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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第六章 蟲動する痛み

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6-3

「そうだな、話すなら、まずは両親のことから話さなきゃいけないと思う。

 ぼくらの両親は仲が酷く淡白な人でね。正直他所から見ても夫婦って印象は薄いんじゃないかと思う。母さんは父よりも叔父さんを優先する人だったし。だけど、たまに夜を一緒にすることはあるし、夫婦の営みはちゃんとしてたんだ。

 だけど、そうだな。子どもの頃かな。ぼく、見たんだ。

 それは叔父が家に泊まった日だった。夜、とても静かでね、母さんが隣にいないのがとても不安になった。だから母さんを見つけるために家の中を探し回ったんだ。可愛いだろう? 子どもだからね。

 家の中があんまりに静かだったからかな。声が聞こえたんだ。猫みたいな、小さくて高い声だった。

 ぼくは不思議に思って声の聞こえる方向に向かった。場所は叔父さんが寝てた部屋だった。中は真っ暗だった。だけど、暗闇に目が慣れていたからかな。全然見えないってことはなかった。部屋の隙間が少し開いていたから、ぼくはそこからそっと覗き見たんだ。

 ――ああ、うん。母さんがいたよ。寝てる叔父さんの上に跨って、踊るみたいにセックスしてた。叔父さん死んだみたいに動かなくってさ、母さんだけが動物みたいに動き回ってた。

 トラウマ? いや、わかんないな。ぼくさ、その時子どもだったから、それがどういうものかよくわからなかった。ただ、部屋に戻らなきゃって思ってさ。すぐに戻って、必死に眠ろうと頑張ったんだ。今思うとああ、あれってそういうことだったんだなってわかるけど。


 それでさ、よくよく考えてみると、母さんが父さんと夜寝るの叔父さんが家に来る数日前なんだ。これは憶測なんだけど、母さんはさ、父さんをカモフラージュにしてたんじゃないかなって。え? ああ、うん。子どもができたときのためのカモフラージュ。だって何もないのに子どもができたなんておかしいでしょ?

 うん、考えていることと同じだと思う。

 そう、ぼくの父さん父さんじゃないんだ。たぶん。だってさ、似てないでしょ? ぼくと父さん。

 ははは、考えすぎか。そうだったらいいな。

 まあ、そんなことがあったんだけど……。この執着心を聞いてわかるとおり、母さんが万が一にもぼくを見ることはないんだけどね。


 しばらくそんな日々が続いてたんだ。叔父さんが帰ってきて、母さんが元気になって、その繰り返し。ああ、ぼく、母さん以外のことは特にどうでもよかったから他はあまり覚えてないんだ。本当、いつの間にか大きくなったって感じだ。

 でも、ある日、幸慈に子どもができたんだ。

 誰と? ああ、そうか。石動は知らないんだったな。父さんとの子だよ。日頃から好きだって言ってたんだけど、本当にそうなるなんて思ってもみなかった。だってあの夜とのことを知ってるのはぼくだけだったから。だけど、父さんは何となくわかってたのかもしれないね。

 まあ、父さんから手を出したとは考えられないから、押し倒しでもしたんだろうなぁ。幸慈は母さんに似て強引な子だから。父さん、随分罪悪感に苛まれていたみたいだよ、それでお腹が目立つころになって、ようやく母さんに話したんだ。母さんは許したよ。それどころか、自分の子として扱おうと提案すらするぐらい。

 今? ああ、死んだんだ。事故でね。風呂場で、転落したらしい。自分で、上って、そのまま頭から落ちたんだろう。

 幸せな子だったよ。だって、知られていないとはいえ普通の愛された両親の間から生まれて、愛されて、ぼくにはないものを持ってる子だった。ああ、とても、幸せになれる子だったよ。普通の可愛い妹だった。あとは、石動、お前が知っている通りだ」


 ぼくはそれきり口を閉じた。石動も何も言わない。

 そういえば、このことを誰かに話したのは初めてだった。話してどうにかなるというものではない。だが、話して気が楽になることもある。母への恋慕の思いも、これで乗り越えられるのだろうか。


「だから」


 と、石動が唐突に口を開いた。ぼくは何のことかと石動に目を向ける。


「だから、殺したんですか?」

「え――?」


 思考が止まった。石動は確かにぼくを見ている。ぼくを見て、それを口にしている。


「善郎さん、私はあなたに確認したくてここにきたんです」

「待ってくれ。わけがわからない。なぜ」

「殺したんですね。正常な妹を妬んで。だからこの町に引っ越した」

「――なんでお前がそれを知っているんだ、石動」


 ぼくは石動に詰め寄った。細い肩を掴み、顔を近づける。石動に怯えの表情は見えない。

 ぼくは誰にも言っていない。誰にもそれを言っていない。


「誰が、お前にそんなことを言った」

「あなたも知っている人ですよ、善郎さん」

「……ああ、そうか。そうかい。どうもおかしいと思ったんだ。お前は都合よくいつもぼくの目の前に現れた。そいつだな。その、誰かからぼくのことを聞いたんだ。答えろ石動、誰から聞いた」

「だから、言っているじゃないですか。あなたのことをよく知っていて、一番身近にいる人です。そんなの、たった一人でしょう」


 ――たった一人?

