5-1 見直しはした方がいい
先日の襲撃事件から数日後、漆黒の魔王が治める魔族の国はそれなりに平和を取り戻していた。
魔王の傍には二人の人物がいた。
一人目は空色の髪と瞳を持つ宰相、テューロ。
もう一人は将来聖女と呼ばれる運命にある人間の少女、メリエル――と、普段ならばそう言うところであるが、今日はまだ時間が早いためメリエルはまだ姿を見せていない。
代わりにそこにいる人物は――……
「なんでここにいるんだ、アレックス?」
「もう、魔王様ってば……サーシャって呼んでって言ったでしょ?」
先日の襲撃事件を起こした張本人、アレクサンドル――愛称アレックス――本人曰くサーシャ、であった。
「……サーシャ……なんでここにいるんだ?」
本人の希望通りに呼び直して、もう一度同じことを尋ねる。
「もちろん、愛しい魔王様に会うために決まっているわ」
身体をくねらせ、悪戯っぽく微笑むサーシャ。
本来、サーシャは魔族に囚われた聖女の奪還を目的として、魔王城へとたった一人で襲撃を仕掛けた身であった。相手は一人であるにも拘わらず、魔族は襲撃者の捕縛には随分と苦戦を強いられた。その後、誤解に誤解を重ねた末に、サーシャは敵であったはずの魔王に好意を抱くという結末に落ち着いたのである。
銀色の長い髪、大きな瞳と長い睫毛、白い肌、華奢な手足。そのような容姿の女性に言い寄られたとあれば、正直悪い気はしない。だがそれはあくまで相手が女性であった場合に限る。
自分に好意を抱き言い寄ってくる美しい女性に見えるこの人物は、生物学的には正真正銘、男性である。
「また見張りを倒して、牢から抜け出したのか」
最初に投獄されてから今日まで、サーシャは幾度となく脱獄を繰り返し続けている。そのたびに兵士たちはサーシャを取り押さえて再び投獄、警備体制の強化に当たっている。
「あの程度、愛の前では大した障害ではないわ!」
丸腰であるにも拘らず、サーシャはあっさりと牢を抜け出してやって来る。毎度、障害として薙ぎ倒されてしまう兵士たちが不憫でならない。
「いっそ牢から出してしまった方が、被害が少なく済むのでは?」
魔王に好意を抱く以上、サーシャに魔族と敵対する意思はない。見張りの兵士たちのことは、あくまで自分と魔王の間を隔てる壁のひとつとしか思っていないことであろう。被害を最小限に留めるには、テューロの出した案が有効であると言える。
「だが、それだと俺の身が……!」
サーシャ投獄初日の夜這い未遂事件が完全にトラウマになってしまっている。いずれも未遂で終わっているがその後も何度か似たようなことがあり、最近は安心して眠れない夜が続いている。
「大義を為すための小さな犠牲は付き物です」
「犠牲になるのは俺なのか?! 何かおかしくないか?!」
兵士たちには申し訳ないが、俺にとっては深刻で大きな問題である。
「でも、ここの警備って緩いわよね。私でも突破できちゃうんだもの」
ちなみに城内及びその周辺の警備体制は最高レベルである。丸腰の状態で歴戦の兵士たちを薙ぎ倒すサーシャの戦闘力が異常なのだ。
「そういえば私がここに攻め込んだ時も、聖女様ってば一人でノコノコ出てきちゃってたし。守るって言ってた割に護衛もつけていないの? 聖女様を連れ出そうとした私が言うのもなんだけど、無用心過ぎない?」
「いや、護衛はついているはずだよ。俺も実際に会ったことはないんだが、シノビといって、姿を隠し任務を遂行することに特化した者がいるらしい」
「でも、聖女様が危険に晒されたっていうのに、あの時は何もしてなかったじゃない?」
言われてみれば、それらしい人物は見当たらなかった。姿を見せないどころか行動を起こした気配もなかったのはどういうことだろうか。その疑問に答えたのは、この場で唯一そのシノビの存在を知るテューロだった。
「彼女の任務は聖女の逃亡を阻止することと、その命を守ることですから。多くの兵士がいたあの場では、自分の出番はないと判断したのでしょう。……しかし、もしも護りが破られ襲撃者が聖女に手を掛けていれば、その瞬間に行動を起こしていたと思いますよ」
「へぇ、女のヒトなのか」
シノビの情報をまったく知らなかったので純粋な興味からの呟きだったのだが、サーシャに睨まれてしまった。
「ちょっと魔王様、私以外の女に興味持っちゃ嫌よ」
「お前は女じゃないだろう……」
嫉妬されても、その嫉妬を受け止めきれないので困る。
「……あ、そうだ。俺からも聞いておきたいことがあったんだ」
「なになに? 何でも聞いて」
自分に興味を向けてくれたことが嬉しいのか、サーシャは一気に機嫌を良くしたようだ。
「いや……聖女の予言のことなんだが、サーシャはどうやってそれを知ったんだ? 人間にその情報が伝わっているとなると、そろそろ動きがあってもおかしくないと思うんだが……」
「ああ、そのことだったら心配ないと思うわ。国からの正式な発表じゃなくて私が独自のルートで仕入れた情報だから、軍が動くことはないはずよ」
尋ねたところで人間側の情報を話してくれるのか疑問であったが、サーシャは実にあっさりと答えてくれた。好意を持たれるのは困るが、こういった質問に正直に答えてもらえるのはありがたい。
「独自のルートって?」
「辻占いよ。銀三枚で占ってもらったの」
銀貨三枚で優れた未来予知能力を持つ先詠みの魔女と同等の能力を発揮した辻占い師も恐ろしいが、一介の占い師の言うことを信じて単身敵地に攻め込んできたサーシャはさらに恐ろしい。ともあれ警戒は怠らないに越したことはないが、今すぐにどうこうなってしまうという心配はなさそうだ。
「そうか……あともうひとつ、さっきから気になってることがあるんだが……」
ちらりとサーシャの服装へと目をやる。
「なんで、給仕服なんだ?」
どこから調達してきたのか、サーシャは城付きメイドの給仕服を着ていた。
「だって、閉じ込められっぱなしで替えの服がなかったんだもの。その辺から適当に借りてきちゃった。でも、結構似合ってるでしょ?」
くるりとその場で一回転すると、長いスカートが風を孕んでふわりと舞った。確かに似合ってはいるが、何故当然のように女物を選択しているのか。
「それに、魔王様こういうの好きかと思って」
そう言いながら、ブラウスのボタンを外しにじり寄ってくる。
「な、なんで脱ごうとしてるんだ、お前は痴女か! ……あー、違う、痴漢か!」
席を立ち、近寄ってくるサーシャとの間に一定の距離を保つ。問答無用に体は拒絶反応を起こすが、未だに見た目と実際の性別のギャップに脳が混乱を起こす。
「それでは、私は失礼させて頂きますね」
「俺を置いて逃げる気か?!」
絶妙に悪いタイミングで部屋を出て行こうとするテューロ。
「私にもやらなければならないことがありますので。それに、警備体制の見直しもせねばなりません……陛下のためにも」
「う……っ!」
身から出た錆だというのか。
「――って、目の前の俺の危機は無視なのか?!」
危うく丸め込まれるところであったが、何か色々とおかしいことに気付く。
「陛下の御為……仕方のないことなのですよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、本当に待ってくれ、頼むから!」
やはり色々とおかしいが、必死の懇願も虚しくテューロは二人を残して部屋出て行ってしまった。
その好機を、サーシャが逃すはずはなかった。




