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父のこと

作者: 鶴舞麟太郎

コロン様主催エッセイ企画「2025振り返り」参加作品です。

 今年2月の、とある金曜の晩。唐突に母から電話が入った。


 開口一番、母は「お父さんが弱気になっちゃってねぇ……」



 聞けば、父は「少し動いても息苦しくなる。もう駄目だ」と言って聞かないらしい。


 だが、つい1週間前に会った時も、同じような話をしていたし、何なら、1年前、足がむくんで丸太のようになってしまっていた時は、もっとキツそうだった。


 それから比べれば、素人目には明らかに改善しているようにしか見えない。


 それどころか、医師も「改善の方向にある」との見立てらしい。そして、母によれば、今まで通院していて、入院を勧められたこともないそうだ(※それどころか、父が入院しなくても良いのかと聞いたところ、鼻で笑われたらしい)。


 母は日頃から説明していたのだが、なまじ毎日顔を合わせている関係で、励ましに免疫(?)が付いてしまったのか、らちが明かないとのこと。そこで、私に対し、「『悲観するのは早い』と教え諭すべし」との、白羽の矢が立ったのだった。







 早速、翌日(土曜日)に実家に着いた私の前には、憔悴しょうすいしきった父がいた。

 話を聞いてみれば、次々と口から出てくるのは弱音ばかり。


「ちょっと動くと、すぐ息が切れっちゃあだよ」

「飯もいっこ食えねぇ」

「この間は神社で転んで大変だった」

「毎日風呂に入るのも一苦労だ」



 これを聞いて私は安心した。


 だって、息が切れてはいるものの、1人で動けて風呂にも入れている。それどころか、数百メートル先にある神社まで1人で出かけて、転んでも自力で帰ってきたということではないか。



 そこで、


「『具合が悪い』って言っても立って動けているじゃん? 歩けば息が苦しくなるのは分かったけどさ、逆に動かなければ平気なんだから、それほど気に病む必要は無いんじゃない? それに、転んだのは気の毒だったけど、骨が折れたわけでも寝たきりになってるわけでもないでしょ? それに先月話を聞いた時も似たような体調だったような記憶があるけど、あの後、病院で医者から入院を勧められなかったんでしょ? 俺ら素人だけじゃなく、専門家(医者)の見立てでも『入院の必要なし』なんだから、そんなにきにしなくてもいいんじゃない?」


 こんな風に説明をしていくうちに、徐々に父の表情は明るくなっていった。



 ただ、食が細くなったのは気になる。エネルギーが無ければ体も動かないからだ。そこで、何か食べたい物は無いのか聞いてみた。


 すると、しゃべるわしゃべるわ。

「鰻が食いたいが、○○の鰻は旨くなかった」とか、「取り寄せてもらった和歌山の鮎の押し寿司が旨かった」とか、また「村上○の千枚漬けを送って寄越せ」とか。


 話の流れで、「青魚はダメだ。特に鯖なんかは食えたもんでねぇ」とか言いだした。そこで、「あれ? 前に『いづ○のさば寿司が旨い』って言ってなかったっけ?」と尋ねたら、「ああ、あれなら良い」だって。


 息も切らさず、これだけベラベラしゃべれるんなら、大丈夫だろう。こう考えた私は実家を辞した。


「今度は京都から『いづ○のさば寿司』を取り寄せるからね」


 そんな約束を父としながら。













 しかし、その約束が果たされることはなかった。


 翌日、日曜の夜、父はトイレで倒れたのだ。


 父がいつまで経っても風呂から戻ってこないことをいぶかしんだ母が、風呂に続けてトイレをのぞいた時、既に父には意識どころか脈すら無かった。急いで救急車を呼んだものの、受け入れてくれた大学病院に着いた時には、人工呼吸器と心臓マッサージで辛うじて延命(?)している状態だったそうだ。


 医師は延命の可能性は否定しなかったが、社会復帰については「ほぼ無理だろう」と語った。


「植物状態になってまで生きていたいとは思わない」


 以前からそう語っていた父の意志をんで、母は救急救命措置を止めてもらったと言う。


 時は月曜日の未明になっていた。


 私が病院に到着したのは、延命措置が止んだ約5分後であった。母からは死に目に会わせられなかったことを謝られた。でも、自分が同じ立場だったら、やはり母と同じ決断をしていたと思う。



