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賢者を天使は喰い尽くす

掲載日:2026/04/02


――はぁ……。


 晴れ渡る早朝。風もほどよく気分爽快。

 しかし一人の少年は対照的。鉛のように重い息をこぼす。

 周囲をどんよりと染める勢いで、表情はとても暗い。

 

「終わりだぁ…」


 遂には黒髪の頭を抱え、その場に座り込んだ。

 それに伴い、腰に携帯する剣鞘がチャキっと軽く鳴る。

 同じ制服を纏う者の視線がツンツンと刺さるのが分かった。


――…キーンコーンカーン


 だが時は無情に進み、チャイムが響く。

 これに彼はピクリと腰を上げ、項垂れながらも校庭を進んだ。 


――――――

――――

――


「お前、てんでダメだな」

「うっ…」


 学園の食堂にて無慈悲なダメ出しが飛んだ。

 対面に座るのは、先ほどの訓練でペアとなったクラスメイト。


「足引っ張んなよ、この後も迷宮(ダンジョン)で実戦訓練あんだからよ」 

「分かってるよ…」


 その視線には苛立ちも含まれている。

 自信の無い返事に、さらに険悪な舌打ちが飛んだ。


――――――

――――

――


――はぁ……。


 今日何度目か分からない溜め息。

 時は放課後。すべての行事が終わった自由時間。


 この夕下がりを終えれば明日は休暇だ。羽を伸ばしたり、交友を深めるのもアリだろう。

 城が収まってしまうほど土地を持つ広い校庭には、様々な生徒が動き回り忙しない。

 にもかかわらず彼は一人、階段に座ったまま顔を伏せて動かない。


「やっぱりダメか…」


 脳裏から離れないのは、午後の修練。


 学園の地下に根付く、ダンジョンと呼ばれる未開の脅威。

 放置すれば厄災を持たらす怪物、それらが跋扈する場での実習だった。

 当然、結果は最悪。 

 相方の足を引っ張り、担当官から辛い評価を受けた。それも昨日今日の話ではない。


――いわゆる彼は落ちこぼれだ。


 とはいえ、肉体は仕上がっている。

 指には剣を握りしめたタコがあり、学業も決して悪くはない。


 しかしそれだけでは太刀打ちできない。決定的な要因があった。


「――この()()、やっぱり応用が利く。当たりだな」

「――俺のは強力なんだが、使い勝手が悪いのが玉にキズか」


 中庭にて自主練に打ち込む生徒二人の声が聞こえる。

 ただ、その様相は異質だ。

  

 剣や盾を構えるのではなく、手をかざす。

 すると一人は引力が働いたかのように、近場の土塊が引き寄せられる。

 さらに一人は火炎を生成。辺りの草木を焼き尽くす。


 まさしく人の身には成し得ない、奇跡の所業だった。


「――こらァッ!二年に上がるまで『奇跡』の使用は事前申請を通してからにしろッ!」

「やべっ」

「すみません!」

「"賢者"としての自覚を持たんか!」


 そこに二人を咎めに表れた男性。

 その者は記憶に新しい。今日も少年を叱咤したハゲ頭の教官だ。


 だが謝罪を済ませれば、次には指導者らしく、教鞭を取る。


――お前の『引力』は他の生徒との噛み合いを特に考えろ

――『焔』で仲間を巻き込まないよう、連携のパターンも用意しておけ

 

