第56話 王妃様は気の毒ですか?
リリアン嬢の子どもが、殿下の子どもでないと言う話は貴族の間だけではなく、国中の至る所に広がっていった。
「まあ、殿下の婚約者がオーガスタだったら、こんな噂は出にくかったろうな」
「それはわかりませんわ。人は、悪意的な噂を好むものです」
牢にいるはずのラルフは、自邸で優雅にお茶を飲んでいた。
その一方で、王妃様は噂を打ち消そうと、むなしい努力を続けていた。
肝心のアレキア人が逃げてしまったので、証拠とやらはわからずじまいのはずだったが、後日、親切にも王妃宛てに手紙が届いた。
それは自分を逃してくれて感謝するで始まり、お礼に王妃様だけには例の真実を伝えておくと言う内容だった。
だが、なにぶんにも差出人が例のアレキア人だったので、念のため、王妃の手に届く前に開封され、何人もの人たちが内容を検閲した。
手紙を読んだ人たちが、黙っているはずがない。
特に高位でない人たちは、誰にも止められなかったことだし、このトクダネを身内や知り合いにしゃべって歩かずにはいられなかった。
手紙の最後には、死刑宣告されたラルフ氏が、本当に問題のラルフ氏なのか、自分にはわからないので、出来ればベロス公爵を死罪にしてくれる方が自分の趣味にはかなっていると言う勝手極まりないお願いまで付いていた。
「誰もあなたの死罪の部分は話題にしないわね」
「ベロス公爵令嬢の不倫の話より、話題性に乏しいからね」
リリアン嬢は王宮に出仕するよう王妃から命令が出たが、彼女は来なかった。
怒った王妃の使いがベロス公爵家まで出向いたが、リリアン嬢は自邸にいなかった。
「どういうことです?」
リリアン嬢はアレキア人の恋人と、出て行ってしまっていた。ラルフの言った通りだ。
社交界に出ると面倒ばかり引き起こす娘に手を焼いた父の公爵は、好きにさせていたのだった。
これを知った王妃は、顔色を変えて怒ったそうだ。
「私は、王妃様の血圧が振り切れるんじゃないかと、心配になってきましたわ」
私はラルフに言ったが、ラルフは大丈夫だろうと答えて、別な質問を振ってきた。
「ねえ、オーガスタ、僕は、牢から出たいんだ。死刑執行された方がいいか、牢で病気になるのとどちらがいいかな?」
出た後、どうやって生き返るつもりなのかしら。
「リーリ侯爵かエレニータ辺境伯にお願いして、王位継承権の承認会議を開いてもらうのが正攻法でしょう」
「それは時間がかかるから却下だ」
「じゃあ、王太子殿下の飲み歩きに付き合っていた騎士連中を捕まえて尋問しましょうよ、王妃様の前で。そっちの方が罪が重い筈よ? 死罪だらけになって、あなたを含めて、きっと軽減されるわ」
「騎士連中の尋問は、今、ゲイリーがやっている」
「早いわね。死刑になった?」
「もう、王妃様は気力がないらしいよ。禁錮とか役職取上げくらいになってるらしい。ゲイリーが適当に決めてるそうだ」
「なんであなただけ死刑なの? 私、王妃様を問い詰めたいくらいよ」
「ああ、それいいね」
夫はソファの上でくるりと向きを変えた。
「僕が狙ってるのは、王妃を弱らせて引退に持ち込むことだ。今まで味方と思っていたあなたが、彼女を恨んで詰め寄れば、ショックも大きいだろう」
「そんなこと、したくないわ」
私はハネつけた。
「なぜなんだ? あなたが僕の助命嘆願をしないのだったら、他の誰がするんだ?」
「助命嘆願くらいするけど、追い詰めるなんて、王妃様がお気の毒よ」
「お気の毒だなんて……僕は本当に死ぬところだったんだよ」
わかっている。王妃様がお気の毒だなんて呑気なことを言えるのは、ラルフが元気でそばにいてくれるからだ。
「ところで、エレノア嬢が何したか、知っている?」
「え?」
私はエレノアのことは全く考えていなかった。忘れていた。
「……エレノアには良い婿を探してやらねばなりません」
少々、後悔しながら私は言った。
「エレノア嬢が良い嫁になると言うなら、僕も婿探しに賛成だけどね。まあ、そんな問題はさておき、エレノア嬢はやめておけばいいのに、リリアン嬢に会いに行ったらしい」
