七話 魔物と言う名の怪物
身を低くし、草木に隠れながら進むノアとヒビキ。
破裂音は一歩進む度に大きなり、獣の唸り声の様なモノも聞こえてくる。
「…………」
前を歩くノアが止まった。
そのまま木々に隙間を作り覗き込む。
「……なるほど」
「……どうなってんだ?」
ヒビキは小声でノアに聞いた。
「口で説明するより見た方が早いわ。あなたも覗いてみなさい」
ノアに促され、ヒビキも木々に隙間を作り覗き込む。
「……っ!?」
一台の馬車が“化物”に襲われていた。
それは“化物”としか言いようがなかった。
中型犬のような大きさで縦に立てられた目が四つあり、口がなく、体毛もないピンク色の自肌が露出しているそんな謎の生き物。
生き物というカテゴリーに入れていいのかすらわからない醜悪な化け物。
馬車の御者台に座った四十代の男は猟銃でそんな“化物”に抵抗しているが、“化物”は横に軽く跳ぶだけで銃弾を回避していた。
さらに最悪なことにヒビキが見える範囲だけでも“化物”は五匹。
このままでは御者台の上で青い顔をしている男は命を落とすだろう。
「……どうすんだ?」
「あら? 私の予想では『あれは何だ?』って聞かれると思っていたわ」
「色々と聞きたいさ、あの銃のこととか。でも、今はそんなことをしている時間がないことぐらいはわかる。で、どうするんだ? 逃げるのか、助けるのか」
「馬車の積荷を見る感じ、行商人みたいね。食料の備蓄も心許なくなっていたし、丁度良かったわね」
「じゃあ、助けるんだな!?」
「ええ、私が前に出るから――って、ちょっとアンタ、どこに行くのっ!?」
ノアに返事もせず、ヒビキは勢いよく木々から出ると化け物たちに向かって大声を上げた。
「テメェたちの相手はこの俺だぁああああああああ!!」
「はあ、はあ、はあ……」
ヒビキは鬱蒼とした森の中を走っていた。
足を動かしながら後ろを見る。
周りに生えている木々が邪魔で姿は見えないがまだ追ってきている気配がする。
「はぁ、はぁ、ちくしょう! 森の中ってこんなに走りにくいのかよっ!?」
倒れている大木をジャンプで避け、低い位置に生えている枝を体を転がして潜る。
舗装されていない道を走るだけでも大変なのに、化け物に追われているプレッシャーとアクション映画のような激しい動きで、逃げ出してから五分と経っていないのに、ヒビキの体力は空に近かった。
「うおっ!?」
地面に出ていた木の根に足を取られて転んでしまう。
「くそっ!?」
すぐに立ち上がろうと足に力を入れるが、生まれたての小鹿のように膝が震えて上手く立つことができない。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
焦る気持ちとは裏腹に体は休息を欲していた。
そんな体に鞭を打ち、なんとか立ち上がろうとしてはその場にへたり込む、そんなことを数回繰り返ししているとヒビキの前に化け物が姿を現した。
「……うぇ」
ヒビキがしゃがんでいたので見えてしまった。
犬や猫だと腹にあたる部分、化け物のそこは縦に裂かれ、臓物のようなピンク色の舌がだらりと垂れ下がり地面を削っていた。
涎のような液体も垂れていることから化け物の口は顔に付いているのではなく、腹に付いているということがわかった。
「…………」
なぜか立ち止まってこちらを見ている化け物に、『どうか動いてくれませんように』と信仰もしていない神に祈りながら出来るだけ化け物を刺激しないように、座りながらゆっくりと後ずさる。
その祈りが通じたのか、全く動く気配を見せないままヒビキは近くの木を掴みながらなんとか立ち上がる。
まだ満足に走ることは出来ないが、このまま睨み合っていては埒が明かない。
(……三)
一度、深く息を吸って、
(……二)
まだ化け物は動かない。
(……一、ゼロ!)
