6 愛情と愛憎
「やっぱり私が一番なのよ!」
いきなり、マリアが狂ったように高笑いする。
「だって欲しかったものが絶対に手に入るんだもの!
ずっとあの綺麗な両親が欲しかったの! だってサニー、あんたよりも私のほうが似合うでしょ? だから欲しかったの! でも私のものだった!! 最初から!!」
「……言いたいことは、それだけ?」
問いかけると、ぴたりとマリアが動きを止めて、私を睨み付ける。
「さっさと私の力を返しなさいよ」
傲慢な言い方に思わず顔をしかめる。
マリアは立ち上がって私に詰め寄る。
「私は『聖女』なのよ。あんたが勝手に私のこと嫌うせいで、私に迷惑かかってんの」
「……それで?」
「それで、って」
「あんた、なにひとつ謝ってないのに、なんで私があんたを許さなきゃなんないの?」
瞬間、マリアにグラスを投げつけられた。
私の少し後ろに叩きつけられて割れたけど、ちょっと違えばメイフィア国王に当たって、国際問題になるところだった。
殺気立つメイフィア国側と、そんな暴力に出ると思わず固まったまま真っ青になったインフィ国側の間に緊張が走る。
なのにそんな空気もお構いなしに、マリアは駄々をこねる子どもみたいにテーブルを叩きながら叫ぶ。
「なんで私があんたに謝んなきゃなんないのよ! 私は『聖女』なのよ! あんたは黙って私の言うこと聞いてればいいのよ! それともあんたは私が『聖女』でいることが嫌なくらい私が嫌いなの?! ひどい女ね!!」
「そうだよ」
「は……?」
マリアが顔をしかめた。
今度は私が立ち上がってマリアに詰め寄る。
「私はあんたが嫌い。あんたになにもしてないのに、いきなりいじめられて、貶められて、冤罪で国を追い出された。それがなに。自分がちやほやされたいから謝罪もなしに私に許せって、ふざけてるの? 私のことなめてるの? 形だけでも、この場だけでも、謝ってくれてたら違ったけど、もう無理。やっぱりあんた嫌い」
「なっ……」
「あんたこそ、この国の『聖女』だったら、自分のことより先に国民のこと考えなきゃなんないんじゃないの? なのにさっきから自分のことばっかり。自覚ない?
謝れないなら、私のこといじめてた事実を自分から認めて。私があんたをいじめてたって嘘ついたって、今ここで認めて。
できない? なんで? 簡単でしょ? それとも、私の教科書やノート破いたり、服を切り刻んだり、水かさが増えた川とか肥溜めに突き落としたり、お父さんたちが死んだ後に泥ひっかけたてあんたも死ねばよかったのにって嘲笑ったことは、あんたにとってはいじめじゃなかったってこと? 腐ったもの食べさせてカビ臭い屋根裏に押し込めて、それもなんとも思ってなかったってこと? 『聖女』様のくせに!」
一気にマリア捲し立てると、この女はこの期に及んで
「そうやっていつも私を責めて……ひどいわ……! 私たち、たった二人の姉妹なのに……! 私たちのお父さんとお母さんだって天国で悲しんでいるわ!」と言って泣き崩れる。
もちろん演技だと、全員わかっている。
今までなら皆がマリアを信じて、私が逆に責められたかもしれない。
だけど、マリアの本性を知った周囲の目は、冷たい。
「愚かな娘だな」
メイフィア国王が冷めた声で呟く。
『聖女』に対する侮辱なのに、インフィ国側は、動かない。
マリアが伏せた顔を上げる。涙に濡れてない綺麗なままの顔を見て、メイフィア国王は鼻で笑った。
「この場だけでも認めて謝罪しておけば、サニー嬢はこの国のためにお前を許すとまで言っていたのに」
「じゃあ私はまた魔法が使えるようになるのね!」
「ちゃんと聞いてなかったのか? 過ちを認めて、謝罪しておけば、だ。お前は今までの話でなにを理解した? 『聖女』とは真逆の悪辣な行いを繰り返した罪を、お前はなにひとつ理解していない」
「私はなにも悪くないわ。だって『聖女』としてやったことだもの」
「侍女に対する日常的な暴力行為と教師に対する傷害の報告を、インフィ国側からもらっている。それらの弁明もないのか?」
「だから、私はなにも悪くないったら! だって私は『聖女』なのよ! 私に従うのは当然なのに従わないほうが悪いのよ!」
だって私は皆から愛されているのだから!
