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第20話 結局、やっぱり修羅場

 王太子の顔色がいっそう悪くなった。


 私は畳み掛けた。


「とても仲が良さそうで……ですから、私、瞬時に悟りましたの。殿下の真実の愛のお相手は、リリアン嬢だったのだと」


 床の上に膝をついていたベロス公爵がゆるゆると顔を上げてきた。


 私はラルフの顔を見た。

 澄んだ茶色の目が瞬きもせず私を見つめている。

 何か計算しているのだ。


「……たまたま乗馬に出かけただけだ! ベロス公爵が言うような特別な関係ではない。一緒に遠乗りするくらい、誰だって……そうだ、オーガスタ嬢だって、そこの……そこのウマの骨と一緒に乗馬に出ていたではないか!」


 たまりかねた私は一言挟まずにはいられなかった。

 どうして、こう毎度毎度、人の名前が覚えられないのかしら。


「ウマの骨ではございません。ラルフ・オールバンスでございます。殿下のまた従兄弟の」


 この発言は全員に無視された。もっと重要な発言がラルフからなされたからだ。


「殿下はその時おっしゃいました。私どものことも秘密にしておいてやるから、自分たちのことも内緒にしておいてくれと」


「ちょっと、アレックス、あなた、オーガスタ嬢とそこの男性の関係を知ってたの? それなのに、婚約を希望したの?」


 王妃様が乱入してきた。殿下がしどろもどろで反論しだした。


「母上! 関係だなんて……ただの乗馬でございます。海辺の別邸は、王都からほんの数時間でございます。私が彼女たちと出くわしたのは、朝も遅い時間帯です。私が王宮以外で寝泊まりしないことは、よくご存知でしょう? 警備の問題があるのですから!」


 王妃様は大きくうなずかれた。


 しかしベロス公爵が言い出す。


「いいえ、殿下。私の別邸をご利用になられたではありませんか! それも二泊もされました」


「だから、そんな証人は誰もいないと言っている。ベロス家のでまかせだ」


「私どもはお見かけしましたが……」


 ラルフが余計な一言をぶっこんだ。


「泊まっているところを見たわけではないだろう! それにそんなことを言うなら、お前たちも一緒だぞ! オーガスタ嬢が、私と結婚できなくなるんだぞ? そこのラルフ・オールバンスとかと結婚することになる。それでもいいのか!」


 殿下が口から泡を飛ばした。汚いわ。


「オーガスタはラルフ・オールバンスとの結婚式を明日に控えております」


 父が淡々と告げた。


 突然の結婚式の仕様変更に応じてくださって、ありがとう、お父さま。


 ラルフが口を出した。


「殿下、私どもが殿下とリリアン嬢にお目にかかったのは、私どもが朝早く王都を出発して、リッチモンド家の別邸に着いてすぐに乗馬に出た時間でございました」


 殿下はムスッとした顔になった。

 次に全く聞いていないような表情をした。無視する気だな。


「もし、殿下がその日の朝に王都を出られたのなら、何処かの地点で私どもを追い抜いているはずですが、王家の馬車にもベロス家の馬車にも、いえ、どこの誰にも私たちは追い越されておりません」


 ベロス公爵は騒ぐのをやめて、ラルフの顔を見ていた。


 ラルフは極めて冷静で、声は静かだがよく通った。

 その横顔は、コインに彫られているような何代も続いている古い由緒ある家系を彷彿とさせた。

 うん。たのもしい。ちょっとステキ。


「それは、私たちの方が先に出たからだ! そんなこともわからないのか」


「いえ、はばかりながら殿下、王都の街道につながる門の開門時間は決まっております。私どもが一番でした」


 ベロス公爵が立ち上がった。そして王太子を見つめた。


「と言うことは、殿下が当家の別邸にお泊りになられる以外、殿下がその場におられることは無理だと言う何よりの証左でございましょう」


「いや、違う。それは間違いだ。王家の別邸に泊まっただけだ」


「おや。今さっき、警備の問題があるので王宮からは出ていないと……」


「ちょっとくらい出歩くことは誰だってある」


 殿下は居直った。


 国王陛下と王妃様の表情が変わった。どうやら、事情を悟ったようだった。


 ベロス公爵は、そら見ろと思ったに違いないが、表情を押し隠して殿下を見据えていた。


 重苦しい沈黙を破ったのは父だった。


 父は、コホンと咳払いをして言い出した。


「国王陛下ならびに王妃様。私ども一家は一度退去させていただいてもよろしいでしょうか? なにやらお取り込み中のご様子。私どもが知り得ることは全部お話しいたしました。これ以上お役に立てそうもありませんし……」


