問題の職員
湖浜が出ていくと、丸山が口を開いた。
「……なんだろう。ヤバい感じがする」
「僕もです」
丸山と堂島に同じものが見えているとは思えないが、導き出される結果が同じだということは、本当にその職員に霊が憑いているのかもしれない。
「あと、堂島くん『ドウジマロール』の件はやめた方がいいよ。そのうち誰か凍え死ぬ」
「以後気をつけます」
堂島は丸山とは反対側、廊下の方に体を向け、廊下の様子をうかがっていた。
しばらく二人が黙って待っていると、堂島の目には、部屋に霊が流れてくるのが見えた。
「!」
さっき廊下を流れていた霊と似ている。
すると、廊下側から声が聞こえてきた。
「面会ってなんだ。俺は何もやっちゃいねぇ。捕まる覚えなんかねんだよ」
「だから違うって言っているだろう」
「ウルセェ! もし警察だったらブチ殴るからな」
大きな声で喚いているのが、霊視する対象だろう、と堂島は考えた。
街で見かける限り、こういうヤカラは霊的に『すっからかん』であることが多い。
部屋に流れ込んでくる霊が、ヤカラから流れてくるのなら『すっからかん』ではない訳だが……
その時、二人が待っていた部屋の扉が『蹴破られ』た。
扉に嵌められていたガラスは砕け、床に飛び散った。
避けるためにかざしていた腕を避けると、堂島は、扉の位置に立っている男を見ようとした。
しかし、光学的に見ることができなかった。
体が見えないほど、男の周りを無数の霊が覆っている。
例の一つ一つは、襲ってはこないものの、敵意剥き出しであり、堂島は恐怖を感じていた。
「警察じゃねぇな。ネルシャツの警察は見たことねぇし、そっちの女も警察の正義感が体に出てない」
堂島は手で胸を押さえ、落ち着かせようとしていた。
見えてしまうものの恐怖に耐えきれず、霊を無視して光学的に男の容姿を捉えることができないのだ。
堂島は震える手で、スマフォを取り出し、カメラを起動した。
スマフォの画面を見て、ようやく堂島にも被験者の姿が見えた。
髪はかなり短く刈り込まれており、坊主と言えた。
湖浜と同じ制服の上着を、ただ引っ掛けて、袖を首のところで縛っている。
上着の下は白いタンクトップを着ていた。背は高くないが、肩や腕は鍛えているように太く、筋肉質だった。左の上腕部に何か刺青が見える。
「おい、勝手に写真とんなや!」
男は部屋に踏み込むなり、堂島のスマフォ目掛け、足を蹴り上げてきた。
「……」
堂島は一瞬早く立ち上がって、男の蹴りを避ける。
空振りした蹴りが、下がってくると、堂島が座っていた椅子の座板に踵が落ちた。
バリバリ、と嫌な音がして、座板が割れる。
「これは写真をとっているわけじゃないんだ」
堂島はスマフォをしまった。
男は蹴りを避けられたことが信じられず、なぜ失敗したのか考えているようだった。
「……」
蹴破られて扉を乗り越えて湖浜が入ってくると、男の背中を軽く押して言った。
「ほら、黒坪くん、まずは挨拶して」
「こいつらから挨拶するもんだろ」
慌てて丸山は立ち上がり、頭を下げる。
「丸山と申します。今日はよろしくお願いします」
「女は今日と言わずいつでも歓迎だ。俺は黒坪祭人」
黒坪はハグをしようと両手を広げてくる。
丸山は後ろに下がるが、間に合わなかった。
頬をすり合わせるほど抱きつかれてしまい、丸山は慌てて両手で突き放した。
「あんた、おっぱい大きいね。大きいのは好みだ」
堂島は、黒坪を押し戻した。
「黙れ」
黒坪が堂島の髪を掴むと、簡単に引き倒してしまった。
「俺に『黙れ』とか、どの口が言ってんだ」
足元で倒れた堂島は、黒坪の左足に絡みついた。
何とかして床に倒してやろう、そういう意図がみえた。
だが、鍛えている黒坪は、掴まれた足を上げ下げするほど余裕があった。
それでも離れない堂島を、今度は拳で叩き始めた。
「警察! 警察を呼んでください!」
丸山が湖浜にいうが、彼は両手、両腕で顔を隠し、二人の乱闘を見ないようにしている。
「湖浜さん!」
こいつは役にたたない、と思った瞬間、丸山はスマフォを取りだす。
緊急通報をしようとするが、かからない。
「圏外!?」
床に転がり、動かなくなる堂島。
「警察に通報されたら困るんだよ。俺も湖浜も」
黒坪は丸山に近づいていく。
大きく手を上げ、丸山の頬に振り下ろされようとした時。
「!」
黒坪の動きがピタリと止まった。
何かを感じ取って、湖浜は腕を下げて三人を凝視した。
床に転がっている堂島、目を閉じて避けようとしている丸山、振り上げたまま動きの止まった黒坪。
すると丸山の方を向いていた黒坪の顔が、ゆっくりと右に向いていく。
黒坪の顔と頭には霧で吹いたように細かい汗が浮いている。
「痛っ……」
体が全く動いていないのに、頭だけが捩れていく。
「す、すみません!」
突然、湖浜がそう言うと、その場で『土下座』をした。
だが、彼は誰に向かって言っているのだろうか。
丸山は目を開き、その光景を確認する。
湖浜の土下座は、誰に対しての、何について謝罪するものなのか。
……すると、黒坪の頭の捩れが止まった。
黒坪は何も話さないまま、部屋を出ていってしまう。
うつ伏せに床に転がっていた堂島が、ゆっくり立ち上がった。
「大丈夫?」
丸山が声をかけるが、答えない。
湖浜は慌てて頭を下げる。
「すみません。本日のところはこれでお引き取りください。霊視のお金はお支払いします。さあ、事務室の方へいらしてください」
「すみませんが、彼が怪我をしていた場合、被害届を……」
「いいんです」
堂島の声のトーンが違っている。そう思った丸山は、顔を覗き込む。
髪を絡めて鷲掴みされたせいか、いつもより前髪が下がり気味だった。
それより気になったのは目の光だった。
暗く何を見ているかわからないのに、眼球自体が黒い光を放っているように感じる。
それは『虚』という表現が正しいのか、『何者かが乗っ取って』いるというべきなのか。丸山は考えるが分からない。
堂島は湖浜に聞こえないように、丸山に言う。
「早くこの場を離れた方がいい」
「あなた、堂島くん?」
やはりいつもの堂島ではない。
だが、彼の言う通りだろう。ここに止まっている意味はない。
「じゃ、帰ろうか」
丸山はそう言って堂島を廊下に出るよう促した。
三人は廊下を通って事務室へ行き、中に入った。
先に入った湖浜が小さな金庫を開け、現金を数えて封筒に入れる。
それを見た丸山は、堂島を事務室へ入れないよう扉で立ち止まった。
止まっている丸山を見て、湖浜は言う。
「どうぞお入りください」
「いえ、すぐ帰りますので」
「脅かしてしまい、すみませんでした。こちらが約束の霊視のお礼です」
丸山は封筒を受け取ると、確かめもせず、すぐにバッグへ収めた。
「あの。お約束の通り、領収書は出ませんよ」
「存じております」
湖浜は丁寧にお辞儀した。
「おかえりはわかりますか?」
丸山も頭を下げると、堂島を押し出すようにして施設を後にした。