九話 カラマスオの街
「お、おい。ちょっと待ってくれ」
「どうしたのよ?」
ガリスたちとは入り口で別れ、ヒビキとノアはカラマスオの街の大通りを歩いていた。
最初は二人並んで歩いていたのだが、徐々にヒビキが遅くなり、離れていくノアを思わず呼び止めてしまった。
「これのせいで重心が左に寄って歩きづらくてさ」
皮で作られた即席の鞘に入ったロングソードをポンと叩く。
しっかりとした鞘が欲しければ、街にある鍛冶屋へ行くようにガリスに勧められたが、剣の刃は潰してあるので皮は切れることはなく、このままでも支障はないとヒビキは思っていた。
問題は鞘にあるのではなく剣にあった。
当たり前だが鉄で作られた剣は重く、はっきりと言ってしまえば歩行の邪魔である。
「なんか歩くコツみたいなのはないか?」
体格が小さなノアがヒビキが差してある剣より大きな剣を腰に下げ、平然歩いているので、何かあるのではと聞いてみたが、
「慣れなさい」
と一刀両断された。
ヒビキは一度呼吸を整えてから早足でノアに並ぶ。
「で、俺たちはどこに向かってんだ?」
石で作られた街並みを眺めながらノアに聞いてみた。
道端では果物や籠などを売っている商人の姿が視界に入る。
最初にこの世界に来た街を彷彿し、そのまま芋づるのようにリンチされたことも思い出してため息が出てしまった。
「この街の酒場よ」
「なんでまた酒場に?」
まだ太陽は沈んでいない。
酒を飲むにしては早すぎる時間帯である。
「仕事探しよ」
「仕事?」
酒場にボードがあり、そこに依頼内容が書かれた紙が張ってある。
そこから好きな仕事を受注できる、そんなイメージが脳裏に浮かぶ。
大学で流行ったゲームがそんな感じで仕事を受けていた。
「ふふ、残念だけど貴方が考えているようなものじゃないわ」
思い浮かんだイメージをノアに伝えたところ違っていたらしい。
「仕事が上手くいかない、悩み事が解決できない、取ってきて欲しい物があるけど外には魔物がいる。この世界に娯楽が少ないせいで、そういった悩みを持つ人は酒に逃げやすい傾向があるの」
「そういう人の悩みを解決して金を貰うわけだな。でも、今の時間に行っても人はいないんじゃないか?」
「酒場のマスターがいればそれでいいわ。客の愚痴を聞くのもマスターの仕事だしね」
「なるほどね」
人の悩みを多く知る酒場のマスターに仕事になりそうな悩みを持った人を紹介してもらう。
普通だったらプライバシーの問題なのだろうが、これがこの世界での常識らしいのでヒビキは何も言えなかった。
「こっちの売り上げは下がりっぱなしだ、そっちはどうだ?」
「例の誘拐事件でこっちもダメだ。何度も村に顔を出した間柄とはいえ、よそ者はよそ者ってことらしい」
「ファルティナ帝国の勇者様の話知ってるか?」
「知ってる。こんな遠く離れた地でも吟遊詩人が毎日歌っていれば嫌でも耳に入るってももんだ」
「あのマナテロスで作られた最新の銃が手に入ったよー! 今なら弾も一緒にセットで売るよー」
大通りは老若男女、多くの人が混ぜ歩いている。
急いで歩く人、手を動かしたまま客に対応している商人、立ち止まって世間話をしている者。
ノアに付いていきながらそれらを見ていたヒビキはあることに気が付いた。
それは最初の街でも覚えた違和感の正体。
(こいつらの話しているのは本当に日本語か……?)
