5-2 事情は聞いた方がいい
魔王が執務室で叫び声を上げていたその頃、メリエルは一人中庭にいた。
城にはメリエルと同年代の遊び相手がいないため、大人に構ってもらえない時は一人遊びで時間を潰すしかないのだ。それでも充分に楽しそうであり、今日は蝶を追いかけて中庭を走り回っている。
そして、そんなメリエルを遠くから見守る影がひとつ。
その影こそが、メリエルを護衛するシノビであった。
身を潜め、護衛対象から一定の距離をとって有事に備えているが、いつもこのようにこそこそとしている訳ではない。普段は世話係のメイドに扮し、すぐ傍で堂々とメリエルの監視を行っている。実は魔王とも何度か顔を合わせているが、その正体には気付いていないだろう。陰と陽の姿を使い分け、その正体を悟られずに任務を遂行することがシノビとしての基本である。
しかしこの日は事情があって、専ら陰の姿での監視に徹するしかなかった。
――用意していた給仕服が消えていたのだ。
変装は得意とするところであるが、それは事前の準備があって可能になるものである。さすがに無から有を生み出すことは出来ず、仕方なしにシノビの姿で監視を行っている。
闇に溶け込み草木に紛れる深緑の装束。短く切り揃えられた髪はその装束よりも淡い、若草色をしている。機能的で飾り気のない格好をしているが、大きく開かれた胸元から覗く褐色の肌が女性らしさを強調している。
姿を隠し、気配を消し、感情を殺す――心に刃を乗せ、忍び、人知れず任務をこなす。それが、彼女がシノビたる所以だ。
「相っ変わらず子供を見る目が不審者染みとんなぁ、ノマ。顔、緩みまくっとるで?」
しかし、全てが表に出てしまっていたらしい。声を掛けられてしまった。
ノマが声のした方へと顔を向けると、そこには黒い帽子とケープを身に着けた、赤紫の巻き髪の少女の姿があった。
「あ、トリルたん」
「だーれーがッ、トリルたんや! トリルさん言え! 年上ナメとんのか?」
訛りのある口調でそう言ったのは先詠みの魔女と呼ばれる宮廷占い師、トリルであった。外見は幼い少女そのものであるが、実年齢は年長に見えるノマよりもかなり上である。魔族的には結構微妙なお年頃だとのことらしい。
「そんな、ナメてなどいない! 私にとっては実年齢よりも見た目が大事なんだ。だからロリババァであろうと、愛らしいトリルたんのことはそれらしくトリルたんと呼んだまでだ!」
「堂々ときしょい宣言すな! ……つーか今、ババァ言うたか?」
こめかみに青筋をたて、抱えていた本の角で殴りかかろうとするトリル。手で頭をガードしながら、慌てて取り繕う。
「ま、待て待て! ほら、怒ると可愛い顔が台無しだぞ? いや、怒ったトリルたんも可愛くていいけど!」
「だから、きしょいフォローを入れんなっちゅーねん! ……もぉええわ、そんなことより」
本を収め、中庭で走り回る少女の方へと目をやる。
「ちゃんとメリエルのことは守っとんのか? 聞いたで。こないだの襲撃事件の時、メリエル、魔王はんを追って門まで出てきてしもうたそうやないの。なんで止めへんかったんや?防げる危険は未然に防がんかい」
「う……す、すまない……」
職務怠慢を指摘され、気まずそうにうなだれるノマ。
「ウチに謝ってどないすんねん。まぁ、ウチはその場に居らんかったから状況がよぉ判らんし、何か止められへん事情があったんかもしれんけどな」
思いのほか自分の失態に落ち込んでいるようなので、トリルは少し優しい言葉を付け足してやった。
「自分でも猛省している……あの時は、泣きそうな顔で魔王様を追いかけるメリエルたんの一所懸命な姿に見蕩れてしまって、つい行動が遅れてしまったんだ……!」
「思いのほかしょーもない事情やったな!」
こんなシノビにメリエルの護衛を任せていて良いものなのかと、一抹の不安を覚える。やはり一発殴っておこうと、トリルは持っていた本を再び振り上げた。




