妙な黒坪
沓沢と北上はもう少し施設内を回りたいと言ったが、湖浜は仕事があるらしかった。
「職員の付き添いが必要なので、別の者を呼びますのでお待ちください」
湖浜の代わりとしてやってきたのは『黒坪』だった。
「……またお前らか」
黒坪は丸山と堂島を見て、そう言い、睨みつけた。
湖浜は、黒坪の背中に手をスッと置くと言う。
「黒坪くん、警視庁の捜査だそうだから、粗相のないように」
「警視庁」
すると、睨んでいた目つきが少しだけおとなしくなったように見えた。
「撮影には注意して」
「撮影注意」
湖浜は背中に置いた手を離して、事務室の方へ去っていった。
沓沢が、堂島の顔を見る。
「さて、どこを見たい?」
「まずは建物の周りを見ましょうか」
堂島が先頭を歩き、北上、沓沢、丸山、梁巣と続いた。
しんがりを黒坪が歩いている。
建物を回っていくと、日陰になる山側の暗い場所に着いた。
施設の敷地と山の境界には、簡単なフェンスと、有刺鉄線が付いていた。
山側には大きな木が生えていて、立派な幹が伸び、太い枝がフェンスを乗り越えて敷地ないに入っていた。
「……」
堂島が黙ってその大きな木を見つめるのを見て、北上と沓沢は、木を確かめる為、フェンス近くまで近づいていく。
北上と沓沢は肩車したり、ジャンプしたりして、枝に掴まれないか等、簡単に確かめようとした。
だが、様々な方法を試したが、流石に枝に飛び移れそうにはなかった。
沓沢と北上は、フェンス側から、施設の建物を見渡した。
建物の高い位置からジャンプすればギリギリ、飛び移れるかもしれない。
「いや、やるとすると屋上だ。失敗すれば死ぬ」
沓沢がそう結論づけると、北上は堂島に言った。
「……この木を使うのは無理じゃないかな」
堂島はスマフォを取り出して、木を撮影しようとした。
様子を見ていた、北上が叫んだ。
「おい!」
北上の声で、堂島は背後に黒坪がいることに気づく。
「!」
黒坪は堂島のネルシャツの後ろ襟首を掴むと、引きづり倒した。
いや、実際は吹き飛ばされたと言うべきか。堂島は数メートル後ろに飛び、背中を打って、擦っていた。
梁巣が、両拳を握って、胸の前へ伸ばし、構える。
「テメェ、やる気か?」
黒坪は梁巣のその声が聞こえないのか、スマフォでメモをしている。
「無視すんな」
梁巣は黒坪に対し、絶対に足が届かない距離にいながら『ローキック』を繰り出した。
一方の黒坪は、梁巣のモーションを見ていないにも関わらず、足裏でそのローを受けるように足を上げた。
「!」
まるで物理的にローキックを止めたような反動。
霊気による遠隔攻撃。
梁巣や、堂島の親戚、藤井家の人間が扱う、怪しげな能力だ。
これは、技の型から実際に攻撃出来る波動が繰り出せる為、リアルに体が当たると力負けする女性が体得することが多かった。
梁巣は自身の持つ強い霊力から、この技術を独自に会得していた。
倒れた堂島が起き上がると、手を横にあげて梁巣を制した。
「大丈夫だから」
そう言うと、
「撮影注意」
と言いながら、黒坪は堂島を振り返った。
「今後は、撮影する前に声をかけてください」
「……」
堂島は黒坪が、梁巣や藤井が使う例の術を会得していることに驚いた。
本来の体に霊力がある人間が会得するものだと考えていたからだ。
黒坪はおそらく本来は『霊力』がない。何ものかが降霊して、後天的に霊力をつけているのだ。
ただ、理屈上、霊力さえあれば術を使うことは出来る。
黒坪は相当器用なのか、霊力に触れ続けて使うことに慣れているのだろう。
堂島はそう結論づけた。
「この周辺、撮影したいんですけど」
黒坪は答える。
「確認するのでお待ちください」
どこかに電話している。
誰と何を話しているのか、分からない。
「……」
堂島は待っている間も、霊視をしていた。
黒坪が通話を切った。
「和森がきますのでお待ちください」
「かずもり、って誰?」
北上がぼそりと言った。
沓沢が北上の肩に手を置いた。
「資料の内容を忘れたのか」
「あっ、サクラ教団の若手……」
全員が建物の影、山に接する施設の北側で待っていると、建物の両開きの扉で音がした。
湖浜から説明を受けた外に出ることができる扉だ、と堂島は思った。
扉が開くと、中から一人の男が現れ、その場に黒い靴を放り投げた。
靴はひっくり返らず、不思議と綺麗に並んで置かれた。
堂島は髪を後ろに撫で付けた男の顔を覚えていた。
和森 直斗に間違いない。真っ黒いスーツの上下、鼻と耳にはピアスをつけている。
「和森さん」
「皆さんは、ここを撮影したい、聞きましたが」
「……ええ、利用者が抜け出るなら、ここからかな、と」
和森は靴を履くと、静かに近づいてきた。
「人聞きが悪いですね。ここから外に逃げたとしたら、誰かが手引きをしているんでしょう。ぜひ、警察の力で利用者を連れ去る悪人を捕まえてください」
黒坪は木を根本から枝の先までゆっくりと見上げていく。
「あの、撮影は」
「どうぞ撮影してください」
堂島はスマフォを構えた。
開いた建物の扉から、ゆっくりとフェンスまでの空間へパンしていく(※カメラの向きを横に振ること)。
そして木を捉えると、今度はチルト(※カメラの向きを上下に動かすこと)していく。
木の全体像をとらえ終わると、堂島はスマフォの撮影を終えた。
「終わりかな?」
和森が言うと、建物の中から声が聞こえた。
「誰か止めて! イチロウタさんが、外に出ちゃう!」
和森が開いた扉から施設利用者が飛び出してきた。
室内履きのまま、土を蹴っていく。
堂島たちはどうしていいか分からず、走っているのを見逃してしまう。
「おい!」
黒坪が素早く足を水平に払った。
さっき梁巣がやったことと同じ。
絶対に足が届かない位置で、だ。
利用者は、足が後ろに大きく払われ、頭と足先が完全に逆転した。
そのまま頭が地面につくと、背中と足が激しく叩きつけられた。
黒坪は真下に拳を振り下ろした。
仰向けに倒れている利用者は、腹部に打撃を受けたような反応をして、体を曲げた。
「痛い痛い」
黒坪がゆっくりと利用者の頭に近づく。
「黒坪!」
利用者が妙なイントネーションでそう言うと黒坪は利用者の襟首を掴んで引き上げた。
「イチロウタさん? 何か間違っていませんか」
立ち上がった利用者は震えている。
「黒坪さん」
「今は外に出る時間ですか?」
「いいえ、いいえ、違います」
黒坪は手を離し、建物を指差した。
「では戻ってください」
堂島がスマフォを構えると、和森が画角に入ってきた。
「利用者の撮影はご遠慮ください。プライバシーがあります」
堂島はゆっくりとスマフォをしまった。
利用者は、黒坪の言ったことに従うように大人しく建物に入って行った。
建物側に顔を出した施設職員に、黒坪が言う。
「佐藤さん、その内履きは洗ってあげて」
「は、はい」
そう言って頷くと、佐藤は両開きの扉を閉めた。
軽い金属音がして、扉にロックが掛かった。