3 真実と虚実
あれから私は、通りすがりの村で畑仕事を手伝って軒下を借りたり、町の住み込みで働いてお金を稼ぎながら、国外追放された二ヶ月後にはインフィ国の隣、メイフィア国の王都にたどり着いて諸々の手続きをすませた。
王様から直接国外追放を命令されたから連れ戻される可能性は低いけど、念のためしばらくは警戒しなければならない。
メイフィア国の魔力と相性がいいのか、幼児でも使えるような魔法すらまともに使えなかった私が、ようやく人並みに魔法が使えるようになった。
今は、道中で出会って意気投合した商業ギルドで働いている。
一人で生きていくつもりだったけど、ギルドの人たちも近所の人たちも皆優しくて親身になってくれて、魔法のことを抜きにしても、居心地がいい。
だから、冤罪といえど『聖女』をいじめたから国を追い出されたことが言えずにいる。
皆なにも聞かずにいてくれるけど、その優しさを感じるたびに知られたときの反応が怖くて、私は黙ったまま、まるで普通の人のように暮らしている。
離れたほうが楽になれるのに、離れたくない。
その矛盾をどうにかしたいと思いながら。
「聞いたか? 隣の国の『聖女』の話」
インフィ国を追放されてから三ヶ月。町を歩いていて耳に入った言葉に足を止まる。
マリアが私のことを吹聴してまわっているのかと思って聞き耳を立てて、その続きに驚いた。
「ああ。全然仕事しないってやつだろ」
「俺は魔法が使えないって聞いたぞ」
「まさか。本物の『聖女』なんだろ?」
「それは間違いないんだと。原因もわからないし、魔物の被害も増えてきたとか」
「大変だなぁ」
確かに大変だ。他人事のように心の中で呟く。
あの国の結界は魔物が暮らす場所だけを囲っている。だからそこに入らない限りは魔物に遭遇することはない。だけどその結界が緩んでしまい、出てきた魔物が近くの村を襲って被害が多数出ているという。
なのに『聖女』マリアは魔物退治に参加することも、結界の張り直しもしない。その理由を「魔法が使えないから」だと言ってるらしい。
どうせ仕事が面倒だから、勉強しないせいで特殊魔法を使えないだけなのに、そういうふうに言ってさぼっているんだな、と私は苦笑する。
その間に彼らの話題は変わったので、私は安堵して、なにもなかったように歩き始める。
インフィ国のことは、私の中ではもう完全に無関係のことになっていた。
親類も友人もいない、私を最後まで虐げて追い出した女がいるあの国を、私が心配する要素は何一つない。
否、最後によくしてくれた護衛の人がちょっと心配だったけど、強そうだから大丈夫だと思う。
薄情だと自分でも思うけど、家族と過ごした思い出も、愛着も、数ヵ月前の悲しみや怒りも、とっくに薄れていた。
私はその噂話を数分後にはすっかり忘れた。
だけど数日後。
私は突然メイフィア国の城に連れてこられて、国王の前で問われる。
「インフィ国の『聖女』になにをした?」と。
「はい……?」
さすがに若干苛立って声を出してしまった。
ここに来てもマリアの嫌がらせから逃げられないのかと思うと、我慢できなかった。我慢できなかったついでにこの国に来た経緯を全部話した。マリアの本性も全部。不敬だ処刑だって言われても構わないと思ったけど、言い終わって冷静になったらやっぱり怖くなった。
「……偽りではないようだ」
だけど国王は静かに頷いて、改めて私に発言の自由を与えてから、宰相が問いかける。
「隣国の聖女になにかしましたか?」
「していません」
「呪術の類いは」
「私にはできません。私でも扱える呪術があれば別ですが」
「無いですね。魔力に干渉する呪術は、上級魔法に分類されています。貴女のその魔力では扱えません。そもそも、魔力に干渉する場合は同じ国の魔力でなければ効果はありません。貴女がインフィ国で魔法を扱えなかったことは、既に調べてあります」
じゃあ何故訊いたのかと言いかけて、国王が口を開いたので慌てて自分の口を押さえた。
「実はな、インフィ国から『自国の聖女が魔法を扱えなくなった。調べると、聖女に危害を加えていた少女を国外追放してからだとわかった。その少女がなにか関与したと思われる。見つけ次第こちらに引き渡してくれ』と、近隣国に要請があった」
