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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第四章 けぶる灰

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4-2

 次の週の朝、遠見が学校に登校すると善郎は既に席に座って朝のホームルームを待っていた。朝早いためか、教室には善郎と遠見以外誰もいなかった。

 その顔色からは善郎の心情は窺えない。遠見は意を決して話しかけることにした。


「おはよう、善郎くん」

「おはよう、遠見さん」


 善郎の返答はいつもと変わらなかった。喜色も怒りも見えない。何事もなかったかのように、善郎は遠見に対応していた。


「あのあと、おじさんが心配してたよ。善郎くんが戻ってこなかったから。だけど……芹ちゃんの家でどうにかするって言ってたって嘘吐いて、それでようやく一緒に帰ってもらったの」

「そう、ありがとう」


 善郎はあのあとどのようにして帰宅したのだろう。どのような会話を石動芹としたのだろう。多くの問いかけをしたかった。だが、遠見にはそれが許されないことがわかっていた。


「よ――善郎くんは、何も、訊かないんだね……」

「――? 君のことをぼくが訊く必要があるの?」


 それは、遠見が期待した答えではなかった。

 胸が痛かった。口から、これ以上言及すべきでない言葉が流れ出るのがわかった。それはせき止められない激流に似ていた。


「見て、わかったでしょう? わたし、落としたんだよ。芹ちゃんを、わたしが」

「うん。だから、それがぼくと何の関係があるの?」

「……憎いと、思ってるはずだよ」


 だって、あの子はわたしよりもずっとあなたの中で大切なはずだもの。

 遠見はその言葉を唇を噛むことで防いだ。それは遠見が善郎の前に立つためにも決して口にしてはならない一言だ。肯定されてしまえば、遠見はここにいられない。


「それは遠見さんと石動の問題だろう」


 ――まるで、遠見に一つの価値もないようなその言葉に、遠見は己の感情をそれ以上抑えることができなかった。


「わたしがっ――わたしが、あなたを愛してると言っても? あなたが、あの彼女以外で唯一関心を持ってるだろうあの子を、嫉妬で突き落としたのだと言っても? それでも、それでも、あなたは関係がないって言うのっ?」


 必死に抑えた声。だが、内にある思いを抑えるには感情というものはあまりに大きすぎた。

 告げるつもりは毛頭なかった。だが、こうでもしなければ、善郎は遠見を認識してくれない。遠見の欲する善郎を得られない。

 善郎は遠見の激情に対して、小首を傾げた。それは、遠見の欲しくなかった善郎だった。


「それこそ、君の問題だろう? ぼくはそこに必要ない。だってその感情は君のものなんだから。――もう、話はいいかな。そろそろ人がくる」

「わ、わたし、善郎くんが」

「もう、終わりだよ。遠見さん。それとも、こう言ってほしいのかな。手伝ってくれてありがとう(・・・・・)


 ――違う。違うのだ。それは、それは遠見が欲しているものではない。それは、遠見が願ったものではない。

 善郎は既に遠見を見ることをやめている。教室の外から響く足音を察知して、遠見は自分の席に着いた。呼吸を整える。人に見られてはならない。誰かに、気付かれてはならない。それは、他人から見る正しい遠見聖子を壊すから。善郎の望む遠見聖子でいられなくなるから。

 だが、それでも、善郎は遠見を見ない。どれだけ遠見が善郎を求めようとも、遠見が善郎に尽くそうとも、善郎は決して遠見を見てくれない。

 遠見は己の軋む心臓を、握りしめた。それは制服に大きな皺を作るだけに留まった。


 声は出さない。涙も流さない。それでも、善郎は遠見を見ない。

 どうすれば。

 どうすれば、善郎は自分を見てくれるのだろう。







 家に迎えに行った遠見がいないことに首を傾げた光居和樹であったが、教室のいるべき場所にその姿を見つけると、早速一言文句を言おうとその華奢な肩を叩いた。だが遠見からの反応はなく、幼馴染の軽い挨拶は不発に終わった。


