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予言の聖女は囚われる  作者: ナルハシ
外伝 紅玉の王
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6 約束

 紅玉の王アルトゥナが『魔王』を名乗ってからいくつかの季節が過ぎ、いくつかのことが変化した。

 例えば、オークやスライムといった『魔物』と呼ばれていた者たちが魔王軍の傘下に加わったこと。少年は彼女が魔王を名乗ったのはその場限り、勢いだけの話だと思っていたが、アルトゥナは遠征から戻るなり魔物たちに傘下に加わるよう要請を掛けて回った。『魔物』『悪魔』などという蔑称に対して暫定魔王は妙に前向きで、汚名を晴らそうとするどころか、むしろそういった存在により近付くよう精力的に勤めていた。そして「魔物を従えるのはいかにも魔王らしかろう」と得意げに笑って見せたのだった。

 

 紅玉王の居城が『魔王城』と呼ばれるようになったのも変化の一つだ。


 魔王城の庭園、バラのアーチを潜り迷路のような植え込みの間を進んだ先に、小さく簡素な花壇がある。その前に空色の髪の少年は座っていた。

 そこは元々アルトゥナの趣味の花壇であったが近頃は公務がかさんで手が回らず、少年が代わりに花の世話と観察役を仰せつかっていた。

 しかしこの日は花壇の手入れをするでもなく、少年はただ花を見つめていた。


「こんな所におったのか、蒼穹!」


 白い上品なドレスに身を包んだアルトゥナが、ずかずかと豪快な大股で歩み寄ってきた。

「陛下」

 少年はその姿に気付くと、ズボンに付いた芝を払って立ち上がった。アルトゥナのドレスの長い裾にも芝やら植え込みの葉っぱやらが付着していたが、こちらはあまり気にしていないのか払おうとはしない。と言うより、それを気にするどころではないくらいに憤慨している。腰に手を当て、仁王立ちで立ち止まった。

「何故、宴に姿を見せぬのだ!」

「今日は内輪の者だけでの婚約披露ではないですか」

「故にお前も呼んであったのではないか! ……まだ、賑やかな場所には慣れぬのか?」

 後半は彼女にしては珍しく気遣うような口調であった。

 かつてはヒトの多い場所が大の苦手だった。不完全だが先世視の眼を制御出来るようになった今ではそれなりに慣れてきたが、まだ得意という程ではない。しかしパーティに参加しなかったのはそれが理由という訳でもなかった。

「そなたは我を祝福する気がないのか?」

「そんなことはありませんが……あなたの方こそ、こんな所にいてよろしいのですか?」

「うむ。退屈なので抜け出してきた」

 悪びれもせずに言い切った。注目の集まるパーティの主役が如何にして抜け出すことが出来たと言うのか、人知れず姿を暗ます術に呆れを通り越して少し感心してしまった。

「それよりも、こんな場所に居ようとは……我よりも花の世話の方が大事だとでも言うつもりか? ……ふむ、美しく咲いておるではないか」

 花壇に目をやって、感嘆を洩らした。少年が手入れを始めた花壇は、以前と比べると整然として調和の取れたものになっている。二人の性格の違いが花壇によく表れていた。

「花を育てるのは楽しいか? 蒼穹よ」

「はい。あなたが自分の手で花を育てていた理由も解った気がします。知識として知っているのと、実際にこの目で見るのでは感じるものが違うのですね。僕は……花はただ咲いて、枯れるだけのものなのだと思っていました」

「ふむ?」

「だけど、それだけではない。楽しませたり、和ませたり、花を咲かせることで見る者にいくつもの感情を与える。そして枯れた後も、種を残し、次の世代に繋げる。ただ枯れて、それで終わりではないのですね」

 花はただ自分の役割を果たしているだけなのかもしれない。しかし、花を見る者はいくらでもその花に意味を与えてやれる。あんなにも恐ろしいと思っていた繰り返される栄えと衰えも、花を見ていると愛おしいとすら思えるようになった。

「うむ。我もお前の言っていたことが少し解ってきた。花もヒトも同じなのだ。花を咲かせるという役割を果たし、種を残す。それは花もヒトも変わらぬのだ。……故に」

 アルトゥナは不意に手を伸ばすと、少年の頬を摘み上げた。

「世継ぎを作るのは我の役割の一つでもあるのだ! 婚儀は種を残すための準備でもあるのだ! それを軽んじて婚約披露という我の晴れ舞台に欠席するとは何事か!」

 上手く話が逸れたと思っていたが、そう甘くはなかった。

 退屈だと言って夫となる人物を置いて場を抜け出すのは、自らそれを軽んじていることにはならないのかと指摘したかったが、頬を引っ張られそれを口に出せるような状態ではなかった。

