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第33話 白い結婚だから無効

 騒ぎ声がしているのは、王太子妃(予定)のためのお付きの女官たちがどうやら行くなと(いさ)めているためであり、先頭に立って堂々とやってくるベロス嬢が完全に無視しているので、声が大きくなっているのだろう。


「ベロス様、どうかあちらへ。殿下の方へ」


 困り切った様子の声は、昔、私にも付いていたことのある王家の侍女、セームス嬢のようだった。


 セームス嬢は意地悪で、私には居丈高だったが、なんだってベロス嬢にはこんなに下手(したで)に出ているのだろう。


 その時、ようやく私は悟った。


 なるほど。彼女はベロス家の手の者だったわけだ。


 だから、私の行動をあれこれあげつらい、王妃様に言いつけ、つらく当たり、きっと私の情報をベロス家に流していたのだろう。


 セームス嬢の念願かなってベロス嬢が王太子殿下の婚約者になり、何もかも彼女の希望通りに動いているはずだが、今のセームス嬢の顔色は、全くさえなかった。


「おやめくださいませ」


「うるさいわね。女官の身の上でいちいち指図するなって言っているのよ!」


 その次の瞬間、リーリ夫人だけではない。その周りのご婦人方、私、ラルフまで目を疑った。


 ベロス嬢は、手にしていた扇でセームス嬢の首を打ったのである。


 扇は絹地が張られた、ただの木製の扇で(多分)、鉄扇などではない。ケガをするほどのことはないだろうが、派手なパンと言う音と低い悲鳴は、その瞬間を見ていなかった人々までもが驚いて振り向くだけのことはあった。


「ベロス嬢……」


 さすがにラルフがセームス嬢の方へ一歩踏み出した。

 ケガをしたのか、どれほどの打ち据え方だったのか。これ以上乱暴を働くなら、いかに王太子の婚約者とは言え、止めなくてはいけない。


「リッチモンド公爵令嬢……ではなくて、平民でしたかしら?」


 ベロス嬢の声は上ずっていた。


「……オールバンス男爵夫人のオーガスタでございます」


「厚かましいのよ!」


 何かあったのかしら。どうして、ダンスパーティは始まったばかりなのに、もうヒステリーなのかしら。


「殿下は、ロザモンド・メースン嬢に話しかけている。ベロス嬢はそれが気に入らないのだろう。私のそばから離れないで」


 耳元でラルフが口を動かさないで囁いた。


「どうしてこんなところに出て来たの?!」


「新婚のご挨拶に」


 ラルフが落ち着き払った声で答えた。


「ええ、そうね。結婚したのよね。私もいずれ結婚します。そして王妃になるのよ。おわかりかしら? そこのあばずれ」


 は?


 そこのあばずれとは、もしや私のこと?


