1 悪女と聖女
玉座に座る我がインフィ国の王は、屈強な騎士に挟まれた少女を見下ろし、顔を嫌悪で歪ませる。本来であれば感情を表に出すべきではないが、彼女の罪はこの国でもっとも許されないものであるため、理性をもってしても抑えられないのであろう。
「サニー・コーラル! 『聖女』と偽った罪は重いぞ!」
少女――サニー・コーラルはその言葉に震え上がったように見えた。
だが図々しく『聖女』を名乗るくらいだから、すぐに浅ましい言い訳を口にするだろう。この場にいる者全員がそう思ったに違いない。
この国において、否、この世界において、『聖女』とは最も重要な人物だ。
切断された四肢や、死者も蘇生させる回復魔法。
魔物の侵入を防ぐための強固な結界魔法。
あらゆる不浄を瞬時に浄化する特殊魔法。
それらを発動、維持するための豊富な魔力を扱う、女性。
この国ではそれにくわえて、華やかな容姿で周囲を魅了し、愛らしい仕草で心を癒す者。
国の防衛も担い、国民から愛される唯一の存在として崇められていた。
十年以上前に亡くなった先代の『聖女』も、愛らしさは老いても失われず、生涯国民に愛された女性だった。
故に『聖女』には様々な特権が与えられる。そしてそれを悪用されないために『聖女』だと偽った者は各国の法で厳しく罰せられる。
この国では、国籍を剥奪し罪人の刺青を入れた後に、国外追放と決められている。
罪人の刺青を入れられた者は、条約によって近隣国は受け入れない。大陸を移動して、ようやくその枷から逃れられる。
だが、大陸を移動する道中で衰弱するか魔物や盗賊に襲われて命を落とすことがほとんどで、生き延びられるのはごく稀だ。なにより、刺青を見て虐げる者が多いので自ら死を選ぶほうがずっと多い。
サニーは震えながら、しっかりと王を見上げた。
その表情に強い意思が見えるが、罪人が居直ったところで見苦しいだけだ。
発言の自由を得る前に、サニーが、やはり罪を否定する。
だがその言葉は、予想していなかった。
「私は最初から『聖女』じゃないって言っていました!」
* * *
私の生まれ育ったエリフ村は、インフィ国の端の領土の、更に端にある。
利便性がなく、隣の村まで速い馬車で半日、一番近くの大きな町までは三日。国の中央にある王都までは一週間以上かかる。
そこそこ大きい村だけど、娯楽は少ないから年々人が減ってきている、閉鎖的な村。
そんな村に、国王の使者と名乗る人たちが突然やってきた。
何事かと身構えた村人の前で彼らは、農作業から戻ったばかりの私に「お迎えに上がりました、『聖女』様」と言って、恭しく頭を下げた。
だけど頭を下げる前に土で汚れた私の姿を見て顔をしかめたのを、私は見逃さなかった。
「人違いです」
開口一番に否定した言葉に彼らは、同意するような表情を見せた。それでも「いえ、貴女です」と強く言ったのは、彼らのなかで立場が一番上の人だと思われる男性。
豪華な装飾の白衣を纏う彼は、一歩前に出て私を真っ直ぐ見据える。その目に新たな『聖女』に会えた喜びは一切無くて、疑心にも虚無にも見える、暗い穴のような目だった。
「王宮の占い師によれば、こちらで春に産まれた十七歳の少女とのこと。調べたところ、今は貴女だけでした」
「それでも『聖女』は私じゃないです。もっと調べて下さい」
「いえ、ここに今いるのは、貴女だけです」
「そもそも私は、普通の魔法もまともに使えないんです」
この世界では誰もが魔法を当たり前のように使うことができる。乳幼児ですら、自覚のないまま使うこともある。
だけど私は、生まれつき魔法をまともに使えない。
魔法を発動するための魔力は感じるが、勝手に動いて止められない感覚で、どうしても制御できなかった。
魔力の源は、国土。土地のパワーというべきか。 そのため国ごとで魔力の性質が異なる。私のように自国の魔力を上手く扱えなくても、他国では扱えることがある。基本的には生まれた国の魔力に適応するが、こういう例外も稀にあった。