ヒビキは化け物に背を向けて走り出そうと――した。
「――は?」
ヒビキの後ろには化け物がいた。
先ほどまで見ていた場所を見る。
やはりそこにも先ほどと変わらず化け物がこちらを見ていた。
「……やられた」
化け物はヒビキが回復するのを待っていたのでなく、仲間たちが集まるのを待っていたのだ。
その通りと言わんばかりに、ヒビキから見て左の草むらから音が聞こえたと思ったら、また新たな化け物が。
右の暗がりから何かが動いたと思ったら、また別の化け物が。
あっという間にヒビキの前には六匹に増えた化け物がそこにはいた。
集まり終わったら、次は何をするのか?
考えるまでもない。
例えば食卓に『料理』と『人』が集まったら……。
トンッとヒビキの背後で何かがぶつかった。
「ひっ!?」
ヒビキは後ろを振り向く。
後ろにあったのは木であった。
無意識に逃げ道を求めて体が動いていたようだ。
だが、声を出したことが引き金になったのか、化け物たちは地の底から響くような唸り声をあげながら、上体を低くする。
まさに今にも『獲物』に飛びかかろうとする構え。
この場合、『獲物』というのはもちろんヒビキのこと。
ヒビキが状況を把握すると同時に、一匹の化け物が高く跳んだ。
それはヒビキの身長より高く、ヒビキは化け物を見上げる形になった。
化け物の腹にある口から黄ばんだ牙が見え、ヒビキは理解した。
どうやって腹にある口で獲物を捕食するのか。
獲物を動けなくなるまで弱らしたあと、腹を下にして獲物に飛びかかる。
腹全体が口なのだ。
人間のヒビキよりも大きな口で噛み付かれたらどうなるのか。
(……できればもう少し引き付けておきたかったんだけど、仕方ないか。……向こうは少しでも楽になったかな……)
ヒビキが諦めかけたその時――
「伏せてっ!!」
何も考えず、頭が『空っぽ』だったことが功を奏したのか、突然聞こえてきた声にヒビキはすんなりと従うことができた。
寄りかかっていた木に沿ってしゃがむと同時に、目の前まで迫ってきていた化け物を背後の木と一緒に横に一閃された。
「――は?」
上半身だけになった化け物が、絹を裂くような悲鳴をあげるとそのまま動かなくなった。
残った化け物たちは、低く唸り声をあげ臨戦態勢をとる。
「助かった……のか?」
「危機一髪だったけどね」
座り込むヒビキと化け物の間に立つノア。
ヒビキと同じ距離を走ってきたはずなのにその小さな体からは疲れを感じさせず、不釣り合いな大きな剣を化け物に向けながらヒビキに言った。
「そこから動かないで」
それだけを告げてノアは化け物の群れにとんでもない速さで突っ込んでいった。
その速さに付いていけていなかったのは化け物も同じようで、臨戦態勢のまま悲鳴もあげずに一匹の化け物の首は体から離れ宙を舞う。
仲間が殺されて一瞬の間が空き、四匹の化け物全員がノアへと襲いだす。
二匹が高く跳び腹にある口で噛み付こうと、残りの二匹が地を駆り前足から伸びた鋭い爪でノアを引っ掻こうとする。
「あぶな――!!」
空と地上の同時攻撃に、さしものノアも危ないと思い、ヒビキはノアに駆け寄ろうとするが――必要なかったようだ。
ノアはゆっくりと片手をあげ、そして勢いよく地面を叩く。
するとノアを中心に地面に亀裂が走り、そこから炎が溢れ出した。
炎は意思でもあるかのように、走る化け物の足を取り、落ちてくる化け物の胴に絡みつく。
よほど熱いのか、絡め取られた箇所から煙が上がり、化け物たちは苦痛の悲鳴をあげて身をよじって脱出を図るが炎からは逃げることができない。
この戦いと呼ぶには一方的すぎる戦闘も終わりが近いようだ。
ノアは空いている左手を前に伸ばし手を――握った。
それに呼応するように、地面から溢れ出す炎は勢いを増し、逃がしてくれない炎に体力を奪われぐったりとしている化け物たちを包み込む。
決着は一瞬だった。
どれほどの熱量があるのか。
炎が消え去ったあとには化け物たちの姿はなく、焦げ臭い匂いだけが周囲に充満していた。
「…………」
地面から火柱が立ち上り、火の粉が森を照らす。
その中心に佇むノアの姿は、非現実的で、そしてそれはこの世のものとは思えないほど幻想的で美しい光景であった。