エルと魔法の蝋燭
ファンタジー短編。プロローグ風に。
地下道の中。ネズミが這い回り、腐臭と闇が満ちている。
「逃げなさい」
母親に言われて放り込まれた下水道。吐き気を抑えつつ進むが、唯一の希望の蝋燭が消えた。母親が持たせてくれた、小さな青い炎をともしていた。 風もなく、半分以上残っていたのに。
エルは泣きだす。そして叫ぶ。母の名を、父の名を。
エルの涙が枯れる頃、声が聞こえた。
「祈れ」
鼠どもの気配が消えた。
「祈れ」
腐臭が退いてゆく。
「祈れ」
風が吹く。
「祈れ」
蝋燭に火が灯る。赤い明るい火は、眩しいくらいに辺りを照らし、炎となり天井を舐める。
ネズミは焼け死に、水は沸騰し、熱風が舞い起こる。
体は軽くなり力はみなぎり、ネズミが咬んだ傷が癒されてゆく。
「祈れ。そして我を信じよ」
エルは胸いっぱいに空気を吸い込む。 そして言った。
「私は私を信じます」
空気が震える。一瞬、エルの体を炎が締め上げ、唸りをあげる。
「母さんは言っていました。私の光だと」
エルは眩い炎の光の中、目を見開き蝋燭に息を吹きかけた。
炎は消え闇が覆う。ネズミは這い出て、腐臭がまた漂う。
エルは歩き出す。地下道の中を。
エルは歩き続ける。暗闇の中を。 ぬめる水底に倒れこみ、澱んだ空気に嘔吐し、鼠に襲われながら。
しかし進んだ。消えた蝋燭を手に。
「もう駄目」
力尽き汚泥に座り込む。
”あの炎。赤い炎があれば…”
エルの目に涙がにじむ。
”もう嫌だ”
『祈り』の言葉を口にしようとした時、最後に見た母親の顔が浮かぶ。毅然としてエルを見つめて蝋燭を渡す母親の顔。
”信じる”
エルは立ち上がる。
また一歩、また一歩。歯を食いしばり、重い足を引きずり、体にまとわりつくネズミを掴み壁に叩きつける。
すると、蝋燭に火が灯る。小さな火。青い火。とても深い深い青い。
エルは歩き続けた。
どれくらい地下道を進んだのだろうか。体がふらつき始めた頃、エルは暗闇の奥に何かの気配を感じた。
エルの蝋燭に照らされ、それは暗闇から浮かび上がる。
黒いローブをまとった者。エルを見ている。
「おやおや。小さな灯りだね。進むのに苦労しただろう」
女の声だ。
「とても明るい光があったのに。どうして消してしまったんだい?」
彼女の顔は闇に隠れて見えない。
「原初と未来を照らす光。神と繋がる祈りの光。お前の蝋燭に灯していれば、こんなとこを彷徨うことは無かったのに」
なんて哀れな。女は言った。
「母さんの『青』ではありませんでした。だから消しました」
「ほうほう。母親の『青』は消えてしまったかい。可哀そうに」
「今はこの灯りがあるから大丈夫です」
ローブの女は薄く笑う。
「とても深い深い『青』だね。私にその火を分けてはくれまいか」
ローブの女は蝋燭を取り出す。それは薄汚れ、流れて落ちた蝋が握る手に絡みついている。
エルはローブの女を無視して通り過ぎようとした。
「ここを出る方法を教えましょう」
「本当ですか?」
ローブ女は頷くと。
「我が名は『シラエル』。全知全能の存在にして魔の極点に立つ者。魔道の始祖たちの一人。私の力を欲する者は幾百幾千か。さあ、お前の火をおくれ」
エルは迷っている。
「あの光、眩い光を払ってやろう。『祈りの言葉』から守ってやろう。怖いのかい?あの光を吹き消したのに?気に入らなければ消せばいいのさ」
エルは意を決してローブの女の蝋燭に火を移した。すると女はもろ手を挙げて笑い出した。
不気味な笑いが暗闇に響き渡る。
笑い声と共に辺りが漆黒に覆われる。
ネズミは動きを止め腐り始める。
天井にへばりついていた虫が天井から落ちてくる。
「聞け!私を封印した者よ。我は復活したぞ!ひれ伏せ!命乞いをしろ!そして後悔しながら死ね!今度は幾百の魔導士で臨んでくるか!思い知れ!我が力!漆黒の炎に焼かれて悲鳴をあげろ!」
ローブの女は叫ぶ。
地下道の奥に光が見える。眩く炎をまとった光がシラエルを目指して飛んでくる。
しかし、光は彼女が指を動かす度に、二つ、三つと分断されていく。
シラエルが、また笑い出す。
「何とも愉快!信仰を失ったガラクタが!『巫女』はお前らを信じぬとよ!神を降ろすことができなんだか!哀れ哀れ!足りぬ足りぬ!魂を食らう量が天と地ほど差があるのだ!」
漆黒の炎が渦を作り、地下道の全てを這い回り、光を取り囲む。そして、切り刻まれた光を食らいつく。
断末魔が聞こえる。苦しみと絶叫の聖歌が流れ出す。それに合わせて漆黒の炎も踊り出す。
そして、シラエルも甲高い笑い声で炎を躍らせた。
終わった。地下道に静寂が戻る。
シラエルは背後に気配を感じた。振り返るとエルが立っている。
足元には澄んだ水が流れ、新鮮な空気を風が運んでいる。
服と髪は清められ、肌についた汚れは落とされている。
金髪は風になびき、深い碧眼がシラエルを見つめている。
”なんとまあ。『巫女』は焼き払えなんだか”
「あの光と『祈り』を迫る声を払うと言いましたね」
「おお。忘れるところでした。国を一つ取りましょう。遠い遠い国がいい。そこで静かにお住まいなさい。きっと追ってはこない。エル女王として、なに不自由なく暮らすのです」
「私の名はエルフィーナ。ロイドス国、メルビ村の仕立て屋です」
「さようでございますか。さぞかし腕のたつ職人様とお見受けします。私のローブを一着、仕立てて頂きたい」
シラエルの言葉を無視してエルは言った。
「女王になんてならない。遠くにもいかない。聖都へ行きます。そして、父と母を助け出します」
エルは歩き始めた。シラエルはため息をついたが、すぐに小さく笑った。
彼女の『青』の光は深さを増し、海の深い、暗い『青』に変わりつつある。
「どうかしましたか?」
「いいえ。何百年ぶりかの外に驚嘆しておりました」
エルはまた歩き始める。その背中を見ながら、シラエルは舌なめずりをした。
こういう書き方も楽しいかも。




