霊気の中で
堂島は体の周囲を、湖浜が放った霊気で包まれていた。
霊が変形したため、潰されないように支えていた手は、今は意味もなく掲げているだけだった。
霊は堂島を潰そうと圧力を掛けている。
気圧で表現するとすでに二万ヘクトパスカルを超えていた。
堂島の内部で持っている霊圧が、対抗しているために持ちこたえているのだ。
湖浜の霊がかけてくる圧力はさらに上昇していく。
ゆっくりと変化すれば、人間が耐えられる気圧の限界は三万ヘクトパスカルと言われている。
その値を、まもなく超えてしまう。
体が耐えきれなくなり、肺が機能しなくなれば、呼吸が止まり死ぬだろう。
霊の大きさはもう当初の半分になった。
霊視ができる人間が見れば、凝縮された霊に押しつぶされそうな堂島が見えるだろう。
だが、霊が見えない人間からは、堂島はただ立って苦しそうな表情を浮かべているだけだ。
堂島は考えた。
死ぬ。
この何もない大気の底で、僕は強力な霊圧をかけられ、肉体が崩壊して死ぬのだ。
おそらく後、数十秒だろうか。
『霊を受け入れろ』
堂島はどこからか、声を聞いた。
脅しだろうか。
受け入れたら、自らがもつ霊力が追い出されて、操られるか、自己を失うことにより死に至るか、どちらかだ。
『間に合わないぞ。潰れる前に受け入れろ』
意識が飛びそうな、朦朧とした状態の中、目の前に顔だけが浮かんでいる。
顔は鏡で見た自分にも似ているが、歳を取って髪が薄く、逆に髭が生えている。
『受け入れてから死ぬか、受け入れる前に死ぬか、可能性を考えろ』
『誰です?』
『ハゲは余計だ』
『そんなこと言ってません』
『考えたことは分かってる』
『見たままですから』
『うるさい、薄毛といえ』
『受け入れたら潰されないんですか?』
『外と同じ圧力になるわけだからな』
『僕が自己崩壊する』
『やってもいないのに結論を出すな』
『敵の言いなりになって』
『生きることを考えろ。時間を稼げ』
『……』
『間に合わない』
問答は一瞬だった。
僕は霊圧を受け入れた。
包むように存在していた霊の形が、僕の体の形と完全一致するようにピッタリと重なった。
バンザイをするように手をあげたままジャンプした。
頭を、膝を抱え、丸くなった。
人差し指を伸ばし、拳銃のようにして『撃つ』真似をした。
投手がボールを投げるように振りかぶった。
バレエ『白鳥の湖』の白鳥のように僕は踊る。
突然、バク転をした。
フロントダブルバイセップスからサイドチェストに移行する。
落ち着かない。
じっとしていられない。
一瞬一瞬で、動きやポーズが変わってしまう。
写真で高速な紙芝居をしているようにあっという間に形や仕草が変わってしまう。
『お前はここにいる』
再び僕の前に僕が『老いた』ような顔が浮かんだ。
『全てはお前の一部だ』
綺麗に色分けされた七色の砂。
ゆすられる度、砂が混じっていく。
隣合う砂が入れ替わりながら、全体に汚いグレーに近づいていく。
『そうだ。受け入れろ。全てを制御しろ』
血がそうさせている。
僕は目の前に浮かぶ顔を見ながら、そう思った。
玲香ちゃんが除霊を仕事にしているのも、僕が霊視するのも、全ては血がもたらした必然。
今、この不思議な悪霊を取り込んで死なないのも、そうなのだ。
流れる血の力。
抗えない血族の掟。
僕は今、湖浜の霊を克服した。
堂島は障がい者施設の敷地で正座していた。
目を開くと、静かに左足から立ち上がる。
「丸山さん! 助けに行きます!」
障がい者施設に落ちていた丸山のバッグを拾うと、堂島は丸山の車に乗り込んだ。
エンジンをかけると、ノロノロと車が走り出した。
車を運転しながら、堂島は迷っていた。
死にかけた自分の中に、湖浜の霊が存在する。
だが、湖浜の中にはまだ恐ろしいほどの量の霊が内在している。
そんなものと戦って、どうやって勝利するというのか。
堂島は考えた。
霊視は相手を倒したり、除霊することはできない。
玲香ちゃんや、梁巣の手伝いをすることが出来るだけだ。
もし、玲香ちゃんや梁巣が死んでいたら……
体が震えた。
だめだ、僕一人でもやれるつもりで挑まないと。
しかし方法は思い浮かばない。
暗澹たる思いだけが、堂島の心を支配していた。