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帰郷  作者: 坂本梧朗
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その4

 真一は苦しくなって煙草に火を点けた。煙を吐きながら窓の外に眼をやった。平行して走る高速道路の上を、幾台かの車が、列車に捕捉され、並行し、後方に退いていった。夏の日射しの中に、青々とした水田が展開し、飛び去った。山並みが眼前に迫ったかと思うと急に消え、また違った表情をした樹々の高まりが遠くから近づいて来た。展開する景色を眺めながら、真一の脳裏には様々な光子の姿が去来した。光子を愛しいと真一は思った。その光子にさえうちとけられなかった目分を思うと、口惜しさにふっと涙が出ようとした。

 何故そうなのか―それは何度も発してきた苦しい問いだった。そしてその回答も既に真一の中につくられつつある問いだった。真一の思いは目然に自分の送っている聴講生の生活に及んでいった。


 聴講生の生活は、真一が自らに課した日々の課題のために外面的には規則正しく過ぎていった。大学卒業と並行して行われた大学院入試に失敗した真一は、来年は必ず合格しなければならないという緊張の中で、試験科目の全てにわたって毎日学習を進める計画を立てたのだ。そして現在までニカ月余りそれを実行してきた。朝起きてから就寝まて、時間は課題毎にこま切れにされて並び、 その間に食事やちょっとした息抜きを加えると真一の一日ができあがった。生活のアクセントは精々食事や本を読む場所を変える事くらいだった。その食事の間も真一は本を手離す事ができなくなっていた。食事の前後を一つの単位時間として、その間にどこまで課題を進めようという考えが真一を捉えた。それで食事をする時もできるだけ長く粘れる喫茶店を選んだ。だがやはり店の人の眼は気になるし、早く済ませようと焦れば、ささやかな楽しみと休息をもたらすはずだったその時間も、容易に一つの苦行に転化した。にもかかわらず常に何らかの刺激や充足に飢えていた真一は、大学の図書館に向かうよりは、そんな街の喫茶店に足を向けた。毎日の課題を一つ終えると淡い満足感があった。 一つでもやり残したまま一日が終わると、かけ違えたポタンの様に気になった。


 真一は孤独だった。殆ど人と話をしなかった。悩みや希望も真一 一人の胸の中の事だった。周囲に友人がいないわけではなかった。学生時代にある青年組織に加わって活動した経験のある真一には、むしろ知り合いは多いと言えた。だが真一と彼等との間には薄膜の様なものができていた。それは多分に真一の側がつくってきたものかも知れなかった。真一は彼等とある心の強張りなしに会う事ができなかった。彼等と会う事への恐れが、真一の足を大学から遠ざける一つの原因だった。そのために真一の人間関係は極めて不安定だった。やがて閉ざされがちな真一の心はどんな人との交流も困難にしていった。人々はある眩しさを持って真一には見え、早くそれから眼をそらせたい気持を起こさせた。人と話をしても、相手と交流できない自分の心ばかりが意識され、苦痛と空しさだけが残るのだった。…………


 下宿や風呂屋、食料品店のおばさん達の顔か浮かんだ。その人達とさえ、真一はうまくつき合えてなかった。

「砂漠だ、砂漠だ」

真一は窓ガラスに向かって苦しげに呟いた。灼けつく砂漠を一人歩く自分の姿が見えてくる様な気がした。それは渇きと焦悴の中で今にも倒れこみそうだった。


 こんな生活の中で培われた自閉的な習性が、 俺を光子にもうちとけさせなかった、真一はそう思った。

どうして俺はこんなになったろう― 目分自身に悲しみを覚えながら、真一は改めて訝し気にそう思った。するとやはりNとの事か重苦しく浮かんできた。


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