第30話 ベロス公爵、統括元帥になる
ラルフはパロナ公邸に住まなかった。
彼は以前から、公爵の書斎のそばに(泊りがけで仕事をする羽目に陥った時用の)小さな寝室を持っていた。
「いや、婿の君にこの部屋はひどい」
さすがに父はそう言ったらしかったが、ラルフは立派な部屋を用意しようとする執事のセバスも止めて、その部屋に行ってしまった。
「早く南翼に、新婚の部屋を用意せねば」
父はセバスに急いで手配するよう命じたが、今度は私が差し止めた。
「とにかくエレノアが出かけてしまうまで待ちましょう」
でないと何か嫉妬だか勘違いを始めて、せっかくのダービィ行きを止めてしまう予感がした。
幸いなことに、王家のパーティに嫌気が差したエレノアのお友達は大勢見つかったらしく、ダービィにある当家の広い別邸もすぐに満員御礼の札を下げることが出来た。
ゲイリー・チェスターが呼び出した若い騎士見習の連中を、ダービィのリッチモンド邸に宿泊させることはさすがにできないので、近くの砦に滞在してもらうことになった。(若い娘と騎士連中を同じ館に住まわせるだなんて、予期せぬ人口増加に加担したくない)
騎士連中も、エレノア達と知り合いになれるチャンスに胸高鳴らせているらしい。
エレノアが怒ったように見せかけながら、その実、嬉しそうに出て行くのを見届けて、私はため息をついた。
私の横では、母がため息をついていた。
社交界の花として存在するには、陰でそれなりの舞台装置が必要だった。
ダンスパーティの会場の準備だとか、晩餐会のメニューだとか、参加人数の把握だとか。
筆頭執事見習いと女中頭その2が緊張した面持ちでエレノアについて行った。向こうの使用人だけでは手が足りるまい。母と私が手配した。
どうやら私は、社交界の花として存在する側ではなくて、舞台装置を設営する側の人間だったらしい。気がついたら、そうなっていた。
エレノア一人がいなくなっただけで、公爵邸はずっと静かになった。
私は新婚用の部屋の模様替えをセバスに一任した。
「オーガスタ様のご希望は……」
「ないわ」
私はそっけなく言い切った。新居だなんて言われても、全然興味ない。
「奇抜な部屋はやめてちょうだい。普通のでいいから。それからエレノアが出入りできないようにしておいて」
私たちには秘密がある。本当の夫婦じゃないってことだ。私の結婚は王太子殿下から逃れるための偽装結婚なのだもの。殿下に知られたら、これまでの苦労が水の泡になるわ。
せっかく婚約破棄できたのだから、のんびり社交に興じ、男性から歯の浮くようなセリフの一つも聞いてみたい。そう思っていたのだけど、かなわぬ夢だった。
待っていたのは、別な政略結婚。
ババリア夫人と言い、父の公爵と言い、みんな大喜びで歓迎してくれたけど。
父なんか、「落ち着くところに落ち着いた」とか言ってたわ。
ババリア夫人に至っては、私のことを、役に立つ力強い自分達側の陣営のメンバーだと言い切っていた。
私はチヤホヤされて遊びたかったのよ! なんの役にも立たない令嬢でよかったのに。
マリーナ夫人もババリア元帥夫人も、離婚なんか絶対に許す気はなさそう。この結婚を覆すことがだんだん難しくなっていく。
緊急避難が、勝手に既成事実へと動いている。
ラルフには正直な自分の気持ちを言ってしまったけど、それはこの状態を変えられないからだ。
結婚をためらう娘達に、後から愛情は湧いてくるよ、心配しないで両親の言う通り結婚しなさいと説く言葉はよく聞かされた。
これもそんなものなのかしら。
ちっとも納得できないが、どうしようもなかった。自由に振る舞えるエレノアがうらやましい。
呼ばれて、私は父の書斎で数日ぶりにラルフと会った。
パロナ公邸にいた時より会う回数がぐっと減っている。公爵邸は広いし、ラルフは忙しい。それに会いたい訳でもない。
「エレノア様がダービィに向かったと聞きましたが……」
ラルフが聞いてきた。全部、何でも知っているくせに。
「ご懐妊中のリリアン様と夜会でもめたそうです。これ以上、問題を起こさせないためにダービィにやりました」
ラルフはうなずいた。
「今のこの不穏な時期にダービィに行っていただくのは賢明な措置でした」
私はラルフの顔を見た。
今のこの不穏な時期?
