6-1 心配事はない方がいい
いつも通りの午前が終わり、いつも通りの穏やかな昼下がり。今日も今日とて魔王の治める魔族の国は、それなりに平和であった。
平和には違いないのだが、今日は国を包む空気がいつもとどこか違っていた。城下からは絶えずヒトの声が響き、城内ですれ違うメイドたちは外の様子を気にしてそわそわと落ち着きがない。
漆黒の魔王と聖女未満の少女メリエルは中庭にいた。以前メリエルが中庭で見かけたという綺麗な蝶を二人で探しに来たのだが、そう都合良くは見付からなかった。
それならばさてどうしようかと相談していた矢先、パパンッと連続した破裂音が響いた。
「なんのおと?」
「ああ、花火の音だよ。今日は建国祭だからね」
この日は城下で建国を記念した祭りが開催されていた。本来花火は祭りの最後に一斉に打ち上げられるものだが、気の早い者が昼間から打ち上げを行うのはそう珍しいことではなかった。
「けんこく?」
「この国の誕生日をお祝いするお祭りだよ」
「おまつり!」
楽しそうな響きに、メリエルの目がぱっと輝く。
「まおーさんはおまつりいかなくていいの? くにのおーさまなのに」
「実際のところ、建国記念っていうのは民間人が祭りをするための口実みたいなものだからね。王族はあまり関係がないんだよ。そもそも歴史が古すぎて、この時期だってだけで、正確な建国日も判らないまま行われてる祭りだし……一応、祭りの終わりに挨拶するようにテューロに言われたけど、そういうの苦手なんだよなぁ……」
話しているうちに段々と愚痴っぽくなってしまったが、途中でメリエルが聞きたいのはそのような内容ではないということに気が付いた。
「もしかして行きたいのか?お祭り」
「うんっ、いきたい!」
期待の篭った肯定の言葉。しかし俺はその期待に軽く応えてやることは出来なかった。
「……だめ?」
「駄目って言うか……」
広い城の中で暮らしているとつい忘れがちになるが、メリエルは軟禁を受けている身の上である。城の中での行動には自由が与えられているが、外に出掛けるとなると自分一人の判断では許可し難かった。
とりあえずテューロに相談してみるかと考えを巡らせていると、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「魔王様ぁ~~」
聞き覚えのある不吉な声に、思わず身を隠す。植え込みの陰で身を縮めた俺のすぐ隣に、メリエルもつられてちょこんと座り込む。
「おかしいわね、確かにこの辺りに気配を感じたのに……魔王様~? どこにいるの~魔王様~ぁ?」
声は渡り廊下に沿って移動し、そのまま遠ざかっていった。
見付からずに済み、ほっと胸を撫で下ろす。
「いまのってサーシャちゃん?」
「だろうね」
メリエルは可愛らしく『ちゃん』付けで呼んだが、実際はそう可愛らしいものではない。いや、見た目だけなら確かに可愛らしいのだが、ここに来るまでに何人の兵士を薙ぎ倒してきたことか。サーシャはメリエルと同じく囚われの身であるが、襲撃事件を起こした罪で拘束されたサーシャにはメリエルと違って行動の自由は与えられていない。それにも拘らず、サーシャは魔王である自分に会うためだけに牢を抜け出し、見張りの兵士の包囲を突破しやってくる。考えようによっては一途で健気なことではあるが、問題なのはそこまでの好意を向けてくれている相手が自分と同じ性別であるということだ。
「いい加減に諦めてくれないかなぁ……」
一時的には凌ぐことが出来ても、城内にいる限りサーシャは必ず自分を探し出すだろう。毎日のように繰り返される攻防に疲れ果て、ため息が漏れる。
ふと、隣にいるメリエルと目が合った。
「お祭り……行ってみようか?」
「うんっ、いくー!」
メリエルに魔族のことをより知ってもらうためには、城下の暮らしを見せることも重要だろう。そう考え、祭りに連れ出してみることにした。
決してこれはサーシャの探索から逃れるための口実ではない――……とは、自信を持って言い切ることは出来ないのだが。
「変ね……本当にどこに行っちゃったのかしら」
探し人はすでに城内から逃亡を図ったものとは露知らず、サーシャは未だ愛しき魔王を探し続けていた。
ヒトの恋路を邪魔する障害(という名の哀れな見張りの兵士たち)を乗り越え想い人を訪ねに行ったのだが、玉座の間にも執務室にもその姿はなかった。普段ならば簡単に見つけ出すことが出来るのだが、今日に限って気配を探りながら歩き回っても一向に見付けることが出来ずにいた。
痺れを切らし、とりあえず目に付いた人物に魔王の行方を尋ねた。
