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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
第三章 丸い穴の中

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3-1

「ごめん、逃がした」


 息を切らしたぼくの言葉に対し、石動は下唇を噛んだ。最近わかったが彼女の悩むときの癖だ。


「幸い暗かったので、顔は見えなかったはずです。……でも、もうここに置いていくことはできません。本当に逃げられなくなりました」

「言われなくてもわかってる。元より逃げるつもりなんてない」


 ぼくのものだ。

 彼女(ここ)は、ぼくの居場所だ。

 誰にもやらない。誰にもやれるものか。

 ぼくはまだ人間なのだ。死人だったぼくではない。人間でいられるのだ。人でいられる権利を、誰ともわからない人間に奪われてたまるか。

 長い思考の時が流れた。それが破れたのは、石動が重い口を開いたときだった。


「……当てが、あります」


 どこかと問いただすぼくに、彼女は二、三度躊躇いがちに視線を彷徨わせると、意を決してぼくを見た。


「私の、家です」


 ただでさえ硬質な石動の声は、膝を閉じて頑強になっていた。だが、今にも壊れてしまいそうなほどに震えていたのも事実だった。






 次の日になった。

 下駄箱に手紙があった。差出人はなかった。書かれずともわかる。ぼくは封筒の封を切って中を見た。

 “屋上で待ってます”

 ぼくは躊躇うことなく学内に踏み入れたばかりの足を屋上へと向けた。

 屋上は開いていた。屋上は基本昼休みにのみ開かれるのだが、今日ばかりはその制約も破られたらしい。ぼくは赤錆の浮いた扉を押して、その先にいる誰かを見た。


「来るの、早いんだね。びっくりしちゃった」

 

 彼女は栗色の髪を風に靡かせている。くるりと巻かれている毛先は、色のついた風巻きのように思えた。


「……遠見さんほどじゃないよ。よく屋上の鍵貸してもらえたね」

「忘れ物しちゃったんですって言ったら貸してくれたよ。ここの先生緩いの知ってるでしょー」

「さあ……ぼくは興味なかったから」


 遠見はいつもの満開に咲かせていた笑みを萎ませた。


「……泉先生以外は、だよね。ねえ、木崎くん」

「――遠見さんが見たんだね」

「わたし、どうするつもりもないよ。訊くつもりもないの。木崎くんがどうしてああなったのか、どうしてああしたのか。訊くつもりはないの」

「そっか」


 彼女は一般人だ。理解している。理解されようとも思わない。だが、邪魔だけはされたくはない。

 遠見が見たのは暗闇に潜むぼくらの逢引だ。途中で懐中電灯が壊れたのか、暗闇で目が慣れたのだろう。彼女が元は泉教諭であったことは察したようだった。

 遠見聖子がどのような行動をするのか、わからない。だが、〝彼女〟を守るためにぼくは一挙一動に目を配らせなければならない。

 あのね、と遠見は躊躇いがちに口にしてから意を決したようにぼくを見た。


「わたし、木崎くんを助けたい」


 ふいを突かれたとはまさにこのことだろう。ぼくは反応もできずに言葉を失った。


「助けたい、って……」

「そのままの意味だよ。わたし、木崎くんを助けたい。木崎が苦しまないように手伝いたい」

「本当に、わかってるのかな。遠見さん、君が見たものは事実だ。事実をわかっていてそれを言っているのか」


 何か勘違いしているようにしかぼくには思えない。そうでなければこんな言葉は言えない。それも一般人の型を模したような少女が。


「わかってるよ。わかってる。何回も考えた。頭が痛くなるぐらい、一晩中眠れなくなるぐらいに。木崎くんが想像もつかないぐらいに考えたんだよ、ずっと。……だから、助けようと思ったの」

「わかっていない。君は勘違いをしている。これは君が助けられるようなことじゃない」

「……してないよ。わかってる。木崎くん、泉先生にキスしてたもん。わかってるよ。わかってて、言ってるんだよ」

「……気持ち悪がらないの……」

「気持ち悪くなるわけないじゃない。だって、木崎くんは好きなんでしょう? なら、気持ち悪くなんてなっちゃいけないよ。だって、好きなんだもんね」


 まるで聖女のような少女だと思った。すべてを受け止め、すべてを理解し、受け入れるのだ。そこに悪意はない。慈愛の籠った表情がそこにはある。遠見聖子は、何一つ間違ったことを口にしていない。遠見聖子は愛を否定しない。