 真摯に向き合った助言だ。

 二人も研鑽を積むのに意欲的。

 喜々と耳を傾け、最終的に腰を曲げて礼を告げる。その表情は希望に満ちた訓練生に相応しい。


「…お前はどうだ、何か掴めたか?」


 やがてその教師は、項垂れる少年のもとにも訪れた。


「…いえ、まだ…何も」

「そうか、お前は…『奇跡』そのものを鍛える方が良い」


 だが先の二人と比べ会話は暗い。

 教官も頬をボリボリと描き、言葉を選びあぐねている様子。


「このまま在籍すれば命の保証は……いや、これはお前の意思だ。お前が決めるべき選択だな」


 踵を返し校舎へ戻っていく後ろ姿。

 そんな優しさすらも、少年には棘となって心に刺さる。


 虚しく手をかざす少年。

 だが現れた変化は――発光するだけ。


 先の二人のように引力を発生させたり、炎を繰り出せるわけでもない。

 特段強い光量でもなく、せいぜいがランプの代わり程度。

 熱すらも微弱。攻撃にすら転用できない。


――それが、少年に与えられた『奇跡』。 


 綺麗な赤い夕焼けを見上げる。

 いっそ酷く、胸がすいた気分だった。

 ヤケクソになったとも言える。ただ、これがすら正常な思考なのか分からない。


――――――

――――

――


 翌日、少年の脚は外へ、学園の境界へと向かっていた。

 その境界線は明確。


――奈落の内側。それがこの学園の敷地だ。


 テーブルマウンテンのような大峡谷。範囲は複数個の城が余裕で入るほど雄大。

 周囲が深く、より深く陥没し、切り立った崖下は底が見えない。

 

 そんな巨大陥没の中心に一つ、バベルの塔さながらポツンと立つ台地こそが、少年の立つ舞台。


「…この崖のずっと下に…怪物が蔓延っているんだよな…?」


 怪物による被害は語るまでもない。国が滅んだ話など珍しくなく、昔話でもない。今もなお起こりうる厄災だ。

 眼下を睨むも、光が差し込まないほどの深さ。その全貌は誰も知らず、実感がまるで沸かない。


 次に彼は巨大な跳ね橋を見つめる。

 渡る人間が豆粒に見えるほどの規模。

 実際に少年もその橋を渡り、この学園へ赴いた。


――だが今は吊り上げられ、急勾配。機能は停止している。


 この隔離された台地を繋ぐ、唯一の通路が使えない。

 まるで小さな世界。

 絶海の孤島に閉じ込められたようだった。


「けど…俺は怪物を倒せない…」 


 こんな小さな世界で生き抜くには一つ。『奇跡』を扱い、怪物共を食い止めること。

 少年の拳に力が籠る。

 爪が食い込み血が出そうなほど握りしめて。

 

「…もうこの学校、辞めようかなぁ」


 やがて現実は、口からポツリと言葉を寂しく吐かせた。


 退学の意を学園に示せば、あの跳ね橋は繋がる。

 それを渡ればただの一般人へ戻れる。

 少し前の、小さな村で田畑を耕していた少年へと――


「――駄目だッ、俺は世界を守るために来たんだ!!」


 刹那、両の拳が地面へ激しく叩きつけられた。

 

 ここは迷宮(ダンジョン)を破壊を目的とする防衛機関。

 世界各地に巣くう脅威を、怪物を絶滅せんとする組織の一つ。


 中でも、この学園は選りすぐり。

 最も攻略が難しい迷宮(ダンジョン)の上に建つ。


「せっかく『奇跡』に選ばれたんだっ、人の為に戦うって決めただろ!?」 


 おまけに見初められる者は極僅か。

 一部の人間。それも、成人前の少年少女のみに『奇跡』は現れ、成人すれば神の御業は消えていく。

 

――それが"賢者"。

 選ばれた者たちはそう呼ばれ、尊敬や信望を集める。


 そんな期間限定の英雄、それも最高峰の平和を担う学園へと、導きを受けたのだ。

 

「村の皆がっ、家族が平和に暮らせる世界にするんだろ!?」


 少年の願いは、ただそれだけ。富も名誉も要らない。その為だけに戦う。

 絵にかいたような好青年だ。


――だが『奇跡』に見限られた。


 あの日、あの入学を果たし『奇跡』を得た日。

 神より賜ったとされる水晶に触れ、"賢者"と成った瞬間。


 その瞬間から、祝福は呪いとなって彼を蝕んでいる。


***


 さらに翌日。

 少年は校庭の訓練所に赴き、剣を振るう。

 すでに『奇跡』の鍛錬は終えた。とはいえ進捗は無し。

 後はただ愚直に、剣や盾を振りかざすことしか許されない。あまりにも無力だった。 


「いやー、マジでやばかったわ」

「ずっと前から楽しみにしてたもんな」

「マジ天使」

「語彙力消えてんなぁ」


 休暇の日をも打って投げての鍛錬。

 一方で、周囲からは休息を十全に楽しむ声が聞こえてくる。

 滑り落ちる汗が、痛みを訴える剣ダコが無意味と笑われているようだった。


「今日は第六棟の空き教室だったわ」

「でも予約埋まってんだろ?」

「午後は暇らしいぞ」


――ただ会話が妙だ。

 思わず少年の手は止まる。

  