恐らく私のことを『身持ちの悪い悪女』だと聞いていたのだろう。最悪だと思ったが、国王やこの場にいる人たちの視線には私に対する嫌悪感はない。私は、少しだけ警戒を解いた。
「呪術の類いではないとしたら、きみが国を出たことが原因だろう」
何故それが、と首を傾げると、国王に代わって隣にいた宰相が事の経緯をゆっくりと丁寧に説明してくれた。
* * *
隣国の王から要請に、国王は面倒と言いたげに軽く顔をしかめる。というのも、我が国と隣国の仲は、良好とは言えない。いくつか理由はあるが、一番は、我が国に『聖女』が存在しなくなった理由にある。
今回の要請がその『聖女』に絡んだものだったため、国王の腰は更に重い。だが、国王は表情を戻して話を続ける。
「詳細は」
「はい。娘の名はサニー・コーラル。年は十七。ブラウンの髪に濃いグレーの目だそうです」
「……グレーの目か」
「ええ。この辺りでは非常に珍しい色なので、手がかりになると思います」
「任せる」
少女の捜索自体は王都にある役所を確認するだけで終わる。サニーはすぐに見つかり、容姿も一致した。
そのまま隣国に報告して引き渡せばいい。
だが、疑問がある。
隣国から聞く限りサニーは『聖女』であるマリアに対して、幼少時から日常的に虐げていた。にもかかわらず、インフィ国は行いに対して軽い罰で終わらせている。
真実ならば、たとえ『聖女』だと認められる前のことだとしても、まだ重い刑罰が下されるはず。ここメイフィア国では、国籍を剥奪をしたうえで追放する。
そのことを国王に進言すると同じように考えていたようで、隣国に報告する前に事の真偽を調べるよう命令された。
サニーとマリアの故郷に調査員を派遣して聞き込みを行った。
結果、幼少時から虐げていたのは、サニーではなくマリアだったとすぐにわかった。
彼女たちと同じ年頃の娘や、刺激に飢えていて口の軽そうな村長の家の家政婦に、ちょっとした『謝礼』をちらつかせると、あっさりと訊いてもいないことまで話してくれた。
「マリアって村長の娘だからっていっつも威張り散らして、そのくせ嫌なことは全部私たちに押し付けてきてたんですよ」
「面倒な課題なんてしょっちゅう! あとサニーへの嫌がらせとかも。物を隠したり破いたりするのは楽しそうにしてたくせに、汚したりとかそういうのは『汚いから私はしない』って言って私たちにやらせてたんです」
「なんでサニーだったのかって? えー、マリアがそう言ったから、としか……」
「魔法はまともに使えなかったけど、サニーって私たちの中で一番勉強ができて成績がよかったんです。それに、あの子の両親も村の中でちょっと有名だったし」
「そうそう! サニーは美男美女のご両親にあまり似てなかったけど、すごく家族仲が良くて、かわいがられてて。でもそれでマリアに目つけられたんじゃない? って……」
「私たちだって最初はサニーが嫌いでいじめてたとかじゃないですよ。マリアに言われたから仕方なく……。でも、サニーってば頑固っていうか。マリアに逆らうから私たちにまでとばっちりがきて、それでイライラしちゃって……」
「なのにあの子、私たちがマリアに逆らうのやめたほうがいいって言ったら、『私のことかばうようなこと言ったらダメだよ』って……そういうこと言いたいんじゃないし、なんか『いじめられてても、めげない私』みたいな感じがちょっと……」
「そういうとこは、ちょっとウザかったよね」
「ね。いい子ぶってるっていうか」
「でもサニーの両親が亡くなった後は、さすがにかわいそうだし、私たちはもうやめようって言ったんです。でもマリアが『私に逆らうなら次はあなたの番かしら』って言うから……。でも泥被せるのはやりすぎだったよね……」
「あれはね……しかも笑いながら。そこまでする? しかもサニーのこと引き取ってって村長に頼んだんでしょ?」
「言ってたね。それから学校来なくなったから、私たちはサニーと関わらなくなったけど、マリアは毎日いじめてたっぽいし……ちょっとあそこまでいくと怖いよね」