このことは必ず教わるため、常識でもある。
そう説明したが、彼は何故か納得しなかった。鍛練すればいいと言い返したので、私が怠けているだけだと思ったらしい。
「見た目も地味ですし」
「……。化粧でなんとかなります」
まじまじと私の全身を眺めて、溜め息混じりに呟く。
ブラウンの髪に濃いグレーの目。顔立ちは舞台俳優だった父似で悪くはないと思うけど、ぱっとしない。中肉中背。肌は毎日畑をいじっているため、日焼けしたところと焼けていない箇所の境目がはっきりしている。
そもそも『聖女』は、平民であっても一目会えば誰でもそうだとわかるそうだ。
なのに彼以外の使者はあからさまに私を疑って見ている。それが答えのようなものなのに。
そう思うけど、私は口には出さなかった。出したところで彼が私を『聖女』にしたいという意思は変わらないように思えた。
それでもその後も押し問答が続いた。
不服そうな雰囲気にもかかわらず、彼だけが全く引かない。
挙げ句、私は全く同意してないのに「数分待つから支度しろ」と言い出した。数分で用意できる旅支度なんて、ほとんど手ぶらみたいなものだ。しかも畑から戻った直後で泥を落としていない。
結局、私は最低限身だしなみを整えて、居候先の村長夫婦にひとつ頼みごとをして使者についていくことにした。
私の家族は、先月魔物に襲われて、もうこの世にはいない。
喪が明けた後で村を、否、この国を出て一人で暮らしていくつもりだったけど、村長がなかば無理矢理に私を自宅に居候させた。
だから出ていくための計画と準備もしていたのに、こんなことになって予定が狂ってしまった。
使者の方たちと同じ馬車に乗り、約一週間かけて王都に着くと、そのまま国王様に謁見することになり私は驚いた。非公式だからそのままでも不敬にはならないと言うので、それを信じたけど、国王も私の姿を見てやっぱり一瞬顔をしかめた。
そこでも私は王に「聖女じゃない」と否定した。王も同じように私を疑って見ていたから、聞いてくれると期待したのに、何故か聞く耳を持ってもらえず、そのまま王宮の『聖女』専用の部屋に閉じ込められてしまった。
でもすぐに本当の『聖女』が来る。……正直、彼女が『聖女』なのは腑に落ちないけど。
それまでの辛抱だ、とひとまず私は専属の侍女たちに「自分のことは自分でする」「食事や服もお金がかからないように、質素にしてほしい」と頼んだ。
彼女たちは最初怪訝そうだったけど、理由を聞いて納得してくれた。
ただ、一応は『聖女』としてここにいるから、あまり雑に扱うと周囲に不敬だと思われるかもしれないとかで、そこそこ良い扱いをしてもらえた。
早く本当の『聖女』が来るように祈りながら、一応周囲には「聖女じゃない」と否定しつつ、魔法の勉強や『聖女』としてのマナーを叩き込まれ、二ヶ月が経つ頃。
ようやく本当の『聖女』が現れた。
やっと解放される! と喜んだのも束の間。
国王の前に引きずり出されて断罪が始まり、冒頭に至る。
「私は最初から聖女じゃないって言ってました! 贅沢って言いますけど、服や食事はできる限り質素でお願いします、って最初に頼んでます! ちゃんと調べてください!」
不敬だと言われる覚悟で私が叫ぶと、国王はあからさまに不快げに顔をしかめた。
「お前の名前で多額の費用が申請されている。それでもまだしらばっくれるのか」
「しらばっくれるのもなにも、私が毎日食べてたのなんてパンとスープだし、服だってこの通りですよ!」
『聖女』の生活費が国税であることを知っていたので、私はまずは食費をおさえた。パンが少し固かったり、スープの味が薄かったりしたけど、村で食べてたものより、ずっとずっと美味しかった。
服は、ドレスじゃなくて普通のワンピースを三着ほど着回して使っていた。失礼のない程度に装飾をつけなければならなかったから高額になったけど、少し生活を切り詰めれば返せる値段におさめてもらった。
そう、私は、毎日幾らかかってるか計算して、後から「金を返せ」と言われても、なんとか自力で返せる範囲の出費であることを確認していた。
