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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第三章 丸い穴の中

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14/29

3-5

 そこは山の中だった。

 どちらかと言えば力のある遠見と二人で〝彼女〟を持ち、ぼくらは山道を歩いている。周囲は暗く、既に夜のにおいが木の根までに行き渡っている。遠見の呼吸は荒い。石動が懐中電灯で足元を照らしているとはいえ、足元に何が転がっているのかわからない夜道だ。ただでさえ重くなっている彼女を運ぶのは、昼間よりも苦しいものとなっている。


「少し、休憩しようか」

「っ……」


 彼女を落とされてはたまらない。彼女を下ろすと、ぼくらは居心地のいい場所で足を休めた。

 叔父は前日の宣言通り帰るということはしなかった。石動の家での一件もそうだが、子どもだけで駅も遠いこの辺境の地に置いていくのは厳しいと判断したのだろう。最初は手伝うと押しが強かったが、ぼくらがどうしてもついてこないでほしいと頼み込んで、ようやく車の中で待ってくれることになった。

 ついてくれば家族の縁を切るという免罪符つきだ。叔父は家族というワードには弱い。


「あとどれくらいだ、石動」

「もう少しです」


 石動は近くの木々を照らしてから答えた。明かりが走った木の枝の根元には、赤い紐が括りつけてあった。なんでも、石動の幼い頃からあった目印だそうだ。これがなければ、ぼくらの歩みももっと迷いがあったことだろう。ぼくはそれをじっと見ている。


「どうかしましたか」

「いや、なんだか見覚えがあるような気がして」

「これですか?」


 緑が茂った山の中、丸い円が赤い紐を中心に鮮明にする。


「よくある紐だと思いますけど」

「いや、そうなんだけど……。……ああ、そうだ思い出した」


 母の髪を結っている紐だ。それによく似ている。確か、叔父が過去に母に送った物らしく、母が大切にしていたのを覚えている。

 とはいえ、この場では関係のないことだ。ぼくは石動になんでもないとだけ伝えて、息を切らしていた遠見を見た。

 口数の多かったはずの遠見は、今では口を閉じて静かにしている。疲れているのだろう。その目はじっと地面を見つめている。


「遠見さん」

「……」

「遠見さん!」

「えっ? え、な、なに?」

「なにって、声をかけても返事がなかったから。疲れたのなら石動と代わってもらおうか。あと少しみたいだし」

「い、いいよ。わたしがやる」

「でも、それで彼女を落とされても困る。確かに石動は力はないけど――」

「大丈夫だから。いらない。わたしだけでいい。善郎くん、行こう。もう、平気だから」


 遠見は言うなや否や彼女の入った箱へと歩いていく。人の心中とはわからない。ぼくは石動に先ほどと同じように道を照らすように言ってから、再度彼女を運ぶ作業に入った。

 石動が言った通り、目的地は近かった。暗澹とした林の中、一か所だけが空けている。石垣の井戸のようで、遠い昔には頻繁に使われたのだろう、山の一部になろうとしているが如くその根元は苔に侵食されている。

 井戸の上には子どもたちがいたずらをしないにようにだろうか、錆びついてはいるものの蓋がしてある。ぐるぐるに鎖が巻いてあり、その中心に大きな南京錠が取り付けてある。


 石動が持ってきた鍵を用いて蓋を開くと、中から湿り腐った空気があふれ出してきた。遠見から思わずといった風な呻き声が聞こえる。覗いてみると中には腐敗した水が滴っていた。

 ぼくは井戸に簡易な梯子を掛けると、彼女を箱から出し、背負って井戸に足をかける。


「善郎くん、もしかして直接それを下に持っていくつもり……?」

「当たり前だ。落とせるか」

「あっ、あぶないよ! 苔だって生えてるし、降りれたとしても出られなくなるかもしれないよ!」

「だけど……」

「遠見さんの言う通りです。名残惜しいんでしょうけど、彼女を持って降りるのは危険です。ここは諦めて落としてください。垂直に落とせば折れることはないと思います」

「……わかった」


 ぼくは石動の言葉に泣く泣く頷いた。下は湿って足場が柔らかいことだろう。そうであってほしい。彼女に痛みがないことを祈りながら、ぼくは彼女を井戸の中に落とした。水が跳ねる音と共に、彼女は濡れた暗がりの中に沈んだ。