 あたかも、そのために呼び出されたかのように取り繕う父。


 呼び出されたのは私だけで、後の面々は無理やり乱入したのだけど、父のセリフを聞いていると、まるで私たちは事情聴取のために呼び出されたみたいに聞こえるわ。

 頼もしい限りだわ。


「ああ、ああ、本当に役立たずだ。何の役にも立たない」


 殿下はいらただし気に叫んだ。



 私と父とラルフは、素早く目を見かわすと、練習でもしてあったみたいにサッと同時にお辞儀をした。


「では、本日は、これにて失礼させていただきます」


 そして、光の速さで部屋から退去した。

 ドレス姿の私は後れを取るまいと必死だった。そしてラルフは、ドレスの裾がドアを通り抜けた途端に、音もなくドアを閉めた。


 外には、衛兵が詰めていた。中へ入る時は大抵抗したが、出て行く分には彼らは邪魔しない。


「失礼させていただく」


 父の公爵が威厳ある声音で言い放ち、三人は(急いでいるように見えないよう注意しながら)堂々と王宮の最奥である王妃の居住区から、最速で脱出した。




 大きく息が付けたのは、王妃の館を出た時だった。


「ふ……ラルフ、よく覚えていたな。王太子の場所の出立時刻の件だが」


「もちろんです。こういったことにはいつも気を配っております」


 私はラルフをあきれ返って眺めた。


 絶対に知っていたに違いない。そして知りながら私を誘ったのだ。


 まあ……おかげで助かったけれど。


「あれは阿鼻叫喚だな」


 父がぽつりとつぶやいた。


「とりあえず、公爵閣下、急ぎましょう。この先どうなるかわかりません。まず、オーガスタ嬢を自邸に帰した方が安全です」


「そうだな。うちの馬車を……」


 だが、その時、私たちの目の前に現れたのは、輝かんばかりのほほえみを口元に湛えたビンセントだった。


 場所はちょうど、王家が公式の晩餐会を行ったりお茶会を行ったりする建物と、政治向きの事務が行われている建物の間の門のそば。


 ここを出れば、騎士たちや文官たちの出入りも増えてくる。


 そして、ここまでなら馬車を入れられる。

 ビンセントは立派な馬車をすっかり仕立てて、いかにも誰かを待っているような様子だった。


 私たち三人はビンセントにすぐ気が付いた。

 ベロス公爵の嫡男だ。

 娘のリリアン嬢にも父のベロス公爵にも全く似ていなくて、はかなげな容姿は母親の公爵夫人にそっくりだと言われていた。


 私たちはその横を通り抜けなくてはならなかったわけだが、もちろん気まずい。

 何しろ、父の公爵は殿下にガンガン檄を飛ばしていたし、床に突っ伏して娘が不憫だとブルブル脂肪を震わせていた。


 そこで何も見なかった態にして、目礼程度で通り過ぎようとした。


「お待ちください」


 三人はぎくりとした。


「何か御用件ですかな?」


 父が努めてもの柔らかな調子で尋ねた。


「いえ。用事があるのはオーガスタ嬢です」


「わ、わたくし?」


 私はびっくりした。ビンセントは、私に何の用事があると言うのだろうか?