「お前も()()()貰えよ」

「まだ気分じゃねえわ」


 一見、要領を得ない俗的な会話内容。

 だがこれを聞く少年は、次の言葉に目を見開く。


「――ハズレの『奇跡』引いたら行こっかな〜」


 その手から、剣がポロっと抜け落ちた。


――――――

――――

――


「ここか…」


 黒髪の少年はコツコツと階段を登る。

 ここは第六棟。上級生が利用することの多い訓練場。

 下手な豪邸ほどの面積を占めるこの一棟で、しらみ潰しに空き教室を回る。

 

 こうして徘徊する理由はただ一つ。

 彼の持つ『奇跡』を相談するため。


(正直、誰が何をしているのかは分からないけど…)


 件の会話は要領を得ない。

 しかし『奇跡』について困ったら訪ねてみるべき場所。そんな内容に聞こえた。

――ならば少年が赴かない理由は無い。弾かれるように(いざな)われた。

 

 これが期待なのか困惑なのかは分からない。

 ただ、いつもより動機が激しい。この程度の階段で息が上がっている。


 一階はハズレ、誰も居なかった。

 そのまま二、三、四階と続き、残るは最上階の五階層へ。


――――――

――――

――


「…よし」


 意を決し、残った最後の扉をコンコンと鳴らす。

 その手にはやはり震えがあった。


 彼が入学したのは一ヶ月ほど前。つまりはピッカピカの一年生。

 期待を胸に門を叩いたのも束の間、授かった神の加護は微妙なもの。

 

 それから抱いた意思とは一転、級友には後ろ指を刺され、訓練では避けられ続ける毎日。

 『奇跡』は既に授かってしまった以上、取り返しのつかない要素だった。


――ガチャッ


 扉が揺れた。

 蝶番の軋みが心音をドクンと加速させる。

 奥の部屋との空気が入り混じる瞬間、入学式以上の期待と不安が押し寄せた。


 やがて現れたのは――きめ細かい空色の髪と、果実ような甘い匂い。


「は〜い、いらっしゃ〜い」


 コロコロとした可愛らしい声音で、その者は扉を開けた。

 

 服装からして、同じく生徒だ。

 庇護欲が唆られる小動物のような見た目。


 一言で言えば、その少女はとても可愛らしかった。


 身長も小柄で150センチほど。

 体の線は細くドアノブを握る手も小さい。

 揺れる淡い色の髪は、肩に届かない程度の外ハネしたミディアムボブ。ふんわりとした印象を受ける。

 それでいて、とても艶やかだ。


「あ、あ、あの……」 


 声が上擦り、思わず挙動不審となってしまう少年。


 にんまりと微笑み、薄く染まった頬。

 目を僅かに細め、猫のように獲物を見つめる視線。

 耳朶が惚けるような抱擁の息遣い。


――端的に言えば、彼はとても背徳的な気分になった。


「お、俺は……」


 だが目的は『奇跡』に関する事。理性で何とか抑えるも、呂律が上手く回らない。


「あ〜、君も()()()に来たんだ」

「喰わッ!?な、なにを言って…」

「ま〜入って入って」


 理解を超える言葉を耳にして固まる間に、その生徒は部屋の中へ引きずり込む。


――ガチャン


 そして、鍵の閉まる音が聞こえた。


***


――なんか良くない事をしてる気持ちになる…。


 それが生真面目な少年の心境。全くもってこれに尽きる。

 ガチガチに緊張しながらの正座。

 噂に聞く"大人のお店"をどうにも連想してしまう。

 

