痣
丸山と堂島は車に乗って、施設を離れた。
曲がりくねった道を戻ると『観光牧場』の看板が立っていた。
丸山は小腹が減ったこともあり、その看板の方へハンドルを切った。
小道をしばらくは知ると、広い駐車場にでた。
平日の午前中だったせいか、車はまばらだった。
車を止め、シートベルトを外すと堂島の顔を見た。
「堂島くん? 寝ちゃったの?」
目を閉じて、硬直したように姿勢を動かさない。
「ちょっと、堂島くん?」
丸山が体を揺すると、堂島は目を開いた。
そこには施設で見た、暗いというか、黒い光のようなものはなかった。
「堂島くん?」
「いててて!」
車内で大きな声を張り上げたせいで、丸山は耳を塞いだ。
そして堂島の肩を叩いた。
「いてててて!!」
更に大きな声が車内に響き渡った。
堂島が『痛い、痛い』と騒ぐので、二人は駐車場の端の木陰に行き、ネルシャツと肌着を脱がせて見た。
見ると、背中のあちこちに痣ができていた。
「酷い…… やっぱり被害届を出そうよ。堂島くん、なんであの時被害届は『いい』なんて言ったの」
「そんなこと言いましたっけ?」
丸山は暗い、黒い、謎の目をしていたことを思い出した。
「もしかして、記憶失ってる?」
「……もし僕がそう言ったとしたら、こういうことだと思います。あいつ、もっと酷いことやってる。こんな傷害罪じゃなくて、もっと酷いことを」
「こんなって、過小評価しすぎだよ、こんな痣になってるんだよ?」
丸山はスマフォで堂島の背中の写真を撮った。
「このまま見て見ぬふりをすると、やばいことが」
「やばいって、どういうこと」
「殺人とか、そう言うレベルの事件が起こりますよ」
丸山は胸の下で腕を組んだ。
「どれくらいの時間の間に?」
「明日か、明後日というレベルで」
「……」
堂島の見立てが正しければ、また一つ、殺人事件に関して記事がかける。
さっき入った礼金を元手にすれば、こんな田舎なら数日暮らせる。
「うーん」
「本当です。信じてください」
丸山は施設からここに来るまでの堂島の様子を考え、何か異常なことが起こっているのだと感じた。
格安ビジネスホテルとは言え、二泊足すとなるとそれなりに金額がかかってしまう。
丸山はスマフォを取り出して何か調べ物を始めた。
「あ、あの?」
堂島の言葉に対し、丸山は『待て』とばかりに手で押さえるような仕草をする。
ようやく何か問題が解決できたらしく、丸山は笑顔を見せた。
「わかった。明日、明後日まで彼の様子を見ましょう」
二人は、観光牧場に入り、中で売っていたソフトクリームを手に、椅子に座った。
気持ちのいい青空のもと、牛や馬、羊がのんびりと草を食んでいる。
サクサクと食べ終わった堂島に対して、丸山はまだ半分程度しか食べれていない。
溶け出したアイスが、手や口周りについて垂れている。
「あ、あの、色々なところにアイスが」
「アイスは好きなんだけど、こうなるのが玉にきずよね」
「いや、そうなるのは、丸山さんの食べ方が……」
「食べ方が、何?」
堂島はそれ以上言わなかった。
コーンを握った手にはアイスが溢れて掛かって垂れているため、手を遠回しに口へ持っていく。そのせいで口に運ぶための時間が長くなり、更にアイスを溶かしてしまう。
口に運んだら運んだで、彼女は口を開けて噛むようにアイスを削ぐことをしない。
だからひたすら舌を使って、舐めとるしかないのだ。
女性で大きな口を開けれない事情を考慮しても、犬が水を飲むぐらい舌使いが早ければいいのだが、ゆっくりと、アイスの上を動かすため、そこでも食べるスピードが落ちてしまう。
ようやく食べ終わった時には、椅子の周りにアイスの跡がいっぱいできていた。
「タオルかして」
堂島は自分のバッグからタオルを二つ出した。
「ちょっとどこいくのよ」
堂島は近くにあった足洗い場のようなところで、一つのタオルを濡らし、絞った。
そして丸山の手と顔を、濡れたタオルでささっと拭った。
「あ、ありがとう」
乾いたタオルを渡すと、濡れたタオルを持ってまた足洗い場に行ってタオルを洗って絞った。
