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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第二章 夢追い人
6/29

2-1

 ぼくは今日も部屋に消臭剤を吹きかける。彼女の香りは白い煙に追いやられるかのように消えていく。しかしこの手間も、少し経てばまた異臭が撒かれてしまうことで霧散してしまうのだ。ぼくは毎日と言ってもいいほどに彼女に会いに行っていた。はたまた、ベットの奥にでも彼女の一部が落ちてしまった可能性があった。


「善郎。今手は空いてるか?」


 叔父の声にぼくは手を止めた。あの日から叔父はぼくの家に泊まり込んでいる。

 今回の用事は時間をかけるらしく、叔父は長く家に滞在している。いつもならば二、三日でまたどこかへ行ってしまうというのにだ。しかし、母が目に見えて喜んでいたのだからそれでいいのだろう。以前家に来たのはいつだったろうか、一年よりは前だったような気がした。


「今終わったよ。なにすればいい?」

「おう、今庭作りしていてな。暇なら手伝え」


 叔父に連れられて庭に出ると、父が土いじりしているのが視界に映った。隣にはもちろんと言わんばかりに幸慈がいる。


「……父さん働かせてるの?」

「当たり前だ。木崎家の庭だぞ。父親が動かずして土地をいじれるか」

「お父さん忙しいのに、叔父さんが無理やり連れだしたんだよ。ほら、お父さん真面目だから叔父さんよりもこんなに手を汚してる」


 幸慈の言葉に見てみると、その手は泥に塗れている。頬に流れているのは汗だ。父の額から落ちてきた汗を、幸慈が手元にあるハンカチで拭った。


「……なんだその目は。俺が真面目じゃねえみてえじゃねえか」

「実際そうでしょ。叔父さんさいてー」

「年長者は最低でよろしい! ほら、さっさと動け!」


 べーと幸慈が真っ赤な舌を出す。父は黙々とシャベルを動かしていた。掘り起こそうとする土は幾分柔らかくなったのか、以前見たときよりは生きているように見えた。


「というか、なんで急に庭作りなんて言い出したの」

「そりゃあ野暮だったからだ。耕せる庭持ってんのに使わねえと損だろ」


 以前まで庭をいじっていたのは母の役目だった。しかし、ここ数年でさっぱりと土に触れなくなったのも母だった。ぼくらは雑草が茂る庭を見つめるのみで、そこに触れようとはしなかった。


「どうせ、また使わなくなるよ」

「使うよ。使わなきゃもったいない」

「最初は使うよ。けど、また使わなくなる。母さんが飽き性だって一番知ってるのは叔父さんだろ」

「知ってるよ。だけどよ、それでも使わない理由にはならんよ」


 叔父は籠からもう一つ出したシャベルをぼくに手渡した。


「美代は誰かの助けがなきゃ続けようとしないからな。お前たちが続けさせてくれや」

「……叔父さんが手伝えばいいじゃないか」

「俺はずっとここにはいられないからな。仕方ない」


 叔父は言い訳がましくもそう言った。これは叔父の口癖だ。“仕方ない”と、いつも逃げるように言う。叔父は苦しいことを拒むのだ。ぼくと同じように、苦しいことに背を向けるのだ。ぼくは、逃げる叔父が嫌いだった。

 その反面、父は何も口にしない。“仕方ない”とも辛いともなにも言ったことはなかった。ただ、黙々と己のやるべきことを為す父はぼくの憧れと言っても過言ではない。幸慈が懐くのも当然だ。

 二人の歳は近い。ほんの少し叔父が上というだけだ。似ているところは何もないし、父のほうがよっぽどできている人と言える。

 母が庭先に現れた。緑の乏しいこの庭で、母の笑みだけは艶やかに見えた。


「叔父さん、次出ていったとき今度はいつ帰ってくるの」


 ぼくの問いに対して、叔父は「さぁな」とだけ返した。きっと、また遠くに帰ってくるのだ。母は悲しむだろう。あの人は叔父を慕っている。当たり前だ。実の兄なのだから。

 ぼくは、叔父が嫌いだ。


「善郎くん」


 女の声だった。それは家の塀の外から聞こえた。

 振り返れば、そこには遠見聖子がいた。彼女は以前とは違った笑みをぼくに向けている。後ろには石動の姿も見えた。

 叔父さんに声をかけ、ぼくらは車に乗り込んだ。


 事は数日前に起こった。









 その日は久しぶりの学校だった。生徒たちはぼくの存在など端から知らないかのように言葉を交わしていた。ぼくが自分の席を探すと、そこには少年が椅子代わりに机に座っているのが見えた。ぼくの姿は見えないのか、仲間たちと談笑している。

 そのとき、一人の少女がぼくの前を立ちはだかった。少女は背を向けている。肩をはみ出た髪先はくるりと丸まっている。髪の色も相まってリスのようだ。


「飯田くん。木崎くんが困ってるから、どいてもらっていい?」

 聞き覚えのある声だった。


 男子生徒はぼくの姿を視認すると、少しの逡巡の後立ち上がった。ぼくは机の上に鞄を置いてから女子生徒を振り返る。目が合った少女はにっこりと微笑む。その特徴的な笑みを見て思い出した。遠見聖子だ。


