8 始末と結末
あれから半年が経った。
先日、インフィ国では建国日の式典が行われた。だけど『聖女』マリアの姿は、そこにはなかったという。
マリアはいまだに牢にいて、変わらず怠惰に過ごしながら、ずっと無罪を主張しているそうだ。
私の冤罪の撤回は、さほど騒がれなかった。皆私を罵倒して石を投げたことなど忘れて、否、忘れたことにしたかったのだろう。それに、一人二人ならともかく大勢で寄って集ってだったから「皆もやっていたし」と罪の意識も薄そうだった。
私の世話をしてくれた侍女たちと私の護衛をしてくれた人たち、そしてエリフ村で両親の遺体を見つけてくれた老夫婦だけが喜んでくれたから、もういいけど。
だけど『聖女』マリアの罪状と断罪には、国中が混乱した。
『聖女』だからとマリアを擁護する側と、『聖女』として勤めたことが一切ないことをずっと不信に思っていた側が対立した。
長期化も懸念されたけど、時間が経つにつれて、贖罪しているとも聞かず人前に姿も現さず『聖女』の務めを果たさないのに国税で生活しているマリアに対して、擁護していた側にも不満が募り始めて対立は少しづつ収まってきているという。
マリアは、それをまだ知らずにいる。
惰性で養われているのを、まだ国民から『聖女』として愛されて、慕われていると思っている。
変わらないと思ったけれど、もしかしたらマリアは、あの日に狂ってしまったのかもしれない。
だとしても、謝罪もしないマリアに対して私がすることは、なにもない。
村長夫妻は、会合の前に街の裁判所で証言をとった後そのまま村に戻したそうだけど、やっぱりマリアの件で肩身が狭くなったそうだ。
親戚に村長を引き継いで村を出て、メイフィア国に移住してくると聞いたけど、国王が先に手を回してメイフィア国と周辺国に頼んで村長夫妻の移住を阻害してくれた。夫妻がその後どこに行ったのかは、知らない。
夫妻がメイフィア国に移住してこようとしたのは、両親のお墓をこっちに移したからだろう。
インフィ国で会合に参加している間に、メイフィア国の人に頼んでお墓を移す作業や手続きをしてもらって、一緒にメイフィア国に帰った。王様や宰相と同じ馬車に乗って帰ったのは、王様が私に話があったのと、私が乗って来た馬車に両親の棺を乗せたからだった。
すぐに村長夫妻から手紙で抗議されたけど、関係ないから無視した。保護者の私を無視して勝手をするなと書かれていたけど、メイフィア国に戻ったときにギルド長に保護者代理を変更してもらったから、手紙をもらった時にはもう村長夫妻と私は無関係だったし、言うことを聞く道理はない。
恩義だになんだのとも書かれていたけど、雨漏りのひどいカビ臭い屋根裏に押し込んで、腐った食事を与えてくる相手に感じる恩義とは一体なんなのか。私に被虐趣味はないので一切恩を感じませんでした、としか言いようがない。
それからすぐに移住してくると聞いたので、間違いないと思う。
執着がすごいな、と正直気持ち悪くなった。
お墓を移すついでに、冤罪の再調査の名目で村長の自宅も家捜しした。やはり、捨てられたと思っていた両親の遺品は、村長夫妻が持っていた。
あの二人は婚姻しただけで体を繋げたことは一度もないらしく、普段は冷めた夫婦関係だそうだけど、行動がそっくりだ。両親の日常品から、下着まで、それぞれの自室に飾って、いかがわしいことにも使用してたらしい。作業をしてくれた方も引いていた。
もし村長夫妻になにか言われたら「窃盗で訴えます」と伝えてくださいと頼んでおいた。
予想通り村長夫妻はすごい文句を言ったうえに、自分の物だ、と言い張ったそうだ。両親も私も二人に譲った記憶はない。伝言を伝えてもらったところ、二人は勝手に持ってきた自覚が一応あったらしく、黙ったらしい。
両親の遺品だったけど、なにに使ってなにがついてるかわからないものを持っていても気持ち悪いから、没収後は燃やしてもらった。二人の目の前で。
両親が互いに贈りあった物や、私が記念日に二人に贈った物もあったけど、なにで汚されたかわからなくて本当に無理だったから、天国の二人もきっと許してくれると思う。
そして、私はというと。
あの後ギルドに戻って、皆に暖かく迎えてもらって、そして。
ギルドで働きながら、メイフィア国の城内にある家で暮らしている。
「……どうしてこうなった……」
思い返してみても、急展開だった。
私の身柄の安全を確保するためにと、メイフィア国から私の家を用意すると言われて、最初は恐れ多いと断った。