「怖いっていったら、ほら、領主の息子を寝取ったこと自慢げに話してたやつ。あれには引いたけど、その前にはアンナの彼氏も寝取ったって……」
「え、私はリズの彼氏って聞いたわ」
「私はルリアナさんの旦那をって聞いたわ。やだ……マリアってまさか村の若い男全員に手出してたの?」
「違う違う。見た目いいのだけよ。私マリアから聞いたもの、格好いいからダンと寝たって。あの人村長とそんなに歳変わらないでしょ。父親と同じくらいの歳のおじさんとしちゃったって!」
「やだぁー! 有り得ないわ!」
「ダンって娘くらいの歳の子に手出しちゃえるのー!?」
「私たちにも優しいかったけど、そういう意味で優しかったのかしら?」
「えー? あそこまでするのはマリアにだけでしょ。だってあの子は村長の娘だもん。ご機嫌取って損はないって思ったんでしょ」
「……あ、これって『聖女』の悪口言ったことになります? ならないですよね? だって本当のことだし、村の人みんな知ってることだし……」
「マリアお嬢様は昔からご自分が一番でないと気がすまない方で……一人娘でしたから、それはもう溺愛されていました。でも不思議と、どんな我儘を仰られても愛らしく思えてしまって……今思えば『聖女』様だったからでしょうね。お嬢様の好みに合わなかった食事やお菓子や、懐かなかった子犬を、お嬢様に言われるまま捨てることを疑問にすら思いませんでした。
だからでしょうか。お嬢様があの使用人にきつく当たられているのも、当然と思ってしまって。
え? ええ、使用人っていうのは、サニーのことです。だってあの子お嬢様に逆らうのですから、食事を抜くのも、残飯を与えるのも当然だと。……え、使用人ではなく、旦那様が引き取られた? 本当ですか? 私はそんなこと聞いていませんよ。いつからか屋敷で働くようになったので、てっきりご両親が亡くなられて生活に困っていたのを、旦那様が雇ったものだとばかり。確かに、ご両親が亡くなられたことは憐れに思いましたけど、あの子から挨拶もありませんでしたし、なによりお嬢様がずっとあの子を嫌っていたので、私もそのように……。
あの……まさか、私が罰せられるとか、ないですよね? だってサニーはなんでもない子ですし。それに『聖女』のお嬢様を長年不快にさせていたのですから、むしろあの子の方が……」
以上です、と映像保存用の石から光が消える。
国王も、周囲に控えている者までもが絶句してしまった。
「……確かに『聖女』に清らかさは求められるが、民衆に向けるイメージであって、実際は気質にまではそんなに求めてはいない。国としては『聖女』として働いてくれればいい。だがこれは……」
国王が言い淀む。
その先は誰もが理解している。
『聖女』とは真逆の、毒婦ではないか、と。
「……あちらの方は本当に全く調べなかったんでしょうか。少し調べただけで、これですよ。この他にも数人が同じような証言しています。マリア嬢の異性関係についても、まだまだ、口にするのも憚られるくらい出てきましたよ……」
「だから調べなかったのだろう……。冤罪の疑いから目を逸らしたことで信用を失う可能性より、真実を知ってマリア嬢を『聖女』として信頼できなくなることのほうを恐れたんだ……」
一国の王としてその判断もどうなのかとも思うが、我々ですらマリアを『聖女』として信用できないと思い始めているのだから、察するに余りある。
かの王は、真実から目を背け、サニーの尊厳を犠牲にし、『聖女』マリアを信じて国を守る道を選んだ。
それが果たして本当によき道だったのか、これから明らかになる。
* * *
微笑みは、澄んだ泉のように美しく清らかで、声は鈴を転がしたかのように愛らしく軽やかに響く。
一目で理解する。彼女が『聖女』だと。
そう、確かに、彼女は『聖女』なのだ。
陶器の割れる音と侍女の悲鳴に駆け付けると、絨毯に踞る侍女に『聖女』マリアが料理が乗ったままの皿を投げつけている。
ああ、またか。と共に駆けつけた護衛と一瞬だけうんざりとした気持ちを表に出して、引っ込め、侍女を庇う。
「どうなさいました『聖女』様」
「どうもこうもないわよ! 私これ嫌いだって言ったわよね! 別なの持ってきて!」
