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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第六章 蟲動する痛み

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27/29

6-4

 家に急いで戻ると、家の前はもぬけの空だった。叔父の車はない。当然だ。もうここに帰ってくることもないだろう。

 家の中に入る。そこには電話機があった場所の前で立ち竦んでいる母の姿があった。電話機があったはずの棚の上には何もない。足元に投げ捨てられた電話機が残っている。


「母さん……?」


 声をかけると、いつもの顔の母さんがぼくを見た。


「兄さんがいないの。知らない?」

「叔父さんは……」

「いつ帰ってくるのかしら。待ってるの。また、待てばいいのよ。そしたら、また、兄さん、私のところに帰ってくるもの。あら、なんで電話機こんなにひどいことになってるのかしら。片づけなきゃね、兄さんが帰ってくるまでに」


 いつまで、母は叔父に囚われているのだろう。ぼくを見ないで、ずっと叔父を。


「帰ってこないよ」


 電話機に目を向けていた母がぼくを見る。黒くて、美しい母の瞳。そのまま見てほしい。叔父ではなく、ぼくを。


「うそよ」

「叔父さんは帰ってこない。もう二度と」

「うそ。兄さんがいなくなるわけない。兄さんはずっといるの。ずっとここにいるの。だって私が愛してるんだもの。いるはずよ。だって、さもなきゃおかしいじゃない。私ずっと待ってるのに、どうして兄さんは私が一番してほしくないことをするの?」


 母の頬がひくりと引き攣った。笑っている。だが、笑っていない。その目はずっと昔から歪んだ愛で盲目になっている。


「そう、そうだった。あの女の時もそう。私がしてほしくないことをした。私がずっと兄さんを守ってきたのに。だから奪い返したのに。なのに――なんで、また」

「母さん!!!」


 ぼくは声を挙げて母の頬を手のひらで包んだ。母はぼくを見ざるを得なくなった。母の顔が綻ぶ。花が咲いたように。月の光を浴びたような淑やかさを以って。


「そうね……ごめんなさい。善郎。お前がいたのよね」


 母がぼくの髪を撫でる。愛おしげに撫でる母の指はなんとあたたかなことだろう。

 髪を撫で、頬を包む。目元を指で撫でてくれる。

 叔父と同じ目。それを、ぼくに向けてくれている。嬉しさに体が芯から震えてくる。ああ、ようやく、母は――。


「ああ、善郎……本当に、お前は兄さんによく似てる。この目元、柔らかな髪。ほんとうに、そっくり」


 ――何も、わかっていない。

 ぼくは何もわかってなどいなかった。母はぼくを見ない。叔父しか見ない。それを、どうしてぼくはちゃんと理解をしなかったのだろう。ぼくは母の頬から手を下げる。耳を撫で、首筋を伝い、肩に触れる。とん、ぼくが軽く母の肩を押すと、母は意図しなかった衝撃だったのか尻餅をついた。

 ぼくは母の上に跨って、両手で母の首を包む。母は未だ驚いたように目をぱちくりしている。やはり、この体勢が一番行いやすい。

 ぼくは笑った。母に向けて。ぼくは頬から涙を零しながら母に告げる。


「あのね、母さん。僕は、母さんにも似てるんだよ」


 力を入れる。今度は加減なく、確かに事を為すために。

 母が暴れる。石動とは違う。抵抗の動きだ。ぼくの腕を掴んでいる。死に物狂いなのだろう。腕が麻痺しそうな痛みが掴まれた部分から滲んでくる。しばらくすると、母の力が弱まりぱたりと落ちた。

 呼吸を落ち着かせて、ぼくは母の胸元に顔を埋めた。母の匂いがする。彼女とも違う。母の、母だけの香りだ。

 ぼくは母の首から手を放し、立ち上がった。


「犯さないの?」


 声がした。誰の声なのか、振り返らずともわかった。


「いい。だって、母さんはとっくに叔父さん(ぼく)が汚したじゃないか」


 ぼくは母に背を向ける。ぼくがいられる場所はどこにもなかったのだ。ここにいる必要はない。

 そうだ。そうだとも。

 ぼくの居場所は最初から最後まで、決まっていたのだ。


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