聞こえてくる言葉と話している人の口の開きが違っていた。
よく注意して見ればその人だけじゃなく、目に映るここにいる全員がそうだ。
ヒビキはすぐにノアに近づき、周りに聞かれないように小声でそのことを聞いてみた。
「……よく気が付いたわね。貴方の言う通り、ここにいるみんな、“ニホンゴ”を話していないわ。それは私も例外なくね」
「どういうことだ?」
「地球での話だけど、貴方は“バベルの塔”って知ってる?」
「……旧約聖書に書かれたあれか?」
“バベルの塔”
天まで届くほどの塔を人間たちが作り、そして神によって壊された塔だと記憶している。
知っているのはそれだけ。
「諸説あるけど神はヒトの手で作られた塔を見て、もうこんなことが二度と起きないように人間たちの言葉を乱したと伝えてられているわ。その話が本当なら、かつての地球の人間たちは同じ言語、または聞こえる言葉全てが理解できる“正しい言葉”を使っていたかもしれないわね」
「……つまりなんだ、この世界は神の怒りを買っていないから“言葉が乱されていない”って言いたいのか?」
「これは“自称考古学者”の“転生者”が話していたただの仮説よ。でも、この世界に神は実在しているのだし、私は面白いと思っているけどね。まぁ、今のところは空気中の魔力が人間の発する言葉に反応して母国語に聞こえる、ってのが有力だけどね」
「ふーん、なるほどなぁ……」
つまりはヒビキの言葉を聞いたのが、アメリカ人なら英語に、中国人なら中国語に、空気中の魔力が勝手に翻訳してくれるらしい。
ヒビキが考えているより“魔力”というモノは便利であり、この世界になくてはならないモノみたいだった。
「着いたわよ」
前を歩くノアが立ち止まる。
ノアの横に並び、目の前の建物を見上げた。
石造りで出来た二階建ての建物は、他の建物より一回り大きく、入り口の頭上には看板が立てかけられていた。
ヒビキはその看板を指さして、
「……なぁ、あれはなんて書いてあるんだ?」
「酒場『鳥たちの止まり木』って書いてあるわよ」
見たこともない文字で書かれた看板。
あれがこっちの世界の文字なのだろう。
流石の“魔力”も文字は翻訳してくれないらしい。
「入るわよ」
「あ、ああ」
酒場に入っていくノアに続いてヒビキも酒場の中に入っていった。
空が赤みがかってきた時刻。
酒場が仕事帰りでごった返すまでまだ数刻の時間があった。
こんな時間で酒場に来るのは、仕事が休みの者か、飲まなければやっていけない者ぐらいだろう。
そういった者はそう多くはなく、酒場にいる客はたったの三人しかいない。
そして店の者はカウンター席にこの店のマスターがグラスを拭き、ホールには暇そうにしているウエイトレスがいた。
「いらっしゃいませー」
ウエイトレスの声が店内に響く。
マスターが手を動かしながら店の入り口へと目を向ける。
店に入ってきたのは一組の男女だった。
ああ、こんな時間に酒場に来る者の用はもう一つあった。
仕事を探しに来る者だ。
女の方が一直線にカウンター席へと歩いていき、男の方は周りをきょろきょろと見渡しながら付いていく。
「貴方はお酒飲めるかしら?」
「俺? 一応、飲めるけど……飲む気分じゃないな」
「そう。マスター、適当なジュースを二つお願い」
「…………」
マスターは無言のまま、朝に入荷した果汁の入った瓶を取り出し、グラスへと注いでいく。
「あ、どうも」
二人の前へジュースを置く。
「うっ!? 少し酸っぱいけど上手いな、これ!」
「これは“タカロン”って言う果物のジュースね。確かここから南東に行ったところが名産だったはずよ」
「へー、行ったことあるの?」
「仕事で寄っただけよ。サービスとして果物丸ごともらったからこの味は覚えているわ」
マスターはグラスを拭くのを再開しながら、こっそりと横目で二人を観察する。
男の方はこういった場所には来たことがないのか、座った今でもあっちこっちと視線を動かし落ち着かない様子だ。
