5 道理と無理
この二か国間の会合は、さぞかし悪意に満ちた空気なんだろうなと覚悟していたけど、私とメイフィア国王を迎えたインフィ国側の空気は、思っていたより穏やかだった。
私は、まさかメイフィア国王まで来るとは思わず、三歩くらい後ろでがちがちに緊張していたから、どんな空気だろうと関係なかったけど。
大きな机のある部屋に通され、インフィ国王の反対側にメイフィア国王が座り、その少し後ろ左右に互いの国の護衛が立つ。インフィ国王の右側に宰相、左側にマリア。メイフィア国王の右側に宰相、左側に私が座る。
私はメイフィア国が用意してくれたドレスを借りて着ている。失礼のない程度に質素にしてほしいという希望に添ってくれたものだけど、手触りがすごくいいから高価なことはわかる。
対するマリアは、複雑に髪を編み込み、明らかに高そうに見えるドレスに身を包み、大きな宝石を身に付けている。私と自分を見比べて、小馬鹿にしたようにそっと笑った。
これ、メイフィア国が用意したものなんだけどな、と思ったけど、言ったところでマリアの態度が変わると思えない。わざわざ言うつもりもないけど。
国同士の挨拶をして、本題に入る。
メイフィア国は調査したことを根拠に私に対する暴力行為の謝罪をマリアに要求。このとき、宝石に似た音と映像を保存する石を使って、村の子たちや村長の家の家政婦から話を聞いたときの映像が空中に映し出された。
インフィ国側は黙って見ていたけど、やっぱりマリアは否定した。
「サニー! ひどい人ね! 村の人だけじゃなくて、そっちの国の人たちまで騙して、証言を捏造するなんて!」と叫んで、ぽろぽろと涙までこぼしてみせた。
泣いてしまえば、例え非がなくても泣かせたほうに批難が向く。マリアはそれをわかったうえで、やってくる。
王族をまるで小娘に騙される愚者みたいに言っちゃったけど、大丈夫なのだろうか。
メイフィア国王をそっと窺うと、目が笑ってない。インフィ国王も、表情がごっそりと抜け落ちている。
もしかしたらマリアの涙に騙されるかもしれない、と思ったけど、そんなことがなくて驚いた。
「捏造、はお互い様だと思いますが」と、メイフィア国宰相が溜め息混じりに続ける。面倒そうだ、という空気を感じて、私は密かに内心で同意して応援する。
「サニー嬢を追放する際に、罪状の書かれた罪人用の馬車に乗せたそうですが、裁判は行われたのですか?」
インフィ国王も宰相も、首を横に振る。
では誰が用意したのでしょう、という問いに、全員の視線がマリアに集まった。それでもマリアは何食わぬ顔で小首を傾げる。
「貴女が用意したということで、間違いありませんか?」
「ええ。……サニーは自分のしたことを理解してないみたいだったので……。ちゃんと理解して、償ってほしかったんです……」
台詞だけ聞けば正義感にあふれた『聖女』のようだけど。
「しかし『聖女』の断罪は禁止されています。その禁止事項に抵触し、しかも貴女は裁判も通さずに罪状を捏造した。そのうえ、『聖女』を虐げた、なんて罪状を見た国民がどういう行動を取るのか、全く考えなかったと? 『聖女』である貴女が暴力行為を許したと思われているんですよ」
マリアは、小動物にようなきょとんとした顔でメイフィア国宰相を見つめる。責められているのを、無害と無知を装ってうやむやにしようとしているときの顔だ。
大体の男はあれで騙されるので、私の背後にいるメイフィア国の護衛が少したじろいだように感じた。
……別に、インフィ国がどうとか言うつもりはない。
マリアは間違いなく『聖女』だし、まさか『聖女』が私欲で動くなんて思わない。私もマリアの本性を知らなければ、見た目に騙されてマリアの言葉を信用していたと思う。
「どうなんですか?」
だけど、メイフィア国宰相は、もうマリアの本性を知っているから誤魔化されない。
メイフィア国王も黙って宰相とマリアのやり取りを眺めている。
「そんな……私は『聖女』としてサニーを正しただけです。
それに……国民の皆さんが私のことを想ってくれてしてくれたことを、まるでひどいことのように言うのは、止めてほしいわ……」
うやむやにできない相手だとわかると、再度泣き落としに作戦を変えたらしい。哀しげな顔で涙を浮かべながら、マリアはメイフィア国宰相に訴える。
さっき効かなかったのを忘れているのだろうか……。
マリアは自分の考えや行動が「正しい」と本気で思っているから、宰相の言葉に一切揺るがない。
私のときは真偽が定かじゃなかったから、周囲もマリアの言葉を「正しい」と判断しても、おかしくはなかった。だけど、国際的に定められている禁止事項、という明らかなものに対しても、マリアは自分が「正しい」という理由だけでねじ伏せる。
さすがに『聖女』だからというだけで信じていたマリアの言動のおかしさに、全員が気付始めている。
『聖女』の行動は「正しい」から、罪じゃない。
『聖女』のためにされた行動は、自分の非にはならない。
