「いいから、いいから。」

 瑞基は三人に引き摺られる様にして店から出た。

 魁威は店の鍵をかけると瑞基の肩を掴んで押し始めた。

 四人はネオン輝く飲み屋街へと向かった。

 四人はマルトと云うバーに入るとカウンターでグラスを拭いている男にオーダーを頼んでカウンターに一番近い席に陣取った。

「瑞基、似てると思わない?」

 麗畏が声を潜めて言った。

「ほら、ここのマスター。」

「え?」

 瑞基は失礼にならないように、横に居る魁威の陰から覗き見た。

 俯いてグラスに酒を注ぐバーテンダーの顔が少し隆一朗に似てる気がした。

「隆一朗に?」

「そうそう……………。」

「でもさ、隆一朗の方がもっと背が高いし、隆一朗の方がもっと若いし、隆一朗の方がもっとカッコいいし、あの人似てるけど型崩れした隆一朗みたいだ。」

 三人は瑞基の言葉に吹き出した。

「型崩れした隆一朗……………、確かに。」

 魁威が一番笑った。

「それは悪かったね、型崩れした隆一朗で。」

 マスターがいつの間にかオーダーを運んで来ていた。

 魁威はバツが悪そうに言った。

「気を悪くしないでマスター。

 こいつ隆一朗にベタ惚れなんだ。」

「へーえ。」

 マスターは瑞基をガン見した。

「それで今日は、隆一朗は来ないの?」

 麗畏が言った。

「隆一朗、こいつを置いて雲隠れしちゃってさ。」

「ふーん、こんな可愛い子置いて、隆一朗も罪なことするね。」

 暫く四人は雑談をしながら飲んでいた。

 瑞基はライムソーダを啜りながら時々マスターを盗み見た。

 視線が合うとマスターは意味ありげに微笑んで見せた。

 マルトを出ると樹良が心配そうに言った。

「あのマスター、ゲイだってもっぱらの噂なんだ。

 人によっては少年喰いなんて、言われてるらしいよ。」

 麗畏が言った。

「それ、先に言えよお!」

「しょうがないよ、今、思い出したんだからあ。」

「え、じゃあ俺、ヤバいことしたのかなあ。

 最近の瑞基、痛々しいくらい元気無いからさあ。」

 マルトに連れて来たのは麗畏の思いつきだった。

 魁威が言った。

「連れて行っちゃったものはどうしようも無い。

 瑞基、あのマスターに近付くなよ。」

 樹良が言った。

「マスター、瑞基に興味持ったみたいだ。

 気を付けた方がいいよ。」

「解った。」

 瑞基はあまり実感が湧かなかった。


 その日はバイトが休みで、瑞基は部活が終わるとぼんやりと隆一朗を思いながら歩いていた。

 気付くと飲み屋街をフラついていた。

 マルトの前を通り掛かるとどうしても中に入って見たくなった。

 ドアを開けると奥から人が出て来た。

「すみません、まだ準備中なんです。」

「ごめんなさい。」

 瑞基は出て行こうとした。

「君か、君ならいつでも大歓迎だよ。」

 瑞基は振り返った。

「そんなに隆一朗が恋しい?」

「別にそんなんじゃ………………。」

「まあ、そんなとこに居ないで、こっち来て話そうよ。

 隆一朗の今居る場所の話をさ。」

 瑞基の顔色は変わった。

「しってるの?」

「凄い食い付きようだね。」

「何処にいるの?

 今、隆一朗は何処にいるんだよ。」

 マスターは両腕をカウンターに掛けて凭れた。

「そんなこと、ただで聞けると思うの?