 沸騰した頭で思考を巡らそうとした瞬間、どこからか着信音が響いた。ぼくのポケットからだった。ぼくは石動の腕を掴んで逃がさないようにしてから、電話に出る。着信相手の名にあったのは叔父だった。


「叔父さん? どうしたの。今、忙しいんだけど」

『おぉう、そりゃあ悲しいなァ……でもなぁ、ちょっくら聞いてほしいことあるからよぉ』


 いつになく叔父の間延びした声に眉を顰める。


「叔父さん酔ってるの? なに、話って」

『おう、それがな、俺結婚するんだぜ。初めて知ったろ? 初めて言ったからな! ははは!』


 叔父の笑い声が受話器から響く。ぼくは一瞬停止した脳を急いで再始動させる。


「はぁ?! どういうことだよ! ど、どこに!」

『ヒント、俺が今いるとこ』

「いるところ……?」


 叔父は黙っている。電話先の音がぼくの元まで流れてくる。

 声がたくさんだ。人が大勢いる。日本語? いや、それ以外もある。英語、特定できない言語。理解できない言葉が溢れている。アナウンスが聞こえる。『――成田空港――お知らせです』。


「まさか、叔父さん」

『そうよぉ……。なんと、俺ァ海外に行くんだぜえ? 愛は国境を越えるってねえ』

「なん――なんでだよ! ぼくたち家族よりも、他人を選ぶっていうの?!」


 そんな、そんなのは裏切りだ。母の目を奪っておきながら、母の愛を一心に受けておきながら、一人だけ逃げるなんて、そんなのはずるい。奪うだけ奪って、逃げるなんて、そんなの、奪われた側はどうしろと言うのだろう。


『……あのなあ善郎。こっから言うことは酔っぱらいの戯言だと思って聞いてくれや。──おれぁよ、こわいのよ』


 ぽつりと、叔父は酔いなど欠片もない声で呟いた。ぼくは黙っている。


『お前んちに泊まる度によぉ、夢を見るのよ。美代が俺の上に乗っかって腰を振る夢よ。おかしいだろぉ。じつの実の妹に犯される夢なんざよぉ。それもメチャクチャ気持ちがいい。気持ちが悪いはずなのに気持ちがいいんだ。俺は、それが堪らなく怖い』


 ――ああ、そうか、叔父は知っていたのだ。母の歪んだ愛を。だから、昨日、被害者であった妻の泉教諭の家に行ったのだ。愛を確かめに。母の愛は、その普通の肉体で、金貞(かねさだ)浅葱(あさぎ)という人間が受け入れるには重すぎたのだ。


『しかもな、美代を抱いたあとに、ちょうどいいタイミングでお前らが産まれた。まさかなと思うさ。でかすぎる妄想だよ。だから、これは俺の単なる一人よがりな逃避行よ』


 ぼくは、震えた声で返答した。それでも、これはあまりに酷い逃げだ。


「でも、ぼくはずっとここにいるんだ。ここにいるんだよ、叔父さん」

『いいや、お前はいなくなるよ。善郎』

「ぼくは、叔父さんとは違う。ずっとここにいる。ここに、幸慈と一緒に」

『そりゃあな、幸慈はいるだろう。だけどな、善郎、お前はいなくなるよ。今じゃないだろう。だけど、いつかいなくなる』

「どうして」

『わかるさ。それはお前かもしれない。幸慈かもしれない。でも、いつかわかるよ。お前はここにはいられない。だって、成長ってものがある。例え、美代がいてもだ』


 叔父は深く息を吐いた。ぼくは、身を固まらせて耳元で叔父の呼吸音を聞いている。


『じゃあな、善郎。……幸慈によろしくな』


 ぶつりと、電話が切れる音がした。

 叔父は母に向けた言葉は何一つ言わなかった。ぼくは家の電話番号を携帯に打つ。コール音は聞こえない。母が出られない。電話線を切ったのだ。母が。叔父は母にこの事実を伝えたのか。


「善郎さん……?」

「悪い、石動。話の続きはまたあとで」


 ぼくは石動から手を放した。早く、母のもとに帰らなければ。



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