 父の死に顔はまるで眠っているようだった。


 常々「息が切れる」「苦しい」と言っていた父だったが、すぐに起き出してきそうなその顔を見る限り、最期は安らかに逝けたようだ。






 葬儀までの1週間は、怒濤の連続だった。


 警察による現場検証、葬儀屋の手配、職場や親戚筋への連絡、弔問に訪れる近所の人への対応、相続の手続きetc.……。


 私が喪主を務めたので、大変なのは当然ではある。しかし、今考えれば、大仕事だったのは弔辞を考えることぐらいで、ただただ、流れに身を任せていたら、葬儀が済んでいたような気がする。



 なぜか?


 大変なことのほとんどは、父があらかじめ指定していたからだ。


 父の机から見つかった『遺言状』には、思い付く限りの全てのことが書かれていた。


・相続の割合。

・遺影は10年前に撮って天袋に入れてある写真を。

・葬儀は同級生のやっている○○社に。

・葬儀場で流す思い出の写真はこの10枚に、家族と取ったものを加えて。

・受付は本家の○○さんと裏の○○さんにetc.……。



 公正証書の扱いにはなっていなかったので、法的な拘束力は無い。また、10年近く前に書かれたものなので、現状にそぐわないものも多少はある。しかし、この『遺言状』のおかげで、私たち遺族は、心静かに葬儀の日を迎えることができたのである。


 約10年前に父が『終活』を始めた時、我々家族は「なんてせっかちな」と呆れたものだが、立つ鳥跡を濁さずの精神で準備をしてくれていた父には、今は感謝しかない。

 

『立つ鳥跡を濁さず』と言えば、死に様もそうだ。さほど多くの人の死を見てきたわけでもないが、私はこれ以上に綺麗な死に様を知らない。



 先ほど「父はトイレで倒れた」と語った。


 場所を想像して、いろいろと始末が大変そうに思われた方もいらっしゃると思う。


 ところが、衣服は元より、トイレのゆかや便器に至るまでまで一切汚れていなかったのだ。


 推測するに、どうやら父は、入浴し、用を足し、全てを流し終えた後に意識を失ったらしい。


 よく『ピンピンコロリ』などと言って、前日まで元気で寝ている間に息を引き取ることを理想と考える方も多い。しかし、寝ている間に亡くなると、人間の体のつくりでは、どうしても寝具を汚してしまうことになる。


 自ら沐浴斎戒(?)して、眠るように亡くなった父。父の破天荒なエピソードは語り出したら尽きないのだが、最期まで私たち家族に感銘を与えてくれるとは思わなかった。



 なお、父の死因だが、正式には『不明』である。医師には死因を調べるか聞かれたのだが、母も私もそれを謝絶した。解剖して死因が分かったからといって、父が戻ってくるわけではないし、何より父はそのようなことを望まないであろうから。



 しかし、我々家族の中での死因は既に定まっている。


『老衰』である。



 確かに、亡くなる数時間前まで普通に生活をしていた父に、男性の平均寿命を超えたばかりで亡くなった父に、『老衰』は、ちと早い気もする。


 しかし、亡くなる直前は、極端に食が細くなり、1食が食パンひとかけとイチゴ1個とかいった状態だったらしい。


 考えてみれば、必要なエネルギーを摂取しなければ、弱るのは当然だ。


 老いて食べられなくなったことで体が衰え、眠るように亡くなった。だから『老衰』なのだ。



 痛みに弱音を吐きつつも、最期まで、自分の思うように生きた父。最期まで『立つ鳥跡を濁さず』を貫いた父。


 息子としてそんな父を誇りに思う。


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― 新着の感想 ―
はじめまして。 企画からお邪魔いたしました。 我が家も高齢の両親がおり、他人事とは思えませんでした。 お父様、遺されるご家族を想って遺言に書かれていらした、その想いにじんと来ました。 食が細くなったら…
企画に参加くださりありがとうございます まずお仕事が出向からお戻りになられたとの事。おめでとう御座います。 お仕事が出向になった頃に生活パターンが変わって〜…とおっしゃっていた事を思い出しました。 …
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