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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第一章 いのり
4/29

1-2

 始めに、少女は「私は」と口にした。


「私は、あなたの味方です」


 少女のその言葉は、魅惑的な言い回しで誘いこむ麻薬のように見えて、出来損ないの釣り糸のようにも感じた。何らかの企みがあるであろうことは、彼女の言辞の節々から透けて見えた。


「……わけがわからない」

「助けると言っているんです。私が、あなたを」

「助ける? この異常者を? 君が?」

「はい」


 信じられない。僕は疑いの目を惜し気もなく少女に向ける。


「――興味が、あるんです」

「興味?」


 はい、と少女は変わりない返事をする。


「普通に暮らしていたはずの人間が、どうしてこんなことをしたのか」


 そんなの、ぼくが訊きたかった。

 ぼくは自身でも証明できない(わだかま)りに胸を焦がしながら、少女を睨みつける。


「その言い分だとぼくのこと調べたんだ。……趣味が悪いね」

「私もそう思います。けど、あなたほどじゃないと思っています」

「そうかな。ぼくは人の頭の中をほじくり返そうっていう方が趣味悪いと思うけど」

「……他人の亡骸を汚す方が、よっぽど気持ち悪いです」


 ぼくはその言葉を否定しない。

 奥にいる彼女は、社の中に落とされた黒い染みを纏っていてよく見えない。彼女の濡れた肌を何とかする前に、目の前の少女をどうするかが先だった。


「なのに味方、だと」

「はい、協力者と」

「信用できないな」

「私は、叫びを挙げることもなければ警察に報せることもしませんでした。それだけではいけませんか」


 少女の双眸に宿るのは誰かに似た黒色の玉。ぼくの痛みも何も汲もうとはしない粗暴な色。だが、その瞳は澄んでいると思った。


「今じゃないかもしれない」

「このまま見逃せば、私も共犯になります」

「それでも証人は君だけだ。どうとでもなる」

「私は、あなたの共犯者になります」

「っは、同じように死体でも犯してくれるのか」


 いえ。少女は首を振って傘を畳んだ。


「死体を、隠す共犯に」


 ぼくが応答する前に少女の視界からぼくは外され、代わりに黒い背が向けられた。

 雨でよごれた靴が軋んだ木板に染みを作っている。それは少女の足よりも大きな足跡だ。少女の足は中にいる彼女のもとへと向かっている。黒い背は、すぐに社の中に溶けていった。


「おい、なにを……」

「――私は、あなたを理解しません。理解しようとも思いません」


 ずるずると、引き摺る音が雨音に紛れて聞こえる。奥の陰から先生を引きずる少女の姿が見えた。


「でも……それと、この人を放っておくのは筋違いです」


 ぼくは否応なく前方にある段を上らざるを得なかった。


「やめろ」

「やめません」


 華奢な容姿からは想像もできないほどに強い意思を、少女は返す。

 ぼくはなりふり構わずに誰とも知らない少女の肩を掴んだ。彼女は流れるような黒髪を見せつけるばかりでこちらを見ようともしなかった。


「彼女は、ぼくが何とかする。君みたいな子がどうこうする必要は何一つない」

「何をどうするんです。死体を汚した人間が、犯した誰かを尊ぶことができるんですか。私はそうとは思いません」


 ぼくは言葉に詰まった。罪の意識は未だにぼくの腹の下で蹲っていた。


「……君は、彼女をどうするつもりだ」

「埋めます」


 一瞬、思考が止まった。少女が口にしたそれの意味がわからなかった。


「……なんで」

「ばかですか。死者が出たら埋めるか燃やすかのどちらかでしょう」

「彼女にその必要はない!」

「なぜ?」


 少女は引きずる動作を止めると、ぼくの瞳を見てそれを口にした。湿気った部屋の隅の色が、彼女の瞳の中で沈殿していた。目ががんじがらめになったように、彼女の目から放せなかった。


「なぜ、必要のないことだと?」


 口が開閉する。言葉が浮かばない。

 土を被る彼女が想像できた。ぼくの手の届かない存在になる彼女の姿が、網膜にさえも架空の映像となって焼きついて見えた。

 ――嫌だった。だけど、どうして嫌なんだろう。

 少女の瞳がじっとこちらをねめつけていた。雨のせいか、痛む頭を振ってぼくは思考を正す。


「っとにかく、彼女にその必要はない。気は済んだだろう。彼女を放してくれ」

「いいえ、終わっていません」

「終わったんだ。帰ってくれ。兄でも迎えに行けばいい。それで全部忘れてくれ」

「いいえ、忘れません」


 ぼくは大きく息を吐いた。強情な女だ。


「このままここに置いておいても、いずれは腐ります。死体の腐臭は数週間ともなればえげつないです。それでも隠しきれると思うんですか。どこか、また別の場所に隠そうとするんですか。できるわけない。できると思ってるんなら、勘違いも甚だしいです」


