2-3 救いはあった方がいい
「すんません! ウチの言い方が悪かったです! メリエルは現時点ではまだ聖女やないって意味やったんですぅ!」
女児誘拐をネタにしてテューロに一通り貶められた後、トリルは誤解を生んでしまった自らの発言に補足をした。
「もう少し早く言って欲しかったよ……」
「ホンマすんません……せやけど口挟める隙なかったんやもん……」
疲れた。ものすごく疲れた。罵倒と突っ込みの応酬で激しく体力と精神力を削られてしまった。
「それで、まだ聖女ではないとはどういうことなのですか?」
まるで先程の応酬などなかったかのように、話題の軌道修正をする脱線の元凶。涼しい顔をしているのが腹立たしい。
「え~とぉ……この子が予言にある『聖女と崇められし少女』なんは間違いない。せやけど、それはまだ先の話。少女が神の啓示を受けて聖女となるんは、あと十年は先のことなんよ」
「十年って……随分先の話じゃないか」
先詠みの魔女、先読みし過ぎだ。
「ウチらにしてみれば十年なんてそう大した年数やないけど、今日明日の話やないわなぁ。ちなみに聖女が神の子を産むんは、そこからさらに三十年後。メリエル四五歳ってとこやな」
「高齢出産だな!」
「晩婚なんやな。予言の神様っちゅーんは案外奥手なんかもしれへん」
四十年後の話となると、さすがに長命の魔族からしてもかなり先の話だ。今すぐに予言の内容を実行されても困るのだが、なんと言うか――童貞の俺が言うのもどうかと思うが、もう少し頑張れよ、神様。
「ここまでは魔王はんに詠んだ予言の補足やけど、もうひとつ、聖女には人生の転機になる出来事があるっちゅーことが判ってん。順序的には『神の啓示』よりも前、現在からごく近い未来にそれは起こる」
「それを阻止することが出来れば、俺の予言も変えることが出来るのか?」
十年も四十年も待ってはいられない。今のうちに打てる手があるのならば打っておきたいものだ。
「そう言いたいとこなんやけど、それが魔王打倒に関わってんのかはよう判らへんねん。判ったんは、メリエルには過酷な状況からの救済が待ってるっちゅーこと」
「救済……? この囚われの状況から、ということでしょうか?」
テューロの言葉に、全員がメリエルに注目する。
「う~ん……ウチも最初はそう思たんやけど、どう見ても過酷な状況ちゃうやろ、コレ」
確かに、託児施設でお絵かきをしているような状態がメリエルにとって過酷な状況であるとは思えない。
「判りませんよ? 態度に示さないだけで彼女は日々苦痛を感じているのかもしれません。セクハラは受ける側が不快と感じた時点で成立するものですから」
「セクハラ!? 魔王はん、こんな小さい子に何しとんの!? ま、まさか合法ロリやからゆーて、ホンマにウチのことも狙うて……!?」
自分の身体を抱き締めて距離を取るトリル。
「……違うって」
いつもは一方的に貶められるだけだが、それを鵜呑みにして反応する相手がいるとさらにダメージが大きい。力強く否定する気力もない。
しかしセクハラの事実はないにしても、メリエルが自分の気持ちを押し殺しているという可能性は考えてもみなかった。聖女と呼ばれるだけあって心持ちが強いという考えは、まだ聖女に至らないと判った今では通用しない。
「メリエルは……辛くはないのか?」
――そうだ、辛くないはずがあるものか。
こんなにも小さな子供が、親と引き離されて知らない土地で――しかも魔族と共に暮らすことを余儀なくされているのだ。辛くないはずがない。
メリエルを解放するわけにはいかないが、辛い思いをさせてまで軟禁生活を強いるのは本意ではない。何かをしてやれるわけではないが、せめて知っておきたかった。
「メリエルは家に帰りたいと……パパやママに会いたいとは思わないのか?」
帰りたいと、本当はとても寂しいのだと泣かれる覚悟はしていた。
しかし絵を描く手を止め、こちらを向いたメリエルから返ってきた答えは予想をしていないものだった。
「おうちにかえっても、パパとママはいないよ」
「え?」
「ママはしんじゃって、パパはせんそーにいってずっとかえってこないの。メリエルはおじさんとおばさんのいえでくらしてたんだけど、かえりたくないよ……」
泣き出すわけではないが、メリエルは今までに見せたことのない沈んだ表情で呟くようにいった。
「帰りたくないって……どうして?」
「だって、すぐにぶつし、ごはんもときどきしかたべさせてもらえないんだもん」
「ぎゃ、虐待やないか……!」
話を聞いていたトリルが眉をひそめ、声を荒げた。
「だからね、メリエルはおしろでくらせてとてもうれしいの。みんなやさしいし、ごはんもおいしいもん。おうちにむかえにきてくれたおじさんはちょっとこわかったけど、おじさんのいってたことはほんとうだったよ」
「? ……おかしいですね。たしか報告では聖女奪取の際、馬車を襲撃したのだと聞いていますが……」
メリエルの証言とテューロの意見が微妙に食い違っている。幼い子供の言うことなので記憶違いを起こしている可能性もあるが、何か引っかかった。
「そのおじさんは、なんて言ったんだ?」
「あのね、メリエルが『どこにいくの?』ってきいたら『とてもいいところだよ』っていわれて、ばしゃにのったの。ばしゃにはメリエルとおんなじくらいのこどもがいっぱいのってて、メリエルだけとちゅうでおろされて、ここにきたんだよ」
「そういえば、馬車には聖女の他にも人間の子供が満載されていたと報告にありましたね」
テューロは淡々と報告の内容を思い返しているが、トリルはすっかり固まってしまっている。
「人身売買じゃないのか、それって……」
「なんちゅーえげつない話やの……」
親を亡くし、引き取られた先で虐待を受け、挙句売り飛ばされるところだったというのか。
「ウチらに攫われんかったら、もっと酷い目に合っとったのかもしれへんのやな……」
幼い少女に憐憫の情のこもった眼差しを向けるトリル。
結果、メリエルは魔族に囚われることで救われたということになる。
「ん? なんかどこかで聞いた話だぞ……?」
『過酷な状況からの救済』
「メリエルの最初の予言がすでに実行されているじゃないか!!」
しかも、救い出したのはあろうことか自分たち魔族である。
「あ……あれ?」
今にも泣き出しそうなトリルの目から、涙が引っ込んだ。