4-6 垣根は越えない方がいい
次々と運ばれてくる書類にひたすらサインをし続けること数時間、ようやく書類の山から解放され自室に戻った俺は、真っ直ぐベッドへと向かうとその上に倒れこんだ。
――疲れた、ものすごく疲れた。
しかし不思議と心地の良い疲れだ。目を閉じると、すぐに眠りへと引き込まれた。
――ギシッ……
ベッドが軋む音と体にのしかかる重みに、ぼんやりと覚醒する。
ゆっくりと目を開けると、闇の中に浮かぶ白っぽいシルエットが目に映った。
「あら、お目覚めかしら?」
白い影が聞き覚えのある声を発する。
「その声……――サーシャか?!」
声の主は昼間に襲撃事件を起こし、地下牢へと入れられたはずの人物だ。こんな所にいるはずがない。
有り得ない人物の登場に一気に目が覚める。慌てて起き上がろうとするが、身体が動かない。見えない鎖で身体を拘束されている。
「暴れられると面倒だから、魔術で身体の自由を奪わせてもらったわ」
「どうやって牢を抜け出したんだ……? それに、見張りの兵もいたはずだ」
襲撃者を簡単に王の私室へ通してしまうほど、城内の警備体制は甘くはないはずだ。
くすりと影が笑う。
「あの程度で私をいつまでも縛り付けておけるなんて思ってたのかしら? 見張りには少しの間眠ってもらっているわ。剣がなくたって、この程度のことは出来るのよ」
暗闇に目が慣れてきたのか、身体の上に馬乗りになった影の輪郭が少しはっきりしてきた。確かにあの青白い光を放つ、魔族の生命力を奪う剣は持っていないようだ。牢に入れられる際に剥ぎ取られたのか鎧は着ていない。白いワンピースに白い肌、銀色の髪が闇に浮かび上がり、微かに発光しているかのように見える。
「何のつもりだ……?」
捕まった振りをして、隙を見て魔王の命を狙うつもりだったのだろうか。だとするとかなり不利な状況だ。魔術で拘束された上に、マウントポジションを取られている。城内の者が異変に気付くまでは助けも来ない。
音のない暗闇に、二人の声だけが響く。
「この状況で判らないかしら……夜這いに決まってるでしょ?」
「そうか、よば――……夜這い?!」
危機的な状況を脱することで頭がいっぱいで危うく聞き流すところであったが、魔王の命を狙おうとしていたはずの襲撃者から信じられない言葉が飛び出してきた。
「な、なんでそんなことを……?!」
あまりの出来事に声が裏返る。
「だって私、貴方のこと気に入っちゃったんだもの」
魔族と人間の共存に理解を示し、その理想を口にした相手に好意を持ったということなのだろうか。だとしても、敵対し殺そうとまでした相手と肉体関係を結ぼうなどと思うだろうか。
「私、あんなに情熱的な告白されたの初めてだったわ……」
「話が見えてこないんだか……」
告白されたと主張するが、まったく身に覚えがない。
「あの男が言ってたじゃない……私としたいんでしょ? それって、私のことを真に愛しているってことでしょう?」
「あ、あれか!」
捕らえたサーシャの処遇を決める際、テューロが口にした聞く者に妙なイメージを植えつける発言の数々。あの時テューロはオークとスライムを使った陵辱は冗談であると言ったが、それ以外の発言をサーシャは信じ込んでしまったらしい。
しゅるしゅると衣擦れの音がする。
「ちょ……っ! ぬ、脱いでるのか?!」
「あら、服は着たままのほうがお好み?」
自分の服を脱ぐのを中断して、今度は俺の服へと手を掛ける。
「いや、待……っ! 駄目だって! 俺、童貞だし!」
「大丈夫よ、私も初めてだから」
全く意味を成さない会話。
――まずい、かなりまずい。
意味合いは変わってしまったが、危機的な状況であることには変わりがない。このまま魔王と襲撃者が事に及んでしまったとなっては、その後どんなことになってしまうのか分かったものではない。特に、テューロに何を言われることか。
――どうあってもそれだけは避けなければ!
このような状況に免疫がないのでかなり困難ではあったが、なんとか自分の身体と魔力の流れにのみ意識を集中させた。
サーシャの術式を読み解き、身体を拘束する不可視の鎖を引き千切る。
「――な……っ!?」
「悪いけど、これでも魔族の王なんでね……この程度のことは出来るんだよ!」
自由になった身体を勢いよく起き上がらせると、弾みで二人ともベッドから滑り落ちた。サーシャに体勢を立て直される前に覆いかぶさり、右手と左肩を押さえつける。
そのタイミングで、部屋の扉が開かれた。
「陛下、ご無事ですか――!」
ランプの明かりが部屋の中を仄かに照らす。
異変に気付いたテューロが王の無事を確かめに来たようだ。テューロは主君の置かれた状況を目の当たりにすると
「お楽しみ中でしたか、失礼を致しました」
気を使って扉を閉めようとした。
「待て待て待て! 違う! これは正当防衛だ!!」
「やだぁ、魔王様ってばそんなとこ触って……大胆なのね」
組み敷かれたサーシャが艶かしい声を出す。
「君もそうやって誤解を深めるようなことを――!」
しかし視線を落としてみて、愕然とした。肩を押さえつけたつもりであった右手は、サーシャの胸を押さえつけていたのだ。
では何故、胸ではなく肩を押さえていたと思い込んでいたのか――答えは、そこに女性特有の弾力がなかったからだ。
「お――男ぉ!?」
はだけた胸元から覗くものは、自分のものと同じ平たい胸だった。
「一向に聖女に手を出すことをしないと思っていましたが……そのようなご趣味でしたか」
大して驚いた様子もなく、主君の性癖について納得したという態度のテューロ。
「いろいろと誤解だ! まさかお前、サーシャが男だって知ってたのか!?」
「ええ、牢に入れる際に行った身体検査の報告を受けていましたので」
しれっと言ってのける。
「魔王様……」
「うわっ!」
押さえられていない方の手で首筋を撫でられ、弾かれるようにサーシャと距離を取った。
「なんで拒むの? 私が人間だから? 人間だから魔族だからっていうのは終わりにしたいんだって言ってたじゃない」
「言ったけど! 確かに言ったけど、そういう問題じゃない!」
瞳を潤ませるその顔はどう見ても可愛い女の子にしか見えないが、その胸元が現実を知らしめてくる。暗闇でその姿が見えなかったとはいえ、少し興奮してしまった先程の自分を殴ってやりたくなった。
軽く眩暈を覚えた一瞬の隙をつき、サーシャは距離を詰めて抱きついてきた。
「大丈夫よ、愛があればどんな問題も乗り越えられるわ!」
「全然大丈夫じゃない!!」
引き剥がそうとするが叶わない。完全に男の腕力である。
「危険はなさそうですので、私は戻りますね」
「俺の貞操が危険だから! 一人にするな!」
部屋を出て行こうするテューロに必死で助けを求める。
「見られないと興奮しないのですか?」
「それも違う!!」
魔族と人間の垣根はいつか越えたいと思っている。
しかし、性別の垣根までも越えてしまうつもりはない。今のところ、永遠に。
騒ぎを聞きつけた兵士が部屋に駆けつけてくるまでサーシャとの攻防は続き、騒ぎが収束したのは日が昇り始める頃だった。
4話終了。




