桜花荘
ガタン、ゴトン……
金属を軋ませて終電が走り去っていく。
始発が走り出すまでのわずかな静寂の時間の中で、私は小説を書いている。
『足元に転がる死体』
これが小説のタイトルだ。
ある殺人犯が、死体を隠そうと四苦八苦する話なのだが、PCに向かって書き出してみても、どうも上手く話がまとまらず、何度も後戻りを繰り返している。
色々な場所を試した挙句に、最後は床下に埋める。所までは決まっているのだが……。
床下か、最近の住宅や高層マンションでは、床板をはがしてもコンクリートで固められている訳だし、と、なると、犯人、いや主人公か、は、この桜花荘の様なボロアパートで暮らしている筈だ。
首を回して自分の部屋を見渡してみる。
そう、こんな感じの部屋だ。
この部屋で、床下に死体を埋めるなら、まず床に穴をあけなくてはならないな。
何処に開けるかだが、まずは、カーペットを捲ってみて……。
ギシギシと軋む床の上を歩き回り、壁沿いの家具を引っ張り出してみる。
これは意外なほど大変だぞ?
家具の少ないこの部屋でも、床を露わにするにはかなりの重労働だ。
筋書きに手を加えるか……。
額に汗を滲ませながら、動かした家具を元に戻すと、いつもの定位置でPCに向かった。
疲れた頭で、モニターを眺めていても、いいアイデアが浮かぶものでもない。
ネット回線がつながっているのをいい事に、そういう時はいつも、気分転換と称して、オンラインゲームを立ち上げていた。
「こんばんわ~」
「ばんわ~」
「おや、珍しいこんな時間まで起きてるなんて」
「うん、ちょっと寝付けなくてさ……。それより、明日帝国の城攻めようって、SUZUさんが言ってたよ」
「おー、行く行く」
どんな時間でも、誰かが話し相手となり気分転換ができるのがオンラインゲームの良い所ではある。
新しいスキルの話や他愛もない雑談で時間は過ぎ、気が付けば、そろそろ始発の動き出す時間だった。
年々、始発は早まり、終電は遅くなる。
貴重な静寂の時間も短くなるわけだが、毎朝、この貴重な時間を無為に過ごした焦燥感に虚しさを感じていた。
だが、金属を軋ませて走る電車が動き出すと、そんな事を考えるゆとりも無かった。
この桜花荘は、都会の駅まで徒歩5分という立地で破格の家賃であったが、駅まで5分という立地は、線路沿いに5分歩けば、駅に着くと言う物で、窓を開ければそこに電車が走っていたし、その値段に見合う築年数の建物は、電車が通る度に、壁ごと震え出しビリビリとガラスが鳴った。
私は騒音から逃げ出すと町をぶらついて、食事も兼ねていつもの定食屋にはいる。
味は悪くないのだが、作りが古く、メニューもありきたりで垢抜けない。
その代わり、私に静かな時間を提供してくれるという訳だ。
トンカツに箸を伸ばしながら、小説の構想を練っていた。
こうやって部屋に居ない間も、死体は部屋の中に置いている訳か。
部屋に置かれた死体は、ベットに寝かされているのか、壁にもたれかかって座っているのか。
どこに置いてあるにしても早く始末しないと、腐り始めてしまう。
部屋の中に充満する腐敗臭……ウっ……、食事時に考える話ではないな……。
気を取り直して食事に取り掛かろうと顔を上げると、目が合った店員の女性は、不安そうな表情をしていた。
まさか、知らぬうちに何か口に出してしまったのか?
食事をしながら、死体の処分が、などと呟くとは尋常ではない、という、気まずさに苛まれていたが、どうやら、その表情の原因は、自分ではないらしい。
彼女の視線の先を追ってみると、男が声を荒げて叫んでいた。
「俺は、ハヤシライスを頼んだんだぞ! これは、カレーライスじゃないか!」
かなり真剣な表情で、店員を怒鳴りつけていたが、そんな事でよくもあれだけ怒れるものだと、感心しながら呆れてしまった。
壁に張られたメニューに目をやると、確かに二つの料理の名前が並んでいる。
同じ値段で。
その違いに、私の静寂の時間を邪魔するほどの意味があるのだろうか?
そんな事に労力を使うくらいなら、うちの部屋の床を捲ってもらいたいものだ……。