3-3
キャラクターの性格と合致させるため、サブヒロイン「石動芹」の口調改訂、また「1-2」「3-1」の内容の大幅改訂を行いました。
またその一環としてあらすじの「見たわよ」を「うそつき」に変更しました。
数少ない読者様を混乱させるような変更を致しまして、まことに申し訳ございません。このままではストーリー上からしても、滑らかに進むとは書き手から見ても大変苦しいと判断した結果です。
では、「死体と死に体のぼく」、残り三章とエピローグのお付き合いをどうぞよろしくお願い致します。
叔父は母と二言三言話すと、そのまま車の運転席に入り込んだ。古いワゴンの風通しはよく、外と共通の感覚に浸れる。鈍色の革がはられた座席は所々が破けている。女性を座らせるには適したものではないが、ぼくはこの開放感が好ましく思っている。ぼくらは三人で並んで後ろの座席に座った。
ワゴンが数回激しく咳き込むと、車内は安定したエンジン音に包まれた。後ろの荷台に何か放り込んでいるのか、硬いものがぶつかり合う音が響く。硬い座席に慣れていないのか、遠見が身じろぎした。
石動が目的の場所の近くの住所を教えると、叔父が備え付きのナビにそれを書き込む。石動は、それこそ現代にタイムスリップした侍のような目でその指の動きを追っている。友だちがいない以前に、今までどこかに隔離でもされていたのではないだろうか、この少女は。
「まあ、二時間かかるかかからないって程度か。こりゃあ、山奥だねえ。電車でも遠いだろうに」
「……まあ」
「ん、じゃあ忘れもんはねえな? 行くぞー」
車が発車する。庭弄りをする父と幸慈、見送る母の姿が遠ざかる。そういえば、ここに引っ越してから家を離れるのは初めてだと思い出す。
「あの」と小声で石動が袖を引いた。
「お母さんが……」
「……母親の確認をとってないのか。それは不味いな……」
いくら誰も認知していない私有地のものだからといって、怪しまれない保証にはならない。見られでもすればもしかしたらの可能性だってあった。
「いえ、違います。それについては、いざとなれば私が対処します」
「じゃあなんだ」
「……あなたの、お母さんが」
「……? 母さんが?」
「――私を、見ていました」
「そりゃあ、見るだろう。息子が見ず知らずの若い娘を連れてきて、それでいて兄の車に乗せていったんだ。理由を訊かない方がどうにかしてるぐらいだよ」
母には叔父が説明したことだろう。心配性な母のことだ。充分以上のことを訊いたに違いない。
「違います。そういうんじゃないんです。そういうんじゃない、あれは、まるで……」
途端、石動は口ごもった。答えに迷っているというより、なんと言えばいいのかわからない様子だった。
「ハハ、美代は人見知りだからなあ。ガン見でもされたんだろ。嬢ちゃん」
聞き耳を立てていたのだろう、叔父がバックミラー越しにこちらを見る。
「え、あ、はい」
まさか話しかけられるとは思っていなかったのか、石動は戸惑いながら返した。
「あいつ、知らない子見るとじっと見る癖あんのよ。ちょっと居心地わりいかもしんねえが、他所の子が怖いからそうなってるだけなんだ。あんま気にしないでやってくれ」
「はあ」
「小さい頃からですか?」遠見が訊いた。
「ん? いや……小さい頃はそうでもなかったな。高校に入って、少し経った頃からじゃないかね」
「へえ」
母の小さい頃の話など、初めて聞く。ほんの少し好奇心が疼いた。
「善郎くんのお母さん美人ですよね。小さい頃から美人だったんですか?」
「ああ、そりゃあもう可愛かったさ。そんでモテてた。善郎ぐらいの頃には男をとっかえひっかえして心配させるような子だったんだ」
「えっ、母さんがっ?」
「善郎も驚くよなぁ。今じゃ旦那一途。家庭を守る女だよ。兄ちゃん嬉しいような寂しいような」
叔父が過去を思い出すように目を細める。ぼくはその過去を知らない。
「昔の母さんって、今と違うの?」
「今と? そうだな……昔は、もっと甘えん坊だった。どこ行くにもついてきてな。俺が視界からいなくなるだけで大泣きしてたぐらいだ」
想像できなかった。母は気高い女性だったからだ。
「けど」と少し間を作って叔父が続けた。
「中学入ってからかな。俺を避けるようになった。あんときは嫌われてたなぁ」
「嫌う? 叔父さんを?」
「おう、今じゃ普通に接してくれるが嫌われてたねえ。ありゃ。目も合わせないし話もしようと――うお、工事中かよ! っかー! 回り道しなきゃなんねえのか!」
ぐるりとハンドルを回す叔父を尻目に、ぼくはナビをじっと見た。
「……叔父さん」
「なんだ?」
「これ買ってから何年?」
「あー……十五、六年くらいだっけか……。それっきり弄ってねえや。――ぐおっ、ここの道もねえじゃねえか! なんだこのナビ!」
それはもう、十六年前の地図と大きく変わってしまっていることが原因なのではないかとぼくは思った。
長い車道を走る。外を呆っと眺めていた石動の頭は窓枠に乗っている。昨夜よく眠れなかったのだろう、その目蓋は固く閉じていた。遠見も同様だった。
