6-2 痕跡は残さない方がいい
「まおーさん、こんどはあっちいってみよう! あっち!」
「走ったら危ないよ、メリエル」
城内で思いのほか多くの者に捜されることになっているとは露知らず、二人は城下で祭りを楽しんでいた。
二人は特別変装をしているわけでもないが、城下では魔王と聖女の正体に気付く者はいなかった。顔の判別が付くほど間近で魔王の姿を見たことのある民間人はそうそういない。聖女も人間とはいえ魔族との見た目の差異はないに等しく、よほど注意深く魔力の質を探らなければその正体に気付くことはないだろう。
果実を飴でコーティングした菓子や的当ての屋台、大道芸人のパフォーマンス。どれもメリエルにとっては目新しいものばかりで、興奮気味に俺を引っ張りまわしている。元々明るい性格の子であるが、こんなに楽しそうにしている姿は初めて見た。ここまで喜んでもらえるとは、連れてきた甲斐があるというものだ。
「……けど、さすがに少し疲れたな」
小さな頃はよく祭りを見に行ったものだが、久しぶりに来て見るとヒトの多さとその雰囲気に圧倒される。しかも、人混みの中を小さな子供を連れて歩くというのは存外神経を使う。
「少し休もうか」
「うんっ」
比較的人通りの少ない場所に手頃なベンチを見付け、メリエルにそこで待っているように促すと飲み物を買いに走った。屋台で果実を絞ったジュースを二つ買い、急いでベンチへと戻る。
しかしそのわずかの間に、メリエルはそこからいなくなっていた。
「――メリエル?」
慌てて辺りを見渡す。まばらな人混みの向こうに、細い路地へと入って行く金色の髪が見えた。
「メリエル!」
ジュースの入った容器をベンチに置き、人混みを掻き分けて路地へと滑り込む。すぐにメリエルの姿を見付け、その腕を引き寄せた。
「まおーさん?」
体重の軽いメリエルは引っ張られた勢いで身体ごとぶつかり、きょとんとした顔で俺を見上げる。しかし俺の目はメリエルではなく、路地の奥に佇む人物を睨みつけていた。
「チッ……思ったよりも早く気付かれたな」
「なんだ、お前……メリエルをどうするつもりだった?!」
振り返った男は、白塗りの道化師の面を被っていた。その姿は祭りを盛り上げる大道芸人のようだが、おそらくメリエルを油断させ連れ出すための変装だろう。メリエルを庇うように抱き締め、じりじりと少しずつ後退する。
「おっと、逃げられるなんて思わないでくださいよ」
背後から声が聞こえ振り返ると、道化師とは別の男が退路を塞いでいた。その後ろから、もう一人顔を覗かせる。路地の奥へと視線を戻すと、こちらにも一人増えていた。全部で四人――完全に囲まれた。
「まおーさん……」
震える声で名を呼んだメリエルを抱き締めた腕に、力が篭る。
「お前ら――メリエルの命を狙ってるっていう奴らか……?」
魔王打倒の運命を持つ聖女の暗殺を目論む一派の話は以前から聞いていた。これまで表立った行動を起こすことはなかったが、奴らはその機会を虎視眈々と狙っていた。そして、城から抜け出すことで自らその機会を作り上げてしまった――迂闊だった。
道化師の仮面から、低い笑い声が漏れる。
「ああ、その通りだ。だが、俺たちが受けた命令はそれだけじゃない……魔王様、アンタのことも殺すように言われてるんだよ」
「な……ッ!?」
「今の魔王は支配すべき人間と仲良くしようなんて考える腰抜けの坊ちゃんだってな……アンタのことを良く思わない偉いさんもいるってこった。ま、俺たちは仕事を頼まれただけでアンタに恨みはないけどな」
そう言って、男たちはナイフを構える。
大通りを行き交う人々は、祭りに浮かれて細い路地での出来事になど気付く様子はない。声を上げて助けを求めてみるか――?
「騒がないでくださいよ?騒げば、貴方の大切な民を巻き込むことになる」
読まれている。囲まれている上に、近くにいる全ての者が人質というわけか。
「――っ!」
「そうそう、そうやって大人しくしていることだな。このまま目立たないように――」
「目立たない方が都合がいいのか? ならば、私が派手にしてやろう」
どこからか、女性の声が割り込んできた。男たちは驚き一斉に辺りを見渡すが、声の主を見つけ出す前に、ぼんっという破裂音と共に辺りが白い煙に覆われた。
「きゃあ! な、なに?!」
「どうした、火事か?!」
路地から発生した煙は大通りへと噴き出し、異変に気付いた通行人たちがその周りで足を止める。
「すみませーん、花火の調合を間違えてしまいましてー! 火は消したので、火事の心配はありませーん!」
通行人がざわざわと騒ぎ立てる中で、先程の女性の声が一際大きな声を響かせた。
「なんだ、そうなのか」
「もう、びっくりさせないでよー」
女性の説明でパニックが広がることはなかったが、危険がないと判ると今度は野次馬の数が増えてきた。
「くっ、ま、まずい……!」
騒ぎが大きくなり、煙で姿は見えないが男たちが狼狽する様子が伝わってきた。
「くそっ! せめて、聖女だけでも――ぐぁっ!?」
路地の奥の側から、大きなものが倒れこむ音が聞こえた。
「陛下」
「――ノマか!」
気付けば背後に、褐色の肌の女性が背中合わせに立っていた。メリエルの護衛のシノビだ。
「すみません……人目が多く、行動が遅くなりました」
「いや、いいタイミングだ。助かったよ、ノマ」
相手は民間人を巻き込むことも厭わない連中だ。そのことに気付いていたからこそ、被害を最小限に留めるためのタイミングを伺っていたのだろう。
「お二人はこのまま走って、路地を抜けてください。この場の始末は、私が引き受けます」
「すまない――頼んだぞ!」
メリエルを抱え上げ、倒れた男を飛び越して路地の奥へと走る。
「おねーさんありがとう! きをつけてね!」
メリエルは抱えられた状態で礼を言い、二人は煙の向こう側へと姿を消した。
「ま、待て!」
残された男たちは煙を掻き分け跡を追おうとするが、その前に白い煙の中ではやたらと目立つ深緑の装束の女が立ちはだかった。
「なんだお前、邪魔をする気か!?」
「ふ……ふふふふ……」
ノマは顔を伏せ、肩を震わせる。女の異様な反応に、男たちはたじろぐ。
「ふふふ……おねーさんありがとうか……メリエルたんにそう言って貰える日が来るなんて……ふふふふふふ」
以前魔王に狼藉を働いてしまったことでメリエルから嫌われてしまったノマであるが、今回の活躍で少しは挽回することが出来たようだ。しかも、身を案じるような言葉まで貰ってしまった。
「な、なんなんだ、コイツは……」
そんな事情など知るよしもない男たちは、笑いが止まらないノマに恐怖を覚える。
「こうして活躍を続ければ、メリエルたんに好かれる日もそう遠くはない……さあ貴様ら! 大人しく私の功績となるがいい!」
「だから、なんなんだお前は~~~っ!?」
気合の入ったシノビの働きは、実に優秀なものだった。
煙が晴れる頃にはまるで何事もなかったかのように、路地には何も残されていなかった。