 一応、こう云う業界では情報の相場ってもの在るんだよ。」

「オレ、今給料日前だから、そんなに持って無いよ。」

「じゃあ、別の払い方でもいいよ。

 そうだな、ここの二階にはお(あつら)え向きにベッドが置いてあるんだ。

 意味解るよね。」

 瑞基は眼を伏せて暫く考えた。

「解った、でもその前に居場所教えて、やられ損なんて嫌だからさ。」

「いいよ、その前に前菜が味わいたいね、本気かどうか。」

 瑞基はマスターの前に進み出た。

「オレ、これでも正直で通ってるんだけど。」

 マスターは瑞基の腰に腕を回して抱き寄せ、瑞基の後頭部に手をまわし、いきなり口を押し付け舌で瑞基の口唇をこじ開けた。

 ぬるぬるした感触が瑞基の口の中で暴れた。

 瑞基は気持ち悪くなって吐きそうになるのを必死に耐えた。

 瑞基が口を離すとマスターは瑞基の首筋に吸い付いてきた。

「前菜はもういいだろ。

 教えてよ、隆一朗の居場所。」

「しょうがないなあ、一応約束だしな。

 W市のベラドンナって大きなクラブで俺に似た奴がピアノの弾き語りしてるって客が言ってたな。

 さ、二階に行って続きと行こうか。」

「あんた、キス下手だね。」

 瑞基はそこまで言うとこらえきれず思い切り吐いた。

 嘔吐物がマスターの丁度股間にかかった。

「わ、なんだよお前!」

「あんたが気持ち悪いキスするから。」

 瑞基はまた吐いた。

 店内に、嘔吐物の強烈な臭いが充満した。

「もう、帰れ!

