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第三十一話 消えた護衛

 西街道へ囮の補給隊を送り出してから二日。


 ベルグラードには、一見すると穏やかな時間が流れていた。


 市場には少しずつ商人が戻り始め、橋を渡る荷馬車も昨日より増えている。


「噂も落ち着いてきましたね。」


 若い兵士が安堵したように言う。


 しかし、アスターは市場の端に立ち、行き交う人々を眺めたまま答えなかった。


 静かすぎる。


 敵は一度こちらの手を見切った。


 ならば、次の一手を考えているはずだった。


 その時だった。


 城門の方から、馬の荒い足音が響く。


「伝令!」


 土煙を上げながら駆け込んできた騎兵は、馬を降りる間もなく詰所へ飛び込んだ。


「隊長!」


「西街道の護衛隊が戻りません!」


 部屋の空気が一変する。


 ガイウスが立ち上がった。


「襲撃か。」


「分かりません!」


「予定時刻を半日過ぎても連絡がありません!」


 アスターは壁に掛けられた地図へ歩み寄る。


 西街道。


 囮を送った道だ。


「最後に確認された場所は。」


「黒樫の丘を越えた先です。」


 ガイウスが兵士たちを見回す。


「斥候を二組出せ。」


「急げ。」


 兵士たちが慌ただしく部屋を飛び出していく。


 詰所にはアスターとガイウスだけが残った。


「囮が見破られたか。」


 ガイウスが低く呟く。


 アスターは首を横に振る。


「違います。」


「なら。」


「分かりません。」


 その返事に、ガイウスは静かにアスターを見つめた。


 これまでなら、何らかの仮説を口にしていた。


 だが今回は違う。


「情報が足りません。」


 アスターは地図から目を離さない。


「推測だけで兵は動かせません。」


 しばらくして、再び伝令が飛び込んできた。


「報告!」


「護衛隊が見つかりました!」


「無事か!」


 ガイウスの問いに、伝令は苦い表情で首を振る。


「荷馬車は残っていました。」


「ですが……。」


 一瞬、言葉が詰まる。


「護衛だけが、全員いなくなっています。」


 詰所が静まり返る。


「死体は。」


「ありません。」


「血痕は。」


「ほとんどありません。」


 アスターはゆっくりと目を閉じた。


 荷はある。


 荷車もある。


 争った形跡も少ない。


 それなのに、護衛だけが消えた。


 理屈がつながらない。


「現場へ向かいます。」


 短く言うと、アスターは外套を羽織った。


 ガイウスも剣を腰に差す。


「ああ。」


「今度は俺も見る。」


 二人は詰所を飛び出した。


 鐘楼の鐘が低く鳴り響く。


 市場の人々は何事かと空を見上げる。


 誰もまだ知らない。


 敵が狙ったのは、補給でも橋でもない。


 ベルグラードを守る兵、そのものだった。


 黒樫の丘を越えた先。


 西街道は森へと入り、道幅も狭くなっていた。


 荷馬車は道の脇に止まっている。


 幌は開いたまま。


 荷はそのまま積まれていた。


「荷には手を付けていない……。」


 ガイウスは荷台を確かめ、低く呟く。


 兵士たちは周囲へ散り、森の中を捜索していた。


「隊長!」


 一人の兵士が林の奥から声を上げる。


 二人が駆け寄ると、草の上に剣が一本落ちていた。


 ベルグラード守備隊の支給品だ。


 刃は鞘から抜かれた形跡もなく、土に半ば埋もれている。


 さらに数歩進むと、盾、槍、外套。


 装備だけが点々と続いていた。


「戦った跡じゃない。」


 ガイウスが眉をひそめる。


 木々には斬撃の痕もなく、血の匂いもしない。


 アスターは地面へ膝をつく。


 柔らかな土には、いくつもの足跡が残されていた。


「ここで止まっています。」


「何がだ。」


「護衛です。」


 足跡は円を描くように集まり、その先が乱れている。


 逃げた跡ではない。


 追った跡でもない。


 まるで誰かと向き合って立ち止まったようだった。


「……話し合いか。」


 ガイウスの言葉に、アスターは首を横へ振る。


「断定はできません。」


「ですが、突然襲われた様子でもありません。」


 その時、兵士が一枚の布切れを持ってきた。


「これを。」


 外套の内側を裂いたような布だった。


 そこには墨で一行だけ書かれている。


> **命を惜しむ者は剣を置け。**


 ガイウスは布を握り締める。


「降伏を促したのか。」


「あるいは……。」


 アスターはそこで言葉を止めた。


 兵士たちの顔を見る。


 若い者もいる。


 家族を持つ者もいる。


「敵は兵を殺すより、兵を失わせる方を選んだのかもしれません。」


 その言葉に、周囲の空気が重くなる。


 死ねば弔える。


 だが、行方が分からなければ、待ち続けるしかない。


 帰路につく馬上で、ガイウスは前を向いたまま口を開く。


「兵が消えたとなれば、街は揺れる。」


「はい。」


「橋を守る者も減る。」


 アスターは静かに頷く。


「敵は兵力だけではなく、信頼も削ろうとしています。」


 ベルグラードへ戻ると、城門の前には護衛隊の家族が集まっていた。


「うちの人は。」


「息子は無事なんですか。」


 問いかけが次々と飛ぶ。


 ガイウスは足を止めた。


 だが、答えられない。


 確かなことは、まだ一つもなかった。


 アスターもまた、人々の前で言葉を失う。


 ここでは分析では救えない。


 必要なのは、失われた兵を連れ戻すことだった。


 夕暮れの鐘が街に響く。


 その音は昨日と同じはずなのに、今日はひどく遠く聞こえた。


 ベルグラードはまだ立っている。


 橋も無事だ。


 それでも街は、目に見えない傷を負い始めていた。


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