 とはいえ田舎育ちの彼には想像の限界があるが。


「キミ、予約してないでしょ?ま~今日は空いてたからいいけど」


 「次からちゃんとしてね~」と気楽に告げる少女。

 ここは物置小屋だったのか、ゴチャゴチャと入り組んでいる。

 よく分からない小道具や、見た目が物騒な機械にetc…。


 だが腐っても防衛組織による最高位の学園。

 広さ一部屋ほどの確保は容易く、そこにクッションなどを手際よく設置していく彼女。


「じゃあ、ちょうだい?出して?」

「……へっ?」


 だが差し出される手に、少年の観察眼は吹き飛んだ。

 周囲の物珍しさや異様な空気は忘れ、素の声を返す。


「『へっ?』って、お金に決まってるじゃんお金。これもちゃんとした商売なんだから」

「ま、待ってくれ!そもそも俺はここがどういう場所か理解していなくて」

「あ~キミ、一年?」


 途端、彼女は面白そうに目を丸くした。

 

「じゃあまず入学おめでとうだねっ。この三年間、()()()()()()を楽しんでっ!」

「無意味な…青春?」


 少年は引っ掛かりを覚え、訝しむ。

 とはいえ悪意らしい悪意は見受けられない。ただ皮肉めいた何かだ。


「だってボクらの学園は、この迷宮(ダンジョン)の上に成り立ってるんだよ?この下の怪物を滅ぼすための青春さ」

「――それが使命なんだ。俺はその為にここに来た」


 しかし少年の意思は変わらない。淀みなく答える。


「へぇ…ちゃんと英雄さんだねぇ。じゃあボクはそれを応援しようかな?」


 するとその生徒は暖かく目を細める。

 まるで眩しく、青いものを見たような微笑みだった。


「ボクの名前はラキナ!ラキって呼んで?皆からもそう呼ばれてる」

「ラキ…さん…?」


 そして本題。


 窓の淵に腰掛ける少女ことラキ。

 逆光に映される中、両手を差し出し――


「――ボクは人の『奇跡』を食べちゃう、そんな『奇跡』を預かってる」


 淡々と、笑顔でそれは告げられた。

 意味は理解できる。だが脳が納得を拒んだ。


「そんな所業…許されて……いいのか…?」


 『奇跡』とはまさしく神の御業。

 優劣はあれど、これが無ければ怪物らに対抗する術はなく、人類は滅んでいたかもしれない神聖なもの。

 それを人の身で勝手に取り上げ、リセットするという。

 

「ダメだよ。人生が簡単に決まっちゃう『奇跡』に、こんなに差があるなんてさ。神さまも酷いもんだよねぇ」

「いや、優劣(そっち)の事じゃ…」

「――そんなの許しちゃ駄目だ」


 だがラキは揺るぎない表情で、自分の振る舞いを肯定する。


「ほら見て、あれ二年生かな?」


 彼女が促す窓の外。

 そこには迷宮(ダンジョン)から帰還した集団。

 数名は軽くない負傷を負っていた。険しい戦いが容易に想像できる。


 怪我の要因に、身体能力や戦いのセンス、運などは勿論ある。

――だが肝心なのは結局『奇跡』だ。


 極論、それが強力無比であれば怪我などしようもない。

 

「あそこに居る無傷の人は、『奇跡』が強いって注目されてるんだよね」

「……ッ」


 これが事実と、『奇跡』の差は如実に結果を現していた。


 思わず少年も押し黙る。

 何度も身に染みて分かっていた事だ。


「微妙な『奇跡』も、たまーに覚醒して逆転!とかあるけど、現実的じゃないよねぇ」


 長い研鑽を積めば、あるいは常軌を逸した覚悟があれば、成し得るかもしれない。

――だが"賢者"で居られるのにはタイムリミットがある。


「たった三年間の期間限定。そんなギャンブルする余裕もないよ」


 全くもっての正論。

 少年は苦虫を噛み潰したような表情を作る。


 確信があった。

 このままでは三年間で、何も成し得ないと。

 良くて、在籍しただけの無意味の卒業。悪くて、力不足による除籍処分。

――最悪、迷宮(ダンジョン)で意地を張り死亡。


「俺は…っ」


 一方で天から垂らされた蜘蛛の糸は、『奇跡』の没収。

 ある種、禁忌と感じてしまう業だ。

 そんな事をしてまで迷宮(ダンジョン)に潜るのかと、天秤に掛け――踏み切った。


「――それでも俺は世界を守りたい!出来るならッ俺の『奇跡』も…喰ってくれ…!」

 