叔父は二人に気を使っているのかしばらく黙っている。叔父が人に気を使うなど珍しい。
「叔父さん、女の人が嫌いなわけじゃなかったんだね」
「はぁ? 唐突に何言ってんだ。俺ァ女の子は大好きよ。十八年見てきてわかんねえってことはねえだろ」
「わかってるよ、そのくらい。ぼくが驚くぐらい、気軽に誰とも話しかける。そこは変わらない。だけど、――母さんや幸慈は避けてるだろ。なんでだよ」
途端に、違和感のある沈黙が間を作った。叔父をフレームミラー越しに見るが、その目は正面を映すばかりでぼくを気にかけようともしない。
「……気のせいだよ。善郎、そりゃあ、お前の気のせいだ」
「嘘だ。それこそ、何年見てきたと思ってるんだよ。叔父さんが帰ってこない家だって、叔父さんが帰ってきたときの母さんだって、ぼくは見てきたんだよ」
「それだけだろう。お前が見てきたのは」
「十分だよ。それだけで」
「……。善郎」
嫌いだった。逃げるように生きる叔父が。何もかもから背を向けるような叔父が、ぼくは嫌いだ。家族に悲しい顔をさせることを良しとする叔父が、心の底から。
「避けてるんじゃないんならさ、叔父さん。帰ってきてよ。またどこかへ行ったりせずさ、家にいてよ。父さんだっていいって言ってる。母さんはもちろん喜ぶよ。誰も叔父さんを拒んだりしないよ」
「帰れねえよ」
「だから、なんでだよ」
「……善郎、もうこの話はおしまいだ。どうにもならないし、どうしようもない。それに、二人が起きる」
また、何も言わないのだ。この人は。何も言わないで、どこかへ逃げるのだ。
「また、逃げるの」
「逃げるんじゃねえ。どうしようもねえんだ」
「何がどうしようもないだよ、仕事でもないのに、家にいるだけのことを、なんで……」
「だけじゃねえんだよ、善郎。お前にはわからんよ」
「わからないって……わかっていないのは叔父さんじゃないか! あんたは、あんたが数か月帰ってこなかった時の母さんの顔を、あんたは見たことがあるのか!」
「善郎!」
叱咤するような声が、叔父の喉から吐き出された。
「静かにしなさい。二人が起きる」
穏やかで、それでいて優しさが含まれた声だ。ぼくは、ぼくを見ようともしない叔父の顔から目を伏せて、声を絞り出した。
「女の人が嫌いじゃないんだろ。母さんたちだって避けてないんだろ。なのに、それじゃあおかしいよ。だって、叔父さん――今まで、誰かの頭を撫でたことなんて、一度だってなかったじゃないか」
しばらく、車の稼働音だけが車内を満たしていた。叔父は何も口にしようとしなかった。叔父は答える気がないのだ。表面上だけ取り繕って、結局最後まで何も言わない。〝叔父〟の姿だけを見せて、〝金貞浅葱〟を晒そうとしない。
ぼくは目を閉じた。目の奥が熱かった。一番愛されて、一番求めたものが手に入る叔父が、憎かった。自分からそれらを手放し、逃げるような叔父が、ぼくは憎かったのだ。
車の揺れが、揺り籠のようにたゆたっていた。周囲の音がしだいに沈んで、ぼくの世界から消えていく。車窓の外から、車の音、女の呼吸音、最後に耳にしていたはずの音は、男の声だった。
「わかんねえよ、善郎。お前にはわかんねえ……。……わかんなくていいんだよ」
誰かの声は、目が覚めれば記憶の片隅にすら残らず、泡のように散ってしまっていた。
「――善郎くん。着いたよ」
ぼくの肩を揺さぶったのは遠見聖子だった。隣に見覚えのある少女はおらず、辺りは空から降ってくる光を浴びて赤くなっている。
車窓から外を覗くと、すぐそこに山があった。赤い光で照らされた無数の傘の下は固まった血のように黒く、周囲には田んぼがあった。既に一面に水を張っており、鏡のように空を映している。知らない土地だった。
「遠見さん、石動は?」
「さっき家に入ったよ。井戸の鍵を取りに行くんだって。あっ、善郎くん、石動ちゃんはついてこないようにって言ってたから、ついてっちゃだめだよ」
「行かないよ。用もない」
小さな子どもに言い聞かせるような言葉使いに、ぼくは冷淡に返した。
「叔父さんは?」
「煙草だって」
「煙草? ……叔父さん、確か今は禁煙してるはずだけど」
またやるにしても、誘惑に負けるには早すぎだ。
それもこんな草木に満ちた場所であれば、なおさら吸うことを躊躇う人だ。
「ん、でも、さっき」
「……もしかして、その石動の〝ついてこないで〟って発言、叔父さんも聞いてた?」
「うん。そうだけど、それが?」
躊躇いもなく頷いた遠見の反応に、ぼくは頭を抱えた。
同時に、近くの家屋から男の大きな声が響いた。車窓が前後で少し空いている。そこから漏れたのだろう。しだいに、人の騒ぐ様子を感じた。
驚く遠見を視界の他所に、ぼくは車から外へ出る。砂利が靴底から足裏を押す。
「よ、善郎くんっ」
「叔父さんだよ。遠見さんはそのまま待ってて。めんどくさいから」
「そんな、行くよ! でも、今の」
「あの人、好奇心旺盛なんだよ」と、ぼくは心底めんどうで、吐き捨てるように言った。こんなことなら、疲れていようと起きていればよかった。
早く、彼女を安全で、安心できる場所につれて行かなければならないのに。