「そのようなことを大声で……下品です」

 解放された少年は赤い頬をさすりながらぽつりと呟いた。それを耳ざとく聞きつけたアルトゥナは眉を吊り上げ、またも大きな声を上げた。

「何が下品なものか! 我らは皆、女の胎より産まれ出でるのだ。よいか、お前とて始まりは女と男が揃ってだな――」

「わ、解りました! 解りましたから大声はやめてください!」

 女性としても王としても、大声で男女の営みを解説するのは如何なものかと思い慌てて制止をかけた。痛みは引いてきたが益々頬が赤くなる。

「着付けにも随分と手間が掛かったのだぞ? 我は苦労をした上に退屈な場にも耐えておったというのに、お前は一人このような所に逃げおって」

 祝福云々よりもこちらの方が本音ではないだろうか。

 着付けに時間が掛かったというのは納得出来た。普段は下ろしている黒く長い髪は編み込みや髪飾りで装飾され、いつもは控えめな化粧も念入りだ。

「時間を掛けて着飾らずとも、陛下は充分にお美しいと思います」

「ほう。素直なのは良いことだが、そのような言葉では我を誤魔化すには足りぬぞ?」

 とは言えまんざらでもないらしく、表情が僅かに軟化した。

 アルトゥナの紅い瞳に見下ろされ、少年はそれから逃げるように視線を逸らした。


「……僕は……あなたには白いドレスより黒いドレスの方が、似合っていると思います……」


 アルトゥナは目を丸くして自らの身体を見下ろし、それからもう一度少年を見た。少年は無表情に顔を赤くしたまま、目を合わせようとしない。

「なんだ、妬いておったのか」

 にやりと笑い、空色の髪を乱暴に撫で回す。少年は乱暴な手から逃れるとぼさぼさの頭を両手で押さえた。

「子供扱いしないでください」

「何を言う、いくら永く生きていようとお前はまだ子供だ」

 アルトゥナと少年とでは時の歩みが違う。いくら永い時の中で経験と知識を得ようとも、少年の身体と心は未成熟なままだ。

 縮まることない差を指摘されて、言い返すことが出来ず俯いた。その様子を見て、アルトゥナはもう一度少年の頭を撫でた。今度は泣く子をあやすような、柔らかな手付きだった。

「我はお前が大人になるのを待ってやることは出来ぬし、お前のものになってやることも出来ぬ。だが、代わりと言ってはなんだがお前に特別なものをやろう。『トゥーナ』だ」

「?」

 聴き慣れない響きに、少年は不思議そうな視線を送った。

「我のことをトゥーナと呼ぶがよい。近しい者にしか許しておらぬ呼び名だ。呼んでみよ、蒼穹」

「……トゥーナ、様」

「『様』は不要だ」

 訂正を要求され、少年はもう一度名前を呼び直した。

「……トゥーナ」

「うむ、よし」

 アルトゥナは満足げに頷いて見せたが、少年の表情はまだ晴れる様子がなかった。

「なんだ、まだ何か不満か?」

「……僕のことは、名前で呼んでくださらないのですね」

 少年の名前を知らぬという訳でもないだろうが、アルトゥナは今まで彼のことを『蒼穹』としか呼んだことがなかった。今の今まで口に出すことはなかったが、少年はずっとそのことが心に引っ掛かっていた。

「不満か? 我は結構気に入っておるのだがなぁ」

「でも……なんだか不公平です」

「そう拗ねるでない。子供のようだぞ?」

「どうせ僕は子供です」

 先程の言葉を逆手に取って、少年はふてくされてしまった。これには流石のアルトゥナも少しばかり困った顔になり、考えを巡らせて条件を提示した。

「よし、ではこうしよう。お前がもう少し面白みのある男になれば名で呼んでやる」

「どうすれば、そうだと認めていただけますか?」

「ふむ、そうだな……恥ずかしがることなく下品な冗談に付き合えるようになれば上等ではないか?」

「……あなたの言う『面白い』の定義がよく解りません……」

 相変わらずの無表情で、それでも呆れていると判る視線をアルトゥナに送った。

「それが嫌なら我が笑えと言った時に笑えるようになることだな。今ここで笑って見せれば、すぐにでも呼んでやるぞ?」

 笑うことが苦手だと知っていて条件として提示する辺り意地が悪い。アルトゥナ自身それが不可能だと解っているのか、にやにやと意地悪い笑みを浮かべている。

「どちらかが出来れば、名前で呼んでいただけますか?」

「うむ、約束しよう。しかしその暁には我の言うことも聞くのだぞ?」

「それも指標の一つですか?」

「うむ、当然だ」


 アルトゥナはこのような具合で少年にいくつもの指標を与えていった。

 それは強引で、不公平だと思えるような内容のものも多かった。


「それで良いな? 蒼穹」


 けれど生きる意味が増えていくことは少年にとってそう不快なことではなく、むしろ嬉しく思えたのだった。

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