 彼の願いは、人々が平和に暮らすこと。

 その為ならば神の御業もコケにして見せる。

 覚悟を目に宿し、拳も固く握り、彼女に訴える。

 

「ふふ、い~よ~!」


 これに柔和な笑みを作るラキ。快諾だった。


 とはいえ商売と言っていた。

 ならば対価になるものをと、彼は懐を漁るが…。


「初回だし、お金はいいや。キミの信念に惚れちゃった!」


 スタッと窓の淵から降り立つラキ。

 次には少年の前に体を運ぶ。


「ありがとう…恩に着る」

「いいっていいって」


 目を瞑り、腰を曲げ出来る限りの礼を表す。


 だがしかし、高揚感は確かにあった。

 何せ『奇跡』が無くなる。つまり"賢者"として生まれ変わるのだ。

 次に得る能力次第では、悲願も夢じゃないと心躍らせ――


「――さっ、()()()()()?」

「……へっ?」

 

 少年の思考は停止した。


***


「『へっ?』って、じゃないよ。ボクの『奇跡』も万能じゃないんだからさ」

「何分ってのはどういう…?」

()()によって掛かる時間が違うのっ」


 いち、にの…ポカン。おめでとう!……とはいかないらしい。

 一定時間、儀式めいたものをしなければ成し得ないという。 


「ちなみにオススメは15分のやつ。30分のは長いし、3分とか1分コースもあるんだけど……」

「……じゃあ…15分…で…?」


 しかし意味深にラキは口を噤む。

 目を横に、視線を合わせず空笑いをした。 


 流石に少年も追及しなかった。というより、不穏で怖かったので彼女に従う。


「じゃあ…じっとしててね?」


 やがて距離を縮める彼女。

 可憐な姿が視界に広がり、まつ毛の本数を数えられるまで顔が近づいた。

 

 ごくりと息を飲む少年。

 そんな音すら聞かれてそうなくらいだ。お互いの呼吸が絡み合う。


 濃密な密室。二人だけの空間でラキは――彼の身体へ抱き着いた。


「なっ…!えッ……!?何を…!?」

「暴れないのっ。触れ続けなきゃいけないんだから」


 接触する体と体。

 鍛え上げた彼とは対象に、柔らかい感触が走る。

 

 背中に回された腕が、預けられた体重が、耳元で囁かれる声が、全てが甘露。

 脳に直接、興奮物質を注ぎ込まれたような倒錯感。


「あはっ、ドキドキしてる?可愛いねぇ」


 さらに小悪魔のように息を吐き出すラキ。

 思わず身動ぎしてしまう。


「これ…いつまで……っ」

「言ったでしょ?15分だって」


 だが逃げられない。それもかなりの拘束時間。

 まさしく、まな板の上の鯉。処刑台に上げられた囚人のようだ。


「離れちゃダメだよ?少しでも離れたらやり直しになっちゃう」

「だからってこれを15分は…!」

「じゃあ手だけ握る?そしたら30分になるけど」


 どうにもこれが無難かつ迅速。

 一方、ラキは慣れているようで「このままだと疲れるから座ろ?」と事前に準備したクッションを指す。

 当然その際にも接触し続ける必要はある。が、先導(リード)しながら腰を下ろす動きは滑らか。

 経験の多さを物語っている。


「……本当に体の接触が必要なんだな…?」

「うん。それがボクの『奇跡』。"天の使い"っていう名前だよ」


 神が授ける御業は称号がある。

 『奇跡』として賜れば、扱い方と共にそれを悟る。


 つまり、勝手に改称して良いものではない。

 既に決まっており、人の身で変えるなど不遜。そういった認識が広がっている。

 

「"天の使い"……?」


 逆に言えば称号は、紛れもなく神たる存在が付けた証。

 そんな『奇跡』に"天の使い"と、自身の従者めいた意味を込めた。


 能力の全貌は、他者の『奇跡』の没収。


「凄いじゃないか、人の『奇跡』に関与できるなんて…」

「うん…まぁね…」


 物理的な破壊力は無いが、少年のように恵まれない者への救済は可能。

 場合によっては、より強力な『奇跡』を得る強力な効果だ。

 

