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第四十三話 勝てない軍

 夜明け前。


 北方第一要塞グランフォートは、すでに目を覚ましていた。


 見張り台では交代の号令が響き、炊事場からは湯気が立ちのぼる。


 数千人が暮らす砦は、一つの街そのものだった。


 アスターは砦の中央広場を歩きながら、その様子を静かに眺める。


 地方では見なかった光景が、そこにはいくつもあった。


 同じ王国軍でありながら、部隊ごとに食事の列が分かれている。


 地方軍は地方軍。


 王都軍は王都軍。


 辺境軍は辺境軍。


 互いに目を合わせることも少ない。


「不思議です。」


 隣を歩くエレナが呟いた。


「敵と戦う前に、味方同士で壁を作っています。」


 アスターは答えなかった。


 代わりに、一人の老兵へ視線を向ける。


 その老兵は若い兵へ水袋を渡そうとしていた。


 だが若い兵は、それを受け取らない。


「王都軍の施しはいらん。」


 吐き捨てるような一言。


 老兵も何も言い返さず、水袋を腰へ戻した。


 その光景が、アスターの胸に小さな違和感を残す。


 敵ではない。


 味方同士だ。


 それなのに、どこか遠い。


 午前。


 総司令部の作戦室では、各部隊の指揮官が集まっていた。


 巨大な机の上には国境一帯の地図が広げられている。


「敵軍は南下を続けている。」


 レオンハルトが地図へ駒を置いた。


「昨日、第三砦が陥落した。」


 室内が静まり返る。


「増援は。」


 一人の将校が尋ねる。


「送れない。」


「補給路が断たれている。」


 別の将校が机を叩いた。


「だから最初から兵を増やせと言った!」


「無茶を言うな!」


「王都が兵を出さないんだ!」


 言い争いが始まる。


 アスターは誰も止めようとしないことに驚いた。


 ベルグラードなら、ガイウスが一喝して終わっていた。


 ここでは違う。


 立場が違う。


 利害も違う。


 誰も間違ってはいない。


 だからこそ話はまとまらない。


 会議が終わると、レオンハルトがアスターを呼び止めた。


「どう見えた。」


 アスターは少し考えてから答える。


「皆、国を守ろうとしています。」


「ですが……。」


「同じ軍を守ろうとはしていません。」


 レオンハルトは小さく笑った。


「その違いに気付いたか。」


 二人は城壁へ上がる。


 遠くの荒野には、小さな狼煙が一本だけ見えていた。


「あれが前線だ。」


 レオンハルトは静かに言う。


「敵は強い。」


「だが、それ以上に恐ろしいのは。」


 砦の中庭へ目を向ける。


 部隊ごとに別々の場所で食事を取る兵士たち。


 互いに言葉を交わさない将校たち。


「一つになれない軍だ。」


 その言葉に、アスターは息をのんだ。


 敵の兵数ではない。


 敵将の知略でもない。


 この軍は、戦う前から力を分けてしまっている。


 夕方。


 食堂では長机が並び、各部隊の兵士たちが黙々と食事を取っていた。


 アスターは配膳を受け取ると、地方軍の席ではなく、空いている中央の席へ腰を下ろした。


 周囲の兵士たちが怪訝そうな顔をする。


「そこは誰の席でもないぞ。」


 一人が言った。


「だから座りました。」


 アスターは穏やかに答える。


 少しして、一人の辺境兵が向かいへ座る。


 さらに王都軍の兵士が一人。


 沈黙のまま食事が始まった。


 味は薄い。


 乾いた黒パンも固い。


 それでも誰も席を立たなかった。


 食べ終えた辺境兵がぽつりと呟く。


「地方軍の味噌は、少し塩気が強いな。」


 王都軍の兵士が笑う。


「王都じゃ逆に物足りない。」


 その一言だけで、小さな笑いが広がった。


 アスターは何も言わない。


 ただ静かに食事を続ける。


 レオンハルトは離れた場所から、その様子を見ていた。


「戦は剣だけじゃないか。」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 その夜。


 アスターは報告書へ一行だけ書き加えた。


敵軍の前に、味方を理解しなければならない。


 ベルグラードでは、人を守る戦いを学んだ。


 国境では、人を一つにする戦いが始まろうとしていた。

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