どうやら、宮廷がもめているだけではないらしい。ラルフが説明した。
「海沿いの集落や一部の港湾がアウサ族に襲われているのですよ」
アウサ族……そう遠くない対岸の国アレキアに住む、好かれているとは言えない連中だった。海賊稼業が生業だったからだ。
王妃教育がこんなところで役立つとは思わなかった。
「今回は、結構、大きな被害があるそうです。港……と言っても漁船が出入りするだけの小さなものですが、それが占拠されてしまったと派兵の陳情がありました。治安の問題なので派兵はしませんけどね」
私はうなずいた。海賊と言えば、聞こえはかっこいいかもしれないが、アウサ族の場合はコソ泥みたいなものなのだ。
「でも、今回の連中は、アレキアの援護を受けているらしい。そして沖合にはアレキアの母船がこっそり潜んでいる」
私は驚いた。
「どうしてアレキアの船が?」
「どうしてでしょうね? 大国アレキアがアウサ族なんかの支援をするとは思えない」
ラルフは私に一枚の手紙を差し出した。
「姉のパロナ公妃から結婚祝いの手紙がきたのです。そして知らせてきた」
私は不審に思った。アウサ族の盗賊と関係があるの?
ラルフはソファから立ち上がると、私の後ろに回った。
身をかがめ、私の耳のそばでラルフはささやいた。
「ルフランとパロナの間には金鉱が存在します」
あいにく、私はちっとも驚かなかった。だって、知ってるもん。
ラルフは私が驚かないのを見て、ちょっと悔しそうだった。
「五年ほど前に発見されたものです。リッチモンド家と合同で、その規模や質を調査していた。だが、アレキアがその存在に気が付いたらしいのです」
私はびっくりしてラルフを見た。そっちは驚きだ。ラルフは私が驚いたのを見て、満足そうに頷いてみせた。
「そう。沖合に船を停めて、港湾を密かに占拠する。アウサ族を隠れ蓑にして、その隙に内陸に進む準備を整える」
「ラルフ! 今すぐ軍の派遣を……」
「ダメですよ。出来ないのです。三週間ほど前の話ですが、ベロス公爵はあなたの父上に対抗して、軍の最高責任者になりました。統括元帥と言う役職を新たに作って就任しました」
なんですって?
「ババリア元帥がいるのに? 統括元帥になるのですか?」
意味が分からない。ベロス公爵は商人だ。金勘定は出来ても、軍事なんかさっぱりのはずだ。
「王太子妃の父として、力を得たいのです。ただ、ベロス公爵も政治力であなたの父上に対抗できるとは考えなかったようです。商人なだけに、あなたの父上の実力はよく御存じなのでしょう。だから、軍事を掌握しようと考えたのでしょう」
「でも、ベロス公爵は、軍事には全くの素人のはずよ! 本当に戦争が起きたら、どうするつもりなのかしら?」
ラルフは頭を振った。
「舐めているのですよ。何も起きないと」
「そんな……。それこそ国が危ないわ」
私はブヨブヨ太ったベロス公爵の姿を思い起こした。あの様子では、ウマにも乗れないのではないか。
ラルフの口の端がほんの少し持ち上がった。
「ねえ、オーガスタ、確かに、ここ十年ほど何事も起きていません。でも、起こせばいいと思いませんか?」




