7-3 話はしてみた方がいい
俺は、もやもやとしていた。
なんとも幼稚な表現であるが、そうとしか言い様のないほどに、頭の中では様々な感情が渦巻いていた。自分の知っている感情の名前に近いものはいくつもある。しかしそれが混ざり合って混沌とし、どの感情とも言い表せなくなってしまっている。
――戸惑い。
そう、俺は戸惑っているのだ。
昨夜トリルから聞かされた、テューロが何千年も前の初代の先詠みであるかもしれないという話。その話を聞かされてから、ずっとこの状態が続いていた。トリルとはそれから話をしていない。忙しさを理由に、その話題を故意に避けていた。
――もしテューロが先詠みだと言うのなら、あいつは、本当は……
「陛下」
「おぅあっ!?」
物思いに耽っているところに件の男に呼びかけられ、思わず妙な声を上げてしまった。
「通い妻がいらっしゃいましたよ」
言われて顔を上げると、扉の前にメリエルがちょこんと佇んでいた。いつの間にか、メリエルが遊びに来る時間になっていたようだ。
「まおーさん?」
「あ……ああ、すまない。いらっしゃい、メリエル」
不思議そうに小首を傾げるメリエルを招き入れ、平静を装う。
「それでは、私は少し用事が出来ましたので席を外しますね」
「さいしょーさん、いってらっしゃーい」
「い、いってらっしゃい……」
入れ違いに部屋を出ようとするテューロに、メリエルにつられて挨拶をした。テューロはその態度に少し不思議そうな顔をしたが、何も言わずそのまま部屋を出て行った。
緊張状態から開放され、大きくため息を吐く。
「まおーさん、なんかへん」
メリエルに言われ、ぎくりと肩が揺れる。
「へ、変かな?」
「へん! なんだかきょうのまおーさん、さいしょーさんにやさしいもん。いつもはおこってるのに……さいしょーさんとけんかしたの?」
いつもと違って優しいから喧嘩をしているのか、とは妙な言い回しであるが、メリエルにとっては二人が罵倒し合っている姿が常なのであろう。そういえば先程通い妻だとかふざけたことを言っていた気がするが、突っ込むのを忘れていた。
「けんかしたら、なかなおりしないとダメだよ?」
「いや、喧嘩ってわけじゃないんだけど……」
「さいしょーさんにおこられたの?」
一方的に気まずい気持ちになっているだけで、テューロに非はない。ないと信じたい。
「そうじゃないよ。なんて言うか……隠し事をされているような気がして、あいつのことが信じられなくなってるんだ……」
先王――テューロを懐刀として傍に置いていた父ならば何か知っているかもしれないと思い至ったが、それを尋ねに行くことはしばらく叶わない。無断外出中に暗殺されかけたことを受けて、情けないことにいい歳をして外出禁止令を出されてしまったのだ。
現在可能な方法でこのもやもやした気分を晴らそうと考えているのだが、一向に有効な案が浮かばず、思考がループし続けている。
昨晩トリルが訪ねてきた時の心境が今ならよく分かる。一人で考え続けることが辛い。解決しないと解かっていても誰かに意見を求めたくなる。そして話したところでやはり解決には至らないと思い留まり、再び思考の海に沈む。
「一人で考えていたって、何も解決しないって解かっている……だけど、俺はもう、どうしたらいいのか……」
「なんで?」
淀み続ける思考を、メリエルはたった一言で断ち切った。
「まおーさんは、さいしょーさんのことでなやんでるんでしょ? だったら、なんでさいしょーさんとおはなししないの? さいしょーさんのこと、いちばんしってるのは、さいしょーさんだよ?」
確かに、当事者のことは当事者に尋ねるのが一番手っ取り早い。
「それはそうだけど、それが出来れば苦労は……」
「なんでできないの? ちゃんとおはなしすればわかってくれるって、おしえてくれたのはまおーさんだよ? メリエルだって、サーシャちゃんとおはなしして、なかよしになれたんだよ? まおーさんにだってできるよ」
「!」
――気になるんだったら、話してみればいいさ
――判ってくれるさ。
「あ~~~……」
俺は呻きながら両手で頭を抱えると、そのままぐしゃぐしゃと髪を掻き毟った。
「ほんっと、俺ってどうしようもないヘタレだな……」
メリエルが言った言葉は、確かに俺の言った教えだ。偉そうなことを言っておきながら、自分自身はその教えをすっかり忘れていた。小さな子供でも出来たことを、俺は怖がってうだうだと悩み続けていた。
「本当に、情けない」
俺は顔を上げると、ぼさぼさの髪を直しもせず立ち上がった。
「折角遊びに来てくれたのに……ごめんな、メリエル。ちょっと、あいつと話してくるよ」
「うん、いってらっしゃい」
メリエルはにっこりと笑って、俺を見送った。
扉を開け、通路に飛び出し、走る。
そういえばテューロの行き先を聞いていなかったが、足は自然と迷うことなく動いていた。
そしてこのような場面での勘というのは案外冴えているもので、中庭の渡り廊下に差し掛かった所で見慣れた空色の背中に追いついた。
「テューロ!」
名を呼ばれ、空色は振り返る。
「はい、いかがなさいましたか? そのように息を切らして」
「ちょっ……と、どうしても……訊きたいこと、が……あって……!」
手を膝に付き、呼吸を整える。
「はい、なんでしょうか?」
テューロは肩で息をする主君とは対照的に、いつものように落ち着いた態度で応える。
「その……答えたくないなら、答えなくていい……誤魔化してくれても、構わない……」
「はい」
短く応え、主君の言葉を待つ。
俺は二・三度息を吸って、吐き、胸につかえていた言葉を吐き出した。
「お前は……お前が、初代の先詠み――……『蒼穹』なのか?!」
「はい、そうですが」
「…………え?」
悩み続けていたのが馬鹿らしく思えてくるほどに、テューロは実にあっさりと俺の問いに肯定した。