 だが、どこかおかしい。なんだ、なにがおかしい。

 自身でも理解できない歪さに、ぼくは腹の底から湧き上がってくるものを感じた。それは吐き気だった。


「綺麗なこと、言うんだね」

「綺麗じゃないよ。当たり前のことだよ」


 遠見は笑っている。その笑みはどこまでも絶えない。


「そう。だけど、ぼくはいらない」

「…………どうして?」

「これはぼくの問題だ。君の手はいらない」


 ―― これは私の問題です。私の責任なんです ――


 一人の少女の言葉を思い出す。ぼくらは心を許す必要はない。同じだ。どこまでも。


「でも、わたし木崎くんを助けたいの。木崎くんを守りたい」

「黙ってくれればそれだけでいいよ、ぼくは」

「ううん。木崎くんは抱え込んでる。わたしにも助けられることはあるはずだよ。だって、木崎くんだけじゃなかったもの。女の子、いるよね。妹さんじゃないよね、あの子。わたし、知ってるんだから」

「知ってるから、なんだ」

「わたし、あの子よりも助けになるよ。小さい女の子よりもずっと、私は助けになる」


 これほどまでに強引な女だったろうか、遠見聖子という少女は。


「必要ない」


 ぼくは少しの苛立ちを隠しながらも拒否する。

 いずれにせよ、〝彼女〟を知った遠見の方が上手なのは確かだ。ぼくは下手に出ながらも断らなければならない。この女は、受け入れる相手ではない。

 ああ、彼女に会いたい。


「ぼくは、彼女がいなかろうと一人でだってやれる。……黙ってくれれば十分なんだ。遠見さん、君を信用して言ってるんだよ」

「そう……そうなの。なら、しかたないね」


 驚くことに、遠見聖子は潔く身を引いた。しかし、その対応は今のぼくにはとてもありがたかったと言える。


「……ありがとう。助かるよ」

「ううん、いいの。でも、わかっていて。わたし、木崎くんの味方だから。木崎くんを守るから。わたしは、わたしは、木崎くんをいつだって助けるからね」


 ぼくが頷くと、遠見は満足したように笑った。

 遠見聖子の笑みは、どこまでも清らかだった。






 ――だが。


「それで、どうしてこうなるんですか?」


 正面にいる石動に笑みはない。ただでさえ、この少女の笑みを見たのはたったの一度きりだ。ぼくはそっと目を逸らした。

 きぃ、と錆びついた鎖が悲鳴をあげる。ぼくらが集まっている公園のブランコが、通り過ぎた風に撫でられた音だった。ほとんどの遊具が撤去された公園で、石動の黒い様相は目立っていた。


「わたしがついていったの」


 遠見が言った。そこには一欠けらの罪悪感すら見当たらなかった。


「……あの人が、断ったのにですか」

「うん。助けがいらないのと、わたしが助けるのは話が別だから」


 完璧なエゴを口にする遠見の顔には、石動とは反対に笑みの仮面がある。


「だめかな」

「……私に決定権はありません。善郎さんに従います」

「……。だって。いいよね、()()くん」

「どうせ、ぼくの話を聞きもしないんだろう」

「わかってくれた、ってことはいいってことだよね? 嬉しいなぁ」


 一つ、ぼくは息を吐く。


「……遠見さんは、どうしてそこまでしてぼくを助けようとするの?」


 遠見はきょとんとした顔を見せた。初めて見た素の表情だった気がした。


「助けるのに、理由なんているのかな」

「いるよ。ぼくと遠見さんとの間に接点はない。友情関係すらない。ただの、クラスメイトだっていう、それだけの関係だ」

「そうだよね。そうだと思う。……でも、わたしはきざ……善郎くんのこと、友だちだと思ってるよ」


 不思議だ。目の前の遠見聖子という少女の言葉を聞けば聞くほど、感情を耳にすればするほど、どれだけ網目に引っかけ取り去ろうとも胸底に粘りつくような吐き気が生まれる。


「……すごいね、遠見さん。君はよく知らないただのクラスメイトを友人だと宣言できて、それでいて、助けようとまでするなんて」


 ぼくの台詞に、遠見が普通の少女のように笑った。いつもの穏やかな笑みではない。十代の少女の、溢れた感情で浮かべる笑みだ。

 「あのね、善郎くん」と遠見聖子は気持ちが収まってから口にした。


「わたし、あなたが知ってるよりもずっとあなたのことを知ってるんだよ」


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