ベトベトしたアイスを拭ってさっぱりとした丸山が椅子から立ち上がった。
「さあ、そうしたらちょっと宿泊の為に買い出ししましょう」
「食べ物ですか?」
「石鹸とか、洗剤、歯ブラシとか肌着とか」
堂島は首を傾げた。
肌着はともかく、石鹸や歯ブラシはホテルにあったはずだ。
それと、洗剤というのはなんだろう。
「泊まるところ、ホテルじゃないんですか?」
「ええ、民泊よ民泊」
堂島は想像してみた。話は聞いたことがあるが、『民泊』を利用したことはなかったのだ。
車で少し山を下り、『なんでも揃う』というシメリ・ホームセンターに着いた。
丸山は買うものを理解している為、先に店の中へと進んで行った。
堂島はカゴを持たされて丸山を追うように店内に入る。
丸山は忙しく動き回った。旅行先で使う小分け式の洗剤や、洗濯紐、トラベル歯磨きセットなどをどこからともなく持ってきては、堂島のカゴに入れて去っていく。
大きなブルーシートまで持ってきた時は、さすがに聞き返した。
「これは?」
「いいから、入れといて」
堂島も丸山を追うように、ゆっくりと店内を回っていたが、進んだ先で霊気が見えた。
不審に思って近づいていくと、霊気が溜まっているのは刃物を置いている場所だった。
堂島が見ていると、消えかけているたくさんの霊気は、何かに吸い込まれるように同じ方向に進み、消えてしまった。
「……」
「どうしたの?」
堂島は刃物がいくつも下がっている陳列棚を見つめたまま、答えた。
「今、この棚から霊気が、かなり最近のもので、とても邪悪な」
「刃物から…… ってこと?」
「そうです。何か事件に使われた確率が非常に高……」
言いながら丸山の方を振り返った。
丸山は無造作にブラジャーとパンティーを、カゴに入れてきた。
母のブラジャーは記憶にあったが、こんな大きいものではなかった。逆に、パンティーはこんなに小さく縮まるものではなかった。
これは母と丸山の年齢の違いによるものなのだろうか。
堂島はカゴの中の女性下着をしげしげと見つめている。
「堂島くんって霊気の匂いを追いかけられるの?」
「は、はい?」
「ねぇ、話聞いてた? 堂島くん、霊気から犯人を追いかけられる? 出来ないなら、いつも、どうやって『犯人当て』してるの?」
堂島にとって霊気は『見える』のであって犬が匂いを追うように『嗅いで』いるわけではない。ただ、流れは見えるので、それを追うことはあった。
「流れていれば、見ることはできるんです」
「じゃあ、その刃物を追える?」
「今、どこかに吸い込まれて消えてしまって……」
丸山はメガネの縁を押し上げた。
「吸い込まれた方向はわかる?」
「なんとなく」
「じゃあ、そっちに向かってみよう」
二人は会計を済ませると、車に乗りのみ、堂島が行っている方向へ車を走らせた。
田舎であり、主要な道はそれほどない為だろう、霊気が消えていった方向は施設に戻る方向であった。
車が走っていく中、堂島は畑の方に黒い霊気を見た。
「止めてください!」
丸山がハザードをつけて、車をゆっくり路肩に寄せる。
堂島は車を出て、畦道を走り出した。
畑の一部が、不自然に整地されている。
何か、このあたりを調べた様子があるのだ。
「!」
堂島は感じた。誰かが見ている。何かを通じて。どこか遠くで。
畑の土を手に取り、砕いてみる。
ボロボロを崩れ落ちる土から、残っている微かな霊気を見つけた。
「堂島くん! どうしたの?」
堂島はスマフォで畑の周囲を含めて写真を数枚撮った。
「ここが? 何があったの?」
「ここで殺人があったと思います」
堂島は推定する。こんなストレスフリーな場所では、霊気が一週間も残っていないだろう。つまり、残っていたことから考えると、一週間以内だ。
「警察に協力を申し出ましょう。おそらく、さっきの施設に犯人がいます」
霊が消えていく方向はあの施設で間違いない。堂島は施設のある山を見つめる。
そう考えると、霊の主、つまり犯人は今日会った『黒坪』なのかも。
「どこまで聞き入れてくれるかわからないけど、いきましょうか」