6-4 我は通した方がいい
「何を……しているのですか、父上……?」
信じられない場所で信じられない人物の信じられない姿を目の当たりにして、俺はなんとかその問いかけの言葉だけを搾り出した。
「見て判らぬか?家畜の世話をしておるのだ。畑の方では野菜も育てておるぞ」
「いえ、それは判るのですが……」
質問を間違えた。むしろそれ以外の何をしているようにも見えない。
頭には日除けの麦藁帽、首には汗拭き用の手ぬぐい。手袋とブーツは農作業用の物であり、オーバーオールの裾はブーツにねじ込まれている。どこからどう見ても完璧な農夫スタイルだ。
問題なのは先代の魔王たる者が、何故そのような格好で農作業をしているのかということだ。
「このおじさんが、まおーさんのパパなの?」
呆然と立ち尽くす俺の足元から、メリエルがひょっこりと顔を覗かせる。
「む? そこな幼子は……そうか、そなたが噂の聖女であるな?」
グライヴの視線がメリエルに注がれていることに気付き、ハッとしてメリエルを庇うように立ち位置を変える。その動きを見て、グライヴは笑う。
「はははっ、略奪の魔王たる余に奪われるとでも思うたか? そう構えるでない。安心せよ、今の余はなんの権限も持ってはおらぬ。余のことは、ただの農家のおっさんだと思うがよいぞ」
実際のところ農家のおっさんにしか見えないのだが、尊大な態度でそう言われても、はい分かりましたとは言い難かった。
「しかし久しぶりに会ったというのに、立ち話というのもなんだな。すぐそこに余の庵がある、茶くらいは馳走してやろう。さあ、参るぞ!」
「あ、ちょ……っ、ち、父上?!」
グライヴはこちらの返事を待ちもせず、ずかずかと歩き出した。すっかりペースを掴まれてしまっている。
「どうした、早く来んか」
正直お茶に付き合っている場合ではないのだが、その強引さに逆らえず、俺はメリエルの手を引いて後を追った。
グライヴの庵は一人で暮らすには充分過ぎる広さの建物であったが、元魔王の居住としては質素でこじんまりとしたものであった。
農場との境がどこなのか分からない庭を見渡せるテラスで、俺とメリエルは茶が出るのを待たされていた。
「うむ、待たせたな」
元魔王が、ティーカップの乗った盆を持って部屋の奥から現れた。
「す、すみません、父上にこのようなことを――……」
給仕を手伝おうと席を立つが、グライヴはそれを制した。
「よいよい、客人を持て成すのは家主の役割だ。メリエル、といったか? そなたはミルクで良かったかね?」
「うん、ありがとー」
グライヴはカップを配り終えると、空いた席に腰を下ろした。
「――さて、息災であったかね?いろいろと噂は聞いておるぞ。なかなか面白いことをしておるようではないか」
「は……はぁ……」
久しぶりに会った息子にグライヴは気さくに話しかけるが、俺はどう返事をしたものか分からず、ため息のような返事をしてしまった。親子とはいえ、実際に会ったのは数えるほどしかない。しかも、こうして膝を突き合わせて話をするのは初めてのことだった。どのような態度で接するのが正解なのか判らなかった。
それに――誰が相手だったとしても、今はとても、にこやかに会話を楽しめる気分ではなかった。
「なんだ、覇気がないな。よもや死ぬ目にでも遭うて、己が信念をへし折られたか?」
「――ッ!」
そのままずばりと言い当てられ、息を呑む。
「図星か」
にやり、凶悪な顔で元魔王は笑う。
「暗殺など、そう気にすることではないぞ? 余とて、幾度となく殺されかけたものだ」
「父上も、ですか?」
意外であった。腰抜けの自分ならまだしも、歴代の中でも最も魔王らしい、魔族の王として理想的であった父ですら身内に刃を向けられた経験があるというのか。
「愚帝であれ賢帝であれ、全ての者から支持を得るというのは不可能なことだ。王の宿命というやつだな」
そう言って、一口茶を啜る。
父親として息子を元気付けるための言葉だったのかもしれないが、それを聞いてもまだ心は晴れない。
この機会に俺は、今日よりもずっと以前から心に引っかかっていたことを訊いてみることにした。
「父上――貴方は何故、王の座を棄て、俺に王位を譲ったのですか?」
王位の継承は世襲が基本だ。しかしそれはあくまで基本であって、必ずしも守らなくてはならないものではない。王にふさわしい跡継ぎがいなければ、他から選び出すことも出来たのだ。それなのに父は、戦争も政治も知らぬ末の子を王に選んだ。そこにどのような理由があるのか、己が道を見失った今だからこそ、知っておきたかった。
「うむ、そうだな。簡単に言うと……」
グライヴはそこで一旦言葉を区切り、カップを受け皿へと置いた。
「余は飽いたのだ」
「は?」
思いのほか、無責任な答えが返ってきた。
「飽きた……とは、王であることに、ですか?」
「と言うよりは、略奪の魔王ともてはやされ、奪い続けることにだな」
――判らない。多くの者に望まれた王の姿でいることに、どんな不満があったというのか。