「――昔、"賢者"になるまでは、ボクも平和を守るぞって意気込んでたんだけどね」


 だが心なしかポツリと寂しく聞こえる声音。ラキの表情は見えなかった。

 回された彼女の腕に、僅かに力が籠るのを感じる。

 

「けどこんなもの、戦いに何の役も立たない。あの気持ちは無駄になっちゃった」


 そんなラキに"天の使い"を、他者の能力を奪う『奇跡』を与えた。


 その『奇跡』は自分自身に適応できない。

 少年のように抱きしめられ、食べてもらえる存在は他に居ない。

 失言だったと口を閉ざす彼。


「もうボクは迷宮(ダンジョン)を攻略できない。できるのは、人任せに学園(ここ)での生活を楽しむ事だけ」


 全てが腑に落ちる。

 少年の身体から力が抜け、肺から空気が自然に抜ける。

 ようやく、まともに呼吸が出来た気がした。


 『無意味な青春』というのも、訪れた少年を気遣った言葉だろう。

 この先の未来、どんな無念が待っていようと、尾を引かぬようにと。


――だからこそ眼前の少女は、この無意味さを楽しむように振舞っている。

 学園生活を無力に終えても、何か意味があったと胸を張れるように。


「まあどうせ、誰も迷宮(ダンジョン)を攻略できないで青春が終わるんだろうけどねっ」


 事実、この学園は設立されてから長い。

 ならばその間、迷宮(ダンジョン)を攻略できず卒業していった者は数多。

 そんな先達を数多く見てきたのだろう。


 しかし、その台詞は建前だと少年は分かってしまった。


「――なら俺が、意味のあるものにしてみせる!」


 だからこそ啖呵を切った。

 自分と同じ平和を願う"賢者"が、そんな空虚な結末(ゴール)を望んでいるはずがない。

 

「俺が、俺たちがっ、この地下の迷宮(ダンジョン)を壊す!もし出来たのなら、それは貴女のおかげで……ラキさんに会った意味があるッ!」


 静かな、しかし力強い宣言。

 彼女を受け止めるように深く抱き込む。


 これに思わず呆けた表情を作るラキ。

 そして次には、顔を彼へとさらに近付け――


「ふふ、じゃあ期待しちゃおっかなぁ」


 満開の笑みを咲かせた。


――――――

――――

――


「はいっ終わったよ!どう?ちゃんと食べられた?」


 数分後、パッと開放し立ち上がる少女。

 解除された抱擁は、少し名残惜しくもある。


――だがそれ以上に驚きがあった。


「……無い、()()()()()ッ」 


 自身を悩ませた『奇跡』、それを授かった感触が消失していた。

 手のひらをまじまじと見る少年。

 試しに能力を行使しようとすれば――何も変化は起こらない。


 つまり、また新たに『奇跡』を授かれる。


「ありがとうッ!恩に着る!この恩は一生忘れない!!」


 思わず少女の手を取る彼。

 ぶんぶんと振られる動作に「うぉうぉう」と振動音を漏らすラキ。 


 だが絡まる五指、その感触が今さら脳に告げられる。

 その事実に気づいた瞬間、少年の頬は酷く紅潮した。


「ぅん、どうしたの?」

「…あの…っ、もし俺が迷宮(ダンジョン)を…壊せたら……」


 次いで勝手に飛び出る言葉。

 少年の意思とは裏腹に、口が動いてしまう。

 そも己の行動と思考が、論理的でないことは重々承知。


 葛藤は様々。頭では冷静。しかし別の何かに感情を乗っ取られているように止まらない。

 謎の原動力が少年を突き動かしていた。


 そして決着だ。

 