 お前みたいなゲロ餓鬼抱く気も失せた。

 さっさと帰れ!!」

 瑞基は口を押さえて店を出た。

 その足で一端アパートに帰り、嫌と云うほどうがいし、ついでに歯も磨き捲った。

 シャワーを浴びて、それからバッグに必要な物を急いで詰め込み部屋を出た。

 駅に行く前にエリザベータに寄った。

「魁威さん、お金貸して!」

 瑞基は店内に入るなり言った。

「入って来るなり借金か。」

 瑞基は頬を紅潮させて言った。

「隆一朗の居場所が解ったんだ。」

 魁威は驚いて訊いた。

「それ何処情報。」

「マルトのマスターから聞いたんだ。」

「あそこには近付くなって言ったろ。

 何もされなかったか?」

「情報くれる代わりにベッドに誘われたけどあんまり気持ち悪いキスされたからオレ、マスターの股間に吐いちゃって、ゲロ餓鬼って追い出された。」

 魁威はあんまり瑞基がさらりと言うので言うべき言葉が出なくなった。

「マスターの股間に吐いたって。」

 魁威は腹を抱えて笑った。

「それは傑作だな。

 で、隆一朗は何処に居るって?」

「W市のベラドンナってクラブでピアノの弾き語りしてるって言ってた。」

「それでいくら欲しいの?」

「五万くらい。」

 魁威はズボンのポケットから財布を出すと一万円札を五枚出して瑞基に渡した。

「有り難う、魁威さん。」

 瑞基は両手を合わせて頭を下げた。

「瑞基、吐かなかったら本気でベッドのお供するつもりだったのか?」

「オレ、隆一朗の居場所がどうしても知りたかったんだ。」

「でも、そんな事したら隆一朗が哀しむって考えなかったのか?」

「それでもオレは隆一朗に逢いたいんだ、どうしても。」

「莫迦だよ、お前は。

 そんなことしたら、隆一朗のことだ、あいつ自分を責めるよ。」

「このことは隆一朗には言わないでくれる。

 オレは何をしてでも隆一朗の傍に居たいんだ。」

「瑞基………………。」

 魁威は哀しげな表情を浮かべて言った。

「やっぱり莫迦だよ、お前は。」

「莫迦でも何でもいいよ、隆一朗の傍にいられるなら。

 もう、行くよ。

 汽車来ちゃう。

 有り難う、給料でたらちゃんと返すから。」

 瑞基は急いで店を出た。

 魁威は瑞基が出て行くのを見送った。

「隆一朗も莫迦だ、こんなにも想われているのに…………………。」



    ー無視ー

 瑞基はW市に着くと、ベラドンナを探した。

 通行人に訊き捲って、人伝(ひとづて)にベラドンナを探しあてた頃には、すっかり真夜中になっていた。

 さすがに未成年の身で、クラブに一人で入る勇気は無かったので、瑞基は建物の陰で隆一朗が出て来てくれるのを期待して待った。

 秋は深く、夜はひどく冷えた。

 それでも瑞基は寒さに耐えて待った。

 客が次々とホステスに見送られて帰って行った。

 暫くして男女の二人組が出て来た。

 男は茶髪を伸ばし、ポケットに手を入れて歩いていた。

 身間違える筈は無い、男は隆一朗だった。

 女は隆一朗の腕に自分の腕を絡ませ、喋り捲っていた。

 瑞基は隆一朗に声を掛けようと出て行った。

 隆一朗と眼が合った。

 だが、隆一朗は無表情でそのまま瑞基の前を通り過ぎて行った。

 二人の会話が聞こえた。

「今の子、知り合い?

 あんたの事、じっと見てたよ。」 

「さあ……………………。」

 瑞基は隆一朗の後ろ姿をいつまでも見送った。



    ー自慰ー

 女の名前は美咲と言った。

 一ヶ月前、道路脇に座り込んで動けなくなった隆一朗を拾って家に連れ帰ったのが美咲だった。

 ベラドンナのホステスをやって二年になる。

 隆一朗がピアノが弾けると言うのでベラドンナの店長に口をきいてピアノ弾きとして雇わせたのも彼女だ。

 帰ると隆一朗はソファーに座り文庫本を読み始めた。

 美咲は地べたに胡座をかき、テーブルに頬杖をついて、文庫本を取り上げて言った。

「あんた、ほんとに面白味の無い男ね。

 喋らないし、不能だし、

 顔はきれいなんだけどね。

 不能でも女を喜ばせる方法は在るんだよ。

 あんた、それすらできないんだから、ほーんとつまんない。」

 美咲はシミーズ姿でせんべいをボリボリ食べながらテレビを見始めた。

 隆一朗は押し入れから毛布を出してソファーに横たわった。

「あら、もう寝るの?