 返す言葉もない。一つ二つ歳も下であろう少女に、ぼくは確かに言い負かされていた。


「……わかったなら、この人を運ぶのはもうあなたに任せます。私では引きずることしかできないので」

「……ぼくは」

「社の裏手まで、お願いします」


 少女は彼女を横にすると早足に段を下って行った。古い木板で作られた足場が少女の体重で軋む。彼女は降りたすぐ傍で屈みこむと、縁の下に手を伸ばして二本のスコップを取り出した。手持ちの部分は赤く、市場でもよく見かける形のスコップだった。

 少女はぼくを見ていた。ぼくは、彼女頬に垂れていた水滴を服の裾で拭おうとしたが、生憎と濡れそぼっていたのでそれも叶わなかった。


 少女は彼女を運び終えたぼくに対して、無言でスコップを手渡した。

 スコップは雨のせいか湿っているように感じる。土を掘るたびに手が滑りそうになる。しかし二人がかりでやっているせいか、進みは速く感じた。弱くなってきた雨の露が、できあがっていく穴の底に池を生む。


「もういい」


 疲れているのか、少女の声に力はない。

 その声を合図に、縁の下に隠していた彼女を穴の中に運びこんだ。辺りは一層暗くなっており、穴の全貌は見えない。暗闇を集めた底に彼女を寝かせる。拾いあげた土を、今度は彼女に被せる。

 彼女に似合わない土の棺を作ったぼくが、彼女を土の中に隠すのだ。

 手が震えた。それは悲しみの震えだった。ぼくの心の底からの抵抗だった。

 雨に混じって嗚咽の声がくぐもって聞こえた。ぼくは辺りを見回す。隣に少女はいない。代わりに、木の根元に蹲る影が見えた。近づいてみると、影から伸びた一本の腕がその動きを制した。


「平気、です……あなたは、続けてください」


 ぼくは言われるままに、彼女に土を被せる作業に戻る。

 少し経つと、彼女も同じ作業に戻った。その表情は濡れた髪に隠れて見えない。雨が少女の頬を撫でて湿った地面に落ちた。


 最後の土を彼女の顔に被せると、少女の疲れきった息が吐き出された。


「これで、終わりです」

「……終わりか」


 空からは一滴も水は降ってこない。もう彼女の涙は枯れてしまったのだろうか。土の中こそを安寧のものとしているのだろうか。――いいや、そんなわけがない。

 少女にスコップを返すと、彼女はそれをまた縁の下に戻した。


「そんなところに無造作に置いていいのか。勘ぐられるんじゃ……」

「誰も来ませんしこんなところわざわざ見ません。それに、明日にでも回収しますので」

「ならいいけど」


 僅かな静寂ができる。ぼくは一刻も早く彼女から離れたくなって口早に別れを告げる。


「それじゃ……」

「……あっ、あの……!」


 弱弱しい彼女の声に、ぼくは足を止める。振り返れば、俯く少女の姿が見えた。こうして見れば、先ほどぼくに死体を埋めるよう言いつけた少女には見えない。それどころか、ぼくよりも寸分年下のか弱い少女にすら思える。


「いするぎ」

「は?」

「わ、私の、名前です。石動(いするぎ)(せり)

「……だから?」


 意図が理解できない。名前を伝えて何になるというのだ。

 彼女は慌てて言葉を足した。その様子は端から見れば間抜けに見えるだろう。事実、ぼくが見ていて間抜けだった。


「あっ、えっと、その、連絡できるようにしなきゃ、私の希望は、叶いません」


 そういえば、彼女の当初の希望はぼくの嗜好の解析だったのだと今になって思い出した。

 ぼくはびしょ濡れになってしまった鞄の中から――幸い、通学鞄は水を弾く素材でできているので中身は無事だった――取り出したハンカチで手を拭く。次に奥に埋まっていた携帯に手を伸ばした。


「メアドでいいか」

「…………? すいません、メアドってなんですか」


 何度目かの沈黙が漂った。それは今までの沈黙の中でも最も長いものだった。

 ぼくは自分の脳細胞から、これに思い当たる言語を言い放った。


「冗談……?」


 少女は無言で首を振った。その無垢な表情からは嘘は見えなかった。

 ぼくはしばし考え込んだ。自慢ではないが、ぼくは滅多にない――近頃は格別味わっているが――混乱に晒されている。

 まさかとは思う。それこそありえないことだと思う。戦前を知る希少なご老人でもなければ、それこそ日本の奥地にある現代の無法地帯の出身者でもない限り、その可能性は否定すべき事柄だ。目の前の少女を見ろ。少々古めかしいが、黒一色の現代の学生らしい格好をしているではないか。そう、まさしくありえない。

