5-5 本能には忠実な方がいい
「あ、メリエルが動いたで」
渡り廊下でトリオ漫才染みたやりとりを続けていたトリルは、鐘の音を合図にしたように移動を始めたメリエルの姿に気付いた。
「ああ、そろそろ魔王様の所に行く時間だからな」
頭の痛みに目を潤ませながらノマが言った言葉に、レノンが感心する。
「毎日遊びに通っているのかい? メリエルちゃんもマメだねぇ」
「魔王様が羨ましい限りだ」
立場上、ノマはメリエルと遊びたくとも堂々とそれをすることが出来ない。本当に羨ましそうだ。
「私も行かなくては」
メリエルの行き先は分かっているが、だからと言って目を離す訳にはいかない。護衛の任務に戻るべく、ノマはメリエルの後を追った。
「おー、しっかり働いてきぃ!」
「ああ、まかせろトリルたん! またな!」
トリルに向かってぶんぶんと手を振り、しばらく走ったところでノマは突然姿を消した。このようなところだけはシノビらしい動きをする。
「ボクには挨拶なしかい」
「まぁ、あの女がアンタに礼儀正しゅうても、きっしょいだけやろ? ……さて、ウチらも行くか」
「それもそうだねぇ」
残された二人は書庫へと向かうべく、連れ立って歩き始めた。
「ところで、トリルさんの調べ物って何だい? ……あ、それも訊かない方がいいのかなぁ?」
トリルは一般人には閲覧を制限されている本に用事があると言っていた。もしかするとその調べ物の内容自体も、一般人が尋ねていい内容ではなかったのではないかとレノンは思った。
「別に構へんけど……せやな……ウチがやってることの意味と、ウチが存在する意味……かな」
トリルの答えを聞いて、レノンは首を傾けしばらく考える。
「……哲学かい?」
「ま、そう思といてや」
玉座の間へと向かうメリエルは、見慣れた扉の前を通り過ぎて歩いてくる集団と出くわした。給仕服を着たサーシャと、それを捕縛し連行する疲れきった表情の兵士たちだ。
「あら、聖女様。魔王様だったら、そこじゃなくて執務室の方にいるわよ」
「うん、ありがとー!」
サーシャに手を振って礼を言うと、メリエルは玉座の間の扉を通り過ぎ執務室へと向かった。
「こんにちわー、まおーさーん!」
ノックと一緒に呼びかけ、執務室の扉を開く。
「あっ……いらっしゃい、メリエル」
魔王は一瞬何かに驚いた素振りを見せたが、すぐに笑顔で小さな訪問者を迎え入れた。
何故か着衣が乱れているが、メリエルは意に介さず魔王に抱き付く。
「おや、まだこちらにいらっしゃいましたか」
開け放たれたままの扉からテューロが顔を覗かせた。
「さいしょーさんもこんにちわー」
「はい、こんにちは。今日も元気そうですね」
テューロはメリエルと挨拶を交わすと、そのまま部屋に入り抱えていた書類の束を机の上へと置いた。
「テューロ、お前……っ」
「私のことよりも、今は彼女のお相手をして差し上げては? 折角訪ねてきてくださったのですから」
魔王は恨めしそうにテューロを睨みつけるが、テューロはそれをさらりと受け流す。その態度が気に食わないが、彼の言うことも一理ある。テューロに文句を言うことはいつでも出来るが、メリエルの相手をしてあげられるのは日に時間が限られている。何より、期待に満ちたキラキラとした瞳で見つめてくる少女を無視することなど到底出来そうになかった。
文句を飲み込み、メリエルへと話しかける。
「今日は、何をしてたんだい?」
「あのね、きょうはすうじのおべんきょーをしたの。メリエル、ひゃくまでかぞえられるようになったんだよ。せんせーにね、えらいねってほめられたよ」
「へぇ、すごいじゃないか」
興奮気味に話すメリエルの頭を撫でて褒めてやると、えへへと誇らしげに微笑んだ。
「えっとね、それから、おひるにはキノコのオムレツをたべたよ。それからね、おにわにキレイなちょうちょがいたの」
「うん、他には?」
「それからね、それから……あとは、ひみつ」
「ん?」
その日に何があったのか報告し合うのが二人の間の暗黙の約束事になっているが、メリエルがこのように隠し事をするのは初めてだった。