 しゃあない、あたしも寝るか。」

 美咲は電気を消すと部屋の奥にあるベッドに入って寝た。

 瑞基は部屋の電気が消えるのを見届けて、その場を離れた。

 駅前のビジネスホテルにチェックインし、部屋に入るとバッグすら開かずにベッドに寝転がった。

 瑞基には自分を無視した隆一朗が理解できなかった。

 墓参りした日、あんなにも求め合い何度も口唇を重ね合ったのは何だったのか。

 瑞基は寝返りを打つ度、隆一朗の愛撫の感触を思い出した。

 自分の口唇に触れると隆一朗の口唇の甘い感触が蘇る。

 隆一朗も同じ気持ちの筈だった。

 だから、あんなにも、切なくなるほど抱き合ったのだ。

 瑞基の手は自然とズボンのジッパーをおろしていた。



    ー雨ー

 シャワーを浴びていた隆一朗は幻影を見ていた。

 壁に凭れた、眠るように首を傾げ、シャワーに打たれる彼女。

 彼女は静かに眼を開け立ち上がった。

「聖詞……………………。」

 彼女は一瞬で骨になり、眼を見開き壁に張り付く隆一朗に口付ける。

 隆一朗の意識は暗闇に吸い込まれて行った。


 美咲は鏡台の前に座り、出勤前のメイクを入念に仕上げていた。

 それにしても隆一朗がいつまで経っても風呂場から出て来ない。

 美咲は気になって風呂場に行った。

「隆一朗?」

 返事が無いのでドアを開けた。

 隆一朗が倒れてシャワーに打たれていた。

「ちょっと、隆一朗!」

 シャワーを閉めて隆一朗の肩を揺すった。

「ちょっと、ねえ、大丈夫?」

 隆一朗は眼を開けたが様子が変だった。

 一点を見たまま動かない。

 美咲は仕方なく隆一朗の腕をとり、自分の肩に回して、何とか立たせた。

「あんたでかいんだから、こんな面倒勘弁してよね。」

 そう言いながら、部屋の奥のベッドまで運んで寝かせた。

「店長には、あたしから言っとくから、今日は休みな。」

 美咲はドレスに着替えると時計を見た。

「ヤバーい、遅刻、遅刻。」

 美咲は慌てて出掛けて行った。

 取り残された隆一朗は顔を手で覆った。

「瑞基……………………。」

 暫くして呼び鈴が鳴った。

 隆一朗はのろのろと起き上がると、美咲がソファーに置いて行ったジーンズを穿いて玄関のドアを開けた。

 そこには瑞基が立っていた。

「瑞基……………………。

 どうして、ここが…………………………。」

「夕べ付けてったに決まってるじゃん。

 中に入れて。」

 隆一朗は奥に入って行った。

 瑞基もそれに続いた。

「なんで夕べ、シカトしたの?」

 瑞基は待ちきれず訊いた。

「別に意味なんて無いよ。」

 隆一朗は背を向けたまま言った。

「つかさあ、なんで急に居なくなったの?

 訳解んないんだけど。」

「だから、理由なんて無いよ。

 行きたい場所に来ただけだから。」

「勝手過ぎるだろ、魁威さんも麗畏さんも樹良さんも、そしてオレもみんな、めちゃくちゃ心配したんだよ。

 とにかく、来たいとこ来たんだから満足したろ。

 帰るよ。」

 瑞基は隆一朗の手を掴んで引っ張った。

「ダメだよ、帰れない。」

「どうして!?」

「キミが居るから。」

「オレ、そんなに嫌われてるの?」

「嫌ってる訳じゃない。」

「じゃあ、なんだよ。」

 隆一朗はやっと瑞基を見た。

「このまま一緒に居たら、ボクはキミを不幸にするよ。」

「そんなもんオレが決めるよ、隆一朗にとやかく言われたく無いね。」

 急に雨が降りだして来た。

「隆一朗、眠れて無いだろ。

 飯もろくに食べられないんじゃない?」

 隆一朗は顔を(そむ)けた。

「図星だろ。

 動けなくなる前に帰るよ。」

 瑞基は隆一朗の手を引いた。

「ダメだよ。」

「解ったよ、オレが出て行けば隆一朗はみんなの処に帰れるんだよね。

 それなら、オレ出て行くよ。

 それで、いいたろ?

 さあ、帰ろ。」

「駄目よ隆一朗、帰らないでしょ?」

 玄関に、傘を取りに戻った美咲が立っていた。

「この一ヶ月、あたし達上手くやってたじゃない。」

「ここが瑞基に知れた以上、ボクはここには居られない。」

「莫迦言わないでよ!

