3-2 考えは浅い方がいい
メリエルが私室としてあてがわれている部屋に運び入れられてから数分が経過した。
始めのうちは部屋の前をうろうろと落ち着きなく往復していたのだが、テューロに
「子の誕生を待つ夫のようですね」
と言われてしまい、現在はメイドに用意してもらった椅子に腰掛けている。
それでも落ち着かず指を組んだり解いたりしていると、扉が開き、白衣と眼鏡を身に着けた男が部屋から出てきた。
「メリエルはどうだった?」
反射的に席を立ち、尋ねた。
「そう心配することはないですよぉ、陛下。ただの風邪です」
「そ、そうか……良かった……」
ほっと胸を撫で下ろす。
医者の男は少し間延びした口調で病状の報告を続けた。
「しばらくは診察を続けさせてもらいますけど、二・三日安静にしていればすぐに治りますよぉ。少し熱は高いですけど、薬を打っておきましたので。少なくとも死ぬことはありません……残念ながらねぇ」
最後に付け加えられた、とても医者とは思えない発言を聞き流すことは出来なかった。魔王を滅ぼす運命にある聖女の死を望む一派も存在すると聞いていたが――まさか、こいつがそうなのか?
「……残念ながらって……どういう意味だ?」
「ああ、違いますよ」
男に詰め寄ろうとした瞬間、テューロがこちらの心を読んだかのようにそれを制した。
「何が違うんだ?」
「彼は陛下がご心配なされているようなことはありません。彼はただ、屍体が好きなだけです」
「屍体!?」
ただの個人の嗜好として扱うには物騒過ぎる単語が飛び出してきた。
「染血の死霊使いの噂を耳にしたことはございませんか?」
「! 聞いたことがあるな……」
染血の死霊使い――それは戦場にまつわる噂話の中でも、特におぞましいものとして扱われている噂話。
戦場には血染めの鎧が幾重にも積み重なる。本来ならば二度と動くことのないはずのそれが、鳶色の瞳の男の号令で再び行軍を始める。その軍隊は腕をもがれようと首を飛ばされようと歩みを止めることはなく、更なる血染めの鎧の山を築く――
「――染血の死霊使い、レノン……」
それが今目の前にいる、この男だというのか。
「おやぁ、新王陛下に知って頂いているとは光栄ですねぇ。もっとも、前線から退いた今となっては、その名で呼ばれるのも久しいのですが」
少し照れくさそうに微笑むレノン。
「魔族の脅威を誇張した噂話だと思っていたが、アンデッドの軍隊は実在していたのだな。しかし何故、そのような男が医者になど……?」
「いえいえ、逆ですよぉ。元々ボクは軍医だったのです。そこで治癒や蘇生の術を学んでいくうちに、死霊を扱う術に長けていったのですよぉ。前線を退いたのは『死霊使い』と呼ばれ続けることに、少し思うところがありまして……」
「あ……」
命が消耗品のように扱われる戦場を知る者にとって、心の傷は付き物だ。
ましてや彼は死霊使い――消耗品として扱われた命に偽りの生を与え、酷使してきた男だ。狂人でもない限り、戦場に対して思うところのひとつやふたつあって当然だろう。
それこそ戦場など知らず、温室の中で育ってきた自分などには考えられないような、深い理由が――
「すまない、軽率なことを言ってしまったな」
「いいえ、謝って頂くようなことなど何もありませんよぉ。ただ……」
レンズの奥の鳶色の瞳が、憂いを帯びる。
「屍に命を吹き込み操るなどと、当時のボクはなんて愚かな事をしていたのだろうと思います。さっき、テューロさんはボクのことをただの屍体好きだと言いましたが……それは違うのです。ボクは――」
レノンは顔を上げ、高らかに宣言した。
「ボクは――屍体を愛しているのです!」
考えるのが嫌になるほどに、深過ぎる理由だった。