嘘や誤魔化しではなく、マリアは本気でそう言っている。メイフィア国側もインフィ国側も、そんなマリアの思考回路は理解の範疇を越えていたらしく、唖然としてしまっている。
私はマリアがそういう人間だとわかっているから、王族を目の前にしても変わらないのか、と遠い目をする。
「……マリア嬢、我々も貴女を『扇動の禁止』に抵触したと訴えることができます。そう言えば、貴女も自分の犯したことが罪だと理解できると思うのですが」
気を取り直して。『聖女』と呼ぼうとしないメイフィア国宰相の言葉に、だけどその意図に気付かないマリアは怪訝そうに首を傾げて、そしてとうとうあからさまに馬鹿にしたような声を上げて嘲笑った。インフィ国側の人たちが慌てているのに、気付きもしない。
「なにを言ってるのかしら。私は『聖女』として罪人を正しい道に導いただけよ。それを罪だと言うの?」
「『聖女』だからと全てが許されるわけではありません。国や国民を守る存在であるからこそ、権利を与えられ、制限を設けられ、その中で役割を果たすから優遇される。国や国民に対して、今の貴女がどういう存在なのか、理解していますか?」
「当然。『聖女』ですが、なにか」
いや、そうじゃない。
私が思わず声に出して言いそうになったことを、メイフィア国宰相も顔に出している。メイフィア国王は、無表情だから内心でなにを思っているかさっぱりわからない。
メイフィア国宰相は、めげずに続けるけど、明らかに顔が疲れている。なんだか申し訳なくなってきた。
「……魔物退治に同行して討伐を手伝ったり、結界を貼ったり、そういったことはされていましたか?」
「そうしようにも、私は魔法が使えなかったんですから。そこにいる、サニーのせいで」
「……サニー嬢の引き渡し要請が届いたのは、彼女が追放されてから三ヶ月後でした。その間貴女は一体なにをしていたんですか?
例え魔法を使えなかったとしても、『聖女』としてできることはたくさんあります。治療院や孤児院への慰問、炊き出しの手伝い。歴史や魔法、マナーの勉強。それらを、魔法を使えなかった間に、貴女は、どのくらいやってきましたか?」
メイフィア国宰相の問いに、マリアは迷わず
「そんなこと、私がわざわざしなくても、『聖女』の私が存在してるということだけで国民には充分でしょう」と本気で言う。
「……なにもされていなかったのに、貴女は『聖女』として国民の税で暮らしていたのですか」
「だって『聖女』だもの。それに周りからはなにも言われなかったわ。なら別に私がなにかしなくてもよかったってことよね」
本当は、言われなかった、のではなく、言えなかったのだ。何故なら注意すると癇癪を起こして、暴れて、手当たり次第そこら辺の物を投げつけてくるのだから。
この公の場で、他国の宰相という地位の高い人物でなければマリアは今頃メイフィア国宰相に当たり散らしていただろう。
じっとりとした、同情と不信感の混ざったメイフィア国王の目に、インフィ国王と宰相は、気まずそうに視線を逸らしてしまった。
十七年も周囲に甘やかされて育ったから、自分の言動を咎められたことがない。言われたところで、関係ないことだと聞き流してしまうだろう。
あれを諌めるのは、王様でも難しかったようだ。
「……インフィ国王、どうされます」
「…………構わない……もう全てを伝えてやってくれ……」
メイフィア国王がインフィ国王に、なにやら確認して、神妙な表情で頷く。
それを確認して、宰相が代わって発言する。
「マリア嬢、貴女が魔法を使えなくなったのは、サニー嬢に対する貴女の行いが原因です」
「やっぱりサニーのせいじゃない! 『聖女』の私にまだ害を成すなんて、馬鹿なことを」
「いえ、貴女に害をなしたから、魔法が使えなくなったのではありません。
サニー嬢に対する貴女の行いが原因で、貴女は魔法を使えなくなったのです」
「でもサニーのせいで魔法が使えなくなったことに変わりはないんでしょう? じゃあ、サニーのせいよ」
二度も同じことを言ったメイフィア国宰相の言葉を、マリアは正しく理解しない。私が関わっているから、全部私が悪いと主張する。
道に落ちている石につまずきそうになったとき、私が気にくわないというだけで、私が石を置いたのだと糾弾するような理不尽な女だ。
しかもマリアは遠回しに言うと自分に都合のいいように解釈するけど、ストレート言うと自分に都合のいい部分しか拾わない厄介さもある。
メイフィア国がこれから話すことも、きっと正しく理解しない。
それでもマリアがどのくらい理解するか否かで、この国の明暗が決まるらしい。
前もって全て話してあるというインフィ国王の心は、既に決まっているようだった。
「サニー嬢は幼少時から貴女や周囲から虐げられ、その心はインフィ国から離れていった。そして、ついには冤罪をかけられ、貴女方を見限るかたちで、国を出た。
常人であったらなんの影響もなかったのですが、サニー嬢も『聖女』と同等の重要な存在だったため、影響が出てしまったんです」