はずなのに。
国王の傍らに控えていた大臣は、計算していた出費の数倍の金額を口にした。
「そんな……」
「他にも証言がある」
侍女長、と呼ばれて一歩前に出たのは、妙齢の女性。でも私は彼女に見覚えがなかった。最初の挨拶のときにいなかったからだ。
侍女長はこっちを一瞥してから、国王に向き直る。
「その方は、部屋ではだらだらと魔法やマナーの復習もせずに怠惰に過ごしていました。見える場所では質素に暮らしていましたが、目の届かないところでは贅沢をしていたと聞きます」
侍女長が得意気に証言する。
嘘だと否定しようと動くが、後ろから甲冑を着た騎士が力任せに私を床に押さえつけた。息も言葉もつまる。
国王も、その場にいる全ての人間が、私を見下す。
「しかもお前は、真の『聖女』であるマリアを、村で虐げていたそうじゃないか!」
国王様のそばに控えていた宰相の後ろから女の子が現れる。
本物の『聖女』は、やっぱり、村で私をいじめていた村長の娘ーーマリアだった。
* * *
私はサニーが嫌いだ。
両親が望んで望んで産まれたという私は、両親の愛をたくさん受けた。どんなことを言っても両親は聞いてくれた。おもちゃもお菓子もいっぱい買ってくれた。
飴色の髪、家族で私だけの緑がかったグレーの目、顔も、声だって家族も村の大人たちもみんなみんな可愛いと褒めて、私の言うことを聞いてくれた。
自分の子どもより私の言うことを優先してくれる。私が甘えてみせれば、自分の子より可愛がってくれる。いじめられたと嘘を言っても、私の言葉を信じてその子を叱りつけてくれる。
だけど、サニーの両親だけは違った。
野暮ったい容姿の大人たちの中、サニーの両親はまるで石ころの中にまぎれこんだ磨かれた宝石のように、綺麗な人たちだった。
演劇の俳優をしていたおじさまは整った優しい顔と、なにより声が渋くて格好よかった。
そしておばさまは、比喩なんかじゃなく本当に村の男全員から求婚されるほど、綺麗で聡明な人だった。
私の両親も見た目は悪くないけど、並べるとはっきり言って見劣りする。
だから私はずっとサニーの両親が欲しかった。
だって、サニーよりも私の方があの二人に似合うから。
なのに、私がどんなに甘えて見せても、彼らが一番可愛いと言うのはサニー。どんなにサニーを悪く言っても、彼らが信じるのはサニー。
腹が立って父に訴えると、父は初めて私の言葉に首を横に振った。
「あの子をそんなふうに言って、彼女を困らせることをしちゃダメだよ」と。
理由はわからなかったけど、サニーがいると私が村で一番になれないということは理解できた。
だから、私はその日からサニーが大嫌いになって、いじめ始めた。
だけど、どんなにどんなにいじめても、サニーは私に屈しなかった。泣いて土下座して懇願すれば、そのべちゃべちゃの顔を踏んづけて、あいつの涙とか鼻水で汚れた靴を舐めさせて、その後で召使いにでもして、あの美しい両親を私に差し出すよう命令するつもりだったのに。
サニーは黙って私を睨むだけだった。
生意気なのでもっといじめていると、サニーの両親が死んだ。勿体なかったけど、私を蔑ろにした天罰だと笑ってサニーに泥を被せたとき、初めて悔しそうな顔をしたのは痛快だった。
やっとサニーの心をへし折れたと思った。
だから私は父に「かわいそうだから」と目を潤ませて頼んで、サニーをうちの居候にしてこき使ってやった。母も、昔からいる家政婦も、サニーを蔑むさまは見ていて面白かった。サニーを庇っている父も表立って私を止めようとはしない。
やっぱり私が一番なのだとようやく実感できて、気分が良かった。
なのに。
私が村から出されていた間に、サニーが『聖女』だと言われて王都に連れて行かれたと聞いたときは、腸が煮えくり返りそうだった。私だって同じ『春に産まれたの十七歳』なのに。またあの女のせいで私が一番になれない。
だけどすぐに私の機嫌は急上昇した。迎えに来た両親が、私が『聖女』じゃないかと言うのだ。
