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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第三章 丸い穴の中

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3-4

 ――好き者。とは、養父のことを言うのだと思います。


 私は捨て子でした。養父が山道で見つけたという話を、養父が亡くなった後に聞きました。四歳の頃でした。

 養父は私を可愛がってくれたのだと思います。思います、というのは私に養父のことをあまり覚えていないからです。私の記憶は四歳から始まっています。そこからが私の普通で、私の今まで続いています。


 ―― いらないこ ――


 私の世界での、私の名前です。たまに『ぐず』や『のろま』という字になります。それでも、だいたい同じなのであまり変わりません。全部、同じ意味ですから。

 どうしてお前が、と兄弟の誰かが言います。名前は覚えていません。みんな同じことを言うからです。顔が違っても、声が違っても、みんな同じ人でした。


 死後、養父は私にたくさんのお金を受け渡したそうです。血が繋がっていない私を、たいそう可愛がってくれたそうです。私が成人するまでにそれに触れることはできません。責任がないからです。お義母さんが言っていました。

 私はだめな子です。みんなが言います。

 私は使えない子です。みんなが言います。

 だから、私は独りです。当然のことです。


 時折学びの門を潜っても、そこにあるのは異物を見つめる視線です。家では誰も私を見ません。学校でも、私を見ようとする者は誰もいません。私のいる場所はすべて剥奪されました。いいえ、剥奪されたのではありません。もとからなかったものが表面化して、私が〝ない〟と知ることができただけなのです。ですから、最初から何も変わってなどいません。

 苦しみは初めから、どこにもないのです。あれば、それは私が知らなかったことを知った時だけ。だから、プラスもマイナスもありません。始めも、終わりも、結局はゼロでしかないのです。


 私には、権利がありません。それは産まれたときに誰かに捨てられたものです。私は、私という存在の価値を遠い昔に捨てられたのです。

 この場所で、私は意味のないものでした。私の生は無呼吸でした。私の足は石でした。彼らは私の足を石鎚で叩き、挙句には石灰に混ぜ私の足跡を消そうとするのです。私はどこにもいませんでした。

 ですが、彼らは稀に私の存在を認知し、私を思い出すために挨拶をします。それが、彼らが私に唯一与えてくれるものです。


 だから、今日も同じように、挨拶をされただけです。

 足を引っかけられ、転んだ私を嘲る彼らはいつも言うのです。「どうしてお前はここにいるんだ」と。私はその答えを持っていませんから、何も口にできません。

 立ち上がろうとすると、目の前に大きな影ができました。見覚えのある人でした。


「嬢ちゃん、大丈夫か」


 彼は慰めるように私の肩に手を当て、怪我の様子を心配します。私は驚いて何一つ対応することができません。彼は私に怪我がないのを見てとると、眉をひそめて口にしました。


「――おい、あんたたち。これが子どもにする態度か」


 私は振り向くことができませんでした。

 善郎さんのおじは、私が最も恐ろしいと考えていることを軽々と行ったのです。









 石動家は、今どき珍しい二階建ての日本家屋だった。

 その土地は見渡しても見渡しきれないほどに広く、建物の陰のない地面には白い砂利が敷き詰められている。目の前に建つ木造の柱は年代を感じるものの、日々手入れを忘れていない美しさがあった。


「おっきな家だね……」


 思わず驚きに声を挙げる遠見に、ぼくも頷かざるを得ない。典型的な日本美を作っていた。この家の持ち主は、日本本来のにおいに愛を抱いているのだろう。


「――やめてくださいッ!」


 めったに声を荒げないはずの少女の声が聞こえた。

 ぼくは足を速めた。遠見もだった。進むたびに、足が砂利の中に沈んだ。

 声の方角に足を近づけると、奥に人が見えた。太陽に焼かれてなお、その黒色は褪せない――石動だ。隣には叔父がいる。二人だけではない。正面に見知らぬ男がいた。男は二十代後半に差し掛かる歳に見えた。


「そうだ。あんたには関係ない。これはここの問題だ」


 面倒そうに、男が言う。

 叔父はいつになく顔をしかめている。


「嬢ちゃん、それでいいのか」

「いいんです。いいから、戻りましょう。おじさんは、関わらなくていいことですから」


 石動の顔はぼくからは見えない。強く袖を引く石動に対し、叔父は「あのなぁ……」と口にした。ぼくは躊躇もなくそこに声をかけた。


「石動、鍵は持ったのか」


 がばりと、石動が伏せていた顔をぼくに向けた。ただでさえ白い肌は青白くなっていた。


「――は。は、い」

「じゃあ行こう。叔父さんも、人の家に迷惑をかけない。行くよ」

「迷惑って、お前な……」

「ほら早く」


 ぼくは石動の手を掴み、早足にその場から立ち去ろうとした。「芹」と、男の声が背中にかけられた。石動の足が止まった。


「親父の代わりか?」


 感情がすぐに口に出る叔父を押しとどめて、ぼくは声に耳を傾ける。

 石動は何も口にしなかった。呼吸が震えているのだけがわかった。


「……何の取り得もないお前がどういった手で取り入ったのかは知らないが、お前に味方がいると思うなよ。お前は、どこまでいっても独りなんだからな」

「一つ、言わせてもらいますが」


 石動が驚きにぼくを見た。こういったことは得意ではない。だが、時に口にしなければならない時がある。


「取り入るなんて器用なことはこの子にはできません。味方なんて……人に頼るなんてことは以ての外です。しかし、言われずとも自分のことはあなたよりもよっぽど理解できる頭は持っている。あまり頭でっかちに判断しないであげてください。……それに」

「……なんだ」


 大きな借りだ。石動はぼくらの愛を叶えてくれる協力者だ。ぼくはそのために協力者を助け、守るためにこの小さな手を掴んでいる。

 あの雨の中、彼女とぼくは一つの契約をした。


「彼女は、ぼくの味方と言ってくれました。なら、ぼくは彼女の味方です。この子は独りではありません」


 石動の手は、いつにも増して強くぼくの手を握りしめた。


「随分と偉そうに……。あんたそいつのなんなんだ? そいつの何を知ってるっていうんだ? 知らないだろう。その、捨て子の――」

「ぼくは――この子の兄です」


 ぼくは彼らから一歩足を遠ざけた。石動の足は、固められた石膏を崩したかのように滑らかに動いていた。


 「ぁ、の」と石動が小さいながらもはっきりとした声で発言した。


「ん?」

「ありが、とうございます。わざわざ、嘘、ついてくれて」

「嘘じゃないよ」

「――え……」

「前、みんなから彼女を隠したとき言っただろ。妹だって」


 生徒たちから彼女を隠すとき、この少女は成り行き上であったものの妹と偽った。だが、偽りであろうとも明示したのは事実だ。なれば、この少女はただの一瞬でもぼくの妹であったのだ。


「あの嘘に期限はつけてない」

「…………はい」

「急ぐぞ。夕焼けも沈んでる。このままじゃ暗くなる」

「……はい」

「石動、ぼくの服で拭うなよ」

「……私、あなたのこと、きらいです」

「そんなのとっくに知ってるよ」

「だいきらいです」


 鼻水を啜る音が、草木を薙ぐ風の中に紛れた。


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