「俺は……ラキさんと…――」


――キーンコーンカーンコーン。


 チャイムが鳴った。

 まるで朝の霜焼けのような、乾いた空気を掻き分けるような音色だった。


「あ、もう時間だ!ごめんねボクもう行かなきゃっ。用事があるんだった」


 少年を置き去りに、部屋を片付け始めるラキ。

 ガチャンッと密室の鍵は回され、換気のように扉が開く。

 錯覚していた艶やかな空気はいつの間にか霧散していた。


「よ、用事…?」

「うん、このあと友達とご飯食べに行くの」


 肩透かしと同時に、『助かった』とも思った。

 さっきの自分は正気じゃなかった。そんな自覚が彼にはある。


「…それは…大事だ。俺の事はその、気にせず行ってくれ」

「うん、ありがとっ」


 そうして二人は部屋を出た。

 廊下に出れば、閑散とした湿度。乾いた空気が美味しく感じた。


 二人の歩調が重なる。玄関まで下る階段の音は、メトロノームのように規則的。

 

「キミも早く『奇跡』を貰いに行ってみてね?それじゃあまたっ」


 ついに勝手口が現れ、ラキとは解散。

 この秘めた思いはまたの機会だ。

 恩人の後ろ姿を目で追いながら、胸を撫で下ろす少年。


 一方でラキは、手洗い場に寄るようだった。

 出口手前の通路を曲がり、コツコツと靴を鳴らし、男性トイレのルームへ入室。


(俺も早く『奇跡』を――)


 つま先を別棟から本校へ向ける少年。

 だが次第に、違和感。

 何かが引っ掛かり――


――もう一度言う、()()()()()である。


「はぁッッ!?」


 素っ頓狂な声を上げる少年。

 頭がようやく事実を理解、と同時にエラーを吐く。


 これに思わずダッシュ。ラキの背を追って同じくトイレへ突撃した。


「あれ、キミもトイレ?」


 だが平然と厠に立ち、会話を続ける彼女――もとい、()


「お、おと…おと……男……ッ!?」

「そうだよ…?……え~知らなかったの?」


 それは今日一番の大声だった。


――――――

――――

――


 手洗いを済ませ、外に出た二人。

 迎えるのは、晴れ渡る昼日。風もほどよく気分爽快。


 だが少年はそれどころではない。

 声にならない声が喉から漏れ、体中がピクピクと震える。視線も泳ぎまくっていた。 


「え…え……っ俺…俺…は……ッえ…?」


 思い出すのは先の抱擁。

 桃のように甘ったるい匂い、艶やかな表情、柔らかな感触、耳にかかる吐息のくすぐったさ。


 全てが鮮明だった。

 走馬灯よりも細やかに、脳裏にフラッシュバックする。 


――だが男だ。 


「……ふふっ」


 まるで膨大な情報量を喰らったかのように硬直。時間を忘れ、ただ茫然と止まる。


 これにラキは唇の両端を上げる。

 頬を僅かに染め、目も細め、獲物を捕まえた猫のように――


「――また『奇跡』、食べて欲しくなったら言ってね?」


 耳打ち。

 少年の耳朶をゼロ距離で穿つ。

 ぼそっと吹きかけられた言葉、これに少年は――


――パリンッ。

 何かが壊れた音がした。


***


「最近のお前、いいじゃん」


 後日、ペアとなったクラスメイトは上機嫌に言葉を飛ばす。

 その先には、黒髪黒目の少年。

 彼の姿に憂いは無く真っ直ぐ。この訓練中も注目を集めていた。


「『奇跡』も変わったしな、一体どうしたんだ?」


 迷宮(ダンジョン)での実戦訓練も好評。

 ハゲ頭の教官からも太鼓判を押されたほどだ。


「…ああ、うん。…()()()()()()()

「はぁ?」


 ただ、様子がおかしい。

 今まで不遇だった『奇跡』の変更。これについて問えば、浮ついたような、心ここにあらずの状態となってしまう。


 平時は問題ない。

 勉学にも励み、訓練は気を抜かず、頼れる存在となった。

――しかし不意にこうなる。


「お前、マジでどうしたんだ……?」

「なあ…俺……」

「お、おう…」


 やがて遠い空を見るような、天を仰ぐような目で少年は夢見心地に告げる。


「――俺、天使を見つけたわ」


 とりあえず言えることは一つ。


 彼はこの無意味な青春に、意味を見つけたようだ。


主人公みたいな感じしてるけどくっそモブ。この少年

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