よく考えれば魔法もまともに使えないのにサニーが『聖女』のわけがない。特権に目が眩んで嘘を吐いたんだ。私はすぐにサニーの思惑を理解した。
馬鹿なサニー。
そんなに破滅の道を行きたいのなら、私が背中を押してあげよう。
私は上機嫌で王都に着ていくためのドレス選びを始めた。
* * *
マリアは取り巻きと一緒に、なにかにつけて魔法が下手な私を嘲笑った。「必要ないでしょう」と言って教科書やノートを破り捨てるなんてしょっちゅうだった。その程度なら、直せばいいやくらいに思って気にも留めてなかった。
だけど、両親が死んだときに笑いながら泥を被せてきたことは許せなかった。
大好きな両親が死んでひとりぼっちになった私を見て手を叩いて喜んで、しかも両親の死をまるで吉報のように吹聴してまわった。
あの歪んだ笑顔を私は忘れていない。
なのにマリアはその時のことを
「ご両親が亡くなったときも……混乱していたのでしょうね……。お二人にはお世話になったから家に伺った時……私を……追い返そうとして……泥を……」と脚色して、目に涙を浮かべて見せた。
その他にも細々と毎日毎日マリアが私に対してやってきた嫌がらせを、さも私がマリアにやったことのように切々と涙目で周囲に訴える。
華やかな容姿で周囲を魅了し、愛らしい仕草で癒す。
まさに『聖女』。
あっという間にこの場の全員が私の敵になって鋭い視線が向けられる。
心が清らかでなくても『聖女』になれるんだな、と他人事のように思ってしまった。
「でも……サニーもご家族が亡くなって一人で寂しかったんだと思って堪えました……だけど……」
なんとなく嫌な予感がして止めようと動くけど、騎士二人にがっちり拘束された上に、息がうまくできなくて声を出すこともできない。
もがく私を見て、マリアが一瞬だけ嘲笑う。
「だけど……あの子は村の男の人たち何人もと肉体関係を持って……。一人で寂しかったとしても、汚らわしいことです……。しかもそれを知ってしまった私を村から追い出して……ひどいわ」
それはあんただよ!
叫びたかったけど、できなくて噎せる。
村長夫妻の一人娘で、やっと産まれた子だからと甘やかされて、それはそれはお姫様のように育ったマリア。
だからなのか彼女はとにかく自分が一番であることにこだわった。
立場も、勉強も。
そして女としても。
手当たり次第に村の見た目が良い男の人に声をかけては誘惑していた。相手に婚約者がいても構うことなく、既婚者まで。とにかく節操がなかった。
なのに村長は、清いまま終わるはずがないマリアの行為を咎めるどころか
「さすが、可愛い我が娘。皆に愛されて誇らしい」と親バカと村長の権限を発揮して揉み消したのは、周知のことだ。
それでも村はなんとかなっていた。奇跡だったのか、親バカとはいえ「村長」としては有能だったのか。私にはわからない。
だけど領主の息子を唆したのは、さすがに慌てていた。初めて相手のもとに謝罪にも行った。
彼はマリアを迎えるために既に結んでいた婚約を破棄しようとしていたらしいけど、結局は両家の話し合いに末に、元サヤにおさまったと聞いた。
そして村長夫妻はマリアを一旦親戚のもとに預けて、騒ぎから遠ざけた。ほとぼりが冷めるのを待つつもりだったのだろう。
私は村を出る前に村長夫妻に「多分マリアが『聖女』だから連れ戻して」と頼んでいた。あの村で春に産まれた十七歳の少女は私と、マリアだけだからだ。
夫妻は驚いていたけど頷いてすぐに用意していたから、あの日のうちに村を出たと思う。……来るのに二ヶ月もかかったのは、多分マリアが身支度に時間をかけたのだろう。
親戚のもとで私が連れて行かれた経緯を聞いたと思うけど、自分より先に『聖女』にされたのが悔しかったのか、憎かったのか。とにかく彼女はこの場で私を貶めたいらしい。
あることないこと脚色して私を性格と身持ちの悪い悪女に仕立てていく。
そして私は、『聖女』と偽り、真の『聖女』を虐げた悪女として、投獄されてしまった。