 ぼくの頬を一滴の汗が垂れた。しかし、ぼくは精一杯の否定をしておきながらも、それを口から出した。


「もしかして、携帯知らない……?」

「え? あー……ケイタイ……ああ、はい。たまに聞きますね」

「ああ、よかっ――たまに?」

「はい、小さい通話機ですよね。昔義理姉さんに見せられたことがあります」


 そう答える少女の顔は純粋なものだ。

 ぼくは息を吸う。これから口にする言葉はきっと彼女の胸に深い傷を作ることになるだろう。


「お前、友だちいないだろう」

「――っ! な、なぜ……」


 思ったとおり、彼女は驚きにその黒い瞳を開いた。満足したぼくは話を進める。彼女は携帯を知らないし持っていないのであれば、ここは一つしかないだろう。


「じゃあぼくの携帯の電話番号を教える。固定電話――それすらもないなら公衆電話だが、それくらいなら使えるだろう」

「……10円を入れる、あれですよね。長方形のボックスの中に入ってる……」

「……ああ。君の連絡先は必要ない。ぼくに連絡したいのは君だけだからな」

「ええ……はい、そう、です」


 ノートの紙片に11桁の番号を載せ、彼女に手渡す。恐る恐る少女はそれを受け取った。少女が物珍しそうに番号を見つめている間、ぼくは自分の鞄を背負う。


「木崎善郎(よしろう)

「え?」

「ぼくの名前だ。ぼくだけが知っているというのはフェアじゃないだろう。じゃあ、石動」


 返答を聞かぬまま、ぼくは彼女(・・)に背を向け、その場から立ち去った。




 きぃ、と掠れた音を立てて玄関口を開く。ぼくは辺りを見回して素早く外に出た。

 誰もが寝静まった時間、ぼくはあの社に向かって駆け走る。遠くのほうから聞こえる複数のバイク音が夜の街に浮かんでいる。ぼくは彼らに隠れるようにして影から影へと忍び走る。

 鳥居を潜り抜けたぼくは、石動が隠したスコップの一つを取り出し、彼女を傷つけぬよう土を削った。

 ぼくの心中には、未だにあの女が信用できない思いがあった。

 あの女にはぼくが告発できる。素知らぬ顔で警察に駆け込み、彼女を掘り出すことができる。ぼくを騙す意味など思い当たらないが、それにだって何なかの考えがあるのかもしれない。あの女の知っている場所に、彼女を安置できるはずもない。

 それに――。

 彼女の顔が覗けた。その顔は土に汚れている。ぼくはその泥を払った。

 ――ここは、彼女に相応しくない。


 土の棺桶から救った彼女を背負って、ぼくは自分の家に向かう。遠くから強い光が見えた。ここらを走り回っている傍迷惑な暴走族だ。この目で目にするのは初めてだった。

 ぼくと彼女は電柱に隠れる。影を脅かす光の円錐が数を作って通りぬける。暗闇の中、彼らの目は盲目になりぼくらを映さない。音が遠くなる。街がまた暗く沈むと、ぼくは電柱から出て元の帰路に戻った。

 家が近くなると駆け足になっていた足取りも穏やかなものになる。家の窓辺は暗い。どうやらぼくの外出は気づかれていないようだった。

 一度、家の前の茂みに彼女を隠す。ぼくは一度家の中に入り、誰かが目を覚ましていないかを入念に確かめてから彼女を中に入れた。床に上げると、彼女の服についていた泥が下に落ちる。このままでは彼女も辛いだろう。ぼくは彼女の体を洗うために浴場へ向かった。

 彼女を裸にする。その体には蛆虫が這っている。ぼくは冷たいシャワーの水の勢いでそれを流していく。排水溝の隙間に白い虫たちがするりと入り込む。数匹の肥えた蛆虫が入り込めずに暴れている。ぼくは洗剤をあわ立て、彼女の体を清潔なものにしていく。その体は氷のように冷たい。

 必然、ぼくの体も濡れてしまったので服を脱いだ。あの夜以来、ぼくらは裸同士で向き合った。

 彼女の汚れた服を袋に入れる。彼女の髪を乾かした後、ぼくは袋を持って彼女を自分の部屋へ招いた。

 彼女にぼくの服を着せる。少しばかり大きいようで、後日服を買う必要があった。服のサイズは、彼女が元々着ていたものがあるので問題ない。

 ぼくは彼女の服と共に彼女を自分のベットの下に寝かせた。

 彼女のいるベットの上に寝転がる。大きく息を吸う。彼女の匂いがした。

 天井から伸びる紐を引っ張った。電気が消えた。

 目を閉じる。時計の音がする。一定のリズムで針が傾いている。

 すぐそこに彼女がいる。手が伸ばせる場所に彼女がいる。

 ――今、まさしくぼくと彼女は繋がっている。


 深い闇に落ちる。胸に広がる幸福感に包まれて、ぼくは海の底に沈む。

 その夜は今までで最も心地の良い眠りだった。

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