6-3 注意はした方がいい
「このまま、って……どっちに行けば……いいんだよ……っ」
ノマのお陰で暗殺者から逃げ出すことが出来たまではよかったのが、慣れない路地で道に迷ってしまっていた。ノマはこのまま路地を抜けろと言っていたが、道が細かく入り組んでいて出口がさっぱり分からない。しかも、子供一人を抱えて全力疾走してきたためそろそろ息が切れてきた。
しかし追っ手が来ないとも限らないので足を止めるわけにもいかない。細い路地で再び襲われてしまえば、メリエルを守りきれる自信はない。
「一体どっちに行けば――」
「こっちです!」
ふいに、脇道から伸びてきた手に腕を引かれた。
「テュ――」
見慣れた空色の髪が目に入りその名を呼ぼうとしたが、すぐにその名前の男ではないことに気付いた。腕を引きながら前を走る空色は、自分の知る男と比べると随分と背が低い。
「ま――待ってくれ!」
腕を振りほどき立ち止まると、空色はこちらを振り返った。少女と見紛うほどの、整った顔立ちの少年。その瞳は髪の色と同じ――自分の知る男と同じ――空色をしていた。
「君は……誰だ? 何故俺たちを助ける――……いや、本当に助けようとしているのか?」
少年に疑いの目を向ける。祭りで賑わっている中、少年が一人で路地裏にいるのは不自然だ。子供を疑うようなことはしたくないが、先程の暗殺者たちの仲間ではないとも言い切れない。
「僕は……その、陛下を偶然お見かけして……」
「陛下? 何故民間人が魔王の顔を知っている?」
「そ、それは――……」
「もしかして、おにわにいたおにーさん?」
少年がしどろもどろに身の潔白を証明しようとしていると、意外なところから声が上がった。肩に担がれるようにして抱きかかえられていたメリエルが、首を回して少年を見ていた。
「メリエル、知ってる子なのか?」
「うんっ、こないだおにわでね――」
「わっ、わあぁ!」
身分証明をしてくれているはずのメリエルの発言を、少年は慌てて止めようとした。
「あ……ごめんなさい、ひみつだったよね」
少年の慌て様に何かを思い出したらしく、メリエルは口を噤んだ。
しかしメリエルの言う『ひみつ』という言葉には心当たりがあった。メリエルが自分に隠し事をするのは珍しいことだったので印象に残っていたのだ。察するに、少年はメリエルと出会ったことがあるが、そのことを秘密にすると約束していたのだろう。メリエルの普段の行動範囲は城の中に限られている。出会ったのが城の中であることを考えると、少年は給仕か兵士辺りの子供だろうか。
「そのっ、僕のことは信じられないかもしれませんが、今はただ、陛下の身の安全を――……」
「解ったよ、もう疑わない」
少年のあまりにも必死な様子に、毒気が抜ける。
「ですから、あの――……えっ?」
俺のあっさりとした反応に、少年が目を丸くする。
「それで、どっちに行けばいいんだ?」
歩を進め、少年を追い抜く。
「あ……えと……こ、こっちです」
少年は慌てて抜き返し、道を先導する。
「それで、君は何者なんだ?」
少年の後ろをついて歩きながら質問をした。
「ええと……それは……すみません……」
少年は少しだけ振り返ったが、気まずそうに視線を前に戻した。
「そうか。じゃあ、メリエルとどこで会って何をしていたのかも言えないか?」
「彼女とは少し話をしただけですが……詳しいことは……すみません……」
城で働く者の身内であったとしても、勝手に城内を歩き回るというのはあまり褒められたことではない。あまり情報を与えて親にばれてしまうことを恐れているのだろうか。
「まおーさん、ひみつなんだからきいちゃダメ!」
「……ごめんなさい」
メリエルに怒られてしまった。
「あはは……っ」
二人のやりとりに、少年が笑い声を漏らす。
「あ……す、すみません! ……でも、陛下とメリエルは本当に仲がいいんですね。安心しました」
「え……」
「あ、見えてきました」
どういうことかと尋ねようとしたが、間を外されてしまった。少年が路地の先を指差す。
「このまま進むと農場に出ます。その先に兵士の詰め所がありますので、とりあえずそこに逃げ込めば安全だと思います」
先に進むように促され、路地を抜けると開けた場所に出た。少年が言った通り、畑が見える。
「ありがとう、助かったよ――」
礼を言おうと振り返ったが、そこに少年の姿はなかった。
「もういっちゃったの?」
「そうみたいだ……ちゃんと礼を言いたかったんだけどな」
路地を覗き込んだが、追っ手が来る様子もない。抱えっぱなしだったメリエルを地面に下ろし、ため息を吐く。
「まおーさん、つかれた? メリエルをだっこして、はしったから……」
心配そうに見上げてくるメリエルの頭をぽんぽんと軽く叩いてやる。
「大丈夫だよ。疲れたっていうか……なんだか少し、へこんだだけだから……」
聖女が命を狙われていることは知っていた。そして自分の王としてのやり方が、全ての者に受け入れられているわけではないということも。だが、自分までも命を狙われているとは考えていなかった。
人間との共存の道は容易なことではないと覚悟していた――つもりだった。
こうして命の危機に直面し、理想を否定され、その覚悟が揺らいでいた。
そして揺らいでしまった覚悟に、自分の心の弱さを痛感させられてしまった。
「まおーさん……?」
「……うん……大丈夫だから、行こうか」
自分自身に言い聞かせるようにそう言って、メリエルの手を引いて歩き始めた。
メリエルに何事か話しかけられたが、生返事で返してしまう。心の陰りを晴らすために考え続けるが、何を考えればいいのかも纏まらない。
しばらく二人は気まずい雰囲気で畦道を歩き続けていたが、その雰囲気は唐突に一変されることになった。
「ふはははははッ! きりきりと歩くがよい、この雌豚が! 遅れれば今日の食事は水だけだぞ、雌豚共!」
「……………………ちょっと、ごめん」
考えを強制終了し、メリエルに断ってから道を逸れて農場へと侵入する。
「誰だ! 青空調教してるのは――!!」
風俗的にも子供の教育的にもよろしくない台詞を大声で叫ぶ輩に、国の王として一言注意せねばと農場に怒鳴り込んだ。
そしてそこで見た光景によって、俺は固まったように動きを止めることとなった。
「む? ……おお、誰かと思えば……久しいな――我が息子よ」
「ち、父上――?」
そこにいたのは現魔王の父にして、人間のみならず同族からも畏怖され恐怖の象徴とされていた先王、略奪の魔王グライヴその人と――……
ぶひぶひと鼻を鳴らす、ピンク色の家畜だった。