いつもの癇癪だ。ただその場にいた侍女が理不尽に八つ当たりされただけにすぎない。
料理やソースで汚れたまま震えて謝罪を繰り返す侍女を支えて立たせて、別の侍女に任せて部屋から出す。その間に他の侍女たちがてきぱきと食器や絨毯の汚れを片付けていく。
『聖女』はその様子を冷ややかに見下ろしている。
始めこそ、今でも王や王子に見せる殊勝な態度で周囲に接していた。だが今や自分より下だと認識した相手に対して、『聖女』は暴力的な本性を隠さなくなった。
先代の『聖女』も表では厳格でもあり慈悲深いと評判だったが、しかし裏では稀に侍女や護衛を下に見ているような雰囲気を感じることがあった。
だが彼女は最期までそれを、あからさまに口や態度には出したことはない。自分の身近にいて世話を頼む者だと理解していたからこそ、敵対して面倒になることを避けていたように思う。
料理を投げつけられた侍女はきっと『聖女』の専属を辞するだろう。もしくは、また『聖女』が辞めさせるかもしれない。
相性が悪ければ、それを理由に替えることもできる。だが侍女は、量産のできる消耗品ではない。時間をかけて相応の教育を施された者たちだ。何度も入れ換えを繰り返せばいなくなる。
それをこの『聖女』は理解していないように思える。この三ヶ月で数十名もの侍女の入れ換えがあった。悪評は広がっていて、名誉職であるにもかかわらず『聖女』の専属に名乗り出る者はもういない。
先代も初期の頃に数人ほど入れ替えたが、あとは彼女が亡くなるまで、選定で残した侍女たちに世話を任せていた。
しかも悪辣な態度は同性にだけで、異性に対しては好色を隠さず気軽に触れてしなだれかかる。
その対象は主に護衛だったが、彼らは弁えているため不義にならずにいる。
だが、王や婚約者である王子の耳にはもう入っていることだろう。それでも動かないということは、様子を窺っていると思われる。
『聖女』であれどうなるかわからない現状に、しかしマリアは自分の立場の危うさに全く気付いていない。
それでいうと、『聖女』ではなかったが、ここで二ヶ月ほど世話をした少女は理想的な『聖女』の態度だった。
侍女にも護衛にも毎日挨拶を交わし、必要な要求はしっかりとして、礼も忘れない。物静かに日々を過ごす。不満と言えば、周囲にこちらが不敬だと思われてしまいそうなほど自分の放置を望む点くらいだった。
少女の言う真の『聖女』も彼女のようだったらいいと仲間と囁きあったが、願望は現実の前で儚く砕け散った。
「まったく、何度言えばわかるのよ。……あんなもの食べさせようとするから、魔法が使えなくなってしまったんじゃないかしら」
最近の『聖女』は気に入らないことがあると、それを理由に「だから魔法が使えなくなったんだ」と嘯く。最初の頃は皆信じて震え上がったが、様々な理由で何度も繰り返されるうちに、誰も本気で信じなくなった。
彼女はただ、自分の言葉で怯える様子を見て、楽しんでいるだけ。まるで獲物を殺さず、いたぶる、獣のように。
そもそも正しく役目を理解しているのなら、現状に焦りを覚え、原因を突き止めようとするはず。そして、魔法が使えなくとも『聖女』としてできることをしようと思うはずだ。
しかし彼女は魔法が使えないことを放置して、日々贅沢に過ごしている。
本物なのかと疑う者も出てきているが、しかし対面すると彼女は『聖女』なのだと感覚で理解する。だが少しでも離れると、思考は疑心で埋まる。
そっと『聖女』を窺うと、新しく運ばれてきた好物ばかりの料理に機嫌がよくなったらしい。にこにこと愛らしい笑みを浮かべながら頬張る。
その幼い子どものような様子に、自然とこちらも頬が緩む。
ああ、彼女はやはり『聖女』だ。
汚されて部屋から出した侍女ですら、まだこの場にいて、この『聖女』の表情を見たなら疑わずに『聖女』だと思うだろう。つい数分前に怒りで歪んだ表情と悪意を向けられたばかりであっても。
それでもきっと、部屋から出て投げつけられた食器を見ると、疑ってしまう。
信じる。
信じられない。
信じる。
信じられない。
その繰り返しで、『聖女』マリアの周囲にいる人たちの精神と思考は、自覚ないまま磨り減っていた。
それはまるで、呪いのように。