だけど、マリアが『聖女』の役目を果たさないままにしておかないだろうインフィ国が、今後どう動くかわからない。例えば暗殺とか、誘拐とか。
そう言われ、確かに、手を煩わせるよりは、と思って頷いた。
そうして連れてこられたのはメイフィア国の城内で、案内されたのは、敷地の端にある、何年も放置されていたというわりに綺麗に保たれている家屋だった。私がインフィ国で住んでいた家よりずっと大きくて立派だ。
なんでも隠居した数代前の王様が建てさせたものらしく、設計も彼がしたものだとか。だけど、きらびやかな雰囲気はなく、落ち着いた佇まいをしている。
その王様は庭いじりが趣味で、隠居してから亡くなるまでの数十年をかけて家の周辺に様々な花や緑に溢れた綺麗な庭園を作ったそうだ。
『聖女』が消えた混乱やその後のことで家屋以外を手入れする余裕がなかったので、今の庭園は荒れ放題になっているという。
「防犯に優れた家だろう」
確かに、城内以上に防犯に優れた場所はないのだろう。けど。
「城に部屋を用意する案もあったんだが、さすがに平民を住まわせるのはな」
そうでしょうね。私は『聖女』でもなんでもない、ただの平民ですから。城は、例え王様が許しても無理がある。
そう思ったけど、メイフィア国は元々『聖女』は城ではなく教会に預けていたから、城に専用の部屋はない。新たに部屋を用意するのも無理がある。
……もし、『聖女』専用の部屋があったらそこに入れていたのか、と訊いたら迷いなく頷かれたので、心底なくてよかったと安堵した。
「……でも、ここはいいんですか」
端とはいえ、思いきり城の敷地内だけど。
「ああ。ここならと、私が提案した」
恐れ多すぎてお断りしたい。お断りしたいけど、……お断りしてもいいのだろうか、王様直々の案を……。
「敷地の端で利便性も悪いから誰も使わないし、この通り荒れ放題で誰も近寄らないな。そんな場所で悪いが、だからこそ平民のお前を住まわせるのに、説得しやすかったんだ。庭も好きにいじっていいそうだ」
「王様が大事にしてたとこを勝手にいじるのは気が引けますよ……」
「荒れたままにしておくよりはいいだろう」
そう、だけど。
「城外だと新たに護衛を選定しなければならないんだが、決定まで時間がかかる。ここならすぐそこにある裏門に常時護衛がついている。出入りも容易いだろう。外に出るときは影もつける」
そう言われてしまっては、私の勝手で手を煩わすわけにはいかない、と思い渋々頷いた。
その後ギルド長から
「さすがに外に護衛くらいは融通が利くけど、敷地内にサニーがいるほうが対応が楽なんだそうだ。
あと家に関しては、サニーにはああ言っておけば頷くとアドバイスしておいた」と打ち明けられて、騙されたような気持ちになった。
暮らし始めたばかりの頃は緊張して眠れない日が続いたけど一週間も過ごしたら、慣れてしまった。
王様が命令したのか、決まった時間に私の様子を確認されるけど、それ以外の干渉がない。私にわからないように護衛をつけてくれてるのかもしれないけど、わからないから気にしないことにした。
それに、今まで通りの生活でいいのも、すぐ慣れた理由かもしれない。
一ヶ月も経つと門番の人とも親しくなって世間話をするようになったし、荒れ果てた庭園も城の庭師の協力で少しづつ綺麗にしている。やってみると、庭いじりも結構楽しかった。
メイフィア国王が月に一度様子を見に来る以外は……時々隠居して別邸で暮らしている、先代のメイフィア国王夫妻が庭園を見に来る。
幼い頃にまだ手入れがされていた頃の庭園の話をよく聞いていたそうで、荒れていた庭園が綺麗になっていくのを見て、嬉しそうだった。
実は最初は「物腰柔らかくて上品なおじいちゃんとおばあちゃんだなぁ」と呑気に考えながら普通にお喋りしてしまった。爵位は高いけど気安い貴族だと思ってたから。
後で庭師の人に聞いて腰を抜かしそうになった。
一応悪い印象は持たれなかったそうだけど、平民には刺激が強いので、そういった驚きは勘弁して頂きたい。
インフィ国での生活が嘘のように、ここでは平和だ。魔法も自由に使えるし、私のことを理不尽に扱う人たちもいない。
ようやく手にいれた平穏を、私はしっかりと噛みしめた。
* * *
インフィ国は今回の件で岐路に立たされた。
『聖女』に依存したまま内部から国が崩壊する未来か、国力を強めて『聖女』の依存から解き放たれる未来か。
前者であれば、父はなにがなくともサニーの許しを乞う愚行に出るだろう。交わした約定を破ることと知りながら。
