6-2
ぼくは石動の腕を縛る。しかし跡はつけないよう、優しく頑丈に柱に縛りつける。彼女に傷はなかったから、その通りにしようと考えた。
「殺さないんですか?」
石動は目を覚ましていた。静かに手を縛り終えたぼくを見下ろしている。
ぼくは床に着いていた膝を叩きながら立ち上がった。
「起きてたのに逃げないんだな」
「逃げる意味、ないですから。ここ、どこですか?」
「前の廃墟。そういえば明るいときに来たことなかったな、石動は」
「ああ……そうですか」
恐怖も嫌悪の感情もない。平穏に話だけが進んでいく。
「それで、これからどうするんです?」
「ああ、お前を愛せるようにしようと思って」
「そうですか」
石動の答えは淡々としたものだった。遠見聖子だったら喜んだろうに、石動からは嫌悪も喜色も見えない。
「抵抗しないのか」
「意味、ないので」
「逃げても殺されるから?」
「いえ、生きても死んでも変わらないので」
ぼくは片膝を着いて、石動の傷だらけの手首を撫でる。白い手首に赤と皮膚が古くなった線が幾つも刻んである。
「リストカットだろう。もったいない」
「あなたには関係ないです」
「そうだな。だけど、彼女はそんなことしなかった」
「……その人と、私を一緒にしないでください」
「そうか。――なあ、石動」
ぼくは石動の首を撫でた。抵抗をされないのであれば縛る必要はなかったなと、嘆息をする。石動はぼくを見ないで黙って撫でられている。
「抵抗、しないのか」
石動は黙っている。ぼくは両手で石動の首を強く絞め始めた。ああ、やはり縛るんじゃなかった。首が絞めにくい。少しずつ手に力を籠める。柔らかな皮膚だ。彼女を抱いたときとは違う。柔らかな生きた人の首だ。
石動が苦しそうに顔を歪めた。抵抗はない。
「思ったんだ。お前殺したら、彼女みたいになるかと」
石動から返答はない。ぼくとは違う方向を見て、苦しそうに眉を顰めていた。
「わからなかった。違う気がした。だって、彼女みたいになってもまた失うんだ。どうやったってぼくは独りだ」
石動がぼくを見た。呼吸も荒れていたものの、今では涼しげな顔でぼくを見ている。泣いているぼくを見ている。すでに、ぼくの手に力は入っていなかった。
「なあ、頼む。抵抗してくれよ、石動。ぼくは、独りは嫌だ」
ぼくは石動の首から手を離して、彼女の鎖骨に額を当てた。生きた人間の温もりを感じる。彼女とは違って腐っていない。生きた人の匂い。
「触らないでください。気持ち悪いです」
「なあ石動、ぼくはどうしたらいい。母さんが好きだ。愛してる。ぼくを見て、ぼくにだけ微笑んで、ぼくを、愛してほしいんだ」
「死姦だけじゃ飽きたらず、今度は近親相姦ですか。本当に気持ち悪いですね。……痛いので手首の縄、外してくれませんか」
ぼくは目元の涙を拭いながら、石動の手首を縛り付けている縄をほどいた。石動は自由になった縄をぷらぷらを揺らすと、腕を大きく振りかぶって――ぼくの頬を強く叩いた。
「痛い」
「私も痛かったので」
石動の言い分は最もである。それどころか殺されかけたのだから、もっと言いたいこともあるだろうに。
「でも、これ以上やると私の手も痛いのでこれで終わりにします。話したいこと、あるんですよね。私もあるんです。だから、今日会いに来たんです」
「話したいこと?」
「たぶん、善郎さんが話すことと同じですよ」
そう言って、石動は座り直してから隣を叩いた。座れということらしい。ぼくは石動の隣に座った。石動を見ると、首に手の跡が見えた。
「えっと……」
少し目を剃らす。何から話せばいいのかわからなくなったのだ。
「話したいことから話した方がいいです」
「ああ、うん、そうだね。……ぼくが母さんが好きだって話しはしたね?」
「はい」
「うん、そうだな……。始めに、これを言った方がいいかな……。石動。ぼくらは、幸慈とぼくはね――禁忌の子なんだ」
ぼくは、初めて自分の秘密を暴露した。石動は表情を変えずに首を傾げている。
「禁忌?」
「ああ、ええっと、なんというか」
少し、話は長くなる。と間を置いてからぼくは口火を切った。
指先で写真を躍らせる。ひらひらひらひら、それは魚の尾のように体をくねらせる。写真を指で撫でると、自然と頬が綻んだ。
「どうしたんだい」
私は後ろに立った声に抱きついた。好きなにおいだ。鼻筋から全身に行き渡るような、人を堕落させるにおい。私は頭をその人の首筋に擦りつける。
「ううん。嬉しいことがね、あったの」
「嬉しいこと?」
「うん。幸せな夢が見れるようになれること。もう、悪夢を見なくて済むようなこと」
あの人の痛みを知っている。あの人の悲しみを知っている。
だからたまらなく嬉しい。これでいい。これで、全てがうまくいく。痛みは、痛みに返さなければならない。
私は写真に写る愛しい存在を思い出す。私は、何一つ忘れていない。あの人が――兄が、奪ったものを、私は何一つ忘れない。
愛しい人が頭を撫でる。ふわふわと、世界が幸福の塊になる。
「ユキ、目を閉じなさい」
「寝なきゃだめ?」
「大丈夫、僕がいるから」
怖くない。怖くない。幼い頃のようにこの人は私を慰める。この人だけだ。私を見てくれたのは。私を、私として扱ってくれるのは。みんな、私を捨てた中、この人だけが私を拾い上げてくれた。
ああ、大好き。愛してる。――お父さん。




