一話 アナタと見た最後の夕陽
「ねぇ? この世界とは別の世界――そう、異世界って存在していると思う?」
学校の屋上。
夕日が沈む景色を、笹雪 彩歌と眺めていると突然そんなことを言ってきた。
「は? 突然なに言ってんだ? お前」
日々通っている学校で立ち入りを禁止されている屋上。
街に沈む太陽を追うように、空に黒いカーテンが引かれる、そんな幻想的とも言える景色を目にして、中々進まない二人の仲に進展を、と期待していた白井 ヒビキは思わず聞き返してしまう。
「異世界よ、異世界。で、ヒビキ君はあると思うの?」
ヒビキは思わずため息をついてしまう。
笹雪 彩歌は時々、意味不明なことを口にする。
それは人と場所を選ばず、学校の先生だろうが、授業中だろうが、突然突拍子のない質問を誰かまわず聞いてくるのだ。
そのせいで、容姿端麗で頭も良く、運動神経抜群と人気者になれる素質があるのに、クラスでは浮いた存在である。
ヒビキは少し間を置いてから彩歌の質問に答えた。
「……ないだろう。この広い宇宙に地球に似た星があるかもしれないけど、彩歌が言っている『異世界』ってそういうことじゃないんだろ?」
「そうよ。私が言っている『異世界』っていうのはもっと地球に近く、だけど遠い……コインの表裏のようにすぐ傍にいるのに決して交わることのない、そんな存在のことを言っているの」
「じゃあ俺の答えは変わらず、『異世界なんて存在しない』だな」
「理由は?」
「決して交わることができない世界なのだから、こっちから向こうを認識できないし、向こうもこっちを認識できない。そんなもん存在しないようなもんだろ」
「なるほどね……」
彩歌はあごに手をやり、なにやら考えているみたいだった。
そんな彩歌にヒビキはじゃあ、と口にする。
「彩歌はどうなんだ? 異世界……あると思うか?」
「私は……」
一拍、間を置いてから、
「存在していると思う」
「どうしてさ?」
「私ね――時々夢を見るの」
「夢?」
「そう、それは寝ているときだけじゃなく、昼だろうと夕方だろうとお構いなしで、突然見せられる白昼夢。大地を踏む感触が、肌を撫でる風が、木々のざわめきが、現実のように感じるそんな夢」
「……おい」
「その世界では見たこともない化け物が存在し人間を襲っているの。だから人は化け物に対抗するために剣を持ったり、ときには魔法のような不思議な術を使って化け物と戦っている。昨日もそうだった。私が自分の部屋にいるとき、マリーおばさんが突然部屋に入ってきて――」
「彩歌っ!!」
ヒビキは彩歌の肩を掴み、名前を呼びながら強く揺する。
「……急に何よ!? ビックリさせないで!?」
「……大丈夫か?」
「何がよ?」
頬を膨らませていつものように怒る彩歌の姿を見て、ヒビキはホッと胸を撫で下ろす。
さっきまで語っていた彩歌は普通ではなかった。
目は虚ろで、話していることだって意味不明。
ヒビキが止めなければそのままこの世界から消えてしまいそうな、そんな『危うさ』を持っていた。
(もう大丈夫……だよな?)
屋上だからか、ときおり吹く強い風からスカートを守る彩歌からはもう先ほどのような消えそうな気配はなかった。
「――ねえ」
「ん?」
「もしも……もしもの話だけど、私が『違う世界』に行って帰ってこれなかったら……ヒビキはどう――」
「連れ戻すさ」
ヒビキは彩歌の言葉を遮って断言した。
「彩歌はさ、デートとかでも気が付いたら迷子になっているじゃん。その度に俺が毎回探しに行ってみつけるだろ。それと一緒で、例え違う世界だろうと彩歌が迷っているのなら俺は必ず見つけだして連れて帰るさ。『別の世界』ってなると少し規模が大きいけど、やることは何も変わらないよ」
「……本当?」
「ああ、約束する」
胸を張ってそう言うヒビキを幸せそうに、しかしどこか悲しそうな、そんな不思議な表情で彩歌は笑っていた。
「あとデートのとき、私が迷子になっているわけじゃないわよ。ヒビキが私を置いてさっさと先に行っちゃうからはぐれるんじゃない。つまり迷子はあなたの方よ!」
「いやいや、前を歩く俺に一声かけず、急にショーウィンドウを見始める彩歌の方が悪いだろうが!」
「……そうだっけ?」
「間違いない」
ヒビキがそう言うと、彩歌は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
クラスではミステリアスな才色兼備と思われている彩歌だが、付き合いだしてから意外と間抜けなところが多くあることがわかった。
先にヒビキが言った迷子の件もその一つ。
他にもコーラにコーヒーと間違えてガムシロップを入れたり、日傘と間違えて透明な傘を持ってきたりと他にも彩歌のおっちょこっちょいエピソードはたくさんあった。。
親しい人にしか見せない彩歌の短所を見ていると、完璧な人間なんていないんだなということがよくわかる。
「あっ!? もうこんな時間!」
彩歌は腕時計を見て驚きの声をあげた。
空を見ると太陽は完全に街に沈んでおり、代わりに月と星が自分たちを照らしていた。
「送るよ」
ヒビキは地面に置いてあった彩歌の鞄を渡しながらそう提案するが、
「ありがと。でも今日はいいや。この夜空の下、あなたのプロポーズの言葉を思い出しながらニヤニヤして帰ることにするわ」
「……は? プロポーズ? 俺が? いつ?」
「したじゃない。私が異世界にいったら必ず連れ戻すって。私はあれをプロポーズと受け取ったつもりだったんだけど……違うの?」
「あー……」
ヒビキはこめかみを押さえて唸り声をあげる。
ヒビキとしては別にそれがプロポーズで構わないのだが、できればプロポーズの言葉は自分で真剣に考えて、景色がとても綺麗な場所で彩歌に伝えたかったのだ。
意外にロマンチストなヒビキであった。
どう答えていいか悩んでいるヒビキに彩歌は顔を近づけて――
「……へ?」
「あなたのこと、好きでよかった。バイバイ」
顔を赤く染めた彩歌は早足でその場を去っていた。
残されたヒビキは、
「……まだ手すらろくに握っていないのに……」
口元を押さえて呆然とその場に立ち尽くしてた。
学校の屋上で見た夕焼け、なし崩しに言ってしまったプロポーズ、そして最後の出来事。
ヒビキはこの日を絶対に忘れたりしないと心に誓った。
そしてその日の夜。
笹雪 彩歌は自宅のマンションの屋上から飛び降りた。
自殺だったという。