「なんで、秘密なんだ?」
「やくそくしたから。だから、まおーさんにもひみつなの」
子供とはいえ、彼女にもプライベートはある。どこの誰とのどんな約束なんだ、とは訊くに訊けなかった。
「嫉妬ですか?」
「ち……っ! ……がう、とも言い切れないな……」
テューロの言葉を力強く否定できない。パパ大好きと懐いていた素直で可愛い娘が成長と共に離れていってしまった父親の気持ちというのはこういったものであろうか、と魔王は考える。
「まおーさんはなにしてたの? ずっとおしごと?」
「う……うん、そんな感じ……」
少し慌てた様子で、思い出したように着崩れたままだった服を直す。仕事以外にも何かはあったのだが、その内容をまだ子供のメリエルに報告することはできなかった。隠し事に関して人のことは言えず、ますます追究することは出来なくなってしまった。
「さいしょーさんもずっとおしごと?」
「ええ、私もそんな感じです。陛下と貴女をお守りするための方法を考えていました」
魔王とサーシャを置いて逃げるための口実だと思っていたが、一応本当に警備体制の見直しはしていたらしい。
守ると言えば――魔王は、先程メリエルの護衛のシノビの話をしていたことを思い出した。
「そういえば、メリエルは護衛のシノビのヒトには会ったことあるのか?」
「んー? ……よくわかんない」
護衛対象であるメリエル自身ならばシノビの姿を目にしたことがあるかもしれないと考えたが、当てが外れてしまったようだ。どうやらそのような人物がいることにすら気付いていない様子である。
「シノビに会いたいのですか? 呼べば出てくるかと思いますが…」
「そうなのか?」
ここまで姿を見せないとなるとそう簡単には会えないものなのだと思っていたが、そうでもないらしい。
「そうですね、彼女を試す意味でも、一度呼んでおいた方が良いかもしれません……少し、よろしいでしょうか?」
そう言うとテューロはメリエルを呼び寄せ、何事か耳打ちした。
「メリエルがいえばいいの?」
「はい、お願いします」
メリエルは小走りで魔王の傍に戻ると、その袖を掴み、息を大きく吸い込んだ。
「たすけてー! おかされるー!」
考えてみれば、テューロがこそこそ耳打ちをしてまでメリエルにまともなことを言わせるはずはなかった。
「お前は子供に何を言わせてるんだ!!」
「メリエルたんに何をしている!?」
魔王の怒号に女性の声が重なった。
「たん? ――ふぎゃっ!?」
声の主を探そうと首を回した瞬間、どこからか降ってきた人物に魔王は押し潰された。うつ伏せに倒され、首元に刃物を押し当てられる。
「無事か、メリエルたん!?」
「あっ、メイドのおねーさんだ」
いつもと格好は違っているが、メリエルにはその人物の姿に見覚えがあった。
「ノマ、陛下に手を挙げてどうするのですか」
「え? ……あ、わぁ!? も、申し訳ありません!! つい……!」
テューロの言葉でようやく自分が下敷きにした人物の正体に気付き、慌てて飛び退く。
「減俸ですね」
「テューロ様!? ひ、卑怯ですよ、あんなこと言われて私が黙っていられるはずないと知っていながら…!」
「まおーさんにひどいことしちゃダメ!」
「ひっ……! メ、メリエルたんまで……うぅ……っ」
減俸宣告よりもメリエルに叱られたことの方がショックが大きそうだ。両手を突いてうなだれてしまった。
解放された魔王はゆっくりと起き上がると、狼藉を働いたノマではなく彼女を呼び寄せたテューロの方を睨みつけた。
「テューロ……お前、こうなると判っててメリエルにあんなこと言わせたのか……?」
「彼女を試すつもりだったのですが……まさかこれほどまでに本能に忠実だったとは」
「誰彼構わず蹴り倒すのがシノビの本能なのか?!」
正確にはシノビの本能ではなくノマ個人の性癖による行動なのだが、魔王がそのことに気付くのは少し時間が経った後の話である。
そんな感じで少しずつの変化は起きつつも、今日も大体いつも通りの一日だった。
5話終了。