マリアの、必死な叫び声に呼応するように、映像を保存する宝石が空に女性を映す。
マリアの母親だ。
あの家でマリアを溺愛し続けた母親に、マリアは笑みを浮かべて手を伸ばす。
『私は、私たちは……あの子を……マリアを、愛していたわけじゃないんです……』
伸ばしたマリアの手が、空を切った。
* * *
主人のことも、愛したことはありません。
私が愛したのは、たった一人、ジェイニ……あの忌々しい女が結婚した、あの方だけです。
街の劇場で見てからずっとあの人が好きだった。何通も何通も手紙を送りました。返事は……一度も頂けなかったけど。
私は公演が始まると毎回会いに行った。それだけで幸せだった……。
でも毎年公演に来ていたのが、あの女に会うためだと知ったときは、今すぐあの女を殺してやりたかった……!
だけどあの女に主人との結婚話が出ていたから、堪えられたんです。
だってあの女の両親もその気だったから、決まったようなものだと。
なのにあの女はジェイニと結婚した! それが許された! 私に主人を押し付けることで!
主人があの女を汚したのに、それを知っていたのに、ジェイニはあの女と結婚して、子どもまで!
……でも私にはわかっていました。
あの人は優しい人だったから、あの女を捨てることができなかっただけだと。
愛情ではなく、同情だったのだと。
そうわかっていても、あの女が憎かった!
あの女がジェイニに肩を抱かれて腹を愛しそうに撫でるのを見るたび、引き裂いてやりたかった!
だけど、あの腹にいるのがジェイニとの子どもではなく、主人との子どもかもしれないと思うと……あの女の絶望する顔が見たくて、それも堪えた。
なのに産まれた子どもは間違いなくジェイニとあの女との子どもだった!
ジェイニにそっくりな子ども!
私がほしくてほしくて堪らなかったものを、あの女は手に入れた!
憎かった! あの女が!
だから主人があの女から子どもを奪ってきたと言ったときは、すごく嬉しかった。
なのにあの人ったら、ジェイニにそっくりなほうは置いてきたって言うんですもの……悲しかったわ……。
連れてきた子を主人はまるであの女のように……いえ、あの女の代わりに愛していたわ……。
あまり似ていないのが幸いだったけど、私は愛せる自信がなかった……。
少しでもジェイニの面影があったら違ったのに、顔つきも、目の色も全然似ていなくて……。
なのにあの子も小さい頃から、特に男性から愛される子でした。そこがすごくあの女に似ていて……。
……だから敢えて、私はあの女の娘を……マリアを甘やかしたんです。
あのことを知る村の男どもからあの女の代わりにされていることに気付かない、あの哀れな子を、なにをしても諌めずに好きにさせたんです。
あの子が男どもに簡単に股を開いているのは知っていましたが、止めませんでした。
まるであの女が汚されているようで、愉快だったから。
主人もあの女のように皆から純粋に愛されていると思って喜んでいましたし。
あの子も、満更じゃなさそうだったし。
そうじゃなければあの子を育てるなんて……気が狂いそうだった……。
いつか主人と別れて、あの女からジェイニを助け出して、一緒になるはずだったのに……あの人は魔物に襲われて死んでしまった……。
いえ、あの女が、連れていってしまった!
また私の手が届かないところに連れていってしまった!