 この一ヶ月あんたを養ってやったのは誰だと思ってるの?」

「それは感謝してる。

 でももう、ここには居られない。」

「こんな餓鬼、何だって言うのよ。

 どうしても出て行くって言うならこうしてやる!」

 美咲は台所に駆けあがり包丁を手首にあてた。

「死んでやるんだから!」

 隆一朗は素早く包丁を取り上げた。

「あなたが死ぬならボクが…………………。」

 隆一朗は自分の首に包丁を突き刺そうとした。

 瑞基が慌てて叫んだ。

「隆一朗、その人は彼女じゃないよ!!」

 隆一朗は瑞基を視界に捉えると包丁を落とした。

「瑞基…………………………。」

 隆一朗は裸足のまま外へ飛び出して行った。

「なんなの?」

 美咲は座り込んだ。

「あんた隆一朗のタブーに触れたんだよ。

 隆一朗を待っても無駄だからね。

 隆一朗には隆一朗を大切に思って、待ってる人達が居るんだ。」

 瑞基も隆一朗を追い駆けて部屋を飛び出した。

 辺りを見回すと駆けて行く隆一朗の姿を認めた。

 雨の中を瑞基は全速力で走った。

 弱りきっている隆一朗に追い着くのは毎日バスケ部で鍛えている瑞基には容易(たやす)かった。

 三百メートル走っただけで、隆一朗に追い着いた。

 よろめく隆一朗を後ろから抱き止めた。

「隆一朗の身体、燃えてるみたいに熱い。」

 隆一朗は瑞基の腕の中で弱々しく抵抗した。



    ー熱ー

 瑞基はタクシーを呼び止めて、隆一朗を押し込め、自分も乗り込むと泊まっているホテルに向かった。

 タクシーの中で隆一朗は苦しそうに呼吸を乱していた。

 ホテルに着くとフロントに水枕と、医者を呼ぶように頼んだ。

 部屋に入ると隆一朗をベッドに寝かせ、乾いたタオルで隆一朗の身体を丁寧に拭いた。

 やがて女医が看護婦を一人連れて来た。

 女医は隆一朗の下瞼をみたり、聴診器で胸の音を聞いたりして様子を診た。

「軽い肺炎を起こしてますね。

 注射を打っておきますから、後は時間を守って薬をのませてあげて下さい。

 それと、少し身体が弱ってます。

 充分な睡眠と食事、水分を摂らせてあげて下さい。」

 女医が帰ると、まだ濡れている隆一朗の髪を優しくタオルで拭いた。

『充分な睡眠は寝てるからいいとして、問題は食事と水分かあ。』

 瑞基はホテルを出るとコンビニを求めて歩き回った。

 幸運にもコンビニは直ぐに見つかった。

 ゼリーとヨーグルトと缶詰め、スポーツドリンクを大量に買い込んでホテルに戻った。

 ベッドを見ると注射が効いているのか、隆一朗は穏やかな顔で眠っていた。

「あれ?

 ジュースとか大量に買い捲ったのはいいけど、どうやって飲ませればいいの?」

 瑞基は隆一朗とナイトテーブルに置いたスポーツドリンクを交互に見て悩んだ。

 とりあえず自分も喉が渇いていたのでペットボトルを一本開けて飲んだ。

 飲んでいる間に瑞基は閃いた。

 瑞基はスポーツドリンクを口に含むと隆一朗に口移しで飲ませた。

 隆一朗は素直にそれを飲み込んだ。

 隆一朗はうっすらと眼を開いた。

「そんな事したら、キミまで風邪をひいてしまうよ。」

「大丈夫、オレ妙に丈夫だから。

 もっといる?」

 隆一朗は静かに頷いた。

 瑞基は何度も口に含んでは隆一朗に飲ませた。

 瑞基は眠る隆一朗を見守った。

 苦しいのか隆一朗が小さく(うめ)くと、瑞基は隆一朗の手を両手で握った。

 時折、隆一朗が眉間に皺を寄せると瑞基はそっと隆一朗の髪を撫でた。

 水枕の氷が溶けるとフロントに行って取り換えてもらい、まめに口移しで水分を摂らせた。

 そんなことの繰り返しを二日間続けると、隆一朗は果物の缶詰めをたべられるくらいには回復した。

 三日目の朝、眠る隆一朗を置いて、瑞基は隆一朗の服や靴を買いに出掛けた。

 ホテルの部屋に帰るとベッドに、隆一朗の姿が無かった。

 瑞基は唖然として立ち尽くした。

 買い物袋が手から滑り落ちた。

「隆一朗!」

「なに?」

 瑞基の背後から声がした。

 振り返るとバスローブを羽織った隆一朗が、濡れた髪をタオルで拭きながらバスルームから出て来た。

 瑞基は隆一朗に抱きついた。

「また、居なくなったのかと思った。

 オレもう嫌だよ、あんな辛い思いするの。」

 隆一朗は瑞基の肩を掴むと、顔を背けて瑞基の身体を遠ざけた。

「隆一朗…………………?」

「ボクは怖いんだ。

 常識を歪めた感情で、また愛する人を失う事になってしまうのが。」

「オレは隆一朗を置いて死んだりしないよ。」

「解らない?