メイフィア国宰相は私の方を窺って、インフィ国王に向き直り、話を続ける。
* * *
有史以前から『聖女』は存在したと言われている。
建国以降はそれぞれで『聖女』の話が伝承されていった。
例えばインフィ国には
『争いで荒れた地に『聖女』が現れ、彼女は嘆き悲しみ七日間涙を流し続けた。やがて涙は川になり、泉に変わり、緑を生んで、山を育んだ。そして『聖女』は王を選び、国を作った。『聖女』は王とともに、インフィ国を守り、争いで傷ついた民を未来永劫癒すと誓った』という話がある。
この伝承から、インフィ国の『聖女』は国民を癒す存在になり、王妃に迎えるという決まりができたとされている。
そして、今は『聖女』が存在しないメイフィア国に伝わる話のひとつに
『贅の限りを尽くした『聖女』を『彼女』が見限った瞬間、『聖女』はその力を失い、メイフィア国を囲う『聖女』の加護は消滅した。その後『聖女』は己の愚かさを心から悔い改め、一人の国民として裁かれ、贖罪の日々を過ごす。それを見た『彼女』は『聖女』の罪を許した。すると力が戻り、彼女は生涯『聖女』としてメイフィア国に尽くした』という話がある。
『彼女』というのは、『聖女の影』であったり『聖女の片割れ』であったりと各国で名前が異なっていたり、インフィ国のように存在そのものが知られていない、不確かな人物だった。
* * *
「ですが、存在が認められている者たちには全員、共通点が二つあります。まずひとつは、『彼女』は自国の魔力を扱えないということ。
これは諸説ありますが、メイフィア国では、『彼女』の魔力が『聖女』に流れているため、『聖女』は常人よりも豊富に魔力を扱うことができると考えています」
サニーが魔法を使えなかったのは、私より劣っているから。
私が『聖女』なのは、私のほうが優れているから。
そう思っていたけど、サニーが私に魔力をくれていたという。サニーからというのが少し気にくわないけど、悪くはない。
「もうひとつは全員、『聖女』と双子の姉妹である、ということです」
メイフィア国の宰相の言葉に、私は首を傾げる。
インフィ国でそんな話は聞いたことがない。ならこの国にはそんな人はいないはずだし、そもそも私は双子じゃない。
なら、これは私には関係ない話だ。
「それがどうしたんですか」
それを話す意味がわからない、と返すと、メイフィア国の王様が、私を馬鹿にしたような目をして深い溜め息を吐いた。王様じゃなかったら、今手元にあるグラスの中身をぶちまけているところだった。
そんな失礼な態度にも私が堪えてあげていると、メイフィア国の宰相がサニーを気遣うように見る。サニーはゆっくりと頷いた。
なんであいつを気遣うのよ。ここは私を気遣うところじゃないの?
「もしかして、とも思いませんか」
「だから、なにがです。私は双子じゃないもの、その話は私と関係ないわ」
「……貴女の出生を調べました。確かに、貴女の届けは村長夫妻の長女として出ています。ですが……村長と、村唯一の医師に話を全て聞きました。
サニー嬢と貴女は、事実、双子の姉妹です」
あの男は、なにを言ってるのだろう。
だって私とサニーは全然似てない。
「双子と言うのは、必ずしも同じ顔であるとは限りません。お二人はあまり似ていませんが、血の繋がりはお二人の目の色で証明することができます。
グレー系の目は、この辺りでは珍しい色ですが、海を挟んだ大陸では一般的な色です。サニー嬢の父親、コーラル氏の家系を調べたところ、彼の祖母があちらの大陸出身で、グレーの目だったとわかりました。
そして、マリア嬢の父親、村長とお呼びしますが。村長は代々エリフ村をまとめる家系で、嫁入りする方は村の女性に限定されています。記録を全て調べて、彼の家系に異国の血が混ざったことはなく、この辺りで多い青や緑色の目を持つ方ばかりでした。
そのため、コーラル氏の血筋でなければ、グレー系の色が出ることはありません」
そう、村の人たちの目は青や緑が多かった。
私の目は緑がかっているけどグレーで、他にいない色だったから特別だと思ったけど、地味なのだけが不満だった。
ただ、サニーがもっと色の濃いグレー一色だったから、あれよりはいいか、と思っていた。
だけどまさか、それがサニーなんかと姉妹っていう証拠だなんて……。
もし本当にサニーの両親が私の両親なら、どうして私だけ村長の家の子になったのだろう。
……いいえ、私にはわかる。
きっと、お父さんとお母さんは、私が可愛いから欲しがって、サニーの両親も貧乏な家よりも幸せになれると思ってくれたんだ。
サニーは選ばれなかっただけ。
きっとそうだ。
見た目ならサニーの両親のほうがよかったけど、思えば、あの家で暮らしていたら私も畑仕事とかやらされていたに違いない。
そんなの、絶対イヤだわ。
私が村長の両親にもらわれたのは、皆が私を愛していたからなのね!
サニーがあの二人に愛されていたのは、選ばれなくて可哀想だったから、仕方なくだったんだわ!