サニーを引き取ることに了承したのは、ジェイニとそっくりだったから。
ジェイニが私のそばにいてくれるようで、幸せだと思ったから。
だけど……ダメだった……。
あの子……顔はジェイニに似てるのに中身はあの女に似ていて……私が二度と得られないジェイニとの間の子どもなのだと、あの女に見せつけられている気がして……。
マリアがサニーを虐げているのを見ると、あの女がジェイニを拒絶しているようにも見えて……だから止めなかった。
私も……あの女への憎しみと、私を愛してくれなかったジェイニへの怒りを……あの子に……。
私は……私たち夫婦は……あの子たちを……ジェイニとあの女の代わりにして、愛して……憎んでいたのよ……。
* * *
テーブルの上に置いてある宝石のような石から映された、母だった人の幻が消える。
私を裏切った村の下僕とうちで働いていた家政婦が映った物。
これもきっと捏造されたものなのだろう。
だって、サニーの両親から、私を奪ってきただなんて、そんなの知らない。
私は、選ばれたんだから。
みんなから、愛されて。
(下僕は、村長の娘だから従ってただけだと言った)
愛されて……。
(お母さんは、別の人との子どもを望んでいた)
みんなから……。
(村の男たちは、ベッドの中でしか愛していると言ってくれなかった、恋人と別れなかった、婚約者と別れなかった、奥さんと別れなかった、だけどベッドの中では私に愛していると言っていた、言っていた、だけだった)
「私は……お父さんとお母さんが可愛くて欲しいって言ったから……もらわれたんじゃないの……?」
誰がいつそんなことを言った、と低くて冷たい声が聞こえた。
メイフィア国王が言ったようだけど、なんで国王なのに、そんなこともわからないんだろう。
「だって……私は、愛されていたから……お父さんとお母さんに……みんなにも……」
石がまた淡く光ったかと思うと、今度はその光の中に見覚えのある男性が浮かんだ。
父だ。
背景は部屋のようだけど、私は見覚えがない。
幻の中の彼は、どこか疲れたような、だけど愛しいような、狂ったような、そんな目をしている。
私のことを、愛しているよ、と言ってくれるときと、同じ目だった。
* * *
アリアドネを愛していた。
ずっと。私のほうが、あんな男よりも。
彼女の両親だって私との結婚を望んでいた。
なのにアリアドネはあの男の手を取った。
それでも、私の愛を知ればアリアドネは私の元へ来ると思った。
だからあの夜、私は彼女を連れ出して愛を示したんだ。
なのに、彼女は私ではなく、あの男と結婚してしまった!
彼女の両親も神も認めてしまったから、私との結婚は叶わなくなってしまった……!
あの男が唆したに違いない!
でもすぐにそれは間違いだと、真実の愛はあの男じゃなく私にあると、アリアドネはちゃんと気付いていると信じていた。
その証拠に、アリアドネはすぐに妊娠したんだ。
そらみたことか!
アリアドネが私を愛していたからこそ、彼女はあの夜の私の愛で、子を宿した!
あれこそアリアドネが私を愛している証拠だ!
そうだろう? 子は、愛し合って宿るのだから!
最初は大勢の前で照れていたのか、私をひどく拒絶して、泣いて、暴れていたアリアドネも、最後には大人しかった。
私の愛を、あの美しい体が、受け入れたからだ!
遠目でも、アリアドネが愛おしそうに腹を撫でる姿を見ると心が満たされた。
今すぐにあの隣に駆け寄って抱き締めたいのに、勝手に妻になった女と、周囲にいる奴等が邪魔をしてできなかった。
その間にもあの男が隣で肩を抱いて、アリアドネの腹を撫でて……。
あの腹にいるのは私とアリアドネの愛の結晶なのに! 汚い手で触るとは!
だから片方はあの男に似てしまったんだ!
憎い憎いあの男に!
あの男に触れられて穢れる前に私が預かってあげようと決めた。アリアドネもそれを望んでいたはずだから。
言わなくてもわかっていた。私たちは愛し合っていたのだから……。
アリアドネが産んだ子どもは双子で、どちらもあまり彼女にも私にも似ていなくて本当はがっかりした。あの男が触れていたせいだろう。まったく、嘆かわしい。
それでも、アリアドネと私の子だと思うと愛しかったから、連れて帰った。
もう片方は、あんな男に似たものなど要らないと思って病院に置いてきた。アリアドネも、あの男に似た子などいらないと捨てると思ったが、彼女は優しいから、あの子をちゃんと育てた。
だから私も大切に育てて、愛したんだ。
アリアドネとの子を……マリアを。
いつかアリアドネが、あの男から逃れて、あの男に似た子を捨てて、私と暮らす日のために……。
だけどアリアドネはあの男と一緒に、否、あの男がアリアドネを殺して一緒に連れていってしまった! 私に奪われないように!
なんて……なんてひどいことだ……。
魔物に襲われたというが、私にはわかる。
あの男が襲わせたんだ!
……その後マリアがあの子を引き取ってほしいと言ってきた。
マリアにもわかったんだ。あの子が自分と同じ、私とアリアドネの愛の証だと。
そう……あの男に似てしまったけれど、あの子も私とアリアドネの子なのだ……。
ああ……なんて……なんてアリアドネのように慈悲深い子なのだろう!
本当にアリアドネのような素晴らしい子だ!
村の皆に愛されて、本当に、アリアドネのようだ!