 おかしいよね、同性なのにボクはキミに対して特別な感情を(いだ)いてる。」

「それはオレも同じだよ。」

「そんな関係が上手く行く筈無いよ。

 きっと問題が起きて来る。

 世の中の人々はこんな異常な関係に容赦無い中傷をぶつけて来るよ。

 その時ボクは、どうやってキミを守ればいい。

 傷付いたキミをどうやって癒せばいい。」

「隆一朗、どうしてオレの気持ち無視するんだよ!

 オレの気持ち知ってる癖に!

 どんなに隆一朗を求めているか、どんなに愛してるか、知ってるのに。

 隆一朗が居ないだけで、オレは身体が半分もがれたみたいに苦しかった。

 何を失っても、オレは隆一朗の傍に居たいんだ。

 中傷なんてどうでもいいよ。

 傷付いてもいい、隆一朗の傍に居られるなら何も怖くない。

 隆一朗を失うより怖いものなんて、オレには無いよ。」

 瑞基の頬に涙が伝った。

 瑞基の必死の訴えに隆一朗は暫く俯いて眼を閉じた。

「ごめん、ボクはキミを泣かせてばかりだ。」

「そうだよ、隆一朗がオレから離れようとするから。

 もう一度言うよ。

 隆一朗を失うより怖いものなんて、オレには無いよ。」

 瑞基は隆一朗を抱き寄せ、隆一朗の頬に頬を寄せた。

「もう、離れたく無いよ。

 愛してる、愛してる、愛してる………………………。」

 隆一朗の中で激しい葛藤が押し寄せた。

 ここで瑞基を受け入れたらもう後には引き返せないことは解っていた。

 恐れと不安が隆一朗を()らえた。

 このまま地獄に堕ちたとしても瑞基は追って来るだろう。

 瑞基を愛している、求めている、必要としている、それは動かし難い真実だった。

 そして瑞基までも地獄に堕とすのか。

 瑞基を最後まで拒絶できるのか。

 自分をそこまで抑えることができるのか。

 できないから逃げたのではないのか。

 自分を求めて涙を流す瑞基。

 愛おしい、狂おしいほどに。

 必死に寄り添ってくる瑞基に何を与えられるだろう…………………。

何も与えられない。

 もう、愛する事しかできない。

 愛する事しか…………………………………………………。

 隆一朗は恐れを感じながら、求めるように口唇を重ねた。

 何度も口唇を重ね合い抱き合い、次第に立っていられないほど恍惚となって座り込んだ。

 隆一朗は瑞基に愛撫しながら押し倒し、瑞基の身体に身体を重ねた。

 抑圧されていた感情は破裂して床に飛び散った。

 二人はお互いの衣服を剥ぎ取り愛撫し合った。

 全裸の二人は激しく身体を絡ませ合い、ひりひりと過敏になった肌が、甘い欲情を全身に伝え広げた。

 床に愛と云う塊が転がって求めあった。

 瑞基は隆一朗の首に腕を絡ませ黒真珠のピアスに口付けた。

 隆一朗の胸に口唇を這わせると、隆一朗は眼を閉じゆっくりと身体を仰け反らせた。

 身体をくねらせ、床をころがり、肌を密着させ、、離れていた時を埋めるように何度も口付けた。

 瑞基は身体の奥から溢れる言葉を(ほとばし)らせた。

「愛してる。」

「瑞基…………………。」

 隆一朗と瑞基は見詰め合った。

 口付けると隆一朗の愛撫は瑞基の胸を、腹を、そして瑞基の一番温度が高い場所へと下りて行った。

 瑞基は仰け反った。

 声を抑えることができず、やがて隆一朗の口の中で瑞基の愛が溢れ零れた。

 

