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1話 別れよう。


「別れよう。」

その時彼女の時が止まったようにこちらを見つめた。鳩が豆鉄砲を食らったように。完全に思考が停止した。そんな顔つき。

「あ。いや・・・。」

彼女の言葉がのどで詰まる。


「これ以上負担をかけたくない。ごめんなさい。」


僕もこういうことを言うのは得意ではない。普段から大事なことは心の奥にしまい込む性格だ。今回のことをかなり勇気を振り絞った。

彼女とは付き合って8年が立つ。もう2年以上待たせてしまった。大学を出ていったん就職するも、その環境が嫌で弁護士になろうとした。貯金もないなかで、彼女は応援してくれた。家賃やらすべて支払ってくれている。僕の今後の人生は彼女のためにささげよう。そう思っていた。彼女の気持ちにこたえたい。そう応えたかったんだ。


「君にはもっといい人がいる。僕にはもったいない。」


彼女は一点を見つめ、茫然と涙がほほを伝っている。僕のために頑張ってくれている。でも、もう幸せになってほしい。こんな男のために尽くさないでほしい。彼女の期待に応えることができない。勉強をしたが、モチベーションが保てなくて、予備試験すらまともに受からない。彼女に期待に応えることができない自分がみじめでかっこ悪くて。もうそんな自分はここから消えたい。一人になりたい。そう思うしか自我を保てなかった。


「もうその考えは変わらない?」

彼女は小さな声をこちらに投げた。


「変わらないかな。」

情を出さないようにただそうつぶやいた。


そこからしばらく沈黙が漂う。すると彼女が口を開いた。


「一旦また明日話さない?変わらないかもしれないけど、少し考えさせて。」


彼女のことだ。8年も付き合っていればお互いの過去の恋愛話もする。僕が一晩考えてもその意思は変わらないことぐらい知っているはずなんだ。


「・・・わかった。また明日話そう。」

ここでまた優しさという弱さがでた。僕の悪いところだ。ここで関係にけりをつけるつもりだった。涙があふれてる彼女をしり目に冷え切った扉を開いて夜の道へと歩みを進めた。


次の日の午前中。僕は彼女の家へ向かった。僕の気持ちは変わらない。ただどこか足取りが重く感じる。


彼女の家に入ると、目を腫らした彼女が体育すわりで壁にもたれかかっている。いつもならここで彼女の言い分を飲んでしまう。でも今回はそれはしない。そう決めている。


彼女の近くに座るが、互いに目線は合わない。ベランダを見たり、天井を見たり。視線が交われば会話が始まってしまう。しかし、あまりにも沈黙が長く感じた。


「やっぱり別れたい?」


彼女が先に声を出した。昨日よりも涙がにじんでいるような震える声。視線を彼女に移すが涙は残っていないように感じた。


「そうだね。」


僕はそうつぶやくことしかできなかった。これ以上は言いたくない。


「いろいろ考えたけど、もう決めたことは変えない性格なのも知ってるし、無理かもってわかってるんだけど。応援したいと思っている自分もいて。もう何がなんだかわからなくて。」


彼女の目に大粒の涙がぼろぼろとこぼれてくる。もう昨日流し切ったと思い込んでいた涙が溢れていた。そんな彼女を見て少し目が潤んできてしまう。


「もちろんよくない思い出もあるし、今もだらしないところも見てるからあれなんだけど。」

「やっぱり別れたくない。」


言葉の語尾が上ずる。振り絞ったように聞こえた。言葉に涙がしみこむように。


彼女は膝を抱え顔を伏せた。


ここで僕は自問自答してみた。

なぜ別れたいのか? これ以上彼女に待たせたくない。もう自分の人生を生きてほしい。一人になりたい。

これらの答えがしっくりこない。

納得のいく答えがぱっと頭をよぎった。

弁護士試験から逃げたい。やめたい。これだけだった。


僕ははっとなり、その瞬間涙が滝のようにあふれてきた。

試験から逃げたいから、彼女と別れる。

彼女と別れる理由になっていない。そう自分で気づいてしまった。


「なんで泣いてるの?」


彼女は腫らした目でこちらを見つめている。どこか不思議そうな表情を浮かべた。

僕の心の中は荒れ狂っていた。しかし、渦の中心は変わらないように、ただ一つの真実だけが頭に、そして心に映った。


「いや。理由が・・・繋がってない・・・。」


 言葉がうまく出てこない。両手で顔を覆い、涙が溢れるのを止めようとしても止まらない。ストッパーが壊れたように零れる。

 そんな僕からの言葉を待つように彼女は僕を見つめている。


「ただやめたいだけなのかもしれない。逃げたいだけで・・・。別れたい理由になってない。」


やっと本心が口から出てきた。いつだって僕は本心を心の奥にしまい込む。そんな弱音を吐く姿を見せたくない。でもこの時は自然とこぼれてしまった。頭で考えるよりも先に。心から言葉を発した瞬間だった。


「少し待っててもらっていい?弁護士試験を続けるか。続けないか。決めさせてほしい。」


この時は情けない自分。そんなことは考えなかった。考えずとも心で感じたことをそのまま彼女に伝えた。


「わかった。待つね。」


彼女はそういうと立ち上がり、両手を広げた。なにも言わずとも何をしてほしいか理解した。そして僕は彼女に強く抱擁した。



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