だから私はあの子を引き取ったんだ。
私の家で、姉妹が仲良くしているのを見ていて、とても幸せだったよ……。
……ああ……アリアドネ……アリアドネ……どうして死んでしまったんだ……。
マリアを代わりに愛したけれど、寂しさは埋まらなかったよ……アリアドネ……。
* * *
「……サニー嬢の母親は……婚前に暴漢に襲われたそうです……村の記録からは消されていますが、その犯行に協力した者が全て話しました……。
その暴漢は……今聞いたように、マリア嬢……貴女の父親です」
違う。暴漢じゃない。
だってお父さん、今言ってたじゃない、サニーのお母さんと愛し合ったって。だから私が産まれたって。
でも、私のお父さんはお父さんじゃなくて、サニーのお父さんだった。
じゃあお父さんが言ってた、愛し合ったから産まれた子ってのは、誰のこと? それともお父さんの嘘なの?
なにが嘘で、なにが本当なの?
「ご両親は暴漢が村長本人とは知らず、傷物になった娘を村長の嫁にやることはできないと言って、ずっと交際を反対していたコーラル氏に押し付けたそうです。
コーラル氏は全てを受け入れて、彼女と子どもを愛すると誓い、結婚した。コーラル夫妻なら恐らく、どんな子が産まれても愛したのでしょうが、産まれてきた子がコーラル氏にそっくりで、やはりとても安心されたそうです……」
サニーは、間違いなく、愛されていた。
私がでどんなに甘えても、甘えても甘えても甘えても、あの二人はサニーだけを信じた、愛した。
あの二人の、本当の子どもだから。
サニーのお父さんに、とても似ていたから。
これは、本当のこと。だから私は欲しかったんだもの。
「村長に協力した医師の証言で、コーラル夫妻には片方は死産だったと伝えた、と確認しています。
……一方で、村長夫人のほうは結婚後一年ほど館から出てこなかったそうで、貴女を見た村の方は『結婚してすぐに身籠ったから、屋敷で静養していたんだと思った』と話してくれました。
……実際はコーラル夫妻の睦まじい様子を見たくなくて引き籠っていたようですが。突然連れ歩くようになった貴女の存在を、不審に思った方はいなかったようです。
恐らく、コーラル夫妻も、自分達とあまり似なかったマリア嬢が、自分達の子どもだとは思わなかったかと……。あの村でそのことを知っていたのは、医師くらいしか、いなかったようです……」
サニーの両親は、私が本当の娘だって知らなかったから、愛してくれなかったの?
似ているところがなかったから、愛してくれなかったの?
「自分の子どもだと思わなかった以前に、一切見ていなかった可能性もあるがな。なにせ自分を襲った男の子どもなんだ。意図的に避けていた可能性もある。どうだったんだ? サニー嬢」
「……二人ともマリアに対しては当たり障りないように接していたと思いますが、村長夫妻は確かに避けていました。以前、どうしても村を出る許可がもらえない、と言ってたのでそのせいだと思ってたのですが……」
「許可がなければ、他の村や町に移住届が出せないからな。そうやって夫妻を村に縛り付けていたわけだ。その上、大事な娘が虐められてるとなると、益々村長一家を忌避しただろうな」
その言葉に思い出す。
ある日を境にサニーの両親は私を避けるようになった。
サニーが私の悪口を彼らに言って、そのせいで誤解されているんだと思って、その次の日からもっとサニーを虐めた。
どうせそのうち手に入ると思って、彼らのことはそれきり気にしなくなったから、忘れていた。
私は『村長の娘』になったから、サニーの両親に愛してもらえる存在じゃなくなったの?
私は、じゃあ、誰に愛されていたの?
特別な存在になれば、無条件に愛されると思ったのに、皆私を冷たい目で見てくる。
王様も、王子様も、下僕も、皆。
どうして。
どうして。
ふと見上げた先で、濃いグレーの目が私を見下ろしている。
いつも私を跳ね返していた、色。
私の片割れ。
こいつが私を認めないから、私は特別じゃなくなった。
こいつなんかが私の価値を決める権利を持っている。
こいつごときに……。
……そうだ。
私は特別じゃなかったから、皆が冷たい目で見ていたんだ。
特別になれば、皆、私を愛してくれる。
返して。
「…………えして」
視界に入ったグラスの破片を掴んで、あの目に向かって、サニーの顔面に向かって、振り下ろす。
「返してよ!!」
私から奪った全てを!!