同情に訴え。
叶わなければ、拘束して、暴力で訴え。
頷くまで、容赦なく、なぶり続ける。
ようやく過去のしがらみから解放され、自由に、心のままに動ける。その幸福を奪い取って。
だけどサニーは、恐らく、謝罪がなくともマリアを許してしまうだろう。
あの悪辣な娘のためではなく、インフィ国民のために。例え、暴言と石を投げられたとしても。
故に、サニーを厳重に保護する必要がある。
彼女はもう、インフィ国から解放された者だ。
メイフィア国王に言われ、私も同意した。
だが、さすがに無償でとはいかない。
今回インフィ国から、マリアの両親の非公式な聴取と、家宅捜索の正式な令状を頼まれ、そしてサニーの件も聞いた。
彼らの思惑に協力した見返りとして、第一継承者である私、もしくは第二継承者である弟がインフィ国王になった際、両国間の貿易と軍事協力を要求した。
恐らくマリアは今後も『聖女』として成り立たない。
そして『片割れ』であるサニーが去ったこの国は、もう二度と『聖女』は現れないだろう。
その混乱を利用して、周辺国から付け入られる可能性があった。メイフィア国とのように、先々代の暴挙で、我が国と周辺国との間には、少なからず禍根が残っているからだ。
メイフィア国との軍事協力は、牽制するための強大な後ろ楯になるだろう。
なにせメイフィア国は、この大陸一の軍事力を誇っている。『聖女』が不在なため毎日のように魔物を殲滅し、鍛えている彼らにすれば、長年、魔物を相手にする機会も少なくなって平和ぼけした騎士など、紙のようなものだろう。
後者の、『聖女』に頼らない未来のために、どうにか自分の代でメイフィア国を味方につけられないかと思っていた。
その矢先、協力を持ちかけられた。利用しない手はない。
恐らくメイフィア国王も、父では話が進まないことを悟って、私に持ちかけたのだろう。
しかし、孫の代で尻拭いしなければならないとは。
弟はまだなにも知らせていないが、機を見て全て話そう。どことなく考え方が保守的な父に似ているが、仲のよかった教師を失明させたマリアをよく思っていなかったから、理解は示すだろう。
私は、貴族を幽閉する部屋の前で足を止める。左右の監視が、私を中に入れていいのか悩んだ素振りを見せたが、彼女に話がある、と言い、中にいる罪人と面会する。
部屋は手前に鉄格子があって、逃げられないようになっている以外は、普通の部屋とそう変わらない。
室内は全体的に質素だが、まだ厚遇されているほうだろう。清潔なベッド、机とクッションのある椅子、別室には風呂とトイレがあり、鉄格子が嵌められた窓から差す日光で室内は明るい。
鉄格子のこちら側に『聖女』専属の侍女が一人控えていて、私に礼をしたまま動かずにいたので、手で楽にするように示した。
鉄格子の向こう側のベッドに、『聖女』マリアが寝転んでいるのが見える。
豪奢なものを好んで着ていたドレスは飾り気の少ないワンピースに、複雑に編み込ませていた髪は櫛を通しただけの地味なものに。
そして、食べては惰眠を貪るばかりだったため体型は崩れ、手入れされなくなった肌は荒れてしまっている。
国民を魅了する愛らしい『聖女』の面影はない。
だが、間違いなく彼女がこの国の『聖女』だ。
たとえ役目を放棄しようと。
もし彼女が罪を認め、きちんと『聖女』として務めていたとしたら。以前と同じ部屋で、以前と同じ生活ができたのに。
マリアは頑なに罪を認めない。
それどころか、いまだにサニーに罪を擦り付け、『聖女』としての仕事を放棄し、なのに『聖女』の特権を得ようとしている。
それでも『聖女』であるが故にマリアを丁重に扱わなくてはならないこの現実を、一体どれだけの人間が重く見ているだろう。
少なくとも、現国王の父はいまだにマリアが改心すると楽観している。
もう全てが遅いというのに。
* * *
最近お腹が膨らんできたように思う。
時々吐き気のようなものもするし……きっと妊娠したんだわ!
だからそう言って安静にしていたら、やっと王子様が来てくれた。
きっと「妊娠した」と言ったのが伝わって来てくれたのだろう!
嬉しくて駆け寄る。鉄格子に隔てられて距離はあるけど、そんなこともうどうでもいい。
だって、やっとここから出られるのだから!
「王子様! 私妊娠しました! 貴方との子です! 私と貴方が愛し合った証です!」
だから私をここから出して。
あの玉座へ! 宝石のようなドレスと、妃の証のティアラを私に!