女の方は逆に適度にリラックスし、ジュースを飲みながら男と雑談していた。
だが、マスターは見逃さなかった。
女が店に入って来た時、酒場にいる人間の人数、人が隠れられそうな場所、裏口の場所の把握を瞬時にしていたことを。
たとえ、今この瞬間に店にいる全員が二人を襲ったとしても瞬時に彼女によって返り討ちにされることは想像に難くなかった。
二人の経験の違いの差から、旅仲間ではないことがわかる。
男の方は貴族の息子で、女の方が護衛とも思ったが、それも違うだろう。
そういった場合は貴族である男が主導権を握っているが、男のよそよそしさからこのペアの主導権は女にある。
ではなんなのか、可能性があるとすれば――
思考をそこまで進めていた時だった。
「…………!?」
女と視線が合う。
口にしなくてもわかる。
女の纏う暴力的な気配はこう言っている。
『深く踏み込むと命はない』
と。
無意識に握っていたアイスピックを置き、両手をカウンターテーブルに乗せる。
『私はアンタたちに害は与えない』という、いわば降伏ポーズである。
それを見た女は威圧感と共に視線を外してくれた。
仕事柄仕方のない事だとはいえ、危うく虎の尾を踏むところだったと頬を流れる汗を拭う。
「そうだ、仕事探しに来たんじゃなかったのか?」
「ええ、そうだったわね。美味しいジュースを出してくれたマスターさん。この街でお金になりそうな仕事はあるかしら?」
さっきまでのことをなかったかのように振る舞う女。
なかったことにしてくれると助かるのはマスターの方で、先ほどの謝罪の意味も込めて脳裏に報酬の良さそうな仕事をいくつか頭の中でピックアップする。
「……仕事はアンタ一人でかい?」
金がいい仕事は危険な仕事が多い。
女の腕は疑っていないが、そこに男も加わるとなると話は違う。
腕利きの傭兵団でも一人の無能が入るだけで崩壊したなんて話は多くあるほど、無能な味方という存在は厄介なのだ。
仕事を紹介したせいで、人が死んだなんて目覚めが悪い。
「心配ないわ。仕事は私ひとりでやるから」
「げほっ、げほっ!? おい!? そんな話聞いてないぞ!!」
「言ってないもの。貴方には仕事よりも覚えなければいけないことが山ほとあるわ。そうでしょう?」
「そうだけどさ……」
どうやら話は決まったらしい。
男は渋々と頷いた。
「……先日、この街の兵が愚痴っていたよ。近くで“ゲルバウント”の巣を発見したと」
「ああ、あれね……」
「なにか知っているのか?」
「ここに来る途中で襲われたわ」
「何匹?」
「十匹ぐらいいたかしら?」
何気なく女は言っているが、“ゲルバウント”一匹を訓練された兵ふたりで対処するほどの存在だ。
奴らは野を駆る獣のように素早く、腹に付いた口に噛まれたら鉄でできた鎧さえ容易く噛み砕く。
それらだけでも厄介なのに、奴らは“群れ”で狩りをする。
必ず対峙する時、相手は一匹ではないということだ。
最低一匹見たら五匹は周りにいると思っていい。
一匹が相手の目を引いているうちに、残りが逃げ道を塞いでいく。
攻撃するときはほぼ同時に、連携して襲ってくることから知能も高いことがわかる。
そんな魔物をこの女は十匹倒したと言う。
他に仲間がいるのだろうが中々できるものではない。
「その巣の詳しい情報を兵舎に持っていけば報奨金ぐらいはでるだろうさ」
「巣を壊滅させればもっとくれるのかしら?」
冗談かと笑い飛ばそうとしたが、先ほどの暴力的な気配を思い出し、もしかしたらと考えてしまった。
「……そういった交渉は当人同士でやりたまえ」
「そうさせてもらうわ」
女は金だけ置いて席を立つ。
「は? もう出るのか!?」
男は残っていたジュースを一気に飲み干し、「ごちそうさま」と言って出ていった。
ふと、窓を見るといつの間にか陽は完全に沈み、外から聞こえる仕事帰りたちの話し声が聞こえてきていた。
どうか厄介事に巻き込まれないように、そう願いながらマスターは早足で厨房へと向かっていった。