 ビンセントの青い目が優しく揺らめいた。


「いやだなあ。もうお忘れですか? 二時間もまだ経っていないと言うのに?」


 そしてつかつかとそばに寄ってきた。


 ラルフのがっちりした体が動いた。

「オーガスタ様に……」


「違いますよ。僕がオーガスタ嬢に呼ばれたんですよ」


「あ……」


 私は思い出した。


「いやだなあ。僕に用事があると使いを寄こしたではありませんか」


 ラルフがまずいものでも見るような目つきで私を見てくる。


「話したいことがあるからと」


 いやあ……。だって、非常事態なんですもの。ベロス公爵家なら助けてくれると思ったの。

 ベロス公爵やリリアン嬢を呼んでも、特に付き合いがあるわけではないし、私のことなんか絶対に信じてくれないに決まっている。


 でも、ビンセントなら……


「恋する男の心を読んでらっしゃる。女性の本能ですね」


 彼は私の手を取って、手の甲に軽く唇で触れた。


 見物人二名(父と名目上婚約者)は、目を丸くしていた。意外な成り行きに動けないらしい。


「思いを寄せる女性に呼ばれて、我を忘れて駆け付けない男の心は本物とは言えないでしょう」


 これがエレノア相手だと、辛辣、暴言、邪険極まりなくなるのがなんとも言えないギャップだ。ギャップ萌え?そんなわけはない。


 いかにも優雅な物腰で近づいてくると、彼は続けた。


「あなたから会いたいと連絡をもらい……」


 ラルフが何か妖しい気を発生させ始めた気がするが、気のせいだろう。人間なんだから妖気なんか出すわけがない。


「急ぎ、父に進言しました。殿下がオーガスタ嬢を婚約者に据えるつもりだと」


 ラルフの妖気が急に引っ込んだ。

 さすがビンセント様。察しのよさは天下一品ですわ。そして、ラルフもね。妖気を引っ込めたのは、なぜベロス公爵があの場にいたのか察したのね。


「父はすっ飛んでいきました。もちろん妹のことが心配だったのです」


 私は今までベロス公爵のことを誤解していた。


 野心家かもしれなかったが、娘思いのよき父だったのだ。


「もちろん、泣き落としと脅迫のためです。ああ見えて迫真の演技ができます。誰でも騙されます」


 …………。違ったのね。


 知らなかったわ。迫真の演技って、本当にすごいのね。


「あ、そう、そうね。よくわかりましたわ」


 でも、自分の父のことをこんな風に言うのはどうなのかしら。


「父は僕のことも大事にしてくれてまして」


 話の先が読めないので、ラルフも父も不安そうにしていた。


 確かに千両役者?ベロス公爵のいかにも感情的な体当たり的陳情によって、殿下の目的は粉々になった。


「僕にはオーガスタ嬢をお誘いするようにと」


「断る」


 ラルフが切って捨てた。


「明日、式を挙げる。私の婚約者だ」


 結婚式の日程変更は、いろいろと都合がいいらしい。


 我が家の全員が決定事項みたいに言いだしたわ。

 三日後とか、五日後とかにしなくてよかった。一人くらい数字は間違えることがありますからね。その場合、信憑性に問題が出てくると思う。


「彼女の方から私に会いたいと言われました」


 ビンセントがラルフを見つめて言った。まるでバカにしているようだった。


「私は父に正確に状況説明をした。あなた方は王妃様の罠から脱出できた。そして、私は誘われたのです。誘ったのはこの方……」


「私も行く」


 ビンセントはそう言ったラルフを、ものすごく軽蔑した目つきで見下した。


「それくらいの感謝の念はないのですか? あなただって、私の評判は知っているでしょう?」


 ラルフが黙って居るので、ビンセントは自分で言った。


「素晴らしい美男で、礼儀正しく、言葉を尽くすけれども、女性から求められても決して手を出さない冷酷な男って……」


 その世評、私も聞いたことがあるし間違ってはいないけれど、自分で言うのってどうなのかしら。


 手を取ったままビンセントは、ベロス公爵家の馬車に優しく私を連れ込んだ。


「リッチモンド公爵」


 父はビクッとしてビンセントを見上げた。


「お嬢様をお借りします。ほんの一時間。大事なことです。必ず無事にお返しします。私を信じてください」


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