「えっと、遠見さん。ありがとう」


 感謝を告げると、遠見は花が咲くように笑った。


「ううんいいの。それよりもわたしの名前覚えていてくれたの? 嬉しいっ」

「そりゃあね」

 彼女に会う邪魔をされたのだから、忘れるはずがない。

「風邪で休んでたって聞いたけど、大丈夫?」

「うん、もう平気だよ」


 ならよかった、と遠見は安心したように笑った。よく笑う女だ。


「じゃあ、あの話、知ってる?」

「……あの話って?」

「話って言っても噂なんだけどね。泉先生が行方不明だっていう話」

 泉先生とは、現在では廃墟で待ちぼうけを食らっている彼女のことだ。

「ここのところ泉先生の病欠が続いてたんだけどね、何でも先生たちでも連絡が取れないって話らしくって」

「それで行方不明だと思ったの?」

「うん。でもそれって先生たちの話をたまたま聞いた人の話らしいから、もしかしたら聞き間違いかもしれないって話もある」

「そうだね……」


 聞き間違いではないだろう。泉教諭は言葉を発せない状態にあるのだから。

 その後に続く遠見聖子の話によると、教師陣は生徒からその話を振られても意図的避けるような様子を見せるらしい。つまり、学校側はこの話を広めようという気はさらさらないということだ。それは良いことだ。彼女とぼくの世界が着実に小さなものになる。他所の世界との壁ができあがる。

 放っておけば、彼らは勝手に事実から遠ざかろうとするだろう。一般的倫理から見れば非難を浴びるような行為だが、ぼくらからすれば非常に好都合であった。

 それでね、と遠見聖子は色の薄い唇を動かした。


「もしよかったら、木崎くん、泉先生を探しに行かない?」

「――え?」


 思わぬ申し出だった。






 暗い夜道。ぼくと数人の生徒の影が街道に照らされ先へと伸びていく。さざ波すら作れない平らな影の海の中に、それらの頭は呑まれている。


「なんで木崎が……」


 光居の呟きに、遠見が眉を八の字にした。


「いいじゃない。木崎くんだって泉先生を心配していたんだから来るのは当然でしょ」

「いや、いいんだよ遠見さん。前々から計画していたことにぼくたちが勝手についてきたんだ、彼が怒るのもしかたない」

「でも、誘ったのはわたしなんだし……それにしても、木崎くんに妹さんがいたなんてびっくりしたな。名前はなんていうの?」


 ぼくよりも頭一つぶんは小さな彼女が、ぼくを壁にするようにして背に隠れる。彼女の顔は、深い夜に目深く被ったフードも相まって見えないでいた。

 その様子を見た遠見は苦笑いをする。


「嫌われちゃったかな」

「妹は人見知りなんだ。そっとしておいてくれ」

「――お前さ」


 光居の足が止まった。その鋭い目つきはぼくを射抜こうと強い力を放っている。自分が正義だと思っている人間の目だ。ぼくが避ける人間の目の色だった。

 他の人間はぼくに対して敵意がむき出しの光居に戸惑っているようだった。


「不謹慎だと思わねえの」

「不謹慎?」

「これから行く場所くらいわかってんだろ。なら、そんな小さい妹を連れてくるのはどうなんだって言ってんだよっ。常識がねえんじゃねえのか」


 後ろから「ちいさい……」とショックを受けた声が微かに聞こえた。もしかしたら気にしていたのかもしれない。確かに、彼女は大人びた空気に反して小柄だったようだったから。


「これは妹が行くと決めたことだ。君には関係がない」

「……てめえ、兄貴だろうが」

「兄だからなんだって言うんだ? 妹に指図する立場でもないだろう。彼女のことは彼女が決める」


 それは、ぼくが幸慈に対するものと同じように。

 ぼくの言葉を聞いた光居からは怒りが見えた。


「――っ、俺はな、お前のそういうところが――」

「和希、やめろよっ」


 光居の友人らしきクラスメイトたちが彼を止めにかかった。

 ため息を吐き出したくなった。早く彼女と会いたい。触れ合えば、すぐにでもこんな疲労感は忘れることができるだろうに。


「……嫌われてるんですね」


 背後に隠れている彼女――石動が呟いた。

 ぼくは振り向かないで彼女の言葉に応える。


「あれは嫌いなのか」

「嫌われていなければあそこまで突っかからないと思うんですが……」

「なるほど」

「……気にならないんですか」

「何を?」

「自分が、嫌われてること」

「別に。彼がぼくを嫌いだというのならそうなんだろ。それに、彼がぼくを嫌いだろうが嫌いじゃなかろうが、それはぼくにはなんの関係もない話だ」


 ぼくは、彼女に関与さえしなければどうだっていい。ぼくをどう思おうが、それはその人間の頭の中でのことだ。ぼくが入り込む必要はどこにもない。だって、彼の見たぼくはぼくではなく、彼が考えるぼくなのだ。本当のぼくはどこにもいない。

 だからこそ、ぼくと彼女の世界は完結できる。誰の頭の中にも本物はいないのだ。ぼくは彼女の前にしかいない。なんて嬉しいことだろう。こうして、ぼくは彼女の愛を真に受け止められるのだ。彼女は、ぼくに愛を教えてくれただけでなく本物の価値すらも教えてくれた。そう思うと、彼女が一層愛しく思えた。


「それでも、あなたの目には映るじゃないですか。関係なくても、関係ができてしまうじゃないですか」

「そんなの、関係ないよ。ぼくの目からは何一つ変わらない」

「どうして、どうしてそこまでして周囲から離れられるんです」

「……お前は、どうしてそこまで周囲に束縛されようとするんだ」

「ばか言わないでください。私は独りです。――束縛なんて、されたことありません」

「独りであることに束縛されてるじゃないか」

「ちがうっ。私は、ずっと――」


 その先に続くはずだった石動の言葉は聞こえなかった。「ほら、あれ」とクラスメイトの一人が廃墟を指差したからだ。

 そこは近頃ぼくが頻繁に出入りし、以前に石動とも訪れたあの廃墟に違いなかった。

 お久しぶりです。私事で遅れて申し訳ございません。

 四月に入るまでは定期投稿致します。

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