 ぼくが彼女が落ちた井戸の黒暗をじっと見つめていると、石動が肩を叩いてきた。


「おじさんがそろそろ心配になって来る頃ですよ。急ぎましょう」

「あ、ああ……」

「落ち込まないでください。気持ち悪い。また来ればいいでしょう。今生の別れじゃあるまいし」

「……お前にはわからないよ」

「死体に恋してる時点でまったく理解できません」


 重い息を吐き出してからぼくが鎖を持つと、その手の上に誰かが手を乗せた。遠見だった。


「ここはわたしたちに任せて大丈夫だって伝えてきてよ。もし、おじさんが心配して来ちゃったら危ないよ。道わからないだろうし」

「それもそうだね……」


 ぼくは石動に目を向けると、彼女は安心するように頷いた。問題はないようだ。


「じゃあ、お願いしようかな」


 遠見は笑って任せて、と言った。暗がりの中でも目立つ、夏の花のような笑みだった。









 善郎が立ち去るのを確認すると、遠見は石動を見た。石動は「お願いします」と頭を下げた。


「こちらこそよろしくね。固くならなくていいから」

「はい……」


 遠見の笑みに対し、石動の表情は固い。石膏で固めたようにも思える。

 遠見は先ほどまでとは打って変わって機嫌が良いようにも見えた。〝彼女〟を運び終えたこともあって、気が楽になっているのだろう。

 すると、途端に焦りの色を露わにして「うわ……」と声を挙げた。


「どうしよう。鍵がない……。さっき井戸の中に落としたかもしれない」

「遠見さんが持っていたんでしたか」

「うん、足元に置くのも危ないと思って」


 遠見は井戸の奥に懐中電灯の明かりを向けると、井戸の中に頭を突っ込んだ。


「あ、やっぱりあるよ。あそこ」

「どこです?」


 石動も同様に覗きこむ。奥は緑が濃く、明かりに照らされても見えにくい。


「ほら、もっとよく見て。あそこだよ。死体の手元」

「すみませんよく見えな――」


 ――ぐい、と首根を下に引かれた。


「え――?」


 石動の視点が暗転する。鼻腔が地上のものから腐臭に満ちる。気付けば死体がすぐそこにある。とっさに頭を抱えると、途中で体が反転していたのか、背中を何かが打ち、足場を見つけようとした足を滑らした。顔面に冷たい何かがかかった。

 急なことに理解が追いつかない。井戸に落ちたらしいことは、石動にもわかった。起き上がろうと腕を曲げると、近くに丸いものが転がっていた。頭上からの懐中電灯が照らしているそれは、〝彼女〟の頭だった。


「っひ……!」


 背中に当たった物がなんなのかがわかった。彼女の頭にぶつかり、その衝撃で折れたのだろう。石動が恐怖に身を翻そうとすると、足首に鋭い痛みが走った。どうやら落ちた時に足首を捻ったようだった。

 息を荒げながらも、現状の原因を思い出そうと石動は頭を巡らした。そして、頭上からの光を見上げた。そこには、無表情にこちらを見下ろす遠見聖子の姿があった。


「どう、して」

「ずるい台詞だよね……。わたしが、一番それを言いたいのに、あなたがそれを言うんだね。芹ちゃん」


 わけがわからなかった。何か彼女の気に障るようなことをしただろうか。彼女を攻撃するようなことをしただろうか。石動の頭に混乱の声ばかりが回るが、まるで思いつけるはずもない。


「……遠見さん、善郎さんを呼んでください。足を挫いてしまったみたいで、自分で登るのは厳し――」

「頼れるんだね」

「えっ」

「ねえ、味方だから? 味方だから頼れるの? 善郎くんが、味方だから? あなたが、善郎くんの味方だから?」

「あの、何を言って」

「――わたしだって味方だよ」


 石動の手に影が作られた。いや、違う。影は動いているのだ。遠見が蓋を動かしている。蓋本来の役目を果たすために、遠見が横に滑らせている。


「遠見さん?! やめてください!」

「大丈夫、善郎くんの味方はあなただけじゃないの。わたしもいる。わたしが、善郎くんを助けるの」


 蓋の重い動きに石垣が削れる音が井戸の中に木霊する。石動は顔を青くして叫ぶが、遠見は耳を傾けない。自分しか見えていないのだ。彼女の中に、石動はいないのだ。

 影が石動の顔を隠す。既に、遠見の手の中にあった懐中電灯は井戸の中を照らしていない。先ほどまで電灯が目を焼いていたせいか、石動の視界は瞬いている。


「遠見さんッ!」

「ずるいよ、本当に……。どうして、どうしてあなたなんかが……。どうして、あなたはいいのにわたしは認められないの……っ」


 遠見の声がやんだ。いや、外の音が消えた。蓋が、井戸を閉じたのだ。

 光はない。何も見えない。鼻もあまりの腐臭に麻痺している。


「だ、れか……」


 石動の声は井戸の中に反響している。外からは辛うじて鎖の音が響いているが、石動の声は聞こえないことだろう。

 ――遠見が立ち去ったら?

 音はない。外界を教えてくれるものはない。

 石動の隣にあるのは〝彼女〟と呼ばれる死体のみ。善郎のことだ。きっとくるだろう。彼女のために、必ず。


 そうだ。彼女に会いにくるのだ。石動にではない。誰も、石動を欲しない。

 石動は死体よりも死体として、ここに沈むのだ。この腐った浅瀬で、溺れて死ぬのだ。


「独りで……ここに」


 石動は自分の体を抱きしめる。寒い。冷たい。ここにあるのは、圧倒的な孤独だ。

 気づけば、石動は自身の膝を抱えてその寒さをしのいでいた。井戸が石動の声で反響する。それは嗚咽ではない。石動の肩が震えているのは、寒さであって、決して涙ではないのだ。

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