「ちょっとそこの貴方、魔王様見なかった?」
「はい?」
声を掛けられた白衣の男が振り返る。
「げっ、アンタは……!」
「おやぁ、君は……」
お互いの姿を見とめ、二人は同時に声を上げた。
「エ、エドワルド……!」
「違いますよぉ。ボクはレノンです」
先頃の襲撃事件の犯人であるサーシャと、その犯人捕縛に貢献したかつては『染血の死霊使い』と呼ばれていた男、レノン。襲撃事件以来の再会であった。ちなみにエドワルドとはその時にレノンが操っていた屍人の名である。
「なんでアンタがこんな所に!?」
「どちらかと言うと、それはボクの台詞だと思うけどなぁ」
囚われの身であるはずのサーシャと、常勤の医者であるレノン。どう考えてもこの場にいることが不自然なのは前者である。
城内で一騎当千の実力を誇るサーシャであるが、ほぼ唯一と言える天敵との遭遇に一歩後ずさりした。
「な、なによ……また骨を操って私を捕まえようって言うの……?」
レノンは何も言っていないのだが、考えが先走りしてしまい、冷や汗を流しながらじりじりと後退していくサーシャ。彼が操る屍体に絡みつかれた経験が、よほど恐ろしい記憶として刻み込まれているらしい。
「そんなことしませんよぉ。ボクは一介の医者ですから、君を捕まえるのは兵士さんにお任せします。あの時は特別でしたが、基本的に屍を操るのはボクにとっては不本意なんですよぉ。それに、陛下の理想に賛同する身としては、むやみやたらと人間と争いたくもないしねぇ」
「そ、そうなの……?」
魔王の名が出たことでサーシャの警戒心が少し薄らいだ。
「はい、リリアナさんに誓って」
「リリア……誰?」
「リリアナさんです。見ますぅ?」
にこやかにそう言って、レノンは先程から大事そうに抱えていた壷を軽く持ち上げた。
壷の中に収まるほどのものだとすると、ネズミなどの小動物だろうか。虫だったら嫌だなと思いつつも好奇心が勝り、サーシャは恐る恐るレノンに近付くと、壷の中を覗き込んだ。そして――……
「い……ッッやあぁぁぁぁ~~~!!」
虫よりも遥かにおぞましいものを壷の中に見て、悲鳴を上げながら走り去っていった。
「別に噛み付いたりしないのになぁ……」
心外だというように呟いて、骨壷の蓋を閉めるレノン。屍体を操る男が言ってもあまり説得力はない。
「何事ですか?」
悲鳴の主を目で追いながら、サーシャとすれ違いに空色の髪の男が歩いてきた。
「やぁ、テューロさん。テューロさんも見るかい?」
「ああ……大体判りました。見ないのでしまっていて下さい」
嬉々として壷の蓋を外そうとするレノンの姿を見て、テューロはサーシャの悲鳴の理由を察したようだ。はっきりとした口調で申し出を拒否する。
「それよりもレノン、陛下を見ませんでしたか?」
「魔王様かい? 見てないねぇ。そういえばさっきのコも陛下を捜していたようだけど……君と一緒じゃないなら、メリエルちゃんと一緒なんじゃないのかい?」
この時間帯、魔王はメリエルの遊び相手をしていることが多い。そのことはテューロも分かりきっているが、二人揃って姿が見えないからこそ目撃情報を求めたのだ。
「彼が捜して見付けられないとなると、城の中にはいないのかもしれませんね」
テューロの言う『彼』とはサーシャのことである。日々その高い探索能力を駆使して魔王を捜し出し、アタックを仕掛けているサーシャですら見つけ出せないでいる。となると、よほど上手く隠れているのか、あるいは魔力を感知出来る範囲内にいないという可能性が高い。
「そうだねぇ、もしかしたらお祭りを見に行ったのかもしれないねぇ……急ぎの用かい?」
「ええ、良くない話を耳にしましたので……――少し、留守にします。もし陛下を見かけたら、近衛兵に報告をして下さい」
そう言うとテューロは早足でこの場を去っていった。
「あれで、テューロさんも結構心配性だよねぇ」
空色の宰相の背中を見送り、レノンは呟く。
(しかし……)
テューロの言った『良くない話』が気になる。宰相自ら捜しに出るなど、よほどの火急の用件であるようだ。
(何事もなければいいのだけど)
気にはなるが、ここで考えていても仕方がない。そろそろ仕事に戻ろうかと考えたところで、ぱたぱたと小走りで駆けてくる足音が聞こえてきた。赤紫の巻き髪を揺らしながら、黒い帽子とローブ姿の少女が駆けてくる。
「あ、レノン! 陛下見ぃひんかった?」
この短時間で、三人に同じ質問をされてしまった。
「今日は陛下のモテ日だねぇ」
ねぇリリアナさん、とレノンは抱えた壷を軽くひと撫でした。