「聞いたよ。きみがずっとそう言っていると。
……だとしても、それは、私の子ではないよ。マリア」
「どうしてですか? 子は愛し合うから宿るのでしょう? 父も言っておりました。だから私は産まれたのだと」
「私の指先が、君に触れたことがあったかい? 君の指先が私に触れたことがあったかい? ないだろう? 私たちは一度も触れ合ったことはない。それは、不貞の子だ。護衛の男と関係があったと報告もある」
「あの人たちは違いますわ。だって私は、誰とも愛し合いませんでしたもの。あれは欲を解消するためだけのもの。そんなもので子どもはできませんわ」
「……残念だけど、マリア。君の責で婚約は破棄になる。不貞と、あとは偽証かな……君は婚約したときから処女ではなかったね」
貞操は守っていたと言っていたのに、と残念そうに言われた。きっと王子様は私の初めての人になりたかったのだと、嫉妬しているのだと、私にはわかる。
だって最初の人が言ってた。初めてでうれしい、と。
だけど、私が今一番愛しているには、あなただけです、王子様!
「それにね、婚姻して側妃に君を迎えても、君との間に子を作ることはできない。習っただろう? 君が目を潰した教師から。『聖女』は国に嫁ぐ者として生涯純潔であること、と」
なにそれ。知らない。
あの女はそんなこと、一言も言わなかった。
「私は側妃なのだから、次代の王を産む役目があるのでは」
「マリア……君は本当に『聖女』なのかい?」
「もちろんです!」
「なら、私が言っていることは正しいと知っているはずだよ。だって、歴代の『聖女』皆が知っていることなのだから」
知らない知らない! そんなこと知らない!
だからこれは嘘なんだ!
王子様が、私と結婚したくなくなったから、嘘を吐いて……。
私が『聖女』の力を使えないから……。
……サニーのせいで。
「あの女に誑かされたのですね! 大丈夫です! 私がいますから! さあ、私をここから出してください! あの女の、サニーの首を切り落としに行きましょう!」
鉄格子の向こうの王子様に手を伸ばす。
この手を掴んでもらえたなら、私は……!
だけど、王子様は、無言で私に背を向けて去ってしまった。
あの女が、王子様を奪っていった。
私からなにもかもを奪って……許さない。
「サニー……許さないわ……絶対に……!」
一生恨んでやる。
お前が幸せになるなんて、絶対許さない。
* * *
産まれた子に、両親の名前を少しもらって「ジェネ」と名付けた。
旦那の赤い髪と、私のグレーの目を持つ男の子だ。
恐れ多くも、赤子の頃に国王に抱き上げられたことのある息子は、庭園を元気に駆け回り、木に登っては庭師に怒られていた。
時々王子様や王女様もこっそりとやって来て、息子と同じように駆け回るから、庭師はきつく怒ったりやんわり窘めたりと忙しいそうだった。
最近はこうして昔のことをよく思い出す。
幸せに埋もれて見えなくなっていたことも、思い出すようになった。
息子が結婚した日。天気がよくて、風に舞う花が綺麗だった。
仕事に就いた日。ずっと悩んで、夫と喧嘩しながら、最後にはちゃんと自分で決めた。
学校を卒業した日。勉強は苦手だったけど、真面目にサボらず通い続けていた。
初めて喋った日、歩いた日。二人で、まるで祭りのようにはしゃいだ。
産まれた日。嬉しくて、大泣きした。
二人で暮らし始めた日。特殊な立地の家に慣れず戸惑っていた夫の様子は、私にも覚えがあった。
結婚式を挙げた日。二人して緊張して、カーペットにつまずいて転びそうになって笑ってしまい、厳かな雰囲気が吹っ飛んでしまった。
プロポーズされた日。冗談だと思って断ってしまい、落ち込ませたことは、今も後悔してる。
この国に戻った日。やっと終わったのだと、しばらく気が抜けてしまった。
隣国での会合の日。きっともう、互いに許すことはできないのだろうと思った。
隣国から追放された日。ただただ、悲しくて、悔しくて、やるせなかった。
虐げられていた日々。もう二度と思い出したくない。
両親が亡くなった日。……もし私が、誕生日だからと好物のジャムをねだらなければ、両親は森に行かずに魔物に襲われなかったのでは、と今でも考えてしまう。
だけど、両親といた日々は、今と同じくらい、幸せだった。
少し老いた息子と、義娘が心配そうに横たわる私を見下ろす。
もしあのまま村にいたら、きっと得られなかった幸せを撫でて、最期に微笑む。
これでやっと、と……。