「余は考えるのが苦手だが、なかなかに戦上手でな。周りの者が望むままに侵略をしていった結果、略奪の魔王などと呼ばれるようになった。それ自体に不満はなかったのだが、喜びもなかった。そのことに初めて気付いたのは、最初の子が産まれた時であったな」
グライヴは懐かしそうに目を細める。それは略奪の魔王などではなく、一人の父親の顔だった。
「奪うのではなく、自ら生み出すことの喜びのなんと大きいことか……もっとも、余は種を蒔いただけで、産み育てたのはその母親であるがな。それでも余はその喜びに魅せられ、幾人もの女を――」
「ち、父上! 子供の前でそういった話は……」
表現が直接的になってきたため慌てて話を遮る。幼いメリエルにあまりそういった話を聞かせたくはない、というか、誰でも自分の親の生々しい話を聞きたくはないだろう。
「おお、これはすまぬ。ともあれ子も育ち跡継ぎの心配がなくなったところで、今度は生むだけでなく、自ら育て与えることをしてみるかと考えた訳だ」
そこで現在の農夫スタイルに繋がるのか。とりあえず魔王を引退した理由と、やたらと兄弟が多かった理由は分かった。しかし、まだ疑問は残る。
「それでは何故、多くの跡継ぎ候補の中から、俺を王に選んだのですか……?」
男兄弟は皆戦争で死に、自分しか残っていなかったからだと言われてしまえばそれまでだが、それでも無理に自分の子を王にする必要はない。それに、もっと早くに――兄弟たちが死に絶える以前に跡継ぎを決めてしまうことも出来たはずだ。
「俺は、戦争を知りません。父上のような王にはなれません。それなのに、何故……」
「故にだ」
先王は短く、しかしはっきりとした口調で言った。
「お前の兄たちは皆、余に認められようと躍起になって戦に出た。結局は皆死んでしまったが……その中から選んでおれば、その者は余のような王になっていたであろうな。だが、それではつまらぬ」
グライヴは一瞬寂しそうな顔をしたかと思ったが、すぐに魔王の顔へと戻った。
「お前を王にしたのは正解であった。人間との共存などと、なかなか面白いことを考える。そのようなこと、余は考え付きも……いや、考えようともせなんだ」
これは褒められているのだろうか。だとしても、素直に喜ぶ気にはなれなかった。
「しかし、俺は――……」
「円卓の決定に背き、我を通そうとした挙句、その信念を揺るがせたと? 自分は立派な王ではないと?」
またしても考えていたことをそのまま言い当てられた。情けなくなり俯いてしまう。その姿を見て、グライヴは笑みを浮かべる。嘲笑ではなく、自嘲の笑みを。
「そうだな……与えられた命に素直に従うことが立派だと申すなら、余は相当に立派であったぞ? なにせ、自ら考えることを放棄し、言われるがままに侵略行為をしてきたのだからな」
「そのような――!」
「いや、事実だ」
グライヴは、息子に有無を言わせずに続ける。
「お前は自分で考え、周囲の反対を押し切りこの選択をしたのであろう? それだけでも、余は充分に立派だと思うぞ。王とてヒトの子だ、揺らぐこともある、結論を出せぬこともある――結構ではないか! そのような時は、分かる奴に結論を押し付けてしまえばよい! 難しいことは偉そうにしている宰相どもに任せてしまえばよいのだ!」
急に熱弁を振るいだした先王を、俺はぽかんとした表情で見つめる。
「む、無茶苦茶な……」
自分自身もすでに難しいことは宰相任せにしているため、グライヴの言い分を力強く否定することは出来ない。しかしここまできっぱりと言い切ってしまうとは無茶苦茶としか言い様がなかった。
「無茶なものか、奴らは王を補佐するのが仕事だ。全てを任せ切りにしてきた余に比べれば、お前から任せられる仕事など微々たるものであろう。故に、お前はお前のしたいようにすればよいのだ。迷うのも良い、逃げるのも良いだろう。だが、考えることは止めるな。お前は――余になる必要はない」
――ああ、そうか。
結局俺は、皆に認めてもらいたかったのだ。
先王とは正反対の道を選び、父のような王にはなりたくはないと言っておきながら、俺は心のどこかでその父に認めて貰うことを望んでいた。その辺りは他の兄弟たちとなんら変わりはない。
たった一度、理想を真っ向から否定する相手に出会っただけで、俺は全ての者から否定をされたような気になっていたのだ。
「お前は全くもって魔王らしくないが、そもそも魔王の概念など誰が決めたのだ? お前はお前の思う魔王になればよい。それでも『らしく』在りたいと思うのならば、周りなど気にせず、我を通せ。強引であるのは、実に魔王らしいとは思わぬか?」
――そうだ、父上の言うとおりだ。一度や二度殺されかけたくらいでいちいちへこんでいてどうする。
俺は――魔王なのだから!
「ありがとうございます、父上。少し心が晴れたような気がします。やはり俺は貴方のような王にはなれません……けれど、俺は貴方の望む――いえ……俺の望む魔王になってみせます」
「うむ。来た時に比べ、随分と良い顔になったではないか。善哉、善哉!」
グライヴは元魔王と父親――その両方の顔で、声を上げて笑った。