 隆一朗と瑞基は満たされ、床に抱き合ったまま眠っていた。

 突然、隆一朗の眼が大きく見開かれた。

 透明な影が隆一朗の身体から離れ、ゆっくりと立ち上がった。

 透明な影は全裸で抱き合い眠る隆一朗と瑞基に侮蔑の一瞥をくれてやると静かに部屋を出て行った。

 隆一朗は何事も無かった様に眼を閉じた。

 瑞基は満ち足りた気持ちのまま眼が覚めた。

 眠る隆一朗は安らかな寝息をたてていた。

 瑞基は隆一朗の髪に口付けた。

「隆一朗、起きて。

 こんなとこで寝てたら、折角良くなったのに振り返しちゃうよ。」

 隆一朗はゆっくりと眼を開けると首を伸ばして瑞基の口唇にそっと口付けた。

「もう、帰ろう。

 魁威さん達が待ってる。」

「ボクはこうなるのを一番恐れていた筈なのに。」

「隆一朗はどうしてそう、まどろっこしいんだろ。

 オレは直ぐ腹を(くく)ったよ。」

 瑞基は起き上がって服を着始めた。

「ちょっと、待って。

 それ何?」

 隆一朗はパーカーを着ようとする瑞基の腕を掴んでパーカーを奪い取った。

「これ、どう見てもキスマークだよね。

 ボクのじゃない。」

 隆一朗は瑞基の首筋に触れた。

「キスマーク?」

 瑞基は壁に貼られた鏡を覗き込んだ。

「ああこれ、マルトのマスター、よっぽど強く吸い付いたんだな。」

 瑞基は言ってしまってからしまったと云う顔をした。

 隆一朗はそれを見逃さなかった。

 隆一朗の顔色が変わった。

「マルトのマスターってどう云うこと?

 何があったの?

 どうして、キミがマルトのマスターを知ってるの?」

 瑞基は苦笑いした。

「だから、これはさ不可抗力って云うかさ、ちょっと、色々あって。」

 瑞基は何とかごまかそうとするが、隆一朗がそんな曖昧な答えで納得する筈も無かった。

「色々って何があったの?」

 隆一朗は瑞基の手首を握って問い詰めた。

「痛いって隆一朗。」

「ちゃんと話すまで離さないよ。」

「ああもう、だいたい隆一朗が居なくなるからだよ。

 マルトのマスターが隆一朗の居場所教える代りにベッドのお供しろって言うからさ。

 でもしてないからね。

 やられ損は嫌だから、先に教えろって言ったら、前菜にって思い切り舌入れてきて、首に吸い付いて来たんだ。

 でも、オレめちゃくちゃ気持ち悪くなって吐いたらゲロ餓鬼って追い出された。

 それだけだよ。」

「どうして、そんなこと。」

 隆一朗は瑞基の眼を見詰めた。

「どうしても、隆一朗の居場所が知りたかったんだよ。

 どうしても隆一朗に逢いたかったから。」

「そんなことしてまで……………………。」

 隆一朗は俯いて瞳を震わせた。

「何も無かったんだから、いいじゃん。」

「何もじゃないよ。

 マスターは瑞基の何処に触れたの?

 どんな風にキスしたの?」

 隆一朗は瑞基の手首を握ったまま瑞基に口付けた。

 そして、瑞基の首に口付けた。

「何してるの?」

「他には何をされたの?」

 瑞基は隆一朗の顔をまじまじと見詰めた。

「もしかして、妬いてるの?」

「そうだよ、ボク以外の誰にも瑞基に触れて欲しくない。」

『もしかして、隆一朗って凄い焼きもちやき?』

 瑞基はそう思うと少し嬉しくなった。

「今すぐマスターの処へ行って殴ってやりたい、土下座して謝るまで。」

 そう言った隆一朗の顔は今まで瑞基が見たことの無い、恐ろしく冷たい眼をしていた。

 それは冗談ではなく、今ここにマスターが居たら本当にやりかねない、隆一朗には珍しい、本気で怒りを(あらわ)にした顔だった。

 瑞基は軽くびびった。

『オレ、絶対隆一朗を本気で怒らせることはしないようにしよう。』

 瑞基は胸の中で密かに誓った。



ここまでお読み戴き有り難うございます。

第二章と第三章は長いので、ここから小分けにして投稿しようと思っています。

急な変更、申し訳ありません。

もし、よろしければ感想など戴けると幸せです。

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