 リーリ夫人以下、ご婦人方は危険物から一歩下がっていたが、貴婦人としてあるまじき単語にみんな固まっていた。



 ベロス嬢が一歩近づく。私とラルフが一歩下がる。


 ベロス嬢が一歩近づく。私とラルフが一歩下がる。



「これ、リリアン、何をしておるのか? 殿下が探しておられたぞ」


 あ、これが一番効くだろう。助かった。ベロス公爵だった。

 公爵の額からは汗が流れていた。


 殿下と聞くとリリアン嬢はサッと身をひるがえして、会場の中央目指して去って行った。その後を何人かのお付きたちが、必死で付き従って行く。


「いや、これは祝辞を言わねばならん。結婚後、初めてのパーティでしたな。めでたいことです」


 額の汗が目に入るのも気にせず、一気に公爵がまくしたてた。


「それより、リリアン様にお祝いを申し上げなくては。そのために参ったようなものでございます。未来の妃殿下の御覚えが少しでも良くなりますように」


 ラルフはそつなく公爵に答え、穏やかそうに笑って見せた。

 一応、私も真似しておいた。


 不安そうだった公爵は、これを聞くと少し微笑んで頷き、ではまたと言い置いてリリアン嬢の後を追いかけた。


 あれでは気苦労が絶えないだろう。


 後に残ったセームス嬢は、反対派とは言え、そこまで冷たいわけではないリーリ夫人派の誰かに介抱されていた。


「大変ね……」


 思わずつぶやいた私の声を拾ったリーリ侯爵夫人が、恐ろしく眉をしかめて、ごく小さな声で言った。


「どこからあんな品のない言葉を覚えて来るのでしょう。不思議ですわ」


 殿下じゃないわよね? 私は勘ぐった。だが、リーリ夫人のまなじりが裂けんばかりに見開かれたのを見て、背後に危険を察知したが、もう遅かった。


 殿下本人だった。


 だいぶ酔っている。


 待って。おかしいわ。


 このパーティが始まってからまだ一時間ほどしか経っていないはずだ。

 そんなに酔えるはずがない。

 それに殿下は酒には強い方だった。


 それに護衛はどこへ? 一人もついていないだなんて、どうしたのだろう。



「逃げましょう!」


 ラルフがいつの間にか手を握って、言った。


「気が付かなかったふりです。早く!」


「では、リーリ侯爵夫人、また」


 私はにっこり笑って挨拶だけすると、ドレスが許す限りのスピードで走りだした。



「どこへ行くの?」


 王家主催の公式ダンスパーティの会場なんかで、全力疾走するのは初めてだ。


「ベロス嬢のところへ」


「そんな主戦場みたいなところ……」


「ベロス公爵と、国王陛下御夫妻がいる」


「わかったわ!」


 そこしかない。陛下しか殿下は止められない。


 泥酔した殿下なんか、手に負えない。


「待てー、オーガスター」



「聞こえないふり!」


 ラルフが言った。


 途中で靴のかかとが折れた気がする。シンデレラか?

 違う。シンデレラは靴を落としたんだっけ。


 あ、あそこにロザモンド・メーソン嬢に何か話しかけているリリアン・ベロス嬢がいる。

 あれは危険だ。

 迂回して、その後ろの国王陛下にたどり着ければ……


 泥酔していないだけベロス嬢の方がましなのか、正気のくせに人を殴ったりののしったりするなんて殿下よりおかしいのか。


 あいにくベロス嬢は泥酔していなかったので、殿下に気が付いた。


「アレックス殿下!」


 泥酔していてもベロス嬢はわかるのね。殿下はぴたっと足を止めた。


 おかげで、私たちは殿下より先に、国王陛下の前までたどり着くことが出来た。


「陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」


 謁見の際の定型文を唱え始めたが、陛下御夫妻も、近くにいたベロス公爵も、実は私たち自身も、全員、上の空だった。殿下とベロス嬢が、真横でわめいている。


「どうしてほかの女を追い回すのよ!」


「リリアン、黙れ」


 ろれつの回らない声で殿下が答えた。せっかくのきれいな金髪と青い目のイケメンが台無しだ。


「黙らないわよ。婚約者がいるのに、どうして、他の女に声をかけたりするのよ」


 ええと、その言葉、そのまんま、あなたにお返ししたいですわ。


「ロザモンドなんて。こんな胸のない女。婚約者のフェアファックス卿がお気の毒ってもんよ」


「どけ! リリアン。オーガスタが来たんだ」


 止めて! 私は関係ないから。


「オーガスタ……」


 人の波に(さえぎ)られたのと、足元が覚束(おぼつか)ないので、殿下は速くは移動できないらしかった。


「殿下……オーガスタなんか男爵夫人よ。私は王妃よ」


 リリアンが取りすがる。殿下は手荒に振り払ったが、ベロス公爵が娘をかばいに飛び出してきた。


「お腹にはお子様がおられるのですぞ? 乱暴はおやめくださいませ」


「そうよ、そうよ! この○※×▽…………」


 最終的には、ベロス嬢は大慌てのお付きの女官たちに強制的に回収された。


 宮廷は上品ぶっていて、しかし内実は下品だと言われるが、今、この場で言っていい言葉と悪い言葉がある。


 ひそひそと低い声が、そこらじゅうで囁き交わしていた。


「なんと下品な……」


「あれで王太子妃が務まるのかのう?」




「では、私どもはこれで……」


 一応、謁見は済んだ。何しろ、どこかで一度は陛下に結婚の報告をしなくてはならない。

 ふつうはもっと手順を踏んでするのだが、後から殿下が追いかけて来るのでどうしようもなかった。

 陛下御夫妻もよくわかっている。どう見ても泥酔状態の殿下が、血相変えて追いかけてくるのだから。


「オーガスタ……」


 殿下の目がすわっているのを見て、私はあわてて礼をして、ラルフもろとも退出を試みた。


「なんと美しい。まるで女神のようだ」


 酔っ払いをなめていた。殿下は思いもよらぬ素早い動きで、私の手を握った。


「オーガスタ、結婚してくれ」


「すでに私の妻です」


 ラルフが間に挟まった。結婚していてよかったと、この時ほど思ったことはない。


「黙れ、この間男。俺の女になにをする。十年前からの婚約者だ」


 間男! 夫に向かって間男とは! それから婚約期間は約五年です。


 王家の方々って、意外に語彙が豊富なのね……このジャンルに限ってだけど。経済用語なんかは一切覚えられなかったのに。でも、使用法を間違ってますわ……などと言っている場合ではなかった。


「間男はあなたですよ」


 止めて、ラルフも。

 どうせ頭が正常じゃないんだから。今はこの場を去るのが一番よ。


「その結婚は無効だ。白い結婚だからだ」


 殿下が大声で怒鳴り、会場中がしんと静まり返った。

殿下、最低

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