見えない利用者
堂島は気づいたことがあった。
この施設に入ったのは三日目だが、さっきのイチロウタと呼ばれる人が、初めてみた利用者だったのだ。
確かに初日は黒坪にあって、すぐ出てしまったし、二日目は職員の事情聴取であり、利用者と出会うような時間がなかったが、崖から建物を見ていた時にどこかで利用者が見えても良かったはずだ。
堂島は、和森と黒坪がいる状態だから、言葉でそれを言い出せない。
スマフォを取り出し、メッセージアプリを起動した。
それとなく、北上にメッセージを送ってみる。
『失踪者がいるなら、現在の利用者数と、本当にいる人間を数合わせすればいいのでは?』
北上のスマフォがピロピロと鳴り、メッセージを確認する。
そして沓沢に画面を見せて意思を共有した。
沓沢が足を止める。
つられて、全員が足を止める。
沓沢は振り返った。
「和森さん、いや、これは施設職員である黒坪さんにお願いすべきなのかな?」
和森が、黒坪を制するように手を開いて止め、言った。
「私もこの施設を運営している非営利法人の関係者ですから、私がお伺いします」
「まずは現在の利用者氏名の一覧をいただきたい」
「個人情報になってしまいますので……」
和森はすぐにリストを渡すまい、と言う雰囲気を出してきた。
沓沢はすぐに出せと言わんばかりに、切り返す。
「住所とか連絡先は塗りつぶしていただいて、部屋番号と名前だけでいいですよ」
和森は探りを入れてくる。
「……リストをどうなさるんですか?」
「今日は無理としても、明日、いらっしゃる方と簡単にお会いしたい。この施設にいる、と言うことを確認したい」
「そこまで疑いをかけられている、と言うことですか。すぐには出来ないですね。利用者との調整があります」
北上が言う。
「利用者に話をするわけじゃない。単純な点呼ですよ。逆に聞きたいんですが、この施設ではやらないんですか? 点呼」
「利用者の数は常に把握していますよ」
北上が軽い感じで攻めていく。
「じゃあ、その方法でもいいですよ。監視カメラを人数分スイッチするだけでも」
「そんな目的の為にカメラ映像を見せるのは、無理です。それこそプライバシーの問題を利用者と親族に確認しなければならない」
「じゃあ、利用者の点呼で。明日、よろしくお願いします」
「……」
和森は沓沢と北上に押し切られてしまう形となった。
「明日の調整があるので、私はここで。あとは黒坪の方で対応します」
そう言うと和森は一人で去っていってしまった。
梁巣が黒坪に近づいた。
「おい、さっきイチロウタさんに暴力を振るったな」
「何もしていませんよ。見ていたでしょう? こっちはやるまねをしただけ。手も足も出してない。あれは俺と利用者の絆がなせる奇跡なんですよ。言葉で言わずとも考えが通じるんです。全てはサクラ教団の教えですよ」
「だが、お前は『俺のロー』を受けた。俺とお前に絆などない。つまり、お前が『あの術』を知らないわけないんだ」
黒坪は両手を広げて、持ち上げるように肩をすくめた。
「なんのことがさっぱり」
「この野郎!」
梁巣は握り拳を振り上げた。
そこに北上がきて、梁巣の腕を握った。
「梁巣くん、ダメだよ。それは本当の暴力だ」
黒坪は笑う。
「実際の拳で殴れるような度胸はないだろうけどな」
ボディビルダーが腕の筋肉を見せる時のポージングを、黒坪が真似て見せる。
黒坪と梁素手は相当な体格差があった。
客観的に見て、物理的な拳で戦うのは無理がある。
「北上さん、離して」
「挑発に乗るな」
堂島が梁巣の耳に、小さい声で告げる。
「梁巣さん、落ち着いて。黒坪は今、本来の黒坪じゃない。こんな挑発をするくらいなら、自らが拳を振り下ろしてくるような奴です。明らかにこっちから手を出させようとしている黒坪ではない、誰かの策略に乗ってはいけません」
梁巣は目を閉じた。
腹に両手を置いて、静かに息を吐き、息を吸った。
目を開くと頷いた。
「わかったよ」
施設の調査を終えた堂島たち五人は、施設を出て警察署に向かった。
午後から芦田の殺人容疑で捉えられている和田の霊視を行うためだった。
沓沢が言った。
「どっかでご飯食べて行くか」
それを受けて北上が後部座席の丸山に言う。
「丸山さん、どこか美味しいところ知ってるでしょ?」
反応がない。
堂島は右横に座っている丸山の顔を見た。
シートベルトで支えられているものの、車が揺れると堂島の方へ倒れ込んでくる。
二の腕なのか、それとも胸なのか、とても柔らかいものが堂島の体側に当たった。
「ね、寝てます」
「じゃいいや、寝かしといて。堂島くんは何かここらへんで美味しい店知らない?」
「わからないから、ファミレスでいいです」
車は遠回りしてファミレスに寄り、そこで食事をしてから警察署についた。
警察署に入る前、堂島は署の駐車場に知っているミニパトがあるのに気づいた。
「馬場さんのやつだ」
堂島は誰の答えを求めているわけでもなかったが、誰も反応してくれないのが悲しかった。
梁巣が肩を叩いた。
「お前、思ったことそのまま口にしちゃう奴だろう。そう言うのが許されるのは、小学生までだ」
北上は振り返らず笑った。
「いや、堂島くんはそれでいいと思うよ。空気読んで思ったこと口に出来なくなるより」
五人は警察署に入り、面通しするための場所に入った。
実際は面通しではなく、堂島が霊視をするのだが、容疑者と一般人を顔合わせさせる都合が良い場所が他にないのだ。
だが、約束の時間になっても容疑者の和田がやってこない。
沓沢がイライラした口調で言う。
「北上、ちょっとお前行ってみてこい」
無言で出ていく北上は、しばらくすると帰ってきた。
扉を開けた北上の表情は『驚き』が表れていた。
「どうした?」
「沓沢さん、和田が死んでます」
「堂島くん、悪いが一緒に来てくれ。二人はここで待ってて」
赤黒ネルシャツは、沓沢に連れられて警察署内を移動する。
「どこだ、北上」
「職員用トイレです」
「救急がくるだろ」
「ええ、消防は隣なので、すぐ来ます」
「堂島くん、急ぐぞ」
北上と沓沢を追って、堂島も走る。
赤黒ネルシャツの、知らない人間を見て、職員は何度も止めようとする。
都度、沓沢と北上が堂島のことを説明した。
「ここです!」
男子トイレの中、個室の扉はこじ開けられていた。
「もうだいぶ経っているな」
北上は制服の警官に聞く。
「これは和田で間違い無いんだな」
堂島は強い霊気が、どこかへ吸い込まれるように流れていくのを見た。
この流れ、どこかで見たような。
スマフォで地図を見る。
ここは警察署内。
拡大すると施設の方向へ、霊は流れている。
シメリの刃物売り場で見た時から、この一連の霊は施設へと帰っていく。
何がいると言うのか。
「おい、もっと見なくていいのか?」
堂島は便座に座っている男性の死体を凝視した。
手、足、頭、背中……
まるで何かで吊られているように、細い霊気が、天井に向かって流れている。
まるで操り人形の紐だ。
堂島は思った。こんな象徴的な霊気を見るのは初めてだ。
もしかしたら、彼を誰かが操っていた、ということだろうか。
「すみません鑑識です。もう救急も入ります」
「おい、堂島!」
「一旦、大丈夫です」
北上に押し出されるように堂島は現場を離れた。
沓沢が言う。
「何が見えた?」