最後の敵
目を開いたまま、藤井は直立不動の状態だった。
その、藤井が揺れた。
沓沢は駆け寄ると、藤井を支えた。
「しっかりしろ」
藤井は目を閉じた。
「縛って……」
その声はか細いものだった。
「なんだって?」
「黒坪、縛って」
沓沢は藤井の肩を支えながら、意味を理解した。
「北上、二人に手錠をかけろ」
「は、はい」
北上は上着から一つ手錠を出して、黒坪にかける。
沓沢が北上にもう一つの手錠を渡す。
北上は和森に手錠をかける。
そして、倒れている梁巣を揺する。
「おい、梁巣、大丈夫か?」
仰向けになると、梁巣は目を開けた。
覗き込んでいる北上の姿を見て、梁巣は理解する。
「俺は負けたのか」
「『負け』とか言うんじゃない。藤井さんがちゃんと引き継いだ」
「藤井は勝ったんだろうな」
北上は藤井を見る。
とても勝ったという状況ではない。
「なんとか…… な」
「まだ終わってねぇ」
梁巣は、力強く立ち上がった。
「何が? 死体も動かなくなってる。終わりじゃないのか」
「そのトラックの後ろから迫ってきてる」
梁巣はトラックの方へ歩き出した。
「お前、そういうのよく分からなかったんじゃ?」
「そうだ。多分、今もそうだ。だから、きっと……」
北上はその先の言葉を考えて震えた。
沓沢も同時に異変を感じていた。
「どうした」
目を開けない藤井が、沓沢にしがみついてきた。
沓沢はそれが『恐怖』に裏付けされたものだと直感した。
「来る」
藤井の声が引き金となったようだった。
道を塞いでいる大型トラックが、軋むような音を立て始めた。
トラックが曲がり始めた。
後ろの荷台部分が見え、運転席側は車体の下部が見える。
フロントグラスはヒビが入り砕けた。
車体が捻じ曲がったせいで燃料タンクから、ガソリンが吹き出す。
掛けられた力に耐えきれない荷台やシャーシは、千切れ、折れ、飛び散った。
広がったガソリンに引火する。
一気に広がった炎が引き金になり、トラックの中心が爆発した。
トラックは前後で分断され、それぞれが両側の畑に飛んだ。
北上が言う。
「なんだ!? ロケット弾でもぶっ放したのか?」
「霊力だ」「霊力よ」
梁巣の声と藤井の囁くような声が同時に答える。
「トラックを吹き飛ばせる、と言うデモンストレーションをしてみせたわけか」
沓沢の言葉に、藤井は目を開けた。
そしてトラックと逆方向を指す。
「早く逃げないと殺されてしまいますわ」
「俺は逃げねぇ」
梁巣の目を見て、藤井は沓沢の体を離す。
「お、おい大丈夫か」
「確かに、私たちが逃げたら大変なことになりますわ」
「お前らは逃げろ。今回ばかりは役に立たない」
北上は慌てる。
「おいおい、そんなハードル上げて、しょぼい敵だったら」
「トラックを捩じ切る霊力だぞ」
アスファルトに上がっている炎が、スッと消え、陽炎の向こうに人の姿が見えた。
「あれか?」
遠かったその人物は、いきなりトラックを越え、近づいてきた。
小太りな感じの丸顔、細い目。皺やシミの感じから、年齢は五十代ぐらいだろうか。
制服なのか、薄い緑の上着とズボンで、上着の下にはワイシャツとネクタイがのぞいている。
男は笑いながら、藤井たちを見ている。
後ろには、体の前で腕を押さえている丸山が立っていた。
「湖浜?」
北上が男の名前を言うと、呼ばれた男は左手を前にだし、指を弾くように動かした。
「うわっ!」
北上だけに突風が吹いたように、飛ばされた。
アスファルトを転がり止まる。
「気安く我の名を呼ぶな」
「この野郎!」
梁巣が、握った拳を全身のバネを使って繰り出した。
霊の波動が湖浜をとらえた。
「入った」
しかし、湖浜は何も変わらない。
左手の指がほんの少し動いただけだった。
「その程度の霊力で歯向かおうと? 身の程が分からない者は惨めだな」
湖浜は左手の薬指を、曲げ、伸ばした。
すると梁巣の体が浮いた。
梁巣は声が出せなかった。
霊力そのもので、首を持ち上げられているのだ。
梁巣は手足をバタバタさせた。
それは、首を絞める霊力を打ち消そうと、蹴りや拳を繰り出していたのだ。
だが、全く首を持ち上げる力は弱まらない。
全身の霊力を体に集中させ、自ら体を浮かせることで首が締まらないようにするしかなかった。自らの霊力が尽きたら死んでしまうことになる。
「絶望を感じながら死ね」
「一体、あなたはどれだけの人を生贄にしたのですか?」
湖浜は藤井に目をやった。
「そこらへんに転がる死体の数は数えたみたいだな」
藤井は腕で胸を隠すような仕草をした。
湖浜はニヤニヤと笑った。
「考えを読みましたね」
「さっき、施設であったタンクローリーの爆発も知っているじゃないか。従って、プラス三十人と言うところだよ」
湖浜はさらに近づいてくると、和森を、次に黒坪を蹴った。
「こいつらは、生贄の価値をよくわかってなかった。だから利用させてもらったのさ」
「人の命をなんだと……」
藤井の怒りに、湖浜の表情が変わった。
「君のような者の方が、よっぽど人の命の使い方をわかってないようだ」
「使い方、そんな言い方」
「うるさい!」
湖浜は藤井に向けて左手を向け、梁巣の時と同じように指を動かした。
「黙ってろ」
藤井の体が浮いた。
首に手をかけ、外すような仕草をするが、苦しみが変わらない。
梁巣の様子を見て、藤井も自らの霊力で体を浮かす。
「ほら、そこの二人」
声をかけられた瞬間、北上は湖浜に向けて銃を撃っていた。
さっきまで撃っていた死体とは訳が違う。
生きている人間なのだ。
眉間に弾痕がある。
沓沢は、驚いて声をあげる。
「北上、お前、何をしてる!?」
湖浜が右手で額に手を当てると、何かを握った。
「心配無用だよ。銃はきかない」
そう言うと右手を前にだし、手を広げてみせた。
「ほら、この通り。誰も殺すことは出来ない」
沓沢は後退りした。
「ダメだよ、君たちは逃げれない。まずこの二人を支えてやるんだ。放っておくと首がしまって死ぬんだ。今は霊力を使ってなんとか生きているが」
湖浜がそう言うと沓沢の足が止まった。
前に動こうとしても何かに当たってしまうようだ。
「何をした?」
見えない壁を叩くようにして、北上が言った。
「囲いをつけてやったんだ。二人の霊力が切れたら、その囲いが開く。つまり囲いが開いたら早く助けてあげないと、二人は死んでしまう」
湖浜は笑った。
そして後ろを振り向くと、誰も運転していないのに車が走ってきた。
俺が借りた車だ、と梁巣は考えた。
首が締まっていて声が出せない。
湖浜、こいつがこの車に仕掛けたに違いない。
そのせいで俺が芦田殺人の第一発見者になってしまったのだ。
「さあ、それでは首都攻略に向かうとするか」
丸山が運転席の後ろに乗り込み、湖浜はその後ろに乗り込んだ。