「おーい聖子」


 和樹は遠見の眼前で手を振るが、それでも反応がない。

 遠見が周囲を顧みないで考え事をすることと言えば、ただ一つだ。


「なあ、木崎に何かされたのか?」

「違う」


 正解だった。それは和樹にとって最も腹の立つ回答だった。


「ふうん。それで、何があったんだよ。なんだったら俺があいつに――」

「やめてっ。和樹には関係ない!」


 珍しく怒りの表情を露わにして、遠見は和樹を睨みつけた。和樹が初めて見た表情だった。驚く和樹の反応に我に返ったのか、遠見はいつもと変わらぬ笑みを貼りつけた。


「本当に何にもないから。何もしないでね、和樹」


 わかった、と和樹は口にした。無論、わかってなどいない。理解の言葉だけでこの怒りを収めてたまるものか。和樹は平然とした態度で居座っている善郎を睨みつけた。

 好きな女が辛い顔をしている。その事実が和樹は我慢ならなかった。


 遠見が教室からいなくなったのを見計らって、和樹は善郎に声をかけた。さしもの善郎も和樹が声をかけてくることを想定していなかったのだろう。整った眉を上げた。


「なにかな」

「外で話そうぜ」


 善郎は少し考える仕草をすると首を縦に振った。

 和樹が話し合いの場で選んだのは非常階段の踊り場だ。基本、生徒の出入りは禁止されているため人の出入りは少ない。使うにしても、それは教師ばかりである。


「それで、話は?」


 善郎が素知らぬ顔で訊いた。和樹はその態度に少しばかり眉を顰めかけた。


「聖子に何をした」

「……せいこ?」


 まるで何一つ思い至らないといった顔で善郎が首を傾げた。今度こそ和樹は舌打ちをした。

 こんな男のどこに聖子は心惹かれたのだろう。苛立ちが足元からふつふつと上ってくる。


「遠見聖子だ。お前が、傷つけた女の名前だ」


 ああ、と善郎は役得がいったと頷いた。


「それが? 遠見さんは何か言ってたの?」

「んなのはどうでもいいだろうが。お前が聖子に何をしたのかが一番の問題だろう」

「ん、そうか。ならいい」


 善郎は一つ頷くや否や和樹の前から立ち去ろうとした。和樹は慌てて善郎の肩を掴んだ。


「お――おい待てよっ。話は終わってねえぞ!」

「ぼくにはもう意味のない話なのに?」

「はぁ? 意味? 何言ってんだ。俺は、お前が聖子に何をしたのかを聞きたいんだ」

「ぼくは何もしていない」

「なにもしてねえわけが――」

「あのね」


 肩を掴む和樹の手を引き離して、善郎が呆れの息を吐いた。


「ぼくは何もしていない。ここでぼくが何かをしたというなら、それは彼女が勝手に思って勝手に痛んだだけだ。そこにぼくは何一つ関与した覚えはない。触れた覚えもないものでぐちぐち言われても困るんだ。――頼むから、もうぼくに構わないでくれ」

「木崎……聖子の気持ち、聞いたのか」

「そうだね」

「なのに、それでも関係ないって言うのか」

「関係ないね。あれは遠見さんだけの感情だ。ぼくのものじゃない。――ぼくたちとは、違うんだ」

「……最っ低だよ、お前」

「そう。それも君の感情だ。僕自身には何一つ関与していない」


 善郎はそれだけを告げてから、完全に和樹から背を向けて非常階段の扉のノブを捻った。扉の先には廊下で戯れている生徒の姿があった。和樹は、善郎が白い扉の奥へと消えていくのをじっと見ていた。

 和樹は己の拳を壁に叩きつけた。骨から痛みが染みたが、それでも構わなかった。この逃がし方のわからないわだかまりをどうにか吐き出したかった。


「くそっ……どいつもこいつも、関係ねえだと……関係ねえわけがねえだろうが……っ」


 その声は拳を叩きつけた壁の音よりもずっと大きく、ずっと憎たらしかった。


「……光居、青春もいいが授業もちゃんと受けるんだぞ。そろそろ教室に戻れ」

「……へい」


 下の階から上ってきたであろう次の授業の担当教諭がそっと和樹の肩を叩いた。

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