「えっ!」
私は叫んだ。
そんな渦中の人物のところへ? いったい何をしに? それに居場所を知っていたとは驚きだ。ラルフも知らないと言っていたのに。
「それも、わざわざあなたは、もうおしまいよと、伝えに言ったらしいよ」
「それ、なんて嫌がらせ……」
私は口の中でぼやいた。
エレノアは面倒くさいことしかしない。
しかも考えなしだ。
考えなしがこんなにも罪深いことだなんて、今まで想像したこともなかった。
少し考えればわかるのに。
そして、人を傷つけたり、悲しませたりすることだとわかれば、やめればいいじゃない。
「あなたの考え方は優等生で、立派だけれど、人間、そんな人たちばかりじゃない」
ラルフは言った。
「僕がそうなので」
「そんなことないわ。少なくとも、あなたは、ほかに方法がないか考えているわ。そして、無駄に傷つけたりしない方法を探っているもの。エレノアと来たら、好奇心や人を傷つけようと思ってしているのよ!」
「こりゃお褒めに与ってどうも」
ラルフはニヤニヤしながら言った。
「だけど、それほど褒められたもんじゃありませんよ。考えてやったかどうかと言えば、十分考えてますけどね」
「なら、いいのよ!」
私は力をこめた。
「とにかく、一度、王妃様に僕の助命嘆願をしてくれないかな。騎士連中の罪状と懲罰の一覧はゲイリーがまとめてくれた。僕の死刑は酷過ぎると思わないか?」
ラルフは、一枚の紙を渡してくれた。
「王妃様は、僕が牢屋で悶々としていると思っている。自分の家で妻とダラダラ寛いでいるなどとは思ってないので、そこだけ気を付けて。これで三日、家から出られないでいるんで、計画がさっぱり進まない」
「計画って?」
「王と王妃の引退だ」
なんてことを言うの。王様がいなくなっちゃうじゃない。
「それでどうなるの? 誰が王になるの?」
「さあ?」
「さあ?じゃ困るのよ」
私はラルフに詰め寄った。絶対に何か考えているのだと思う。
「僕の愛する妻は黙ってくれるだろうか?」
「もちろんよ」
「じゃあ、公爵にも言っていない秘密を伝えておく」
ラルフは急に真剣な顔になった。
「コーブルグ家の孫息子を知っているね? 僕の甥だ」
私は少しびっくりした。
「ええ。まだ十四歳の少年よね? ジョージだったか、ジョゼフだったか」
「ジョージ。とても優秀だ。学園では一番の成績だ。あの子を王位に据えたい。彼なら務まると思っている」
私はジョージの顔を思い出そうとした。キラキラした金髪で、まだ幼い顔をしていた。
「王になるのって、幸せなことなのかしら?」
私は思ったままを口にした。ラルフは返答に詰まったらしかった。
「……違うだろうね」
「かわいそうじゃない?」
「でも、誰かがしなくてはいけない。それも、今の王や王妃ではない人に」
私は考え込んだ。
「でも、そんなことは言わないでくれ。どうなるかなんか誰にもわからない。聞かれたから、僕の考えを口にしただけだ。それがベストなのかわからない」
ラルフは続いて言った。
「でも、あなただって、王妃様は気の毒だと思うだろう?」
気の毒……本当に気の毒だ。王妃でなければ、もう少し気苦労の少ない人生だったろう。
「そうですわね」
「ああならなくてよかったと、思うでしょう?」
私はこの質問者の顔をにらんだ。
ラルフと結婚してよかったとか、好きだと言わせたいのね。
「結婚相手が、王太子でなくてよかったと、言わせたいのでしょうけど……もっと、ましな人が王太子殿下だったら、王妃も悪くなかったかもしれないでしょ? 色々な事が出来るのよ?」
ラルフは急に真剣になって私を見つめた。
「そうなの?」
「そうよ。国王陛下があんなに無能でなければ、王妃様はあそこまで苦労しなかったわ。二人で一緒なら、この国をよくすることができたかもしれない。夢のある仕事かも知れなかったでしょ?」
ラルフは私の顔をのぞき込んだ。そしてキスして言った。
「わかった」
ラルフにとってのターニングポイント
 




